「手土産の一つでも持って来いと言うから、持って行ったら行ったで、酒が良いと駄々を捏ねおる」
 
兼続は相槌も打たなかった。
 
しとしとと降るこの時期の雨は気鬱にさせる。それが兼続を無口にさせているのか、遠くなりにし戦乱の記憶を彼なりに反芻しているのか、或いは別段何も考えてはおらぬのか、分からぬまま政宗は続ける。
分からぬといえば、突如己が始めてしまった古い話の意味すら分からなかった。
思い出話、と称するには幾分抵抗がある話題ではあったが、普段であればこのようなことは間違ってもしない。自分も歳を取ったのだ、そう思った。
 
「いつもそんな調子だ。何も言うてないうちから、お疲れですか?なんて聞きやがったと思うたら」
 
そうだ、と素直に返せば、もう帰れと顔を顰めながらも新しい茶を淹れる。そんなことはないと否定すれば、嘘を吐くのが下手だと叱られた。
 
「この儂に向かってだぞ。太閤ともあの狸親父とも腹を探り合った儂に、何という言い草じゃ」
 
自分は嘘も吐けぬ癖に。
そう毒づいたら、酒を舐めていた兼続が鼻を鳴らした。
 
その態度が相変わらず気に食わぬ。彼の男が顔色一つ変えずに嘘を吐くことくらい知っているとでも言いたげな。儂とてそのくらいは心得ておるわ。
弁解のようなその言葉が兼続に聞こえたかどうか、こんな晩ではなかったら顔も見ずに追い返しているところだった。
 
 
 
 
 
兼続が突如政宗の許を訪れるようになって、もう何度目かすら覚えがない。
 
肝心なこと以外は饒舌に過ぎるこの男が、共も連れずにふらり、館に立ち寄ったのは随分前のことだ。ふらり、というには距離は離れ過ぎているし、だが前もっての伺いもない唐突な来訪には、ふらりという言葉が一番似合う気がした。
しかし仮にも独眼竜と呼ばれた己と、かつては家康すら恐れた上杉の宰相の面談である(ように傍目からは見えるのだと思う)。
水と油ほどに相容れぬ二人が、一体何の密談だ、そう勘繰られても無理はないのだが、幸いか生憎か、幕府の耳に入っている様子はない。
顰め面を互いに背けたまま、酒を呑むだけ――殆どの場合は儀礼上の挨拶すらせずに、好きにやれと言わんばかりに盃を放るように渡すだけだ――のことに、ばれたところで申し開きも何もないのだが(いや、却ってそれはそれで面倒か?)、この珍客を初めて迎えた政宗が、追い返す気にならなかったのは返す返すも不思議なことだ。
 
 
 
既に忌むべき日になってしまった天下分け目の決戦、また、戦国最後のあの夏の日が巡ってくる度に、この男は寡黙で実直な主の前で滔々と語って過ごさずにはおれぬのだろう。それに殉じた者達が貫いた義を声高に叫びながら。
そうして後になってから、自分がしたかったのは彼らの義の講釈ではないと気付く。
存外、自らのことには無頓着なこの宰相のことだから、そのいたたまれぬ誇らしさを発散させる術が分からず、結局政宗と言う自他共に認める天敵の許を訪れるのだ。そう政宗は考えている。
 
勿論、一言も喋らぬ兼続の心中、何処まで正確に分かっているのかは計りかねるのであるが、雪に閉ざされ身動きが取れぬのをいいことに詮無きことをつらつらと後悔するには、冬は寒すぎる。それだけは政宗とて身に沁みて知っていた。
 
兼続が現れるのは、年に数回、必ず雪の足音が聞こえ出した時節のこんな夜で、何故か、いつも雨が降っていた。
 
 
 
「じゃがな、口ではそう言うても、会いに行けば必ず幼子のような顔で笑う。儂はその顔が」
 
一番、気に入っておる――そのことは伝えなくても良いだろう。
 
突如途絶えた言葉の続きだけが静まり返る部屋に響いた気がしたが、すぐに掻き消えた。代わりに、とくとくと酒を注ぐ音だけが兼続の手元から立つ。
燗をつけた筈の酒は、すっかり冷酒になっていた。
どうでもいいことを自分は随分話しこんでいるらしい。が、今日は止める気も、止められそうな気配もなかった。
 
「酒が好きでな。じゃが味はどうでも良いらしい。何を呑んでも美味いとしか言わぬ」
「信じられるか。餅だけを齧りながら呑んでおった」
「何か寄越せと言ったら、味噌でも舐めますかと神妙な顔で言われたわ」
 
三成も、そうだった。
 
珍しく饒舌な政宗に釣られたか、ふいに独り言つように兼続が呟いた。
ふいにそれが正しい礼儀だと思えて、政宗は聞こえなかった振りに徹する。そうか、あの貧乏臭い呑み方は奴に教わったのだな、返す代わりにつらつらと考えた。
ならば致し方あるまいが、三成め、もう少し普通の酒の呑み方を仕込んでおけば良かったものを。
 
「だが飯は何度も馳走になった。勘が良いのじゃろうて。なかなか美味いぞ」
 
一度だけ横に立って見ていたのだが、邪魔だからと追い出されてな。仕様がないから戸口から覗いてやったわ。
障子の向こうの雨を見るように兼続が目を逸らした。兼続の衣はまだ雨で濡れている。
 
「偉そうに腕を組んで凝視するのは、覗くとは言わん」
 
まるで見ていたような兼続の言葉だった。やはり、それも無視する。
 
「まるで飯事の、ようだった」
 
全てが。
 
そう続けようとして政宗は、兼続には悟られぬよう息を細く吐き出した。
言えば愚痴になる。そして愚痴を言うには自分達は真剣に過ぎたのだ。言ってみれば、それすら愚痴になるのではあるが。
だが、飯事のように幸福だった。
見えもせぬ外をまだ眺めている兼続が、正直有難かった。
 
「あの日もそうだった。飯を食って馳走になった、そう言ったら珍しく三つ指ついて、もう一つ馳走させてくださいと、こうじゃ」
 
幸村が馳走したかったのは、来るべき戦か、その後切り出された子らの保護のことだったか、政宗には判別付きかねた。
「お主の飯は高くつく」そう笑い合ったことを今も悔いてなどいない。あの時泣いて縋ってでも引き止めるべきだったのか。当時も、今の政宗ですらやろうと思わぬそんなことを考えることに何の意味もないのだと分かっているから、考えぬ。
情が薄かろうが、出もせぬ答えの前で窮することに意味などないと思いたいのだ。
 
「あの子に、似ているのだろうな」
「ああ、娘は片倉の家じゃ。息子は」
 
政宗は報告を読み上げるような抑揚のない声で言う。
 
「石に頭をぶつけて死におったわ」
「そうか、息災でいるのだな」
 
相変わらず無表情のまま、口の中で返す兼続から目を逸らし、政宗が吐き捨てるように呟いた。
 
「忘れろ、だと」
 
彼の男がそう口にしたのは、最後の逢瀬の時ではなかった。ともすればそれは、関ヶ原の前だったかもしれぬ。
予断を許さぬ状況の中、突如投げつけられた情人からの言葉に、政宗は思わず拳を握りかけた。こうして会えるのは後何度かと心の裡で数えていたことがばれたと、内心舌打までした。
「いずれは、忘れてください。私が忘れずにいれば良い」
絡められた腕を残酷に思う暇もなかった。後何度、そう数えていたことすら許して貰えたような気がした。押し殺した幸村の声は嗚咽のようだったが、彼は決して泣いては居らず、むしろ密やかな笑みまで浮かべてさえ、いた。
普段通りの顔で抱かれる幸村が立てる衣擦れの音に混じって雨音が聞こえた。
そういえば、あの時も雨だった。
 
そんなことは覚えているのに、一体それがいつのことだったのか、もう思い出せぬのだ。
 
「あ奴め、儂に忘れろと命じおった」
 
許せぬ訳ではない。酷いと思うか?だが儂はそうは思わぬ。
自らを卑下するでもなく、涙を呑むでもなく、願いを口にする方法を、儂はあの時、はじめて知ったのじゃ。
 
無邪気に会いたいと言われた方が余程骨が折れる、望みを叶えてやりたいという欲求と、叶えられるのは儂だけだという誇り、自分もそう思っているという自負から躍起になるからな。あんな、穏やかな、心安い別れなどそうそう、ないぞ。
 
「政宗」
 
口調とは裏腹に、掌で顔を覆った政宗に、兼続の静かな声が届いた。畜生。政宗はうわ言のように呟くことしか出来ぬ。
兼続には何の咎もない。しかし彼が自分をそう呼ぶことが許せない。
儂の名を呼ぶ者は、最早兼続しか居らぬのだと。それを思い知らされるのは、酷く辛い。
 
「そういう、愛し方もあるということだ」
「忘れられても構わぬと?なれば記憶を必死に塞き止めている儂を奴は笑うだろうな」
「さあな、一方で、そのような愛し方もあると私は思う。どちらがどう、というのは分からぬが」
 
ご大層に愛を掲げおる割に語ることは出来ぬのか、そう言えば、初めて兼続が顔を歪める。
どちらかというとお前のような私には、幸村の真意の全ては分からんが。
幸村を、三成を悼むでもなく、強いて言うのであれば自分と不義の山犬を同列に語る日が来るとは、と言った苦々しい顔だった。
 
「もしも儂があれの立場だとしても、同じことは言えぬ」
 
渋面のまま、兼続が頷く。
 
「それでいい。儂はそれでも幸村を愛していた」
 
愛している、とは、あれから何度も思った。最早聞く者などいないそれを何度も反芻したのは、唯の意地だったのかもしれぬ。
だが、愛していた、そう言ってしまえば別たれた世界は確固たる者になってしまうと恐れ、封印していた言葉がすんなり出てきたのは、酒の所為だけではなかろうと思う。
 
一瞬、咽喉が詰まったような気分になったが、想像していた程の痛みはなかった。現金なもので、それならそうと、幸村が生きてるうちに告げれば良かった、そう思った。
 
「そんなこと、わざわざ私に宣言することではないぞ、山犬」
「分かっておる、お主に聞かせるつもりなどなかったわ」
「ならば山犬の分際で私を証人にするな、甚だ迷惑だ!」
 
ぴしりと指を突き立てて兼続が叫ぶ。改めて普段の兼続の人となりを思い出し、先程までの己の言動を少々後悔した政宗に、兼続が相変わらずよく通る声で喚いた。
まあ、それでも良かったではないか。幸村の望みは叶えられたのだしな。
 
「忘れることなど出来やせぬだろう!だが過去にしたものを愛で続けていくのも、なかなか良いものだぞ!」
 
こんな勢いで言われては、残念ながら良いことを言っているのか何なのか、政宗にも分からない。
幸村、お主は何故こ奴と友になったのだ。そう問い質せばきっと幸村は、少しだけ眉を顰めて「あなたこそ何故その兼続殿と酒など呑んでおられるのですか」と言うに違いない。
な、忘れることなど出来ぬじゃろう。
大体、適当な言葉を遣うなと昔から言い聞かせてやっていたのに。そういう時には、うだうだしてないでなるべくさっさと吹っ切ってください、と言うものじゃ。
 
「む!そういえば私はそのようなこと幸村どころか三成にも言われたことはないぞ!これはどうしたことか!私の愛が伝わっていなかった、ということかな?!なんたることだ!」
「いや、その二人が貴様にそんなこと言うたら、確実におかしいじゃろう」
 
なあ、幸村。と、これだけは心の中で囁く。
 
「幸村が心の底から我侭を言える相手は山犬だけという訳か…恋にかまけて友情を疎かにするのは不義だぞ!」
 
あれ以来、兼続がどうやって友の不在を呑み込んでいったのか、そんなこと政宗には至極どうでもいいことだった。
五月蝿いと怒れば、きっと幸村は政宗と兼続を見比べて困ったように笑うだろう。忘れまいと思っていた時には思い出せもしなかった彼のそんな表情がすんなり浮かんだことに政宗は笑みを隠せない。
 
さようなら、と幸村が口にしたことはなかった。忘れてください、それだけだ。
そんなもの、会いたいと言う無邪気な願いと何も変わらぬ。何のことはない、唯の我侭だ。そして儂は、お主が、こと儂に関する限り、顔色一つ変えずに嘘を吐けることも、我侭を言えることだって知っているのじゃぞ。
 
お主が言いたかったのは、きっとこういうことだろう?完璧にこなすにはまだまだ時間はかかるがな。
まあ、見ておれ。
愛おしく幸村を思い出せたのが嬉しくて堪らなかった。
 
ついでに、嬉しいといえば、兼続がいとも簡単に叫んだその内容が嬉しくも思ったのだが、そんなことを思ってしまったことに政宗は少しだけ、いやかなり悔しい思いをしなければならなかったのは、それこそ、どうでもいい話。

 

 

不在の痛みを忘れて欲しいか、いつまでも嘆いて欲しいかは、それぞれだと思うのですが、
ダテサナが好きなので、最後には伊達にも真田にも笑って欲しいのです。三成にも兼続にも。
なんか兼続がはっちゃけてますが、政宗と兼続は変なところで仲が良い、というのを推して参りたい。
幸村亡き後の政宗の態度が兼続には救いであろうし、逆もまた然り、みたいな。勿論劇的に仲良くなんてなりませんが。
もしかしたら二人で会うのはこれが最後かもしれませんしね。
 
でもきっとこれからも兼続は五月蝿くて、政宗は幸村が大好きで、時折切なくなるけどそれはそれで大好きじゃーとか
元気に思ってくれたらいいなと願わずにはおれません。

三成の呑み方は密/謀より。ちくしょう、可愛いなあ、もう!
(09/10/16)