※何かもう色々…すみません。ちょっと痛い表現があります。(様々な意味で)
政宗の部屋でぼんやり窓の外を眺めていた幸村は、廊下から響き渡る怪音に顔を上げた。しとしとと春雨が降り注ぐこのまったりムードを物ともせずに此方に向かってくる爆音(いや、普通に廊下を踏み鳴らして歩く音なのだが、それは正に爆音に相違なかった)に、ああまた彼の登場かと諦めの笑みを浮かべる。
隣に腰を落ち着けていた政宗も、小さく舌打をした。
「あ奴…一体何処から家に潜り込んで来おるのじゃ…」
全く持って自由に過ぎる兼続は、他人の家に上がるのもお構いなしである。
場合によっては兼続襲来に気付いた幸村が玄関先まで出迎えることもあるし、政宗と門前で激しい塩の撒き合いを繰り広げることもあるが、大概彼は何の躊躇もなく、玄関や窓からのこのこと侵入してくる。兼続の辞書に不法侵入の文字はない。
「幸村!山犬!そこに直れい!」
例によって、すぱんと小気味良く襖を開け放った兼続は、来訪の挨拶も何のその。既に覚悟を決めてちょこんと座っている幸村と、顔を背けたままぶつぶつ文句を口中で繰り返す政宗に居丈高にそう叫ぶ。
兼続の後ろには、恐らく無理矢理連れて来られ、ぐったりとした三成の姿。
此処は寄合所ではないぞ、そう言おうとした政宗の台詞を見事に遮って、兼続は満面の笑みで言葉を紡ぐ。
「諸君、もう春はそこまで来ているぞ!春は出会いと別れ、即ち歓送迎会の季節だ!年末と並んで様々な会合が催され、ほろ酔いの謙信公が上機嫌のこの時期に、私はそれら会合を著しく盛り上げるであろう素晴らしい余興と運命的な邂逅を果たした!今からそれを皆に披露しよう!しかとご披見あれ!」
歓送迎会の余興も何も。確かこいつらは高校生くらいの設定だったのだが、それはこの際非常にどうでもいいことだ。
「三成殿、お疲れ様です」
「ああ、疲れた。いきなり俺の家に押しかけたと思ったら此処まで引き摺ってこられた。この雨の中、心からいい迷惑だ」
幸村が差し出すタオルを受け取りながら、仏頂面で三成が返す。兼続は濡れるどころか、この雨の中だというのに、雫の染み一つ付いていない。だが、兼続に防水加工が施されていることなど、やはり非常にどうでもいい。
「そうか、気が済んだらさっさと帰れ」
やる気なげにひらひらと手を振る政宗に目もくれず、兼続は喚き散らす。
「ではこの直江山城の目を見張るような手品を見せ付けてくれよう!」
「手品?」
まさかそう来るとは思わなかった。兼続(と、ついでに三成)から目を背け続けていた政宗が、やっと振り返る。
「うむ!昨日サプライズだか何とか魔術だか、兎に角そう言った摩訶不思議な現象をテレビで放映しているのを目の当たりにしてな!私ともあろう者がすっかりそれに目を奪われた!手の力で何とかなるものであるならば、私の義力はもっと素晴らしいエンターテイメントをお見せ出来るであろうと思い、こうしてわざわざ足を運んだ次第!全く、私の義に感謝しろ!見ろ、義トランプも用意した!」
「は?義力?兼続、貴様正気か?」
「何だこのトランプは。気持ち悪いのだよ」
兼続が堂々と掲げたそれは、全て謙信の絵柄であった。
一体何処でこのようなものを調達してくるのか。裏の柄は勿論、ジャックもキングも謙信。どころかクイーンまで謙信の絵である。せめて景勝や景虎をジャックに据えてはどうじゃ、クイーンだって伊勢姫とか仙桃院とか色々居るじゃろうて。大体スペードのエースが「毘」の一字とは何事ぞ。
だが、これ以上話が長くなっては堪らぬ、と政宗は吐き出しかけた台詞をぐっと呑み込んだ。三成も幸村も同じ気分なのだろう。兼続ご自慢の謙信公トランプは、こうして見事にスルーされる形になった。当然、ジョーカーが柿崎景家だったこともスルーだ。
「まずはこのカードの中から一枚選べ、三成!」
皆が謙信公トランプに思い思いの印象を抱いている中でも、兼続はいつも唐突だ。
だが結局その勢いに押された三成が、大人しく兼続の手からカードを一枚引く。全く世の中、無理が通れば何とやら、なのである。
「…引いたぞ」
「よし!ではそのカードに堂々と名を記せ!世界に一枚だけのカードとやらにするのだ!幸村、マジックを持ってきてくれ!」
いつの間にか勝手にアシスタントにされた幸村からマジックを受け取った三成が、カードの隅に小さく記名した。早くしろ!ぬ!謙信公の御姿の上に書くのは不義だぞ!そう急かされつつ、それを再び兼続の手元に戻し、混ぜる。
「では今から私が三成の選んだ義のカードを見事、当ててみせよう…オンベイシラマンダヤソワカ………」
尤もらしい呪文(?)を呟きながら、兼続が次々とカードを捲る。カードは裏のまま。
つまり兼続は、普通に五十二枚のトランプの中から三成の名が記されたカードを探しているだけで。
「ソワカ!あったぞ、これだ!大当たり!素晴らしきは私の義力!」
石田三成、と遠慮がちに書かれたカードの裏を見せて、兼続が会心の笑みとともにカードを掲げた。
「あのな、兼続。それは唯の探しものじゃ…」
「ん?これはおかしなことを言う!私の義力で三成が選んだカードが見事、引き当てられたのだぞ!」
どうやら兼続は、手品の何たるかが全く分かっていないらしい。その手から政宗がカードを奪う。
「いいから貸せ。幸村、一枚引いてみよ。儂には見えぬように覚えろよ」
どうやら自分が手本を見せてやる、ということのようだ。
幸村が小さく頷き、三成と兼続にカードを見せた。それを受け取り手札に混ぜると、政宗はカードを切る。
「儂は幸村が何を引いたかは知らぬ。こうして切ってしまえば更に分からん」
「全くだ!不義の山犬が義力を使うなど、とんだお笑い種だな!」
「でな、その知らぬ筈のカードを引き当てるのが手品じゃ。幸村のカードは…ああ、これじゃろう?」
事も無げに放り出された一枚のカードに、幸村が息を呑んだ。
「当たってます、政宗どの。お見事にございます!」
「やるではないか」
「義いいいい!何と言うことだ!あの山犬が義力を操るとは、この兼続、一生の不覚!」
何のことはない、幸村がカードを戻す際に政宗がその前後のカードの図柄を記憶していただけのことである。手品としては初歩の初歩だ。
だがタネは簡単でも見せる側の腕次第で、ある程度は如何様にも煙に巻くことが出来るのが手品。政宗の器用さにやんやの喝采が上がる。
「義力というか、普通にタネがあってな…」
「タネも仕掛けもないと言うではないか!」
今時そんな常套句、餓鬼でも信じない。
「はっ!これはもしや幸村への山犬の愛か!愛の力なのか?!」
「ああ、もう面倒じゃ、それで良いわ」
「ようし!では私の愛も見せ付けてやろう!幸村、一枚引いてくれ!」
兼続殿の愛を見せ付けられても私も困るのですが。そう固辞しようとした幸村だったが、ぐいぐいカードを押し付けられれば引かぬ訳にもいかない。再び幸村がカードを引き、三成と頷き合って兼続に返す。
「さあ、皆、瞳孔をおっ広げて刮目せよ!幸村の選んだカードは、これだ!スペードの六!」
「違います」
「私の愛は山犬に劣るというのか…ではこれ、ダイヤの八か?!」
「違います」
「ならばダイヤのジャック!いや待て、愛の三だな!」
「愛…?ああ、ハートの三でもダイヤのジャックでもございません」
既に飽きたらしい三成が、勝手に政宗のゲームを起動させた。軽快な戦闘音が流れる室内に兼続の声が反響する。
「クラブの七か八で決まりだ!…いや、やはりダイヤだな!ダイヤの四!ぐぬう、これも違うのか…では愛のクイーンか!」
次々と目暗滅法に言っているだけなのに、記憶力だけは良いのか、カードの柄がかぶらないところが、凄い。だが凄いのはそこのみで、五十二枚のカードの内、兼続がやっと正解に辿り着いたのは四十三回目のことであった。(その間に三成のゲームは兼続の叫びと共に電源を落とされた)
「クラブのキング!」
「はい正解です。お疲れ様でございます」
「義力だ!」
「何が義力じゃ!あれだけ言えば阿呆でも当たるわ!」
「兼続、貴様頭だけではなく勘も悪いのだな」
さすがの兼続もこれには堪えたのだろう、奇声と共にカードを高々と放り投げた。謙信公達がひらひらと宙に舞う。
「ふんが―――!私の義はこんなチンケなカード如きでは量れぬ!よし、他の義力だ!この百円玉で三成の手を貫通させる!手を出せ!」
「それはやめろ、兼続!痛っ!痛い痛い!ぐりぐり押し付けるな!」
手を出すのを躊躇した三成は、そのお綺麗な顔に百円玉をめり込ませることとなった。
頬を小銭で散々陵辱され見事に円形の痕がついたところで、幸村に止められた兼続がやっと手を離す。
「…幸村、礼を言う。だがもう少々早く止めて欲しかった…」
「私の力が至りませんで申し訳ありません」
「私の義は三成の面の皮にも劣るというのか…謙信公!この兼続、こんな挫折は初めてだ!」
その謙信公トランプとやらを貴様は先ほど盛大に放り出したじゃろうが。政宗も至極尤もな台詞は、兼続の耳には届かなかった。
百円玉を握り締め膝を折る兼続に、三成の声が飛ぶ。
「ならば貴様に相応しい大脱出でもしてみれば良かろう。俺が簀巻きにして政宗の家の風呂に頭から叩き込んでやる」
「それはいい!私にうってつけの派手な演出、という訳だな、面白い!」
「ちょっと待てい!三成、人の家の風呂を勝手に提供するな!」
「でも暫く静かになりますよ?」
「死者が出るわ!そんなに死にたいのなら自分の家でやれ!」
だが頬をさすったまま、未だ腹の虫が収まらない三成は、政宗の怒号にも怯まない。
「油地獄水面炎上大脱出はどうだ」
「な!貴様、なかなか懐かしいことを言うな…ではのうて!」
「ほほう!これはしたり!油が炎上したところでこの私の義は怯まぬ!諸君、義を示す時は今ぞ!」
「三成、兼続に油を渡すな!兼続も、そのライター何処から出したのじゃ!止めろ!それは脱出ではのうて放火じゃ!幸村、いいから止めろ!」
それまでにこにこと経過を見守っていた幸村が、政宗の声に反応する。ええと、止めろと仰られましても、ええと。
わたわたしていた幸村が、急に笑顔に戻って兼続の前に左手の甲を差し出した。親指は、兼続から見えないように折られている。
「わ、私も手品が出来るのです!ご覧いただけますか、兼続殿」
そういうことをしろ、と政宗は言ったつもりではないのだが、とりあえず兼続が大人しくなった。
まさか幸村は。
右手の親指を左手のそれに見立てるように添えると、幸村が言う。
「ええと、こうやって。確か親指が外れるのです。えいっ!」
それからたっぷり数秒。政宗の部屋はそれまでの喧騒が嘘のような静寂に見舞われた。
ライターを握り微動だにしない兼続。油の容器を抱えたままの三成がぽかんと口を開ける。突然大人しくなった兼続に、幸村もどうしていいのか分からないのだろう。所在無げに何度も右手の親指を左手にくっつけたり離したり。「幸村?」政宗の呼びかけで、やっと幸村が我に返った。
「あの!違うのです!今のは…すみません、なかったことにしてください!」
これは結構恥ずかしい。今更にして政宗の「止めろ」があくまで兼続の暴挙を止めろ、という意味であって、彼に手品を見せて黙らせろという意味ではなかったのだと気付いた幸村は、固まってしまった空気をなかったものにしようと、あわあわと両手を振る。
いやだって子供の頃、父に見せてもらった時には酷く吃驚しましたし。ですからそういうことではなくて、羞恥の余り三成の手から油を奪い取って何故か兼続に握らせようとしていた幸村が、政宗の叫びで身体をびくりと震わせた。
「も、もう一回じゃ!」
「え?」
赤面しながら油を捧げ持っていた幸村の動きが止まる。
「そのくらいなら俺も出来るぞ」
三成がペンを取り出し、端を摘んでぶらぶらと揺らした。
「こうするとペンがぐにゃぐにゃに見えるのだよ」
「馬鹿め、それは錯覚よ!そんなことより幸村、もう一回見せてくれ!畜生、お主は可愛過ぎるわ―!」
律儀な幸村は、頬を染めながらも政宗の要望に答えようと懸命に親指を離すという稚拙な技を繰り出している。だが幸村に飛び掛って、人懐こい犬の如く、ぐりぐりと頭を押し付ける政宗には全然見えていないに違いない。
こんなタネ丸出し(幸村のそれは非常に拙かったので接合部分が丸見えだった)のお遊びであの兼続の暴走がとまると思っておるそなたは、本当に愛いのう、と政宗は無礼な言葉を吐いているが、幸村もさして気にした風はなく。今度は手で犬を模って「ではこれならどうだ。犬だぞ、わんわん」などと無表情で戯言をほざく三成を笑って見遣る。
「それは影絵じゃ。だから誰が手遊びをしろと言うたか!」幸村を愛でながらも、素でぼける三成への突っ込みは忘れない政宗。左近がいないと突っ込み役が足りないので、政宗も大変だ。
そんな和やかな(そうでもない)雰囲気を壊したのは、やはり兼続の悲鳴にも似た叫びだった。
「ぬわああああ!幸村の手が…指が…!なんということだ!これは山犬なんぞと付き合った所為で、幸村が不義の徒に変貌していく正に兆しに他ならぬ!嘆かわしい、いや何と恐ろしいことだ!大丈夫か、幸村あああ!」
「あ、あの、この親指は左手のではなくて、右手のを無理矢理こうして…」
「私の義の導きが足りなかったということか!いや、待てよ。これは不義の行いではなく愛?!愛か!そうなのだな、幸村!そなたと山犬の愛、この兼続がしかと見届けた!ぬ?!これはどうしたことだ!」
「…どうした、兼続」
突如大人しくなった兼続に、三成が怪訝な顔を向ける。立てぬ、兼続らしくない小声でそう返答が戻ってきた。
「は?」
「幸村の愛に腰が抜けて立てぬのだ!全く驚かされたぞ、幸村!世は未だ不思議で愛に満ちているのだな!」
いや、ですから愛はまるで無関係でして。とりあえず兼続の罵声(?)で幸村の醜態は流されたものの、今度は愛愛連呼され別の意味でもっと恥ずかしい。頼むから勘弁してくれと、未だ座ったままの兼続を押さえつけようとしたのだが、兼続にはそれが幸村の謙遜に映ったらしい。
「案ずるな!そなたの愛、天も嘉しようぞ!だが少しばかり驚いて足腰が立たぬとは言え、私の愛もなかなかのものだぞ。見ているがいい!これが愛だ!」
再び狂人の如く、愛愛叫んだ兼続は、幸村の制止も振り切って、自らの親指を握ると思い切り引っ張った。
「ぎゃああああ!痛い!痛い!指が引き千切られそうだ!これが愛の試練!」
「か、兼続の指が!ぶらぶらだ!」
「馬鹿、何をしておる!手を離せ!」
「見事に脱臼しておりまするなあ…」
腰どころか指まで抜けた兼続は、その後政宗が呼んだ救急車で元気に運ばれていった。
勢い余って自らの指を脱臼させ、付き添いの三成だけでは飽き足らず、駆けつけた救急隊員の方々にも義と愛を説いたことは、彼の中で恥どころか武勇伝として、その後長く長く語り継がれることになるのだった。
やはり政宗一人では面倒見切れませんでした。左近も出すべきだった…まさかこんな大惨事に…すいません。
そして問題は左近がいない、とかではない。
犯罪や自傷行為はヨクナイデスヨ!
(09/03/06)