鰻と梅干を一緒に食べても、本当はどうってことないらしい。昔から実しやかに語り継がれられてきたことが必ずしも正しいとは限らないという、良い証拠ではないか。
とんでもない盲目状態で思案も及ばぬ処にあるからこその恋なのであれば、儂を見遣る幸村の、あの嫌味な程に静かな目は一体何なのだ。恐らくは、三成も、あの馬鹿な兼続だって知らない。どれだけ細心の注意を払って、幸村が、自分の発する音を聞き、空気越しの僅かな体温を嗅ぎ取ろうとしているのかなんて。
 
好きでいることは赦した癖に、好きだとも言わせず好きですとも言わないで、結局は儂も幸村も生殺し。いくら人より目の玉が少なかろうが、盲でない自分の前に国境は決然と横たわったまま。
ああ、多分、自分達に足りないのは、恋だとか言う生っちょろい感情を馬鹿げた衝動に変え最後の一線を踏み越える勢いなのだ。
 
 
 
つらつらと幸村の隣でそんなことを考えていた政宗は、突如ごとりと響いた音に気だるそうに振り返った。
部屋の中は二人ぼっちで政宗と幸村の距離はたった二十センチ。友であればもっと離れるべきだし、恋人であればもっと縮まるその感覚を、一体どう処理すれば良いのだ。
そんな切ない思いを抱かせたまま薄情な振りをしている幸村の頭が、テーブルの上に落ち、次の瞬間当の幸村は額をさすりながらぼんやりとした目を向けた。
 
「大丈夫か」
「すみません。寝てました」
 
例えばここで心配そうな表情でも作って額に手を遣ってみたりだとか、さり気なく肩に凭れ掛からせてみたりだとか。もう今日は帰れと冷たくあしらうのも良いのだろう。
だが問題は、幸村が転寝してしまう程に自分達は二人だけの空間に、沈黙に慣れきってしまったということなのだ。最早居心地などを考えるまでもないこの状態に、先に恋と言う感情を持ち込んだのはどちらなのかは分からないが、少なくとも互いのそれをあっさり見極められるほど、自分達は馴れ合って暮らしてきた。静かに静かに、時には小さな波風を立てながら。
そんな穏やかな日常と、テンションがやや低めの恋心はある日、当人達の感情と欲望だけを置いてけぼりにあっさり両立してしまった。
 
伝える必要性もない上、暴走できない恋情なんて、始末に悪いことこの上ない。
 
「昨夜は殆ど寝ておりませんでしたので」
「試験じゃったからな」
 
幸村の英語の成績が壊滅的なのは今に始まったことではない。英語の試験があった日には眠そうな顔をしていることも。
そして、本当に突き詰めたい命題を宙に浮かせたまま、さして面白くもない試験の感想を述べ合っていることだって、今に始まったことではない。
 
「寝るか?」
「大丈夫です。頭をぶつけて目が覚めました」
 
幸村の応えを聞いた政宗が立ち上がる。何処へ?などと尋ねない。寝ないでいようと決意した幸村の為に政宗が茶を淹れてくるのを黙って待つ。
ことり、とカップを目の前に置けばやはり無言で頭を下げる。
 
 
 
筈、だったのだが、その日幸村は本当に疲れていたらしい。
 
二人分のカップを抱え、ついでに簡単なお茶請けを用意し部屋に戻ってきた政宗の目に飛び込んできたのは、テーブルに突っ伏したまま気持ち良さそうな寝息を立てている幸村の姿だった。
 
「起きておると言うたのは誰じゃ」
 
幸村を起こさぬように発せられた自分の独り言に、当然返事はない。
ここで動じれば自分達はもう少し前に進めるのだろうか。口の端に垂れる涎を拭ってやるとかではなくて。
 
頬に落ちる睫毛の影、意外に睫毛、長いのじゃな。改めて思うが、本当はそんなこともう疾うに知っている。寝顔をまじまじ見詰められる事態に、別段驚きもしない。朝、適当に櫛を通しただけの髪がところどころ跳ねている。
夢でも見ているのか、頭の下に宛がわれた指先が小さく動いた。
 
「起きぬか、おい」
 
小声で呼びかければカップから立ち上る湯気が僅かに揺れる。返事は、ない。上半身を無理に折り畳んで寝ている所為で、くぴーと変な寝息が漏れただけだった。
幸村、と呼びかけそうになって慌てて止めた。
「政宗どの」当然のように返ってくる筈の彼の声が今は聞けないのだ、その当たり前の事実が驚くほど心細い。だが――そうだ、いつもこうして口を噤んでしまうから、自分達はずっとこのままだったのだ。必要なのは、下らないプライドなんかさっさと捨てて、誰より何より愛おしいのだと伝え切る勢い、ではなかったか。
 
「ゆきむら」
 
きっと、こんな風に万感込めて名を呼ぶことなど、未だかつてしたことはなかった。はしゃぎ過ぎた子供が迷子になって結局は親の名を泣きながら叫ぶくらいであれば、何故もっと前にそれを予測せぬのだ、そう思っていた。
予測なんて、制御なんて出来っこない。だって自分はこんな声が出せるだなんてことすら知らなかったのだ。
 
「のう、ゆきむら」
 
髪に静かに唇を落としたら、頬に触れた跳ねた髪がくすぐったかった。
テーブルの上のお茶は冷めてしまってもう湯気も立たない。でも自分の息は幸村の髪の毛を揺らすことだって出来る。好きだと告げてみれば、それはこうして寝こけている本人には伝わってはないだろうけど、その鼓膜を震わせることだって出来たのだ。
幸村の耳は仄かに赤く染まっていた。
 
「…いつから起きてた」
「起きてません」
 
耳を軽く噛んだのに、幸村は小さく笑っただけで顔を上げない。仕様がないので脇腹を指先で軽く摘んだら、しつこく熟睡を自己申告していた幸村がやっと跳ね起きた。
 
「良い目覚めであろう?」
「ええ、おかげさまで」
 
くすぐったがりの幸村が身を捩りながら政宗を見詰め返す。彼の眸は相変わらず静かで、その裏側にこっそり隠された、わけもなく笑い出したくなるような、歌い出したいような、そんな気分さえ透けて見えるようだった。
本当は何も見えてなかったのだな、そう実感したら堰を切ったように笑いが止まらなくなった。
溜め込んで溜め込んで、すっかり飽和状態だった自分の気持ちさえ分からず、勢いに任せたら何もかも押し流されてなくなってしまうのではないかと心の底では怯えていたことすら、知らなかった。
 
けたけた笑う政宗をきょとんと見ていた幸村が、やがてむくれたような顔を作って、でもそれも一瞬だった。すぐに屈託無い笑顔に変わって、そのまま声を上げて笑い出す。
 
そんな勢いのままにやっとの思いで交わせた筈のキスは二人揃って不謹慎にも笑いを抑えきれずにいた所為か、目も当てられないような出来栄えで、笑い過ぎた幸村は涙を浮かべていたし、自分は折角の感触以上によじれる腹の方が痛くて気になっていた。
すっかり冷めた茶を手に取ると、幸村が両手でカップを抱えたまま隣にぴったり寄りかかる。冷えて尖った紅茶の香りに混じって、幸村の匂いがした。口許に浮かぶだらしない笑みを無理矢理消して一口啜ったら、幸村は熱くもないそれに、ふうふうと息を吹きかけている。
熱くないぞ、淹れ直すか。尋ねたら、気付きませんでした。普段通りの声音でそう言われ、また愛おしくなった。儂らは何一つ本当のことは分かっておらぬのだ。
 
 
 
二度目のキスは、きちんと真顔でしてはみたけれど、今度は苦い紅茶の味がした。

 

 

 

好き同士なのは分かってても、馴れ合った時間が長すぎると関係を変えるのに色々躊躇すると思ったっつーか…
はじめてのちゅーは書いてなかったとふと気付いたっつーか。(記憶にない)
 
あと、兼続にも三成にも二人の気持ちはだだ漏れだと思います!
(09/03/12)