謙信公は、正に薫陶と呼ぶべきものを自分に授けてくださった、と直江兼続は今でも思っている。
毘字を掲げ、時には自分自身が毘沙門の化身であると豪語し、それを根源的指針として家臣らを戦場に駆り立てる。
旧主の死が、そして何よりその後展開された、血で血を洗うようなあの家督争いが、すっかり過去のものとなってしまった今でも、兼続はそう思わざるを得ない。
旧主は、謙信は軍神であった。
それは戦における超人的な冴えでも強さでもない。あの人は、義という、実に頼りない理念の使いどころを知っていた。
故に、彼は軍神だったのだ、と。
あの忌まわしき乱の最中、兼続の周囲の面々は無邪気にも景勝こそが正式な上杉の跡取りだと信じ、そうして担ぎ上げられた主は刻々と変わる戦況に果敢に挑みながらも、一度として笑みを浮かべることなどなかった。
もともと、人前で相好を崩すことなどなかった景勝ではあったが、心の裡に浮かぶ様々な苦悩すら周りに悟られまいと注意深く振舞っているようであった。
景虎の軍を前に色めき立つ諸将を見ながら、兼続が思ったのは、戦国の倣いともいえる家督争いへの無常観でも、また主の心痛を少しでも支えてやりたいという殊勝な心がけですらなかった。
兼続は、戦国最強と恐れられた武田の終焉を、一人鑑みたのである。
確かに強大なる武田の領国は依然として存在はしていたが、あれが砂上の楼閣に過ぎないことを、既に彼は看破していた。
旧主と覇を争ったあの大国が、如何にして滅びゆこうとしているのか。
その様々な要因に思いを馳せた時、兼続はこの乱が起こったことを天に感謝せざるを得なかった。これこそが、謙信公が我らに授けた何よりの好機だ、そう考えることに呵責も何もなかった。
西には布武を掲げる織田が手ぐすね引いて上杉の瓦解を待っている。一方東には、蘆名、最上、それに伊達が、それぞれ目を光らせていた。
元来上杉の結束は弱い。有力な国人達が謙信を軸に辛うじて手を組み、腹を探り合う時代はもう終わったと、皆に思い知らせる必要があった。景勝を中心に確固たる支配体制を築かねばならない。
時代の転換期には必ず、夥しい血が必要であることを兼続は知っていた。
それは来るべき新時代に捧げられるべき生贄であるという観念的な思想などでは勿論なく、怒涛のような日々を一丸となって切り抜けていく為には不可欠な記憶である。
御館の乱という凄惨な諍いを我々は乗り越えてきたのだという事実、それが生み出す後ろめたい高揚は、必ず今後の上杉に、かつてない結束という益をもたらす。
それが仮令、家中を二分して争ったが故の軍事力の衰退と引き換えであっても、嚢中の膿は出し切らねばならないのである。
いくら乱世であろうが、戦だろうが、人が人を殺めるには多大な理由が要るのだ。
謙信はそれを義という理念と毘沙門の加護に置き換えた。旧主の好敵手であった信玄は、自らを核にした中央集権を作り上げ、それを家臣に徹底させることに力を注いだ。
その二代目がどんな末路を辿るか、勝頼を見れば自ずと答えは出るではないか。
あの勇猛な若者は、父の遺産を丸々引継ごうとして失敗したのだ。
彼の悲劇は(それはまだ、これから訪れるものであろうが。そして兼続の予想通りに事は動くのである)当主が変わるという、国にとっては時代の転換ともいえる大仕事を、かつての遺産だけで成し遂げようとし、また亡父の才能が自らにも受け継がれていると無邪気に信じたところから始まった。
上杉は違う。
景虎に付いた者は必ずや非業の死を遂げるであろう。
景勝こそが真の当主であると思い込ませるのは、実際これは好機だった。
そして謙信ですら御しきれなかった一癖も二癖もある国人連中、謙信の死を未だ過去のものと思えない化石のような老臣達に――彼らは図ったように景虎に味方している――粛清を。景勝に非は与えずに上杉内を掃除し、新体制を作り上げるには、この時をおいて他にはない。
景勝の為に手を汚すという観念は、兼続にはなかった。
あの乱中で、いや乱の収束した後にも暗殺や追放を繰り返し、尚も刃向かう一筋縄ではいかぬ者には内応を持ちかけ謀殺した。また景虎に力を貸したが、最終的に景勝に帰参を許された者には、二度と表舞台には立てぬように手を尽くした。
その結果、兼続は直江の家と莫大な権力を手に入れたが、それはあくまで自分にとっては副産物でしかなかった。
革命ともいえる家中の劇的な変化を、そうとは悟られぬように緩やかに手を下し、やがて太閤によって景勝が大老という地位に引き上げられた時、兼続は歓喜した。
上杉は残ったのだ。
謙信が残した義を穢すことなく、それを景勝の誇りに変え、上杉を時代に埋もれさせぬようにと尽力してきたことは、間違ってはいなかった。
あの家督争い、そしてその直後織田に押され続けた日々。上杉の家臣達は、それを二度と忘れることはないだろう。
これこそが上杉家中の者が一様に抱く傷であり、他家の者には語れぬ傷を共有していると互いに思い合えることこそが大事なことなのだ。
「義」という言葉を思い出す時、彼らは――自分も主も含め――その言葉では到底語り尽くせぬ忌まわしい諍いがあったことを必ず思い出す。
それでいい。
義とは理想にすぎぬ、相反するものを体感した我々は、その理想にすら臆することなく立ち向かっていくことが出来る。
判り易い裏切りと憎悪に彩られた争いは、その実、無数の大義や忠節によって支えられなければならぬのだ。
これこそが敏腕宰相と恐れられた兼続の哲学だった。
兼続が身命を賭すことを誓った寡黙な主は、その兼続を静かに見続けていた。
上杉の為に、ひいては己の為に苦労をかける、と労わることは、自分達には相応しくないように思えた。
主家の為に命をも懸けることは当然のことと信じている者に、そんな言葉を呉れてやることは、一種裏切りにもなりかねないのではないか。そう思えば思うほど、彼の沈黙はいよいよ深くなる。
兼続のやり方には、上杉を守るのだという鬼気迫るものが感じられたが、それはこの乱世においては息をするように当たり前な行いで、それによって一時弱体化した上杉がここまで生き残ってこれたのは紛れもない事実であった。
それを悟った瞬間、景勝は裁量を止めた。
自分は兼続の裁量を決定するだけの主になろうと試みたのである。
この試みは、存外簡単なものだった。
景勝と上杉の為奔走する兼続が、景勝に不利益を押し付けることなどなかったし、また景勝が思うがままの傀儡に成り下がることなど彼は望んですらいなかった。確かにこの宰相は、実に優秀であったのだ。
かつて共に学び鍛錬した、景勝の最も愛すべき上田衆という家臣らですら、この主従の関係を目を細めて見守っていた。全ては、順調だった。
その関係が崩れた一連の出来事を、景勝は今でもありありと思い出すことが出来る。
上杉の後ろ盾になってくれていた太閤の呆気ない死。石田三成が内府相手に乱を起こす。その前哨戦として上杉は徳川に楯突くつもりだった。三成の挙兵を知った家康が、軍を返したところを追って討つ。
そんな兼続の裁量に決定を下さなかった自分を、兼続は不躾なほど凝視したのだった。あの聡明そうな顔は歪み、まるで言葉さえ忘れてしまったかのように、彼はぽかんと口を開けた。
その光景だけ見れば、とても戦の為の謀略を語り合っているとは傍目には思えなかったに違いない。
「内府は追うな」
とても己のものとは思えぬ震えた声は、小さく今にも消え入りそうだった。
「お前の今までの働きは徳川を討つ為か。上杉を残す為か」
裁量には何と膨大な力が要るのだ、と景勝は思う。
徳川を追えば、終わりだ。三成と家康の決戦が長引けば、伊達と最上が雪崩れ込んでくる。三成の挙兵は遥かに離れた地での出来事で、今短期決戦を行うだけの兵力は我が方にはない。そして仮に三成が敗れれば、もう言い逃れは出来ぬ。
あの治部は、確かに景勝にとって、いや兼続にとっても好人物ではあったが、唯一難点を挙げるとすれば、彼が豊臣の臣に過ぎたという点だ。
彼は人の上に立つことを知らぬ。意地の悪い言い方をすれば、旧主のかつての栄光を後生大事に拝んでいる、お前が粛清してきた上杉の旧臣と何処が違うのだ。
「しかし故太閤の恩義を忘れ、天を握ろうとする家康めは、正に不義の徒に…」
「お前が、私に、それを言うのか?」
「それは!」
「義は我が家中の最大指針だ。そしてお前も私も、それが如何に脆弱なものであるかを知っている。知っているから信じることが出来る、そうだろう?」
天には善意も悪意もない、ましてや政なら尚更だ。
数多の戦を起こし、友垣を襲う死を見詰め、時には自ら手を下してきたお前が、それでも頑なに、義という善意を信じようとしていたことを、私は忘れぬぞ。
「か、げかつさま」
「そして義を掲げる国の頭が、感情に任せて仇に安易に不義の烙印を押すことは、我らの誇りへの冒涜である」
間違いない、この宰相は自分の誇りであるのだ。
義の名の下に、兵を死線へ追い遣る兼続にとって、その理念こそが最大の友であり、仇であったに違いない。高らかに義を叫びながらそれを盲信することを律し、それでも己が言に乗せられ力を尽くす者達の正義を見据えようと兼続は目を凝らし続けている。それこそが、彼らへの報いになると信じて。
あの家督争いより、上杉が行ってきた数々の血腥い行い。それでもお前が潰れなかったのは――
「彼らと己の義は相容れない。だが彼らにも彼らの義があり、誇りがあったと、お前自身が信じ続けてきたからではないのか?」
あの義兄弟が、鮫ヶ尾城で腹を切る直前まで真剣に上杉と自分のことを案じていたように。そんな夢物語のような希望を、こうも容易く自分が信じられるように。
「真の義士も、無論不義の徒も居らぬ。あるのは唯、勝者と敗者だけだ」
その敗者の義すら取り込むことが出来ねば、上杉の宰相は務まらぬ。ああ、やはり裁量とは難しい。
もしこの決戦で内府が天を手にし、それでも兼続が上杉を残すことが出来たなら、世間はお前こそが名宰相だと謳うのだろう。
だが、徳川に刃向けたことも、そしてそれを翻し頭を垂れることも、その為の礎となる意地は、兼続自身が作り上げてきたかつての敗者らの矜持に支えられていることを、私だけは忘れぬ。
そう思いながら目を遣ると、兼続は今にも泣き出しそうなほど屈託無い笑みを返す。そんな顔を見るのはどれくらい振りであろう。
そんなことを考えていた所為で、景勝は自分を見詰めるこの宰相が、全く同じことを感慨深げに考えていることなど、終ぞ知らぬままだったのである。
それでも西軍勝利の可能性に懸けて、山形城に進軍しようとする兼続を、景勝は深い頷きと共に見送る。おかしなものだ。
兼続は、もう立派に上杉の大将として軍を率いているというのに。そして雪にはまだ早い時節だというのに、景勝は自分の背に縋ってなく与六の小さな掌と一面の雪景色を何故か忘れることが出来ない。
米沢転封を受けて、彼らが思い出深い春日山を発った日は、目に痛いほどの晴天だった。
兼続くん、大河と人生お疲れ様でした記念第二弾に、昔書いたものを引っ張り出してきました。
でもたいがは最初の子供達しか見てないので、この話はたいがとは関係ないです…。
兼続と御館、関ヶ原前の主従の齟齬は、切っても切り離せぬだろう!と。
あの二度の危機を逆手にとり、乗り越えた兼続は、正に名宰相であったと私は思うのです。無論、景勝様も。
義も愛も兼続にとっては大事なもの。
けど、彼がそれを盲目的に信じていただけには、どうしても見えないのです。ほら、私兼続大好きだしさ。
因みに私は勝頼君が大好きなので、彼は決して無能ではなかったと信じているのですが、
この辺りは昌幸パパとかヤスとかもうイロイロ絡んで来るので(妄想的に)それはまた別の機会に。
ゆうぐれこみちは、ひっそりと勝頼←昌幸←ヤスを応援しています。(本気です)
(09/12/21)