※ダテサナは欠片も出ません。小西まみれです。ごめん!

 

 

 

あこがれのひと。
 
なんて陳腐な響きなんだろう。俺には似合わへん言葉やなあ、なんて思う。俺だけじゃなくて。
 
仮令、あの三成が秀吉様を憧れの人と言ったとしても思わず腹抱えて笑ってしまえるくらい、陳腐で可愛過ぎる言葉や。
あ、三成のこと馬鹿にしてるんちゃうで?そんなん言うて、鉄扇でぱしーん殴られたら敵わへんやろ。
 
人間誰しもどす黒い何かが腹ん中渦巻いて、敵を陥れる謀りごとの一つも出来ない武将なんて武将違う、それ唯の屑や、屑。なあ、神さんも、そう思わへん?
 
首に下げられた十字架を探るように暫く指を動かした後で行長は、何の感触も残ってない指先をそっと下ろす。
神様は、素朴な疑問なんか受け付けてはくれないから、真似事だけ。そんなことでいちいち十字なんか切ってたら、両手の忙しさは飯も食えない程だろうし、祈りを捧げる為に十字架を触ってたらきっとすぐに擦り切れてしまうから。
 
けど、そう思うのは、本当だ。
 
誰だってのし上がる為の計算と勝利の為の謀略に余念がないのに、それをあからさまに表に出す人間を恐れるのだ。如水然り、本多佐渡然り、房州然り――そして宇喜多直家。
 
まあ、しゃーないわ。俺もあの人、怖いもん。さすがに中に鎖帷子なんか着て会わへんかったけどな。それはばれたらもっと怖いから。
言い逃れが出来る出来ないではない。成程、貴様の心根、これで見えた。そう言ってあの人は傍らの刀にすぐ手を伸ばすだろう。己にひれ伏すだけの奴が実は姑息にも身を守らんとしていた、その不愉快さだけで。
ある意味、血は争えないもんや。「鎖帷子を来て兄上には会うようにしている」自分如きにそんな秘密を語って、もしもばれたら、逆に命を縮めるだろうに、そう漏らしたあの人の弟さんって奴も、何だかんだで宇喜多の血、じゃないだろうか。
 
邪魔な政敵を暗殺し、嫁の情をものともせずに舅を斬り、家臣にも肉親にも恐れるだけ恐れられ、使えるものは何でも使って家を起こした乱世の梟雄。
 
何度も訪れた彼の居城には、何故かいつも無数の旗指物が掲げられていた。
戦でもないのに風にはためく直家の旗印は、戦を商売にしている自分の目にすら酷く好戦的に映って、ここの殿さん、よっぽど人殺しが好きなんかい、なんて思った。どうか、このお方に救いがありますように。なーんてな。
 
彼が小競り合い程度以外の戦をせずに死んだことを行長が知るのは、その、もう少し後の話。
 
あの旗印は、何だったんだろう。行長は時折思う。
一生出ない答えを思う。
 
 
 
関ヶ原は、勝てる戦だと思っていた。
不安材料はあったが、不安材料のない戦など、生まれてこの方お目にかかったことなどない。士気は高かった。士気が高いってのは便利だ。何もかもが手に取るように分かる。切羽詰まった表情で槍を握る西軍諸将――いや、雑兵も含め――そんな中で感じる違和感に行長は敏感だ。小早川が怪しい。やっぱり士気が高いって便利だ。そんなことすら、すぐに見分けられる。
差し出口を挟む気はなかったが、つい持ち前のお節介でそれとなく吉継に忠告したのだが、彼は見えぬはずの眸を細めて笑っただけだった。
 
「奴は、やるだろうな」
 
これで吉継が自分と同じ危惧を抱いていることは確信できたが、不安の種は尽きない。小早川の大軍に宇喜多を当たらせれば良いのかもしれないが、この陣立てで宇喜多が小早川に当たるということは、吉継が敗走或いはそれ以上の事態になるという意味である。
自陣を、布き直すか。或いは宇喜多のもっと南側、せめて松尾山のすぐ脇。
 
「負ける気はないよ」
 
こっちの思考を読んだのか(元々勘のいい男ではあったが、病に蝕まれて以来、それに一層磨きがかかった気がする)吉継はそう言って笑う。
勝算?呉れてやるほどたっぷりあるさ。
自信に塗れた言葉には、明らかに此方を拒絶するような雰囲気が含まれていて、怖え、と行長は思う。吉継は怒っている。その相手が小早川なのか、無神経な自分になのか、そもそもこんな戦を起こした三成になのかは知らないが、怒っている。
けど、戦の前の興奮を怒りに変えられるのは、行長にとってすこぶる自然なことだと思うので、怖いなんて思っても、本当は気にもかけない。
 
ほな、と手を挙げ心中深く、友と、何より己の勝利を祈りながら踵を返したら、背中に吉継の言葉が飛んだ。
 
「宿願だろ」
 
何のことだか、さっぱり分からなかった。しゅくがん?
 
「あるんだよ、そういうのって。勝ち負けなんかに関わらず」
「勝ち負けなんか、なんて言うなや。勝った方が気分良いやろ」
「それはそうだけどな」
 
吉継は、覚悟を決めたんだと思った。負ける気はない。仮令己の隊が潰走しても首がなくなっても、負ける気はない。だから怒ったんやろなと行長は思う。一見冷静だがその実、三成と同じように熱いこの男は、己の覚悟の切れ端を僅かであれ見せてしまったことがきっと悔しくて恥ずかしいのだ。
そんな彼が使う勝ち負けなんて言葉は背筋を凍らせるから、軽口で返したのだけど、吉継は盲いた筈の眸を此方に向けながら、瞬きもせずに繰り返す。宿願だろ。
 
「弥九郎にとってはさ、宿願叶う時って奴だろ?しっかりやれよ」
 
言われんでもしっかりやったるわ、俺を誰だと思うとるんや。摂津守様やぞ?けどな――駆け引きと槍働きでここまで伸し上がった摂津守様にも分からぬこと。
 
宿願なんて、そんなものあっただろうか?
 
 
 
戦開始より、真っ先に飛び出したのは宇喜多隊だった。その迷いのない采配は行長がよく知る秀家の性格そのものを表しているようで、戦中だというのに思わず行長は頬をほころばせる。
宇喜多の傍らに陣を張った自分の存在意義は、かなり重い。この大軍が東軍を押し出す勢いを西軍諸将に伝えるのだ。伝令など必要ない。そりゃ宇喜多と比べれば小勢ではあるが小西が死に物狂いで働いている、その様子さえ見せられればいい。
戦場での感情がどれだけの速度をもってして味方或いは敵諸将に伝わるか、行長は身をもって知っていた。
仮に宇喜多が押されかけたらそれとなく飛んでいき後詰としての役割を全うする。どんなに大軍同士の戦でも、最終的な勝敗を決めるのは各部隊の動きであり、行長はそれを嫌というほど実戦で学んでいた。
宇喜多隊の動きを注視しながらも采配を振るう手は決して止めない。
 
 
 
事態が動いたのは正午近くだった。指が千切れるほどに采配を握りしめ、行長は、考えねば、ということについて必死に考えていた。
感情に任せて反射的に敵陣に乗り込んで勝てる戦など、この世の何処にも存在しない。退くのか、それとも踏み止まるのか。
戦なんて商いと同じや。客の望むもんを予め調べて先手を打つ、その繰り返し。
 
井伊が、正則が、田中吉政がどうするかを予め考えて手を打てば。脳の表面が行長にそう訴えかけるから、行長は必死でそれに耳を傾けようとする。
けど、本当は分かっていた。考えようと大将が意識して思うたら、それは、負けや。戦慣れした筈の身体が震える。前方を睨みつけたままの目には何も入ってこなかった。いや、一つだけ、息せき切って駆け込んできた伝令の真っ青な顔だけが行長の視界に映る。言うな、後生やから言わんでくれ。
 
背後に聳える天満山にちらりと目をやりたい衝動を必死で堪え、大将然として報告を――内容など分かっている、大谷の旗印は小早川の大軍に呑み込まれ、さして視界の利かぬこの陣からはもう見えないのだ――聞く自分が馬鹿馬鹿しかった。
 
友垣の死を聞かされた三成は、床几から立ち上がって、手足のように操るあのどでかい鉄扇を投げつけたのだろう。恐らく微塵も間違っていないであろう三成の態度を想像し、こんなときだと言うのに行長は少しだけ笑う。
 
あの面倒臭い潔癖な友は(三成が行長のことを友だと思っていることについては怪しいが、行長は決して彼のことが嫌いではなかった)松尾山に向かって金吾と吠えた瞬間、最後の覚悟を固めたに違いなかった。
即ち、実質的な豊臣の名代としての石田治部、という彼の双肩にかかった重さを感じながら采配を振るうという覚悟。
対陣時に簡単に感情を露わにする大将を人は嗤う。が、三成のそれは既に嗤われるような軽さなど何処にもないのだろうと少しだけ安心した。往時の秀吉が振るった神の采配、とまではいかずとも、三成を慕っている石田隊の皆は雑兵に至るまで、大将の悲痛な叫びを全身で受け止めた筈だった。
 
そして、同じように怒った人が天満山を挟んだ向こうにいる。
義父上の恩義を何と心得るか、金吾め!まだ若々しい声でそう叫んだであろう彼は、その怒りが純粋だからこそ、故に三成のような悲痛な覚悟は定まらぬ。
豊臣の名代でも何でもなく、ただ故太閤に恩を受けた宇喜多として、小早川を、福島と井伊を、そして内府を睨みつけただけだ。
 
もういない吉継の声が聞こえる。宿願叶うって奴だろ。
宿願なんてそうそう分からへんけどな、それが。
 
こんなことになるのであればあの時続きを尋ねれば良かったと僅かに後悔した行長は、分からぬ筈の宿願の続きを語ろうとする己自身の裡からの声に少なからず驚いた。
 
宿願なんてそうそう分からへんけどな、それが俺の知っとる宇喜多の戦い方なんや。
 
目の前にあるのは相変わらずの負け戦。行長の勘は、そのすべてを持って敗北を伝えてくる。陣の動きが目立って慌ただしくなった。生き物としての本能は容赦なく逃げろと語りかけてくる。忌々しい真っ赤な旗印の向こうに見えるは、あの忠勝の陣容で、それがやけに大きく見えて――ほんと、逃げれば良いと思うやろ?井伊のおっちゃん、強えもんな。金吾も出張って来よるし。しかもご丁寧に忠勝まで来おったで。死んでもうた人の恩義なんか、関係あらへんやろ?
 
けどさ、これが宇喜多の戦って奴なんやて。勝機なんてもう何処捜してもなかろうが、どんなにあくどくて胸糞悪い策だろうが、目の前の敵にちゃんとつっかかれるのが宇喜多の戦なんや。
三成みたいに崇高な理想も悲壮な覚悟もないけどな。金吾許すまじ、宇喜多の家の再興の為、どんなに馬鹿馬鹿しい理由でも、大将がそうと決めたら、あーしゃーないわって笑うて言えるんが。
 
摂津守って言うけど、もうあの国、然して俺関係あらへんもん。小西行長って名前も、なんかしゅっとし過ぎててな、どうもこそばゆい言うかなんちゅーか。
あのおっかない殿に「宇喜多の為に死んでこい」って言われたら「はい、喜んで!」って答えられるくらい頭弱そうで、本当は気に入ってたんよ。だって魚屋弥九郎だったら、あーしゃーないわって言ってもちっともおかしくあらへん。直家様やったら死んでこいって寝転がりながらでも言いそうやけど、坊ちゃんには言えんだろうしな。
だから俺は行長のままなんや。
三成も吉継も「弥九郎」って呼んだけど、それは単なる呼称。あんな正確に本質をついた俺の本当の名を呼んだんは、直家様だけ。
 
 
 
じりじりと陣が押される時間は、長い。小早川の裏切りと福島・井伊両隊の奮闘に加え、まるで引導を渡すかのように忠勝が視界に現れたのは、時間にすれば僅かなものであろうが、行長にとっては永劫に続く地獄の責苦のように長く感じられた。
 
負け戦を自覚した時から、頭の機能はまるで動きを止めたようにそれだけを求めている。
「弥九郎よ、宇喜多の為に死んでこい」
あの悪人面でそう言って肩を叩いてくれる人が登場することだけを、行長は、待ち焦がれている。
 
 
 
何度目か、もうすっかり数えることは止めてしまったが、陣に駆け込んできた伝令を一瞥し、それが紛れもなく宇喜多からの――直家様、と行長は口に出しかけたが、最後の理性が唇の動きを遮った――秀家からのものであると気付いた行長は、うすら笑いを浮かべながら自ら彼に近付いた。
血の匂いがここまで漂ってきている。
それは既に混乱を通り越した己の精神状態が感じさせた幻かもしれないが、生臭い匂いの中で行長は初めて思った。
 
あの直家が残した、父とは似ても似つかぬ坊ちゃん。そんな事実は何処にもなかったが、彼の行く末を直家から頼まれたような気になって、いつでも自分は秀家を全力で見守っていた筈だったのに。
 
人間的には決して嫌いではない彼を、しかし自分はずっと蔑んでいたのだ。
 
彼は宇喜多の名を冠しながらも直家とは違う。怒りも喜びも至極簡単に他人に表し、人の本質は良いものだと思い込んで、謀略から離れたところで暮らす彼には決して言えまい。
「宇喜多の為に死んでくれ」と手を付き涙ながらに訴えることは出来ても、寝転がりながら、まるで家臣の命など取るに足らぬものだとでも言わんばかりに。秀家には恐らくそれだけは出来ない。
姑息な自己防衛など許さぬとせせら嗤うあの裡に、どれだけの信頼が込められているかなど、自分と直家以外の誰が分かっただろう。
 
主の為に死ぬことすら厭わぬ自分にとって、己の死がどれだけ主の心痛めるか、それを実感させる秀家のやり方は、裏切りに近い。
 
行長を認めた筈の伝令は、ひれ伏しただけで何も言わなかった。彼は唯の伝令ではなく、戦忍として駆り出された草の者だったのだろう。兜を脱ぎ、乱れた髪の中から小さく畳んだ紙を取り出すと、魔法のような鮮やかさでもってそれを押し開き行長の目の前に掲げた。行長も手ずから取る。
戦の最中、何と悠長な遣り取りだと鼻で笑いそうになりながらもそれを何とか制し、開いた書の中には、殴り書いても美しい秀家の文字が躍っていた。
此度の戦まこと遺憾なりし候えば。
 
手はそこで突如乱れ文面すら変わった。直後に登場した、退け、という文字に行長は刮目する。思わず背後の天満山を仰ぎ見た。まるで、秀家ではない誰かに命じられているような気がした。
退け、逃げ延びろ。
立ち竦んだ行長の足を動かしたのは、やはり秀家の文字だった。
私の為にも逃げて生きてくれ、弥九郎。
 
「秀家様」
 
その名を呼ぶのは初めてだった。八郎様という名はいつしか親しみを含んだ坊ちゃんという呼び名に変わり、やくろうやくろうと無邪気に付きまとっていた彼は長じて真面目腐って摂津と呼ぶことが多くなった。
朗らかさなど欠片も含まれない直家の陰気な声と、輝かしいものだけで構成されているかのような秀家の声が、被る。
 
あれは本当の主ではなかった。だからこそ主の為に初めて死んでも良いと思った自分は、魚屋弥九郎以外の何者でもなく、此度も主ではない主に命じられ無様に敵に背を向ける自分は、未だ、魚屋弥九郎以外の何者でもないのだ。
 
まるで決定権は行長にないのだと思わせる文面。だからこそ、悠長にも秀家はこれを書面で残したのだろう。秀家が三成に加担したから小西もそれに倣ったかのように思えるようなそれは、謀略など知らぬ筈の秀家が生まれて初めて企てたちっぽけな謀だったに違いない。
豊臣の恩顧故でもなく、三成の志に共感した訳でもない。ただ宇喜多と小西の腐れ縁によって西軍に身を置き、進退の自由すらなく、最後の最後に時勢の読めぬ宇喜多からやっと解放された痛ましい小大名を演じきれと。
 
ああ、秀家様は確かにあの直家様の血を受け継いでいなさる。行長は思う。
 
弥九郎であればそうするであろう、という限りない信頼。
宇喜多の為に死ねと言われれば、喜んで、と敵陣に飛び込んでいけたのに、宇喜多を貶めても生き延びろと彼は言うのだ。家臣の命も心の痛みも無視したそれは、まるで彼の人が口にする言葉のように、何と残酷で、何と甘美な命令なのだろう。
 
「潮時や」
 
行長は傍らの近習にそっと告げる。彼は黙って頷いただけだった。そこに主を生き延びさせることが出来るやもしれぬ、という安堵を感じ取り、行長は懸命にそれを無視しようとする。万感込めて無事を祈る家臣に重々しく一つ頷き、粛々と馬に跨ると、行長は自軍を一度だけ振り返った。
 
時間の問題とはいえ、小西隊はまだ踏み止まっている。
恐らくは、小西摂津守行長を落ちのびさせる為だけの奮闘だ。
 
行長は秀家からの書状を一瞬懐にしまいかけ、再びそれを開くと傍らの篝火にそうっと放った。怒号が身体を包む。宇喜多の前線がどっと崩れた音だ。行長は、その前線で奮闘している自分の姿を夢想する。槍働きは本当は苦手だ。具足にこびり付いた血は、もう誰のものなのか判別付かない。
 
随分鮮明なその想像は、ずっと自分が望んできた魚屋弥九郎の最期に違いなかった。
 
「自分の命なら何でも聞くと思うとるとこなんか、そっくりやな」
 
変わりに心の中だけで呟く。
秀家様。あんたが最後に俺の名前を間違えなかったことだけで、弥九郎には充分なんです。だからどうあっても俺は宇喜多を捨てない。
 
「殿、お早く!」
 
抜き身の刀を持った家臣が、行長の馬の尻を蹴った。その横では近習の何人かが、まるで祈りを捧げるように掌を胸に当てていた。もうすっかり考えることを止めてしまったまっさらな脳髄に叩きこむように、彼らの、自陣を走り回る数知れぬ者達の姿を一瞬だけ、凝視する。
 
「退くぞ」
 
しっかりした声でそう叫んだ行長の視線は、今正に潰走しようとする自軍ではなく、遥か向こう、天満山の南、木々の合間に立つ旗指物に注がれていた。しっかと根を張り風雨にも揺るがぬ大木、その中にあっても遜色なく天に向かって立つ、それ。
家紋、宇喜多の。それはかつてあの城で目にしたまっさらな旗ではないけれど。
 
かみさま。
 
行長は震える指で懐を抑える。中から零れ出るのは信仰の証。それに目を落とすことなく、行長はじっと眼前に翻る旗印を見守る。
 
かみさま。
 
天におわすでうす様か、この地に息づく八百万の神々か、それとも神になどなれぬ人間か。
一体何に祈ったのか、行長には分からなかった。でも思う。かみさま――。
 
宿願叶うって、奴だ。平らかな世を作る為に義を見せつけたいという三成の宿願、全てを投げ打ってもそれに答えたいという吉継の宿願、そして俺の――あるのだ、人生には本当にそんな瞬間が。全てが一瞬にして塵芥に帰し、なのにその一方で劇的に何かが叶う瞬間が。
全ての願いが収束していくという人知を超えた、いやきっと神すら知らぬ、事態が。
 
かみさま、俺達は戦なんて言って人を殺して、あんたの作った人を殺して、それでも。
 
風にはためく宇喜多の家紋が歪む。二箇所の銃痕を晒し、それでも旗は、まだ堂々と天に向かってそそり立っていた。
豊臣の行長、それに異論を唱えるほど落ちぶれてはいなかったが、何度自分は夢想しただろうか。采配を握ったまま敵軍を見据える直家。彼から下される突撃の命。人使いの荒い殿に援軍だ後詰だと振り回され、愚痴を零すであろう自分の傍らに立つ、あの旗。
その元で、死んでこいと言われれば異論もなく奮戦し、生き延びろと言われたから背を晒して逃げる。例えば、そんな取るに足らぬ人生。
 
 
 
かみさま――それでも、俺は、戦場にはためく宇喜多の旗を唯の一度でいい、見上げたかったんだ。宿願と言うのならば――願わくば、その傍らで。
 
 
 
 
 
あこがれのひと。なんて陳腐な響きなんだろう。
陳腐で可愛らしくて、自分にぴったりだ。いや、複雑で怖くて怖くて仕様がない、直家に、なんてぴったりなんだろう。
 
なのにあこがれのひとが二人に増えてしもうた。
直家はそれを知ったら容赦なく行長を蹴りつけ、秀家は行長にとっては馴染み深い、きょとんとした顔で笑みを返す筈だ。そっくりや、二人揃って自分の思惑にしか正直に生きられんとこなんか、特に。
 
もう幻でも何でもない、本物の血の匂いが充満している。背を向けていても分かる戦況に最早振り返ることなく、行長は思う。
血腥い栄光など、きっと神は存じますまい。だけどな。
 
天上の幸福、隣人への愛、それを超えた臭気漂うこの戦場で――例えば、天満山の向こうあたりに――至高の栄光は、きっとある。

 

 

別にキリスト教を糾弾するつもりは毛頭ありません。
ただ、天満山を見上げた時に、
小西が最後に見たものが彼が心底憧れた宇喜多の旗印だったらいいな、と思っただけです。
そーゆー主従関係もあると私は思ってます。
「小早川 加藤小西が世にあらば」と言いますが、何だかそれに対してはちょう複雑な気持ち!

関ヶ原記念に。みなさん、おつかれさまでした。
(10/09/15)