※そんなにエロスじゃないですが、やってます。
せめて床を延べさせてください、とは言ったものの、腕を彼の背に回した挙句、ぴちゃぴちゃと音まで立てているような口づけの途中の台詞だったものだから、説得力はまるで皆無だった。
政宗も聞こえない振りをするのが正解、とでも考えたのであろう。その訴えは無視したまま既に左手は力任せに腰を手繰り寄せ、右手は幸村の耳や首筋を弄っている。
それでも本当に止めさせたいのであれば叫んででも殴ってでも(女子のように悲鳴を上げたことなどないけれど、殴ったことは何度もある)幾らでも手段はあるのだから、今更か細い懇願が省みられる理由は何一つなかった。
どれだけ身体を重ね、顔色を窺わずとも互いのことが手に取るように分かったところで、性交前のあの一種独特の駆け引きだけは拭い去ることが出来ぬものなのだ。とは言え、昔であれば幸村のどんな下らぬ嘆願でも、心が全く篭らない拒否でも、逐一宥めすかし、あやすように反応していた政宗が、今ではそれすら無視してしまえるくらいになったことに、奇妙な安堵を覚えずにはいられない。
愛撫を受けながら、まるで取るに足りぬものであるかのように扱われること。
それは慣れと惰性と安定を足掛かりにして表される愛情以外の何物でもないというのは、正しく事実であるのだから。ああ、でも政宗どの。
私はやっぱり情感や勢いを削ぐ結果になったとしても、わざわざ布団を敷き、ぬくぬくというには不快過ぎる程の熱が篭る中で睦み合う方が、どちらかと言えば好きなのですけど。
意を決してそう口に上らせてはみたのだが、それは言葉を発した幸村本人にすら、断片的な嬌声のようにしか聞こえなかった。
初めて幸村が政宗に抱かれた場所が、やはりこの自室だった。(当然といえば当然なのだけど)
幾度の邂逅を重ね、軍略とは全く異なる質の腹の探り合いを経ても、彼が自分を、何より自分が彼を欲していることは、既に疑いようがなかった。鈍いと言われる自分ですらこの恋をああもすんなり受け入れたのだから、敏い政宗にとってみれば幸村の心中など、火を見るよりも明らかだったに違いない。
それでも一応の体裁を繕って、差し向かいで酒を舐めるように呑みつつ早数刻。
今更弾む筈もない会話の合間、情欲を雄弁に語ろうとする眸が決して合わぬようにと変な気を遣いながらふと顔を上げたら、眼前に政宗の緊張した顔があった。
この傍若無人な男が見せた一瞬の隙が可愛らしくて、幸村は酒を注ごうとしていた徳利を取り落としてその背に手を回したのだ、丁度、さっきの自分がしてみせたように。
徳利に大量に残っていた酒が零れ、畳に、そして彼の上質な羽織に染み込もうとしていることなど、最早どうでも良かったし、政宗もそれには目も呉れずに邪魔だとばかり右手で徳利を払い除けた後、両手で幸村の顔を覆うように抱き寄せた。それが、多分本当の始まりだった。
政宗の吐く息の一つも逃すまいと唇を合わせ、輪郭を辿り、顔を見合わせて世の中にたった一つしかないその目が自分だけを映していることに深い溜息を漏らしまた微かに笑って掌を重ね――足りなくなった酸素を補うように浅い呼吸を繰り返そうとする試みはちっとも上手くはいかず、でも、幸村にはどうすることが今一番正しいのかだけは知っている気がしたのだ。例えば彼が幸村の手を固く握る時には、ぐんにゃりと力を抜いてそっと眸を閉じる。そうすれば彼に預けた指先はあっという間に政宗の舌に絡め取られたし、或いは肩口に彼の唇が落とされる時には、わざわざそちらを振り向いたりしなくても、真面目くさった政宗の顔が見えるようだった。足の間に滑り込んでこようとする政宗の身体に手を伸ばしながら鬱陶しくなった裾を捌いて、知識とか経験とかが全く役に立たないようなこの部屋の中で――ちろちろと落とされる舌先に身を震わせ、掬い上げて舐めしゃぶり時には酷く吸い付き噛んだり、足の指まで反り返らせて、刺すような視線を浴びながらようよう呑み込んだ指先の感触を確かめるように下腹に力を入れ、つまりは散々に弄られ啼かされたその後で、政宗の香りがすっかり移ってしまっただるい身体を持ち上げて、その日最後になるであろう接吻をした。
手早く身支度を終えた政宗の右の袂には、まだ微かに酒の匂いが残っていた気がする。
目を瞑れないでいる幸村には、政宗の肩越しに先程の真白な徳利が所在無げに転がっているのが見えた。
「見送りなどされたら帰り難いわ」そう笑う政宗を、直に畳に伏したまま見送って、そのまま自分は這うようにしてその徳利を手に取ったのだ。
つい今しがたまで政宗を受け入れ、また彼に触れる為だけに存在していた指先に伝わるひんやりとした硬質の感触は、しかし、幸村を現実に引き戻してなどくれなかった。唯、彼の固くて熱くて柔らかな肉体の感触を思い起こさせただけだ。
何故か泣きそうになるのを堪えてそれを丁寧に包んで文箱の奥底に突っ込み、すっかり酒を吸ってしまった畳を拭うことすらせずに、辛うじて着衣の乱れだけを直すと、幸村はそのままごろりと横になった。
朝になって、本当は全部分かっているであろうくのいちが、それでも素知らぬ顔で様子を窺いに来てくれた。
夜具もなく、部屋の隅で転がったままの主と、姿を消してしまった昨夜の訪問者、ついでに同じく姿が見えない徳利には見て見ぬ振りをしてくれたが、畳に残る酒の水溜りの跡だけはさすがに彼女も無視出来なかったらしい。
「幸村さまー、お酒零しちゃったんならちゃんと拭いてくださいよう」
「ああ、すまない。うっかりしていた」
「それに全然片付けてないじゃないですか。もー、戦しか出来ない人はこれだから困るにゃー」
そんな空々しい会話を交わしながら、幸村は色の変わった畳から目が離せない。
あんなことをすべきではなかった、と思いつつ、昨夜の記憶が再び急速に襲い来るのが分かった。政宗とこんな関係になったことは更々後悔してはいない。だがそれは、もっと慎重に行うべきだったのだ。
「これ、絶対残りますからねー、あたしの部屋じゃないから別に良いけど」
そうだ、だから人はきちんと用意された夜具に身を包んで、褥の中で身体を重ねるのだ。
甘やかで切ない情人のことを思い出すのは、夜の帳の中だけで良いではないか。
くのいちが懸命に拭っている畳の染み。
朝の光の中ですらそれは痛いほど政宗のことを思い起こさせる。
このまま政宗の痕跡がどんどん増えて、昼夜を問わずそれに囲まれて暮らすことになったら、自分はどうなってしまうのだろう。そんなもの、じんじんと疼く痛みと未だ痺れたように力が入らぬ指先、身体中に無数に残された痕、それだけで充分だった筈なのに。
だから今こうして床にうつ伏せに押さえ込まれ政宗を咥え込んだまま尚、幸村は自分の視線の行方を注意深く制御せざるを得ない。
解かれて放り出されたままの帯だとか、そつなく活けられた花、文机の上に乗ったままの湯飲み。絶え間なく政宗の名を呼びながらそんなものをうっかり見詰めてしまえば、そこには本来の意味以上の何かが篭められてしまうのは怖い程知っているので。
快感は極端に視線を狭くしてくれるから、少しだけ幸村はほっとする。
「幸村」覆い被さったまま耳に染み込んでくる政宗の声に耐え切れなくなって畳の上を彷徨わせた指に何かが当たる。
政宗が土産にと持ってきてくれた書物だった。
「お主は全く風流を解さぬ」と苦笑しながら貸してくれた色気の欠片もない軍略書。でもそれは確かに、政宗が幸村の為だけに選んでくれたたった一つのものだ。
「は…っ、まさ、む…」
そんなものを見詰めながら名を呼んではいけない、しかもこんな極っている時に、政宗以外の感触を仮令指先だけにも残してはいけない。そう思いながらも幸村は、名を呼ぶことを止めることも、滲んだ視界からそれを消し去ることも出来ない。
あくまでもこの書物は借りたものなのだから本当は再び政宗の元に戻すべきなのだろうけど、きっともう自分は返さないのだろうと思った。
政宗どのが悪いのです。あなたを閉じ込める訳にはいかないから、私はこうやって色々なものを抱えながらどんどん重くならざるを得ない。
無理矢理責任を転化させながら、幸村は、政宗が帰ったら大振りの余り目立たぬ、でも綺麗な箱を探そうと思った。
政宗からの文でいっぱいの文箱の奥に陣取っているいつぞやの徳利を移して、あの本を入れて、それでもまだ隙間がたくさんあるくらいの、なるべく大きな箱がいい。
それがいつかいっぱいになったら、政宗に聞けるだろうか。
あの畳の染みを覚えていますか?何も準備せず床でやるのは、嫌です、そう言ったことも。
あなたも夜だろうが、昼だろうが、いっそそんなものとは関係なく私のことを考えて、少しだけ居た堪れなくて歯痒くなって、溜息の一つも零すことがありますか?
そしたら彼は、笑うだろうか。それともあの時みたいに、いや、さっき自分の腕を捩じ上げ顔を覗き込んだ時のように、隙だらけの真剣な眼差しを向けてくれるだろうか。
そう考えたら少しだけ充たされた気分にはなったのだけど、やはり幸村は身を捩りながらも、指先に打ち捨てられたままの何の変哲もない書物から、未だに目が離せない。
ぬるさは相変わらずですが、これも愛だってことで一つよろしく。(何がだ)
(09/08/22)