幸村のこんな顔を見せてやりたい、と今この場にいない隻眼の男を思い浮かべ俺はぼんやりと笑った。
何とは無しに唯時間を潰す為だけのような他愛無い会話。兼続が何事かを語り、それに突っ込む俺を幸村は穏やかに見ている。
無駄話の常で話は取り留めなく多岐に亘るが、普段は黙ってにこにこと俺達の話を聞く幸村が唯一饒舌になる瞬間がある。言うまでもない、政宗の話題の時だ。
「昨日政宗どのがこんなご飯を作ってくれたのです」
「その店は以前一緒に行ったことがあります」
「あの映画は面白かったと教えてくださいました」
例えば試験とか(学生の本分は一応勉学だ)遊びの計画とか、弁当のメニューとか最近始めたバイトだとか。
家と学校を往復する毎日だって取るに足らないような事件は数多く起こるのだが、限りある人間関係の中で話題に上る人は殆ど決まっている。
兼続が義―義―喚くように(いや、これは人間関係ではないが兼続にとっては何より優先されるべき話題なのだろう。俺には分かりたくもないが)、俺がついつい左近との喧嘩の経緯を話してしまうように。
そんな風に幸村は政宗のことを話す。
政宗が目の前に居る時には勿論幸村はそんな風に俺達には惚気ないから、きっと奴は最愛の恋人が自分のことをどんな顔で話しているのか、きっと知らない。
俺達がそうやって喋っていると、政宗がやってきて輪に加わる。俺を押しのけて幸村の隣に陣取ろうとする奴に、輪に加わっているという意識があるのかどうかは甚だ謎ではあるが、俺達に向かってなんかには絶対にしないだらしない顔で幸村に「何を話しておるのじゃ」などと尋ねる。
もうそこの頃にはあの楽しそうな、今にも含み笑いが零れそうな表情をすっかり消した幸村が、すました顔で「別にたいしたことではございませんよ」などと答えるのが常だ。
分かっているのかいないのか、政宗は「そうか」などとさらりと流す。
昔はそんな政宗の態度に俺は少々苛立ちを覚えたものだ。
もう少し突っ込んで聞けば幸村のこと、結局誤魔化せなくなってしどろもどろに政宗のことを話していたと白状するに違いないであろうに。お前のことを語る幸村は、知ってるか政宗、此方が吃驚するほどあどけない無邪気な顔をしているのだぞ。
そこまで考えて俺は思う。そういえば、幸村がこんな風に政宗を迎えるようになったのはいつの頃からだったろう。
以前は、まだ付き合う前とか、付き合い出したばかりの時には、政宗の姿を認めるとそれはそれは嬉しそうに「政宗どの!」なんて呼びかけつつ満面の笑みで振り返ったりしたものだ。それを受けた政宗も、何処か面映いような顔で「ああ」だの何だの言ったりしていた。
それはあたかも、ラブラブな恋人同士が周囲に対して、自分達が如何に互いを大切に思い合っているかを見せ付けるパフォーマンスの一種のようで、俺は微笑ましかったり中てられて苛々したり内心色々大変だったのだよ。
微笑ましいだなんて口には出せないから、俺はその頃心中の苛々だけを取り出して、甚く強固に二人の付き合いに反対していたものだ。
本当に幸せになれるのか、お前らが上手くいくのか、そもそも幸村は傷付かないのか。
他人の行動に尤もらしく異を唱える言葉なんて驚くほど無数に存在するもので、俺は自分自身ですら然して真剣に考えていないそれらの可能性を逐一提示しては、幸村を困らせたものだ。
そんな俺の予想に反してこいつらは、小さな諍いを起こし周りを巻き込みながらも、実に上手くやっている。
今では政宗の方が幸村にべたべたして、幸村はさり気なくそれをあしらって、でも隣に居続けるのだ。もしかしたら、と俺は思う。
もしかしたらこいつらはそうやって徐々に、最適な自分の態度を作り上げていったのではないだろうか。躊躇いもせず好意を態度に表す政宗を、ぞんざいとも言える態度で幸村が応えて。
二人でいちゃつくには甘過ぎるし、これで政宗があまりに普通に幸村に接したのであれば幸村の態度は冷た過ぎる。
そうだ、きっと幸村はこれで甘えているのだ。
政宗がそうやって俺達の前でも幸村を自分のものであるかのように扱うから、幸村は安心してすました顔をしていられるのだ。
そう考えたらおかしくなった。
だって幸村は、俺達の見ていない前では、政宗にどっぷりと、それこそ仔猫が飼い主の膝から降りるのを渋るように、甘えまくっているかもしれぬではないか。
と同時に、幸村が政宗のいないところで俺達にああして惚気るのは、それはそれで俺達に甘えているのだろうなとも思う。
面と向かっては言えない様々なことをきっと幸村は俺達を通して政宗に語りかけているのだ。だったら政宗がそんなこと知らなくても良いではないか。
目に見えるもの、知っていることだけが事実ではない。
そんなことに及びもつかなかったから、かつての俺はこいつらの付き合いに反対していたのだ。
好意を恋だと自覚するのは簡単だ。大変なのは、その自覚を思い人であれ他人であれ口に出して伝えること。
もう何年前のことだか自分でもすっかり忘れてしまったが、まるで姉のように(母のようにとは何となく言いたくない)慕っていたあのお方への恋心を自覚してしまってから、俺は未だにあの人の話題も、いや名前すら口に出せないでいる。
なのにいとも簡単に好意を覗かせているように見える(見えるだけできっと色々な思惑があるのだろう)奴らに俺は嫉妬していただけだったのだ。
「なあ、幸村は政宗と二人の時はどんな感じなのだ?」
「どんな感じとは?」
そう言って小首を傾げる幸村をとことんまで追求してやって、もしも自分の予想が外れていなかったら今度は俺の話をしようと思った。
誰にも、左近にだって打ち明けたことのない、長い、長い恋。
それは決して叶うことのない辛く苦しい筈のものなのだろうけど、何故だろう、彼女のことを話せる、そのことが今は嬉しくて仕方がないのだ。兼続は横恋慕は不義だの何だの言いながら、政宗は鼻で笑いながら、そして幸村は黙って頷きながら、それでも彼女に現を抜かす俺のことを決して嘲笑ったりはしないのだろう。
べったりな関係は好かぬが甘えられるのは良いものだ、そう思いながら俺は、幸村の話に耳を傾けながらその長い話の出だしの言葉を考え始めた。
6月から11月までの拍手だったものです。
穏やかになれるものを忘れてしまうくらい幸せになってほしいのが幸村なのだとしたら、
三成にはそれすら忘れられないくらい、いい子であってほしい気分。
(09/12/14)