※海を挟んで遠距離な現パラという設定らしいですよ。ついでに真田さん、ケータイ持ってません。

 

 

 

火曜日の夜が幸村にとって特別なものになってから、かれこれ数ヶ月が経った。
 
「いや、行くのは吝かではないんじゃ!だがお主と会えぬのじゃぞ!儂、絶対三日で挫けて泣いて戻ってくるわ」
と大騒ぎしながら留学とやらに旅立った恋人は、勿論三日経っても戻ってこず(そんな短時間で戻ってきたら、短すぎる海外旅行じゃないかと幸村は一人の時間を持て余し気味に思った)本人の代わりに真田家の郵便受けには、手紙が届くようになった。
自分の不在に彼が涙を流しているかどうかは定かではないし、またその想像も付かないのだけど、二週間に一度だった手紙はやがて週に一度となり、あれよという間に三日に一度の頻度になってしまった。
何ヶ月も先の再開の予定を心待ちにしたその内容に、一体どんな顔で認めたものやら「寂しい」なんて単語が冗談めかして混ざるようになり、「もういいから貴様が此方に来い!」と彼らしい我侭で締め括られるようになり、その頃になってやっと幸村は、携帯電話の店でカタログを手に取った。
理由は二つ。
一つには、あまりの頻度で届く手紙に返事が書ききれなかったこと。(だって折角返事を書いていたのに郵便受けにはもう新しい手紙が届いているのだ!)
もう一つは、だって仕様がないじゃないか。
会いたいってどんなに叫んでも暫く会うことは叶わぬのだし、せめて声が聞きたいと思うのは、抗いがたい人の情、という奴ではないでしょうか。
 
もしも私が携帯を買ったら、せめて電話出来ますか?と幸村が見切り発車且つ遠慮がちな提案を記した手紙を海の向こうに送った数日後の夜、三成からでも兼続からでもない、無論勧誘でもない幸村宛の電話が久しぶりに鳴った。
 
それが偶々火曜日の夜で、それ以来火曜日の午後九時きっかりに鳴る電話の前で待機して待っていることが幸村の日課に組み込まれた。
携帯電話のカタログは、幸村の部屋の机の上に、うっすら埃をかぶったまま。
 
 
 
夕食の片付けもそこそこに、慌しく普段の半分の時間で風呂を済ませ時計を見上げる幸村に、苦笑しながら信幸がお茶を入れてくれるのが、大体八時半。
「いつもより長く風呂に入っても充分間に合うだろう?」
何に間に合うというのか、そこまでは明言しない信幸に、反論し難いと少々恨みがましい目を向けても、この見た目は自分とそっくりな、けど中身は比べ物にならないくらい良く出来た兄は、穏やかに笑うのみ。
素知らぬ顔でテレビのチャンネルを変え続ける父は、兄弟の会話に加わりもせず、ちらりと時計に意味ありげな視線を向ける。
あと三十分弱。
テレビなんか見ていたらあっという間に流れる時間に、それでもじりじりしていた矢先、古めかしい真田家の電話機からけたたましい音が鳴り響いた。
 
「…早くはないか?」
何故か残念そうな父の台詞を背中に受けながら居間を飛び出し、幸村は一生懸命(とはいえ、たった数歩だ)電話に向かって走る。
もしもこれが、全く関係ない他人からの電話であれば、あと三十分で話を切り上げる為に一刻も早く受話器を取ったほうが良いし、もしも政宗だったら。
あの政宗が三十分も約束を繰り上げて電話をかけてくるなんて、きっと何事かあった筈で、どうかどうか厄介だけどせめて前者でありますように。そう祈りつつ走る電話までの数歩の距離は、すこぶる長いのだ。
勿論それ如きで息なんて切れなかったけど、気持ち的には息を切らせて受話器を取って耳に当てたら、今一番聞きたくない人の声が響き渡った。
 
「もしもし!真田殿のお宅…ん?幸村か?幸村本人が出るとは私の義が通じた、ということかな?私だ!直」
「この電話は現在使用されておりません!」
 
少しだけ申し訳ない気持ちになったが、短く叫んで電話を切った。居間から兄の微かな笑い声がする。
聡い兄はきっと誰がベルを鳴らしたのかが分かったに違いない。今頃可哀想な兼続は、受話器の前で「もしもしもしもし!」と繰り返した挙句、首を捻っているだろう。
もう一度かけてみようという気が起きませんように。
電話の前で十分近く、不義理なことを願いながら固唾を呑んで佇んでいたお蔭だろうか、真田家の電話は、うんともすんとも言わなかった。幸村はほっと胸を撫で下ろす。
 
実際に持てば面倒なことも多いだろうけど、携帯、買おうかな。何となく宙ぶらりんのままのそんな計画について幸村が思いを巡らせるのはこんな時だ。
高々携帯の一つだ、きっとあればとても便利だろうに。
携帯が必要な理由は幾つも思いつくのに、必要じゃない理由は実のところ全然挙げられない。比較することが出来なければ、選択も出来ないと幸村は思う。何故未だに買えぬまま躊躇し続けるのか、本当のところ自分でもよく分からなかったから、そんな言い訳をちょっと、してみただけだ。
 
今更居間にも自室にも戻る気になれず、電話の前でしゃがみ込んだ幸村のところに、昌幸が寄ってくる。
他の親子と比べたことはないので客観的なことについては幸村自身分からないのだが、この時ばかりは少しばかり父に冷たく当たってしまう。
先週は「町内会の会合に参加すると言うておくのを忘れたわい」と急に電話を使い始め、幸村を散々やきもきさせたのだ。
先々週は「家康に無言電話をかけたい」と言い出した。いくら幸村にでも分かる。面白がっているのを隠した、唯の嫌がらせだ。(自分にも政宗にも、そして全く関係ない家康にも、だ)
 
「無言電話なら後でかけてくださいよ」
「何を言う。思い立ったが吉日という言葉を知らんのか。全く我が子ながら情けないわ」
「夜中にかけた方が効果があると分からないなんて、私の父上ながら情けないです」
「こう年を取ると夜中に起きるのも億劫なんじゃがのう」
 
電話の所有権を懸けた一触即発、正に骨肉の争いは、勿論信幸の仲裁によって事なきを得た。(けど仲裁に入った兄は笑ってたので、一触即発だなんて思ってたのは、自分だけかもしれないと幸村は思い直す)
「いい年なんですし、無言電話とか止めてください」という信幸の説教を受けて父が大人しくなったおかげで、その日は政宗とゆっくり話をすることが出来たのだし。
結果的には問題なかったので細かいことは気にしたくないが、今日も今日とてふらふらと幸村に寄ってくる昌幸に、何ですか?と少々厳しい口調で尋ねてしまったのは、仕様がないことだと思う。
 
「時計が微妙に狂っておる気がするのでな、時報を聞いて合わせようと思ったんじゃ」
よくもまあ、飽きもせず毎回毎回妙な言い訳を思いつくものだ。
 
「父上、時計なんて今まで気にしたことなかったじゃないですか」
「何じゃと。わしが案外几帳面なことを知らんとは。嘆かわしいわい」
「几帳面なら玄関の切れてる電球、取り替えてくださいよ。もうずっと前から言ってるのに」
 
あーあー聞こえぬなあ、と両手で耳を塞ぐこの父は、一体何歳なんだと幸村が呆れた瞬間、電話が鳴った。腕時計に目をやると九時二分前。
政宗だ。
 
受話器に手をやりながら何となく父の方を窺ったのだが、何処か面白くなさそうな顔で、しかし含み笑いと共に、昌幸は大人しく居間に戻っていった。
何だったんだ、と呑み込んだ溜息を悟られないよう、幸村はゆっくり受話器を取る。
 
「はい、真田です」
 
兼続のように此方の対応の前に勢い込んで話すなんてことしない。三成のように「幸村か?」なんて、すぐ聞かない。
一瞬の沈黙の後、静かに「儂じゃ」と名乗る声。随分遠くの空気を纏っている声が耳元で聞こえることが、何だかこそばゆいし、こうやって離れる前はどんな風に彼からの電話を取っていたか、もう思い出せない。
けど紛れもない、今自分の鼓膜を震わせているのは、政宗の声だ。
幸村は何だか座り込みたくなる。
 
ずっとずっと一緒にいるのが当たり前だったから、未だに上手く近況が話せない。そんな幸村のたどたどしい報告を、政宗はおかしいくらい真剣に聞く。
私は元気です、政宗殿はお変わりありませんか、ちゃんとご飯召し上がってますか。
何度も何度も繰り返される幸村の質問に、政宗はきちんと返事を返す。
儂も元気じゃ、飯は不味い。帰ったらお主の飯が食いたい。
「皆、変わりはないか」
政宗もそう尋ねるから、皆が誰のことを指すのか分からなかったけど、さっき父と兼続殿が電話の邪魔をしにきました、と話したら、随分楽しげに笑われた。あろうことか、礼を言っておけ、なんて言う。
それが、ありがとうございます、という御礼なのか、所謂お礼参り(あ、悪い意味の方だ、勿論)の礼なのか、全く想像が付かなかったけど、会いたいと思うのは、決まってこんな時だ。
ひとしきり笑いが止んだ後で、政宗が続ける。
 
「すまぬな、いつもこんな時間に電話をかけて」
 
咄嗟に時差の計算など出来ない幸村は、慌てて首を振る。
此方は、普通の時間です。電話してたっておかしくない時間です。
 
「夜じゃろう?こっちはまだ真昼間じゃ」
 
政宗の言葉が改めて距離を実感させたのかどうなのか、兎に角急に甘えたくなった。
小声で彼の名を呼んだら、政宗も小さな溜息を返す。目を瞑れ。そう言われて首を傾げつつ、受話器を耳に痛いほど押し当てて大人しく眸を閉じた。
「ゆきむら」
視界が遮られた暗闇に響く声は、さっきより少しだけ近いのだけどやっぱり遠くて、電話線は抱き締めてくれる腕も体温も、吐息さえも伝えてくれない。
ああそうか、今、夜だから。
幸村は政宗の低い声に耳を澄ませながらぼんやり考える。薄い襖一枚隔てた向こうの居間から、テレビと兄の声がした。「毎回幸村を揶揄って、可哀想ですよ」「じっと待っておる方が可哀想じゃろうが」きっと政宗も、五感を振り絞って自分のことを考えながら目を瞑っているのだろうと思った。
海の向こうの太陽がどんな色なのか、幸村にはやっぱり想像も付かないのだけど、自分のことを思い出し終えた政宗が目を開ける時、ちゃんとそれが眩しければ良いと思った。
こんな気分を引き摺ったままの彼が一人ぼっちで布団に入る光景は、とても残酷な気がしたので。
 
 
 
今日の電話は何だか変な感じになってしまった。電話の前で少し反省しながら佇む幸村に、昌幸がおもむろに近寄ってくる。
「もうわしは寝るぞ」
すれ違いながらそんなことを言って幸村の頭を小突くように撫でる。
背丈が父を越えてから、頭を撫でられるのは初めてだった。幸村は自分の部屋の机の上に乗ったままの携帯電話のカタログのことなんかを、思い出す。
きっと自分は、暫く携帯は買わないのだろうと思った。
政宗が帰ってくるまで。いつか、電話を握り締めながら、一人ぼっちで布団に入って、上手に切なさを感じられる日が来るまで。
 
「父上」
「何じゃ」
政宗殿が礼を言っておけって。けど上手く言葉に出来そうになかったので、宜しく伝えておけですって、とだけ言ってみた。まあ、概ね間違ってはいない筈だ。(肝心なことは間違っているけど)
昌幸は、ふん、と鼻を鳴らした後「土産、忘れるなと言うておけ」と告げるとさっさと寝室に姿を消す。
 
おやすみなさい、父の後姿にそう声を掛けながら、来週の火曜日に政宗にちゃんと伝えておこうと思った。
此方は夜ですが、皆居りますから。
そう告げたら政宗は、幸村に心底会いたいと思わせる笑い声を、また聞かせてくれる筈だ。
 
 
 
幸村が足取り軽く自分の寝室に向かっている頃、三成は突如掛かってきた兼続からの電話に炬燵での転寝を中断させられていた。
 
「大変だ!幸村の家の電話番号は現在使われていないらしいぞ!一体どういうことだ!世は不思議で不義だな!」
 
カレンダーで今日が火曜日であるということを確認した三成は、「政宗か…幸村の邪魔をするのは可哀想だし、せめて俺が身体を張って兼続の暴走を食い止めねば!」とだるい身体に潜む男気を奮い立たせ、それから三時間半に亘る兼続の義話に付き合わされることになるのだが、それは海の向こうの政宗も、今は布団を被ってぐっすり眠っている幸村も、知る由のないことである。

 

 

戦国軸で一時の別れ、というと何処か今生の別れめいたイメージがあるのですが、まあ、そこまでは重くない一瞬の離別というか何と言うか。
携帯って便利だけど、こういう時切ないですよね。つーことで、宅電。きっと真田家は懐かしい黒電話。
(10/03/15)