泣くのが不覚だなんて思わない。あの時は泣けなかったけど。
徳川の大坂攻めは、もう決まりきった時勢の流れだった。どうしようもない、みんな、そう言う。あたしだって思ってた。
どうしようもない、仕様がない、仕方がない。
感慨と後悔と不甲斐無さと、往生際悪く足掻こうとする自分を諦めで無理矢理塗り潰して――それが悪いことだなんて思わないわ。だってあたしはそう思ったからちゃんと武器を握れた。あの時、お館様が倒れた時だって、北条が滅んだ時だって。
どうしようもないから、泣くしかないのだ。
あたしにだってそんな理屈くらいは分かる。だからあたしもちょっと泣いて、けどすぐに武器を取った。
頭のどっかで思ったの、泣き崩れた後バツが悪そうに立ち上がる私を笑ってくれる人は、もう何処にもいないんじゃないかって。
そーやって刀振り回して八当たりするからもてないんだよ、バッカじゃない?しおらしく俯いて泣いてみりゃいいじゃん。
目に溜まりかけた涙を隠しながら笑ったあの娘も、んなこと言った癖に、結局あたしと似たようなもんだと思う。城を囲む果ての見えない大軍勢より、闇から急に襲ってくる苦無より、あの時のあたし達が怖かったのは、何よりそのこと。
泣いて泣いて、涙と鼻水区別が付かなくなるくらいぎゃんぎゃん泣いて、でもいつかは我に返っちゃうのだ。
だって涙で人が溶けるなんてこと、ホントは在り得ないんだもん。
そうして振り返った時誰もいなかったら、あたし達は、どうやって立ち上がればいいんだろうね。
なのにそんなことが分かってて、もう自分の前にも後ろにも誰もいないことを知っていて、それでも、見苦しい程にしっかり涙を流せるこの男を、あたしは馬鹿だと思う。
馬鹿で馬鹿で――お館様はいつも笑いながら言ってた、手前は馬鹿だなあ、小せえよ、って。勝ち戦にいい気になった時も、年頃の娘らしく恋なんて馬鹿げてると思いながら格好良い人から目を離せなかった時も。(でもそれは、仕様がないよね?)
お館様を看取る時ですら。
涙を拭こうともしない家臣や息子や、あたしを見渡して、お館様は掠れた、でも真面目な声で言ったの。
手前ら、本当小せえよ、馬鹿だよ。それがお館様の最期の言葉だった――ねえ。
あれから、ちょっといい女になったあたしは思う。
愛おしいって、大安売りする台詞じゃない。
本当はこういう時にこっそり使う言葉なんだ。
お館様なんかとは比べ物にならないくらい、馬鹿で馬鹿で、仕様がない男を見ながら。
かつての主家が滅んで泣くくらいなら何で命を懸けて守らないんだ、そんなことは誰にも言えない。あたしが言わせない。
けどあんたが誰よりそれを悔いているのは分かってるつもりだから、小せえんだよって言ってやる。きっとお館様はそう笑いながら、本当は目の前にいたあたしらなんかじゃない、自分の小ささすら大事に守ってたんだと思うから。
大きかったらきっと重過ぎて、泣きながら身を捩ることも出来ない。
守れなかったあんたも、ここで泣きじゃくるあんたを見てることしか出来ないあたしも、小せえし、馬鹿だって言ってやるの。口の悪さはお館様譲りのあたしが愛おしいなんて(んなこと言うくらいなら口が裂けた方がマシ!)声に出したら、こいつはそれに答えなきゃいけないでしょ?
でも今はあたしに構ってる場合なんかじゃないから。
「俺もだ」ってこの人が答えるなんてどう考えても有り得ないし、精々「何気持ち悪いこと言ってんだ」って返ってくるのが関の山だと思うけど、今この人に必要なのは返答なんかしなくていい他人の罵声すら抱え込んで、泣く時間。
「…馬鹿だよ、あんた」
ほら、やっぱり返事は返らない。
代わりにくぐもった嗚咽と共に「みつなりぃ」なんて、情けねえ声を漏らしやがった。一拍遅れて、きよまさぁ、なんて言う。もしも、済まねえ、そんな謝罪の言葉を一言でも付け加えたなら、きっとあたしは、問答無用で思いっきり殴っていたに違いない。
けどそれっきり。
彼はそれ以上何も言わなかった。
だからあたしの視界は滲む。
真っ先に呼ぶのは秀吉様じゃないんだ。秀頼様でも、おねね様でもなかった。
関ヶ原で敗死したあの男。友と呼ぶには仲が悪過ぎた気もするし、仇と言うには近過ぎた、嫌われ者の石田治部サマ。そして親友の名。ううん、親友ってほど畏まったものでもなく、兄弟同然というには遠慮がなさ過ぎた、昔馴染みの男。
こいつは馬鹿で小せえ男で、もうどうしようもないけど、決して間違えてなんか、ない。
栄華を誇った豊臣の終焉、それに抵抗したのは豊臣に忠義を捧げようという心意気を持った武将達ではなかった。太閤のド派手で奇抜で、誰もがついつい笑っちゃう、そんな世の中を知らぬ若武者や浪人達、もしくは知ってたかもしんないけど、行き場を失いつつあった武士達。
自分達の意地の為にみんな死んだ。
そりゃ豊臣の為もなかった訳じゃないでしょうよ。でも矜持の為だった。あたしにはそんな馬鹿げた理屈、よく分からないけど、そういうことになってる。
俺は守るどころか加われもしなかった。きっと彼は心の中で叫んでる。徳川と大坂方、結局豊臣を利用したのはどっちなんだよって叫んでる。
徳川に掴み掛かればいいのか、それとも大坂で死んでいった数多の武士を羨めばいいのか分かんないから、彼は三成の、清正の名を呼ぶ。
そう、誰でもないその二人に、ちゃんと報告をしなきゃいけないんだ。それが出来るのはきっと、あんただけ。
主計頭亡き今、福島正則といえば豊臣恩顧随一の大名であろう、何故大坂方に付かぬ。誰かが言ったわ。あたしは怒りで頭がおかしくなりそうだった。刀を持っていたら斬りかかってやったのに、なんて思ったんだけど、やっぱり得物を持っていても動けなかったかもしれない。
だって侮辱された張本人が動かなかったんだもん。
泰平がやってきて、無用の弓は雁字搦めのまま蔵に仕舞われましたとさ。彼が自分から蔵の戸を打ち破って表に出てこない限りは、あたしの役目はその弓の眠りを妨げないことだって、あの時は本気で思ったのよ。
でも違った。
こいつは押し込められたんじゃない、自ら選んだの。今ならそう罵って、あの時の無礼者を二、三発ひっ叩いてやれるのに。
三成に。清正に。
豊臣に命を賭けた全ての人に、豊家の最期を報告する為に。そんな貧乏籤をこの人は自分から引いたの。
あの、仕事は出来るが横柄で潔癖な男は、鉄扇を弄びながらきっと尋ねる。それで、どうなったのだ。苛々を隠そうともせずに。その隣で清正が苦笑する。まあ、俺達はやるだけのことはやったんだ、と。
俺達がやったことはどうでもいい、俺が知りたいのは結果だ。
「豊臣は、滅んだ」
至極真面目な三成の疑問に、これ以上なく真摯に答えられるのは、自分しかいない。少なくとも彼はそう信じているし、あたしも、そう信じている。
この広い日ノ本のうち、二人もの人間が心からそう思っていれば、きっとそれは正解なんだって、あたしは思う。
お試し読み用です。以下続きます〜。