友達の家に泊まるってことは、何もかもが特別だ。
いつもだったら手を振りながら別れる時間にまだこうして皆でわいわい話していることも、夕ご飯だと呼ぶ声だって父上のものではないと弁丸は思う。
家のとはちょっとだけ違うカレーライスをお腹いっぱい食べて、尚も遊びほうけていた四人に、「皆でお風呂入っちゃってくださいね」と声を掛けたのは左近だった。
 
みんなでおふろ!
滅多にない新しい遊びの予感にわくわくしながら弁丸は持参してきたお風呂セットをばらばらと鞄から取り出してみせた。お気に入りのクマのタオル(タオルくらい貸してもらえと父が言ったのに大泣きして持って来たのだ)にカエルのおもちゃ。アヒルの容器に入ったシャンプー(やっぱり父上はそんなもの貸してもらえというのだ。まったくちちうえはこどもごころがわかっておりませぬと弁丸は憤慨する)と、この日の為に買ってもらったお風呂の壁に落書きできるクレヨン。
 
「何じゃ、そんなに持ってきたのか」
 
呆れたようにそう呟く梵天丸の隣では、何故か水泳用ゴーグルとシュノーケルをつけた与六が、早速服を畳んでいる。
「脱いだものは畳まねば不義だぞ!」と叫んではいるが、何とも異様な光景であることは間違いない。
 
 
 
いくら石田家とはいえ、しかも子供とはいえ、四人が一気に入るには少々手狭な風呂ではあったが、その狭さが嫌が応にもテンションを上げてくれるものである。
風呂場のドアを勢い良く開けると、弁丸と与六は身体を流すのもそこそこに湯船に思い切り良く飛び込んだ。
 
「あ、こら!お主ら、先に身体を洗わぬか!」
 
そう言う梵天丸もわくわくしてはいるのだろう。捻り出したシャワーを弁丸に向かって浴びせるものだから、弁丸も負けじと水鉄砲で応戦してみせる。父に教えてもらって最近やっとマスターした、掌を使った水鉄砲は、弁丸自慢の武器だ。しかも昌幸仕込とあって、射撃の腕はかなり正確である。
シャワーという切り札を握りながらも、弁丸にはつい手加減をしてしまう梵天丸は、どうも旗色が悪い。
 
「ぶっ!弁丸!目を狙うな!」
「てきのよわいところをつくのが、せんりゃくです!」
「はっはっは!その通りだ!山犬め、用意周到な私を見習うといい!このようにゴーグルを付けていれば弁丸の水鉄砲など恐るるに足り…げぼっ!」
 
大口を開けて解説していた与六の口の中目掛けて、弁丸の水鉄砲が炸裂する。この無差別攻撃に風呂の中はえらい騒ぎだ。
 
それを扉の影から覗いている人影。言うまでもなく佐吉である。
 
 
 
「どうし…ぶべっ!弁丸ちょっと待て!私の義の声が佐吉に届かぬではないか!佐吉!そなたは入らぬのか?!皆で風呂に入るのが恥ずかしいのかな?!さあ、ずずいっと入ってくるが良、ふんぬー!!!不義の山犬め!人が喋っている時にシャワーを向けるな!」
 
「…きさまらがそのようにおゆをぶちまけているから、はいれぬのだよ」
 
どうやら佐吉は、顔に湯がかかるのが怖いらしい。
 
「これくらい大したことではなかろう」
「おれにとってはたいしたことなのだ」
 
そう言う佐吉の手にはシャンプーハットがしっかと握られている。
 
「湯がかかるのが怖いとは、この臆病者め!よし!私が湯に親しむ方法を教えてやろう!こうだ!」
 
そう言って梵天丸の手からシャワーを奪い取った与六が、佐吉の顔面目掛けてシャワーを浴びせかける。
さすがに梵天丸と弁丸が与六の無体を止めに入ったのだが、大泣きした佐吉を慰め、またびしょびしょの脱衣所(ドアは開け放していたのだから脱衣所が濡れるのは当然といえば当然だ)を片付ける為に、呼び出された左近はかなりの時間を割かなければならなかった。
 
 
 
「さて、佐吉!」
 
左近に宥められて今はもう弁丸と一緒にクレヨンで風呂場中を下手な絵でいっぱいにしていた佐吉に、与六が語りかける。
 
「そのように呑気に落書きなどしている場合ではないぞ!さっさと髪を洗うが良い!」
「む、わかっている。いま、しようとおもっていたところなのだよ」
「いや、そなたはまるで分かっておらぬ!我々はもう子供ではないのだからな!そのような不義のシャンプーハットなどに頼らず、己の力のみで頭を洗ったらどうか、と私は提案しているのだ!いい加減大人になったらどうかな、佐吉!」
 
湯気の立ち込める風呂場で、与六の声はぎゅんぎゅん響く。
さっきまでシュノーケルを咥え湯船の中に潜んだり浮かんだりして風呂を間違った意味で満喫していた与六が、どの面下げて「子供ではない」などと言うのか。だが与六には口では勝てない、誰も。
 
「…いや、おれはこどもだから、どうどうとシャンプーハットをつかうぞ」
「不義いいいいい!」
 
与六の声にエコーがかかった。
 
「怖い怖いと逃げていたら何も変わらぬ!己の可能性を信じるのだ、佐吉!」
「だいじょうぶです!べんまるだってあたまをあらうのは、すきです!ちちうえが、ざばーっておゆをかけるとおもしろいです!」
 
尤もらしい与六の言葉につられたか、弁丸までもがそんな絶望的なことを言い出す。
梵天丸はといえば、風呂の所為で普段の三割増しで響く与六の声に忌々しげに耳を塞いだまま。それでも佐吉が無理矢理目を合わすと「儂は関係ないぞ」と冷たい言葉を投げ付けられた。
正に孤立無援。
与六によって洗い場に引っ立てられた佐吉は頭からシャンプーハットをもぎ取られ、押さえつけるように座らされた。
気分は、拷問を受けんとする罪人である。
 
「怖いと思っているから怖いのだ!固く目を瞑り湯に備えておれば、恐れることなど何もない!」
「…ふろでめをつぶるのもこわいのだよ!」
「こわいですか?」
「何故じゃ?怖いテレビでも見たのか?」
 
佐吉としては、頭から湯をかけられるタイミングが計れないのが怖い(年端もいかない子供だから、普段は左近とか兵庫助とか郷舎とかと入って頭を洗って貰っているのだ)と言ったつもりだったのだが、言葉が足りなかった所為で梵天丸が更に怖いことを言い出す。
 
先日、左近が見るとは無しにテレビで怪奇特集なんか付けていたのを見てしまったことを思い出す佐吉。
あの日はなかなか眠れなくて、結局夜中に左近をしこたま殴り付け、ついでに一緒に寝てもらったのだ。
また怖いことが一つ増えてしまった。
「そういえば、ちちうえがよくこわいはなしをしてくれます!」これはむかし、ほんとうにあったはなしなのですが。
そう言いながら弁丸が壁にお化けの絵を描き始めた。その稚拙な絵と無邪気な語り口が、余計に恐怖をそそる。
 
「怖いと思っているから怖いのだ!しっかと目を開け物怪に備えておれば、恐れることなど何もない!」
 
にたようなせりふは、さっきもうきいたぞ。
恐怖と戦いながらそう突っ込もうとしたら、何の予告もなしに与六が佐吉におもくそ湯を浴びせかけた。そのまま固まった佐吉の頭に鼻歌交じりにシャンプーを垂らすと、わしわしと頭を洗い始める。
 
「痛い痛い!やめろ与六、痛いのだよ!」
「ん?これはシャンプーが目に入ったかな?」
「めがいたいときは、こうです!」
「…弁丸、目に向かってシャワーをかけるのは、止めてやれ」
 
与六と弁丸の見事な連携による波状攻撃。もう佐吉は、余りのショックに声も出ない。
 
「それで、さっきのはなしのつづきなのですが、なまあたたかいかぜがふいて」
「お主の父の話は心底怖いから儂は聞きとうない」
「皆、見ろ!佐吉の頭がサリーちゃんのパパだ!」
「サリーちゃんのパパとはまた古いな。というか、そのゴーグルを佐吉に貸してやれば良いのではないか?」
「おとこがふりかった、そのときのことです!」
「何を言うか山犬め!これは私の義のゴーグルだ!佐吉如きには易々と渡せぬな!」
 
本当に怖いのは、こうまで苦しんでいる友人を前に平然と頭を洗い続ける与六と怖い話を続ける弁丸で、痛いのは目ではなく与六ががんがん引っ張っている髪の毛なのだと訴えることも出来ぬまま、佐吉はちょっぴり泣きながら耐え続けた。
永遠に続くかと思われた拷問のようなシャンプーが終わり、泡が排水溝に流されていくのを見ながら、悔しいが与六の言った通り、自分がちょっとだけ大人になったような気がする佐吉だった。
 
 
 
 
 
「お、今日はシャンプーハットなしで頭を洗ったんですかい。殿もなかなかやりますなあ」
 
脱衣所に様子を見に来た左近にそう声を掛けられ、ほこほこと身体を拭いていた佐吉は、一瞬あの悪夢のようなシャンプーを思い出し泣きつきそうになったが、皆の手前ぐっと我慢してみた。上手に拭けずにまだ雫の滴る髪を、左近は大きな手で撫でてくれる。
 
「左近か!全く佐吉にシャンプーハットを買い与えるとは、貴様は少々甘やかし過ぎではないのかな?」
 
実は風呂場での経緯は、薄い扉隔てて左近に筒抜けだった。
この糞餓鬼、殿にあれだけ無体を働いた挙句差し出口を、と一瞬思ったが、左近だって大人、さすがにそう言うのはぐっと堪えて苦笑いで色々なものを呑み込んでみる。その横では、こちらもやっぱり与六のことは無視して、梵天丸が弁丸の頭をわしわしと拭いてやっている。梵天丸がタオルで拭う度に頭がぐわんぐわん揺れて、弁丸は心底楽しそうだ。
 
「さて布団はもう敷いてありますからね。風邪を引かない内に寝るんですよ」
 
一様に良い返事を返す子供達だが、あっさり言うことを聞くとは思えない。寝かしつけるのには膨大な気力と体力がいるだろうから、今のうちに自分も風呂に入っちゃいますか。
脱衣所から子供達を追い遣った左近は、風呂場の扉を開けてその場に立ち竦んだ。
 
「………これは…少々予想はしてましたが、ここまで酷いとはね」
 
風呂場は天井まで水浸し。それは別に良いだのが、一体どうやって身体を洗ったのか、天井には大量の泡までへばりついている。弁丸の忘れていった玩具と、与六のシュノーケルが放り出してあり、何より壁一面を埋め尽くした賑々しい落書きの数々。
そういえば弁丸を連れて来た昌幸が、風呂場が大変なことになったら済まぬと予め謝っていたのをすっかり失念していた。さっきやっと脱衣所を片付けたばかりだというのに。
一人だって面倒見るのが大変な子供を四人も預かるのだ(しかも内一人は、あの与六である)。覚悟が足りなかった。
とりあえず風呂の掃除は明日にしよう。
 
壁の落書きを見ないようにしながら、左近はすっかり湯が減ってしまった湯船に身体を沈める。
 
「フギイイイイ!この私に向かって枕を投げ付けるとは良い覚悟だな、山犬!」
 
そんな左近を嘲笑うかのように耳に届くは与六の叫び声。何かが床に叩きつけられる音に続いて、がちゃんと大きなものが壊れる嫌な音が響く。
佐吉の両親も、兵庫助も郷舎も居るには居るのだが、根っから苦労性の左近はゆっくり風呂に浸かっていることも出来ず、身体を洗うのもそこそこに飛び出す羽目に陥るのだった。

 

 

 

こどもの日だからね!ずっと書きたかった、風呂で大騒ぎする子供ネタ。佐吉のシャンプーハットが、どーしても書きたかっただなんて言えない。
この四人を書くと、ついつい佐吉を贔屓してしまうです。でも今回は左近より可哀想ですな。
(09/05/05)