幸村は、率直に言うと成績が良くない。
政宗や三成、兼続と同じ高校に通っているのだから、決して頭が悪い訳ではないのだけど、正直、彼らには敵わない。受験の時だって、すんごい苦労したのだし。
げんなりした顔をちっとも隠さずに、幸村は目の前に開きっぱなしの問題集の上に倒れ伏した。
さっきから一問も進んでいなくて、今日はテスト直前の休日。最悪だ。早く大人になって学生を止めたいと思う。試験も何にもないらしい妖怪とかが、羨ましい。
「解けたのか?」
幸村の状態を分かっている癖に、自分の机に座ってペンを走らせる政宗は無情にもそんなことを言う。
政宗殿は頭が良いから余裕ぶっこいていられるんです、と幸村は頬を膨らませるが、それは何の解決にもならない。
突っ伏したまま、腕でノートを隠すように抱え込んだが、政宗は隙間から惨状を見てとったようだ。
「解かんのか、それとも分からんのか?何の為に儂がおるのじゃ。分からぬところは聞け」
「何処が分からないのかが分からないのです」
テスト前の休日は、いつも政宗の家に入り浸りだ。
けど毎回毎回政宗ばかりに頼っていたら申し訳ないと殊勝なことを思ったので、本当は昨日、三成に同じ問題について質問してみたのだ。数学の滅法得意な三成は適任だと思ったのだが、その考えは甘かった。
「問題が解けんだと?何処が分からんのだ」
「もう何もかもがさっぱりなのです」
「この問題をどうやったらさっぱり分からなくなれるのだ?」
無意識に辛辣な言葉を投げつける三成の表情は、まるで素朴な疑問を口にするかの如く無邪気で(こういうところが彼の嫌われる一因だと思う)、幸村はすぐさま後悔した。頭が良いのと、人に教えることに長けているのとでは、大きな隔たりがあって、どう考えても三成にそれが得意だとは思えない。
もういいです、と踵を返し今度は兼続を頼ってみたのだが(だって普段からあんなに義談議をしているのだから、多少なりとも人に教える心得はあろうと思えたのだ)
「テスト前だからといって急に勉学に励むのは不義!普段からこつこつやればテストなど恐るるに足りぬぞ!テスト前は充分な睡眠を取り、実力が出せるように心掛けるべき期間であって、一夜漬けなど以ての外!さあ、幸村も横になれ、横に!」
と喚かれた。
いちいち正論なのが腹立たしい。
テスト前日でもないのに、しかもここ教室ですよ、今から横になってどうするんですか、と突っ込む気力も起きない幸村は、彼らの脳の無駄な出来の良さを呪いながら、いつも通り、政宗の家でテスト前の休日を過ごすことになるのだ。
けど、やる気はちっとも起きない。
「数学など所詮暗記じゃ、暗記」
「私は暗記も嫌いです」
英単語についても年号についても、散々たる幸村の有様を知っている政宗は、何も言わなかった。
「…数学で分からなければさっさと解答を見ろ。問題と解答のパターンを覚えれば面白いように解けるぞ」
その解答に何が書いてあるかが、解読不可能なのだ。
仕様がないのう、と政宗は呟くと、幸村の目の前に陣取って、いちいち解説してくれる。
政宗殿の指はきれいだなあ、なんて思いつつ、幸村はそれをぼんやり聞くのだ。実はちっともそんな気は起きないのだけど、政宗がいちゃいちゃし出してくれたら勉強しなくても済むのに。
不真面目な癖に変なところで真面目な政宗は、幸村のそんな不義なる思いなど知らず、問題集の例題を一気に解説し終えた。
「分かったか?」
「分かったような分からないような」
「…とりあえず一問やってみろ」
で、話はまた振り出しに戻るのだ。
政宗だって自分の勉強があるのだから、幸村にばかりかまけていられない。
時折辞書を引く政宗の横顔をこっそり見ていたら、ちゃんとやれ、と此方も見ずに怒られた。悪いのは自分だと分かってはいるが、不貞腐れたくもなる。
「何しとるんじゃ」
なんて言いつつ、幸村もいつの間にか集中していたらしい。政宗が傍に来たことも気付かなかった。
幸村は慌ててノートの端を隠す。
「解けたのか?」
「解けてません」
「では何を熱心にやっていたのじゃ、手をどけよ!」
だめー政宗殿のえっちー、とちっとも感情の篭らぬ声で言ったら、政宗は一瞬相好を崩した。
が、本来の目的を忘れるまでには至っていないらしい。無理矢理ノートから手を振りほどかれて、幸村は心の中で舌打ちをする。
「…何じゃこれ。ぱらぱら漫画か!」
すっかり集中力のなくなった幸村は、今やノートの端にぱらぱら漫画を描くことに一生懸命だった。
額に大きな三日月のようなものをつけた棒人間が飛んだり転んだりするだけの、お粗末な出来だ。
「あのな、お主も儂の漫画なんて描いとらんでな。というかこんなもの小学生のうちに卒業しておけ」
「政宗殿じゃないですよ」
「いや、これ絶対儂じゃろうが」
「違います!こんなもの、こうしてやります!」
三日月のところを無理矢理鉛筆でぐりぐりと丸にする。政宗は少しだけ残念そうな顔をした。
「清正になったな…」
「誰という訳ではありませんってば!」
「あとな、ここの『やあ、ゆきむら』って台詞だが、儂、そんな口調ではないぞ」
「ですから、政宗殿ではないです!」
「それから、ぱらぱら漫画の台詞は、一気に書くのではなく、一文字ずつ増やしていかんと読めぬからな」
「五月蝿いです!」
テスト勉強中に(まあ、ちっとも進んでいなかったが)ぱらぱら漫画の描き方の講釈まで受けたくない。
幸村は「誰という訳でもない」棒人間から血を噴き出させて強引に漫画を終了させた。
「あ、儂が死んだ!」
「そんなことより勉強です!」
「お主が言うな」
こうして暫くは、かりかりと鉛筆の音だけが響くのだが。
「一頁解いたら、ご褒美ください」
すぐに音を上げたのは、やっぱり幸村の方だった。
「…一頁解いたらって、まだ解けておらんのか。テスト範囲は一頁どころではないぞ」
「そんなことはどうでもいいです。ご褒美があったら頑張れます」
「何の褒美じゃ」
「うーん。じゃ、キスしてください」
政宗は一瞬黙ったが、何とも複雑そうな顔でそっぽを向く。
「それは儂の台詞ではないのか」
「どっちだっていいじゃないですか」
「本当にするぞ?」
「いいですよ」
ご褒美の約束で、少しだけ幸村のやる気が上がった。が、それと反比例してやる気がなくなったのは、政宗の方だ。
「まだ解けぬのか」
「まだ一問目です。しかも設問を読んでいるところです」
「一問目か!早くせい!儂、こうして待っとるんじゃし!」
政宗が幸村の傍に貼りついて、褒美を与える時を今か今かと待っているのだ。
これでは解けるものも解けない。半分冗談、半分本気の褒美の話が、まさか足を引っ張ることになろうとは。
幸村は早速後悔して問題集に取り組んでみたが、僅かなやる気と今更褒美にもならぬ褒美だけで解けるのであれば、初めから苦労なんかしてない。
「駄目みたいですね」
「そんな容易く諦めるな!あと六問解いたら褒美ぞ!」
「六問って、つまり全部ですけど」
「一頁じゃなくて、一問につき褒美、ってことにせんか?」
「でも一問も解けてないですよ。これはもう駄目です」
「だから諦めるな!儂の褒美、ではのうて、お主への褒美がなくなるぞ!」
今頃兼続は宣言通り寝ているのだろうと思う。
三成はきっと、左近とだらだらテレビを見るのを控えて、いつもより少し長めに机に向かうのだろう。もしかしたら今日の分はもう終わっているかもしれないけど。
それに引き換え自分は、折角政宗と一緒にいるのに(いつも一緒だが)問題集に向かって勉強――してないなあ。大声で褒美褒美と口にする政宗を見ていたら、馬鹿らしくなってきた。
「何だか急にやる気が出たので、あっちに行ってください」
そう言うと政宗は途端に項垂れて自分の机にとぼとぼと戻っていく。
横目で彼の後姿を見たら、まるで飼い犬に置いてけぼりにされた犬のようで、幸村は無造作に鉛筆を回しながら言う。
「ご褒美を貰えそうになったら、ちゃんと言いますから」
結局、その日は三回くらいしか褒美を貰えなかった幸村のテストの点数は、平均点とほぼ同じ、いつも通りの出来だったことについては、言うまでもない。
今私の中で、ゆるいけど、政宗がすんげえ好きな幸村ブームが来ている…!
と思ったのですが、書いてみたら幸村が唯の阿呆の子だった。私は何か勘違いをしたらしいです。
原稿に疲れてかっとなって書いた。そして上げるのを忘れていた…
(10/06/22)