※ダテサナ、三+ねね(親子っぽい)前提、幸村死後ずっと後の政宗とねねのお話です。
高台寺の庭は、そこを住処としている者の好みだろうか、樹木が多い。
木陰に入れば凌げると思った初夏の陽気は、それらの木々を通して今度は鮮やか過ぎる木漏れ日になって目に五月蝿いほど映える。
隻眼を眩しそうに歪めながら歩く男、供はいない。どころか案内も介さずあたかも勝手知ったるが如く庭園を見渡しているのは、独眼竜の二つ名を持ち、更には将軍様の覚えも目出度い仙台藩主・伊達政宗である。
その様子からも分かる通り、彼が此処を、そして彼女を訪れるのは初めてのことではない。
結構な年齢を重ねてきた筈であろうに未だ衰えぬ意志の強そうな瞳、此方を見やって心底嬉しそうに笑って出迎えるその様子が目に浮かび、その想像を振り払うでもなく政宗は門をくぐった。
豊臣秀吉の正室・北政所。
秀吉には、いや彼女には、沢山の「子飼い」の武将がいた。
そのうちの何人かは死に、また交誼を断った者もいる。そうでない者は時に豪勢な品と心尽くしの書状で彼女を喜ばせてもくれる。
ごくごく当然な、穏やかで緩やかな人間模様。
だが彼女を「ねね」と呼ぶのは、最早この世に政宗だけだ。
「ありゃ、政宗じゃないか。よく来たねえ」
北政所は政宗の予想通りの言葉で、そして表情で出迎えた。
「御無沙汰致しておりました。おねね様におかれましてはつつがなく」
政宗が礼をとろうとするのへ向かって
「いいから、いいから」
と手を振る。そこは政宗も心得たもので、こうして縁に座ってゆるりと昔語りなどをして過ごすのが常となっていた。
太平の世とはいえ、否、太平の世であるからこそ一挙手一投足に注意を払わねばならない政宗にとって、此処は確かに一息吐ける場所であったろう。
ただ、それは安心という意味からは程遠い。
ねねの周りに、そしてきっと己にも未だ深く沁み込んだ戦国の香り。
何気ない想い出話の中に政宗はそれを敏感に感じ取ることが出来たし、ねねも政宗を通して嘗ては息子同然であった幾人もの懐かしい顔を見ているのだろう。
時折、ふと自分達は傷を舐め合っているのだろうかと感じることがある。
野望、志、愛し子、自分達が戦国に置き忘れてきてしまったものは余りに多過ぎる。
「置き忘れた?違うでしょう、政宗。置いてきた、じゃないのかい?」
そうだ、あたしは忘れてなんかいない。
母ではないと叫んだのは自分だ。虎も市松も、ああそう、みんなみんな可愛かったけど、あたしの息子じゃあなかった。
だから助けた。あの天下分け目の決戦。天下分け目?そんな大袈裟なものじゃない。
だがいずれ大仰に語られる戦になるであろうことはねねにも分かっていた。
いいかい、内府に付くんだよ。必ず。
清正も正則も神妙に頷いた。いい子ね、幼い頃に手ずから分けた菓子を覚えているかい?
ならば二人には豊臣に幕引く役目をあげようね。さあ、もういいだろう、三成。
「ああ、そうですね。忘れてなどいない」
彼の人の声も眼差しも何もかも忘れてしまっても。むせ返るような血の匂いの中で、あれは最期に何と言った?
あたしは最後さえも見せては貰えなかった。あの誇り高い子が腹も切らずに処刑されて。
儂は刀を抜いて。首を落とし。そうだその前に頬に触れたのだ。もう冷たかった。
立派な最期だったと聞いた。風の噂で。こっそり。それで、満足だった。
涙も出なかった。あの時切り離された身体をその場に打ち捨てるように、己は置いてきたのだ。忘れたわけではない。
「言い訳に、なっちゃうからねえ」
あたしはずっと許せなかった。
母たらんとしたあたしに最も甘え、そして母であることに諦めたあたしを許さなかったのはあなたでしょう、三成。
「おねね様の口から言い訳などという言葉を聴くとは思っておりませんでした」
三成はいつも険しい顔で何か、そう別のものを見ていた。
「そりゃあたしだってこんな年だもの。弱気にもなるさ」
否、そうだったのは貴女ではないですか。
俺の、近くで笑っていながら、ずっとずっと遠くを見ていたのはおねね様ではなかったですか。
「それはそれは。ではこの政宗も一つ弱気な言葉でも吐いてみますか」
あたしがあの人とこしらえたものの果て。
最後の仕上げにはどうしても必要だった。可哀想な人柱。
「生き難い子だって張り倒して、処世術の一つでも教え込んで」
ねねの指先が震える。
「もっともっときつくお説教してたっぷり抱きしめてあげて」
「…そしたらあの子はまだ生きててくれたのかねえ」
「やはり貴女は母親だ」
ねねはそれには答えなかった。
「政宗は幸ちゃんがとってと言ったら天下をとったのかい?」
そう、ねねはそう呼んでいた。大坂で人質になっていた幸村のことを大層可愛がって。
「それとも言わなくても幸ちゃんの為にとった?」
「その天下は豊臣からですか。それとも徳川から」
「あの子はそんなこと言わないよねえ」
知ってて口にする疑問。過去を物語る傲慢さ。
やはり、あなたは母親だ。
「あたしは母親にはなれなかったんだよ?分かっているだろう」
「ええ、心得ております。おねね様こそ、日の本の母君でございました」
ねねは、笑った。もう仕方が無いのだ。
なんて無様で残酷で、そして愛おしいあたしの子供達。
「間も無く本格的な暑さが訪れましょう。その頃、いえ、過ごしやすくなった頃また伺いましょう。
紅葉でも見ながら。いかがでしょうか。おねね様」
また言葉遊びを。語っても詮無い言葉遊びを。
「ああ、そうだねえ」
ねねは、鮮やかに笑った。
それが政宗の見た、ねねの最後の姿だった。
母と息子、自分と部下、なのにみんな仲良くと叫ぶねねがだいすきです。
季節外れですね。すいません。
でもやっぱりだいすきなのです。
(08/04/18)