先程までかろうじて西の山裾に残っていた陽はすっかり消え、更に悪いことに申し訳程度の小雨が降り出した。
当然、傘は無い。いや、この程度の雨、本来なら傘を差すまでもない。
いっそ思い切り降ったらどうだ。
さすれば家に帰る踏ん切りもつく、何より濡れ鼠にでもなれば、政宗の部屋で一人待っているであろう幸村の同情をひくタネにもなるではないか。
空を一睨みすると、政宗は大きく息を吐いた。全く、忌々しい。
何も解決させようとしないまま、変な言い訳をしながら出てきてしまった自分が一番忌々しい。


政宗と幸村の仲の良さ(と言うべきか、何と言うか)は、公然の事実、といってもせいぜい三成や兼続辺りしか与り知らぬ事だろうが、とにかくそうなのだ。むしろその筈だと政宗は考えている。
だがそれは喧嘩をしない、言い争うことが無いということとは少し違う。


三成や兼続にはいつもおっとり笑っている幸村だが、政宗と二人の時には少々勝手が違うのだ。
機嫌が悪ければ結構口汚く文句を言うし、八つ当たりだってする。
いつだったか、かなり酷い喧嘩をした時などは口論の果てに掴み合いになり、幸村は唇の端を切り、政宗は左頬に痣を作ったものだ。


(そうだった、あの時の阿呆二人の顔は見ものじゃったな)
幸村の口の傷に気付いた三成は、「不義!」と叫ぶ兼続を引き連れて、政宗の通う中学まで押し掛けたのだ。
三成の、そして多分兼続の頭の中には、政宗に虐げられるいたいけな幸村の図が浮かんでいたことであろう。教室まで乗り込んできた三成は思い切り良く政宗の胸倉を掴み
「政宗!貴様、よくも幸村…に……幸村か、その痣は」
政宗の顔を見てうろたえた。
「何じゃ、幸村の仇討ちか?」
だが儂に傷を付けられるのは幸村のみよ、そう不敵に笑う政宗の頬の傷は幸村より遥かに酷かったのである。
それから何をどう思ったかは知らないが、やっぱり兼続は「愛!」と叫び、三成は、あの三成が小さく謝ったのだ、政宗に。


(馬鹿め。三成は幸村に夢を見過ぎじゃ)
少しだけ、政宗の機嫌は上向いてきたようだ。
(いっそあの時のように殴り合いでもしたら楽だったんだが)
こんなのは、喧嘩ですらない。
ほんの少し虫の居所が悪かった幸村の物言いがきつく、僅かに機嫌が悪かった政宗がそれを軽く流せなかっただけだ。
部屋中を変な空気が覆うのが分かった。
言い争ったのではないのだから謝るのもおかしな話だ。明日会ったらまた笑って話せる。

でも今日はそのまま別れたくなかった。

だから政宗は外に飛び出した。コンビニに行って来る、とでも言ったような気がする。
幸村は政宗が戻るまで帰ることはないだろう。結局は、自分も幸村に甘えているだけか、再び政宗が深く息を吐いた。
「溜め息吐くくらいなら、雨の中飛び出さないでください」
「さっきまで降ってはおらんかったぞ」
背中に感じる重み。
背後から肩口にもたれかかる幸村の顔は、わざとなのか何なのか、そっぽを向いているので政宗からは見えない。
「帰るか」
幸村が小さく頷いたのが肩越しに分かった。


幸村の手を、ひいて歩く。
後ろから鼻を啜る音が聞こえて、政宗はひっそり苦笑した。
「幸村、遠回りして帰るか」
時間がもう遅いだの、雨が酷くなってきただの、腹が減っただの、幸村はぶつぶつ文句を言う。
「帰ったらすぐ風呂だ。飯も儂が作ってやる。今更じゃ。今日は泊まっていけ」
喧嘩の後繋ぐ手はいつもより暖かくて気持ちがいいのだ、それくらい甘えさせろ。
返事はなかった。代わりに、結構強い力で左手を握り返されて、ついに政宗は堪えきれずに噴き出した。




ケンカじゃないケンカはいろいろ辛いのです。このあとまたケンカしたら可愛いね!
幸が泣いたのかどうかは謎。あれです。
自分からはしゃべりたくないし、まだちょっとむかついてるけど寂しいから音を出すみたいな。説明するな。
ケンカの仕方は漢らしいといい。でも利き手で殴るのはよくないよ、幸。
(08/04/01)