遠呂智が倒れ、それでも世界は戻らなかった。

政宗や幸村が一時的に身を寄せていた蜀では、解放された劉備を中心に(いや、実質中心になっていたのは諸葛亮だろうが)この不自然な世界に応じる準備が整い始めていた。
混乱で散らばっていた蜀の将が各地から戻り、彼らの報告を基に比較的正確な勢力図が再構築され、国力回復を優先する政策が打ち立てられた。つまり、政宗も見慣れた、乱世の中での平時の国の姿が、そこにあった。
「私はこれからお館様の下へ参ります。政宗どのはどうなさるのですか?」
だから幸村がそう切り出した時にも、政宗は安否が判った信玄の処へ走ろうとする幸村に関しては全く驚かなかったが、真田幸村という戦力を惜しげもなく放り出す蜀の連中には少々呆れざるを得なかった。と同時に、未だ残るこの世界の混乱と、そして不完全さをまざまざと見せ付けられた気がした。


この世界を創ったのは遠呂智なのだ。


世界が自然か不自然か、そのようなことは嘗ての政宗にはどうでも良いことであった。もう少し正確に言うならば、世界を欲しはしたが、その成り立ちなどという概念すら、彼の中には存在し得なかった。そしてそれは多分、政宗だけではない筈だった、しかし。
どんな強者の手に因ろうが、只一つの存在により創られた世、それはどういうことなのか。世界の在り様を未だ考えもせず、緊急事態は去ったと言わんばかりに只黙々と己の領分を守ろうとする連中を、政宗はじっと観察した。
それは乱世における正しい姿勢にも見えたし、またそこに己が静かな怒りを感じていることも自覚していた。今は常なのか、それとも非常時なのか。それが分からない。


これが常となっていくのであれば。ならば日の本と呼ばれていた世の覇を求めたように、此処でも天を掴むのみだ、だが。

遠呂智は世界を創ったと言った。この不自然な世界は何によって支えられている?

余りに容易く生み出されたこの世界が、遠呂智の存在を軸に成立していたのだとしたら、その軸を失った世界は緩やかに変わっていくのだろうか。いつか、もといた世界に戻るのか。あるいは。
そう考えて政宗は総毛だった。
明日の命も知れぬ戦国乱世に自分は生きてきた。だがそれはあくまで己の命に過ぎぬ。
未だ戻らぬ世界。
遠呂智亡き後の世界の存亡すら我らは正確に把握してないのではないか。いや、それだけではない。
この世界と共に、今ここにいる者達が全て消滅しないと、誰が言える?


政宗は思わず目の前の幸村を抱き寄せた。
消える?儂が。いや、幸村が?
「政宗どの?」
そうだ、何故誰も考えぬ。奇妙なのは歪んだ時空だけではない。何者かに形作られる世界そのものが最早おかしいのだ。
だがここから逃れる術はないのだとしたら。


「ならば儂は…この世界を手に入れてみせよう」
幸村、お主の立つこの地が消えぬよう。


「そうじゃな、遠呂智のように」
遠呂智のようになりたいとは思わぬ。が、遠呂智が鍵を握っていたことは確かだった。
先の戦で姿を消した妲己を追い、世界を知るのだ。
腕の中の幸村が苦しそうに身動ぎする。その熱はこんなにも近く、こんなにも簡単に自分に伝わるのに。
「次に会う時は敵かも知れぬ」
覚えておこうと思う。幸村を創る全てのものを。肌に触れ、髪を撫でる感触も、政宗を呼ぶ声も。
今確実に存在している幸村と、この世界を。
「妲己を追うのですね」
幸村が身体を離し真っ直ぐに政宗を見た。
「…私の為では、ありませんよね」
いつもはぼうっとしている癖にこんな時だけ鋭い。咽喉から笑いが洩れた。お主はそうでなくてはならぬ。
「伊達と、それに繋がるものを儂は守らねばならぬ。その儂がお主の為にそれらを放り出すと思うか?」
「いえ…いいえ、思いませぬ」
嘘だ。縋りつく幸村の腕を引き寄せ口付ける。今度は息すら漏らすまいと深く何度も。
時折小さく頭を振る幸村の眦にはうっすら涙が浮かび、それで政宗は幸村が自分の嘘を分かっていることを知る。
しかし共には来れまい、それでいい。
「安心せい。それでも儂はお主と在るのじゃ」

そう、お主の居るべき世界を創るのだ。


政宗が股肱と頼む将を集めて密やかな評定を設けたのは明くる朝のことだった。
世界を知る。その上でこの不自然で不条理な世の天すら掠め取る。
そう宣言した政宗に初めはざわつく者も多かったが、特に激しい混乱はなく、数刻に及ぶ細々した議論の後、将達は為すべきことのために慌しく散って行った。


「宜しいのですか」
政宗の脇に控えた小十郎が尋ねる。
「この小十郎には殿の深い御考えは見えませぬ。それ故、殿のお傍には在るべき方に居て頂きたいと思うのです」
「そうか」
そこまで言っておきながら考えが見えぬも何もあるまい。分かっておろうに、政宗は思う。
在るべき者の為に行くのだ。兵を失い家臣を危険に晒しても。
「すまぬ、小十郎」
「いいえ、殿は世界を見せてくださるのでしょう?我々にも」
―――あのお方にも。
その言葉を飲み込んで小十郎は政宗にやんわりと笑んでみせた。




政宗が遠呂智につくまでのお話。その理由が幸絡みなのは当然ですよね?!
ただ、伊達家は家臣も揃っているので、幸とそれにまつわる何か政宗らしい(家臣団も納得の)理由があったに違いないと思っています。
政宗と幸が今生の別れのようですが、きっと何処かで会っていちゃこらする筈です。むしろ、してください。
(08/05/02)