事実は小説より奇なり、なんて言うけど、現実は幸村の想像以上に手堅く出来ている。
 
自分の恋心を自覚した幸村が思ったのは、まずそんなことだった。
 
目と目が合って燃えるような恋に落ちた、とはお世辞にも言えない。目が合ったことなんか数え切れないし、きっとその場合の「目が合う」というのと、自分が言うところの「目が合う」は別物なのだろう。それで何をどうやって燃やせばいいのかがさっぱり分からないのだし。
お節介な友人に仲を取り持たれるでもなく(三成や兼続がやったら上手くいくものもいかないと思うので、放っておいてくれるという点では感謝しているが)後先考えずに思いの丈をぶちまけられるほど人間単純に出来てない。
物悲しい夜に身を捩って切なさに泣くわけでもなし、せいぜいが、テンションの低めの夜に(それは、物悲しいというのもおこがましいくらいの微妙な心の動きに過ぎない)いつか振られて友達でもいられなくなったら辛いな、と他人事のように思うだけだ。
 
逆に少しばかり根拠のない自信を感じられる日には、もしも上手くいったらという想像をする。
けどやっぱりそれを実行に移す手段がちっとも分からない。
いっそ映画のように世界征服を企む悪の組織が立ちはだかり、二人で力を合わせてやっつけたりでもしたら、自分達の関係は劇的な変化を受け入れてくれるのかもしれないが、幸か不幸か、悪の組織なんて見たことないし、例えば宇宙人が地球を征服しに来ると言う話も聞かない。そもそも何の力もない高校生たる自分に地球の平和を任せられたら悲劇だし、それこそ世界の終わりだと思う。そうそう、世界と言えば、自分がしたいのはその中心で愛を叫ぶことなどではなく、出来ればこっそり、政宗のあの形の良い耳にだけ届くように恋を囁きたいのだ。
幸村が知った一つは、そのこと。
 
作り話の恋はなんて開放的で、主人公以外を無視した物語なのだ。
 
そしてもう一つ知ったこと。
 
どうにかなりたいと思っている筈の自分は、案外悲観もしなければ楽観もしない。
なんて面白みのないリアリストだと思う。時々それについても嫌になるが、ここでどっぷり浸かれるほど酔いしれることも出来ない。得な性格なのか損な性分なのか分からない。
つまり、自分がどうしたいのかがさっぱりなのだ。自覚して、苦しくなるほどの恋情を抑えきれずに告白して、後は受け入れられるか拒絶されるか。物語の登場人物は、それが恋だよ、なんて幸村に教え続ける。例えばこのまま、何事もないまま、でも恋だけを抱えたままで普通に一生を終えたり、いつしかこの想いが諦めたわけでもないのに風化して、まっさらな状態になったり。(それを心から望んでいる訳ではないが)そういうのはホンモノの恋とは呼ばぬのだ、と言わんばかりだ。
成就か玉砕か、たった二つの選択肢しか許してくれないような。でもそれは、結末に至るまでの劇的な感情をくぐり抜けないと駄目なんだと言われている気分になって、幸村は少しだけ暗澹とする。
 
殊更騒ぎ立てるでもなく悦に入るでもない、日常とぴったりくっついた自分の恋。
でも、その方が潔いとこっそり思ってなんか、いる。
 
 
 
誰にも決して語られない、幸村からしても取るに足らない恋だけど、それでも変化は幾つもある。
 
それは変化と呼ぶほどの大袈裟なものではないかもしれないが、きっと政宗のことを好きにならなければ素通りしてしまったであろうたくさんのこと。
 
少しだけ大股で歩くようになった。正面よりやや下を見る姿勢が知らない内に身に付いていた。餡まんは粒餡より漉し餡の方を好むようになった。左手で捲っていた新聞を、右手で捲るようになった。
身長差から言えば多少のコンパスの違いがあるように思えるのだが、政宗は歩くのが幸村よりずっと早い。歩幅と姿勢が変わったのは、彼の隣を歩き彼に話しかける為。それは幸村の体が無意識に覚えてしまったことだ。一昨年の冬、餡まんを食べて「何じゃ、粒餡か。漉し餡かと思うた」と政宗が些か残念そうに漏らしただけで、漉し餡は幸村にとって特別なものになった。「テレビ欄しか読まぬのか?新聞は一面から見て右手で捲っていくものぞ」と言われたから、何の興味もない経済面や社会面をぱらぱらと捲ってから、幸村は最後に新聞のテレビ欄を熟読する。
政宗が笑ってくれるから(機嫌の良い時には直してすら、くれる)寝癖の付きやすい自分の髪の毛も悪くないと思えるし、春より夏の方が好きだと思う。そういえばカレーにソースをかけなくなった。幼い頃からの習慣で何となくカレーにソースは必須だと思っていたのだけど、そのまま食べてみたら政宗の言う通り、美味しかったからだ。
 
もしもこれで、「彼の使っているシャンプー」とか「彼と同じストラップ」とか、どころか「彼の使用済み割り箸」なんてものを調べては集め出したら立派な変態だろうが、そこまでの熱意はないことに自分自身ほっとする。ほっとしながらも思う。
こんな些細な変化、恋に因るものだと誇ることなど、到底出来ない。
政宗の所為で増えてしまったたくさんの好きなものは、どれもこれも他人に話せば失笑されるか呆れられるか、まあ、その程度のものであって、もしもこの先、彼のことを好きでも何でもなくなったらもしかしたら自分は新聞を左手で捲り、再びカレーにソースをかけ始めるかもしれない。端的に言えばこの手の変化など、正直、馬鹿馬鹿しいのだ。
 
馬鹿馬鹿しいと言えば、嫌いなものも増えた。
いや、違う。正確には好きなものが増えた代わりに嫌いなものを自覚するようになった。
 
例えば家路を急ぐ帰り道にぽっかりと浮かぶ月。彼が隣にいる時には、わざわざ月なんて見上げない。まんまるだ、とか、欠けている、くらいの印象しかなかったそれは、いつしか政宗に会えない時間の象徴になってしまった。月からすればいい迷惑だと思うが、あちらは然して気にしないだろうから、幸村は時折歩を進めながらも何となく空を見上げて溜息を吐く。
政宗が嫌いだと言った真夜中に響く時計の音も、閉まり切ってない蛇口から垂れる水音も、好きではなくなった。これまでは気になるなあ、くらいのものだったのに。もしも政宗への想いが完全に風化したら、それらのものを以前のように再び受け入れられるかどうか、幸村には分からない。

 

 

お試し読み用です。以下続きます〜。