実は結構自信はあった。
好いた者の気持ちも読めぬ、などと今更嘯いたところで、そんなもの唯の愚か者の言い訳だと思っていたし、今だってその考えに変わりはない。
見ていればそんなもの自ずと分かるだろう?
 
訪ねて行けば、いつも幸村は小さく笑って迎え入れてくれる。友と言って憚らない三成や兼続には、勿論自分の知らない顔を見せたりもするのだろうけど、友という立場では満足出来ぬ自分にとってそんなこと、何の障害にもならなかった。
遠くに自分の姿を認めれば、手を振ることも駆け寄ってくることもないが、あの律義者が、しかと頭を下げる訳ではなく、まるで首を傾げるだけのような目礼に、それだけ近しい存在になったと自惚れていた。
 
「政宗どの」と呼びかける声は、ほんの少しだけうっとりとした声音で耳にくすぐったく響く。
核心に触れるようなことを言ったのかと尋ねられれば、否と答えるしかないのだけど、何、機会はそのうちあるだろうし、どうとでもなるわ、そんな気分だったのだ。
 
それでも恋する者の常として様々な不安があったが、仮に――だからそれは本当に仮にの話で、あっさりそんなことを考えてしまえるくらいの自信はあったのだ――仮に、幸村にばっさり拒まれたからと言って何が変わるとも思えなかった。
暫く辛いのは仕様がない。惚れた腫れたの醍醐味じゃろうて。じゃが、儂が今までやってきたことは何も変わらぬだろう?
 
緩やかに想いを忘れていくだけで、そうした者を邪険に扱うほど幸村は阿呆ではない。
何より恋に浮かれて相手の気持ちも推し量れないほど自分が阿呆だとも思わなかった。
 
或いは逆に、仮に(こっちの仮に、は、かなりの高確率で、という意味だ)二人の間に喜ばしい変化が訪れそうな機会があったとしても、必要以上に縮こまって台無しにしてしまうような意気地なしではないと、自分のことを信じていた。
多少緊張するのは致し方ない、けど手を取り想いを告げるくらいは難無くやってのけられると思っていたのに。
 
 
 
そんな自信に全く根拠などなかったと気付いたのは昨夜のことで、情けないことに、いい年こいて恋煩いか、はたまた知恵熱か、その失態を弁解することも出来ぬまま、政宗は布団の中で丸まりながら戦わざるを得ないのだ。
 
昨日垣間見た幸村の上気した顔を思い出しながら、自分の情けなさと、ついでに計ったように患ったこの高熱とも。
 
 
 
 
 
昨日も、いつものように差し向かいで酒を呑んでいた。
静かに杯を重ねていた幸村は上機嫌だったし、自分も時折湧いてくる不埒な妄想を振り払うでもなく、しかし、なるべく見透かされないように軽口を叩き、そこまでは上出来だった。ふと会話が途切れても、互いに目を合わせて何かを誤魔化すようにそっと笑い合う。
 
けど多分、昨夜の幸村はいつもよりほんの少しだけ酔っていたし、自分はもっともっと酔っていた。
 
かたり、盃を傍らに置き、無表情のまま此方を見詰める幸村の頬も耳も赤く染まっていたのは、多分に酒の所為だったのだろう。それでも背筋を伸ばしたまま、足も崩さず畏まっている幸村を、無礼かもしれぬが可愛らしく思ったのだ。
酒に濡れた唇が、音もなく自分の名をなぞるのを見て、慌ててにじり寄った。(この辺りからぶっちゃけ儂は格好悪かった。何故悠然と手招きしなかったのだ、と政宗は布団に潜りながら歯噛みする)
だから手を取り、或いは髪を梳きながら、いやいや酒と幸村に(ここ、大事じゃて)酔って熱くなった掌でいっそ頬を撫で、つばむような口づけでも交わしながら、歯の浮くような気の利いた台詞を言う予定だったんじゃってば!なのに!
 
頬どころか手に触れることも出来ず、餓鬼のように幸村の羽織の裾を握って、至極上ずった声で「わわわわ儂は、儂はな!お主が!」そこまで叫んだは良いものの、真白になった頭をどうすることも出来ぬまま、ものの見事に固まって、そのまんま。
儂は何じゃ!お主が何じゃ!何故言えぬのじゃ!
 
「普段あれだけ幸村でえろえろ妄想しておいて、何故儂は肝心の格好良い睦言が出て来んかったのじゃ!」
 
「政宗様!急に何ですか?!」
 
力の限り布団を握り締め、そう叫べば、間髪入れずに隣室から小十郎の声がする。
 
「馬鹿め!あんな機会そうそうないぞ!酒の勢いでやるのは嫌だなんてちょびっと思っちゃうなんて、儂は一体幾つの餓鬼じゃ!」
「馬鹿はあなたです!いい加減になさいませ!」
「そうじゃ!儂の馬鹿!馬鹿め―――!」
 
ついに襖ががらりと開き、小十郎が顔を出した。
幸村殿のことばかり考えて頭に血が上って熱を出した立派に馬鹿な餓鬼が、今更何喚いてるんですか、小十郎の諫言も政宗の耳には届かない。
 
「だってそのまま逃げてくるなぞ!独眼竜の名が泣くわ!儂、これでは独眼チキンではないか!」
 
もう駄目じゃ、きっと幸村に呆れられたのじゃ。もしかして嫌われたかもしれぬ。
主がさめざめと枕を濡らしているというのに、小十郎は容赦がない。
 
「そんな姿を見せられたら百年の恋も冷めましょうて。いいからさっさと落ち着いてください。これじゃあ幸村殿にも…」
「嫌われるのも当然とでも言いたいのか!貴様それでも儂の家臣か!もっと気合入れて慰めろ!つか、むしろそんなことまで言うてまう己が情けないわ!」
「小十郎もこんな主に仕えてるなんて情けないですよ」
 
本当は、結構自信はあったのだ。格好くらい、いくらでもつけられると思っていた。
どう転んでも大したことないだろうと高を括っていたのに。
 
「儂、本当に毎日毎日幸村を落とすことばっかり考えておったつもりじゃったんだが」
「あの、そんなことより政宗様…」
「儂の中では話はすっかり進んで、伊達家の嫁になった幸村と、幸村にそっくりな可愛い娘が一人居ったのにな」
「多分娘は無理ですけど、それはさておき」
「もしかして物凄く浮かれておったのか?!まさか幸村にも儂妄想、駄々漏れ?!意外にへたれなのがばれた上にか!」
 
意外も何も。しかし政宗本人は大真面目である。
幸村の為に、幸村が好いてくれるように、幸せにしてあげる為に。そんなことばかり考えていたつもりが、その実殆ど儂の勝手な妄想で、格好良く振舞っているつもりだったけどちっとも格好良くなかったんではなかろうか!なあ、小十郎!
高熱を物ともせず突如跳ね起き、小十郎の胸倉掴んで問い質す政宗。なんと迷惑千万な大名だ。
 
「周囲も相手のことも見えんと、恋だ何だと浮かれおる奴は阿呆だと思うておったが、儂はもう嗤えぬわ…」
 
だってそんなのおかしいだろう?昨日までは確かにそう思っていたのだ。
好きだという気持ちを免罪符に、身勝手に舞い上がり、また落ち込む者達の何と愚かしいことか。好きだからこそ気遣って、相手の気持ちを慮って、勝手な暴走はしないように、大事に大事に。そう、例えば獲物を狩るように。緻密な駆け引きが齎す幸福、なあ、それが恋愛の醍醐味って奴ではなかったのか?
けど結局舞い上がって別な意味で暴走して(つまり言ってみれば敵前逃亡した訳だし)多分、きっと傷付けて、なのに思い出すのは都合の良いことばかり。
それでもいつか忘れられたり、するんだろうか。
そう思うと大人しく布団に潜ってなど居れよう筈もない。いやいや、儂の想いはそんなチンケなものじゃない筈でな。昨日までの自分だったら鼻で嗤いそうなことを政宗は転がりながら考える。あんな顔して笑ってくれたこととか、仄かな幸村の香りとか、握り締めた羽織の裾とかについて、滑稽なほど真剣に。
 
「仕様がないじゃろう。好きで好きで仕様がないから、もう本当に腹を括る以外術はないじゃろう」
 
畜生、嗤うなら嗤えば良いではないか!
意味の分からぬことを喚きながら駄々を捏ねだした政宗を見下ろしながら、小十郎が溜息混じりに漏らす。一応主ですから、政宗様のことは嗤いませんけどね。
 
「幸村殿が今の政宗様をご覧になってどう思われるかなあと思うと、私は恥ずかしいです」
「何じゃと、幸村は…」
 
儂のことを馬鹿にしたりなぞせぬわ!いや、多分、せぬわ。分からぬけどな、自信ないけどな、と全く恋する男は姦しい上に支離滅裂だ。もう儂は儂が信じられん、じゃが幸村のことは信じとる!そう叫んだ政宗を無視して、小十郎は嘆息しながら襖を開ける。
 
彼が控えていた隣室の隅にちょこんと座っているのは。政宗は隻眼を見開いた。
 
「…幸村?」
「あの…はい、すみません、政宗どの」
 
こんにちは、お加減は如何ですか?へたりと腰を下ろしたまま、小さくなって顔も上げずに幸村は場にそぐわない奇妙な挨拶をした。
 
「ゆ、ゆきむ…?え?何故此処に居るのじゃ?夢?」
 
ついに現実を逃避しはじめた主と、俯いたままの客を見比べながら、小十郎が言う。
 
「お見舞いに来てくださっていたんですよ。政宗様が目を覚まされたら、お通ししようと思ったんですが」
「さ、先に言え!そんな、儂!今のは嘘じゃぞ!いや、嘘ではないが!」
「いきなり変なことを叫び出したのは政宗様ですからね。私は何度もお伝えしようとしましたよ?」
 
絶句したまま、ばたばたと変な動きをしていた政宗だったが、結局一言も口を利かず、崩れるようにその場にしゃがみ込むと、これ幸いとばかりに敷いてあった布団にもぞもぞ潜っていく。
情けないことこの上ない、二度目の敵前逃亡だ。
 
「幸村殿、申し訳ございませんが少々殿の相手をお願いします」
 
幸村からの返事はなく、代わりに布団の中から「うー」というくぐもった唸り声がしただけだった。
 
 
 
 
 
「………何処から聞いておった…」
 
布団の中からやっと声がしたのは、小十郎が姿を消して半刻。ようやく動けるようになった幸村がやっと政宗の枕元に腰を下ろして、暫く経ってからだった。
 
「…ふ、普段あれだけ私で…その、妄想をしておいて、からです」
「だ―――!そんな正確に台詞を再現せんでも良いわ!」
 
蚊の鳴くような声での幸村の応えに、一瞬布団を蹴り上げた政宗だったが、目が合うと再びのろのろと頭から布団を被った。
一度だけ「すまなかった」という言葉が微かに聞こえただけで、政宗どの?幸村が小さく呼んでも、布団の塊がもそもそ動くのみ。
 
確かに情けないけど、名を呼ぶ度にいちいち動いてくれるところが嬉しいなんてどうかしている、と幸村は思う。
 
「政宗どの」
 
布団の中はきっと暑いだろうから、政宗は真っ赤な顔をしているに違いない。熱だってもっともっと上がっているに違いない。
どうしようもなくって布団の塊の上に凭れ掛けさせた自分の顔ですら、熱くて堪らないくらいなのだし。
 
「格好悪くても良いですから、いつか昨夜の続きを聞かせてくれませぬか?」
「…少しそこをどいてくれぬか?」
 
名残惜しげに身体を離すと、布団の中から手が伸びてきて、そっと幸村の掌を撫でる。慌てて指を握ったら、今度は痛い程の力で握り返された。
 
 
 
「いつか言うくらいなら、今言うわ」
 
そう言って政宗が身体を起こして、幸村をきちんと抱き寄せられるようになるまで、あと少し。

 

 

め、面倒臭い男だな…。
政宗が人前でごろごろしてるけど、謝るところはそこじゃないって分かってるから、謝らない!(なんだと!)
(09/10/01)