※政宗死後です。
信之兄ちゃんと鈴木忠重の話です。忠重さんは「右近」と呼ばせて頂きます。
幸村の子供達がちょびっと出てきます。

 

 

 

伊達政宗の訃報を聞いた時、父や弟の最期を思い出したのは不思議なことだった。
 
 
 
縁遠い、ということは本当にあるのだろうな、と薄々思ってはいたのだが。
 
九度山で患って死んだ父の最期も、壮絶なる戦で散った弟の最期も、自分は目にしていない。
そういえば、妻もそうだった。あの笑みの向こうにどれだけ苛烈な覚悟を飼っていたのか、最後の最後まで夫に悟らせることなく静かに息を引き取った妻は、それが彼女の矜持であり女の筋だとでも言うように、自分に一切の心配を掛けずに逝った。
家族仲も夫婦仲も決して悪くはなかったが、縁遠い、或いは縁が薄い性質を持つ人間がいるのは確かなことで、それが自分なのだろうと信之はこっそり自覚せざるを得ない。
 
無関心に、そうか、とだけ告げた自分を、右近は随分訝しげに見ていた。
 
無関心だったのではない。家族や慕う者達の最後に縁遠い性質を持っているという自覚は何の意味も持たないが、時に慰めにだけはなる。
例えばこんな時。
 
伊達政宗が死んだ、と聞かされた時。
 
 
 
 
 
自分は彼にとって「幸村の兄」以上の存在ではなかったのだろうと思う。
彼が野心家であるのは疑うことなどない事実であったし、野心を天下取りと言い換えられるのであれば、信州の小大名の子として生まれた自分に野心など欠片もなかったと言って良い。
 
父や弟を失いつつも忠義を捧げた徳川は、信之に様々な形で報いてくれた。しかしその裏にしつこく付き纏う疑惑がかつて存在していたのも確かなことだった。
最高権力者が疑うことを止めてしまえばそれは唯の愚者に他ならないのだが、それでも感じる違和感はこれだったのだと信之は改めて思う。確かに既に神になった権現様は世間に批判されるような難癖をつけ信之を困らせるほど馬鹿ではなかったし、父の影で愚直なまでに家に仕えた二代将軍も乱世の掟を知って尚、過去の上田攻めを根に持つような狭量な人物ではなかった。
 
ただ彼らは天に憧れなかった男がこの世の中に存在している、という事実を知らなかっただけなのだ。
例えばあの伊達政宗のように、誰しもが天に焦がれていると信じていた。
 
世に真の泰平が訪れた時、誰よりも深く安堵の息を吐いたのは、権現様でも大樹様でもなく、信州の片田舎の領主だったとは思いもしないのだ。
 
しかしそれは信之の自負でもある。
恐れ多いことではあるが、自分が然して拘わらなかった泰平の成立に最も喜んだのは己であったろうと、今でも信之は思っている。それは信之にとって特殊な感情でも何でもない、世が平穏に治むることを歓迎するは、領主の務めの一つだ。
 
 
 
おかしなことではあるが、それを最も理解していたのは、父でも弟でもなく、ましてや右近でもなく、政宗だったのだろうと思う。
 
野心に塗れたあの男は何が楽しいのか、今や戦犯扱いですらある弟の子らを保護し、どころか信之にも礼を欠かしたことはない。
かつては上杉の筆頭家老と水と油程に仲が悪かった、というのは天下の誰もが知る事実であるが、水と油というのであれば自分と政宗がそうではないかと思う。片や野心溢れる才気に満ちた男と、片や天の行方に関わることなく自分の家の切り盛りに困窮する男。
かと言ってあのように生きたかったなどとは微塵も思わぬ。
己の上に浮かぶ油のことなど、溜まった水にすれば、重さも、存在すらも意味をなさぬものなのだ。
 
お前は若いのに老成し過ぎている、とはかつて父から賜った説教であるが、既にもう人生の先が見え、焦りすら覚える現段階においても、信之の中には僅かな羨望も生まれない。
 
政宗にとって自分はただの「幸村の兄」であった、そのことはよくよく考えれば失礼極まりないことかもしれぬが、それが心地良かった。
 
昌幸譲りの軍略を(そんなもの私にあるかどうかも分からぬのに)講じてくれと言われることもなければ、幸村に良く似た武勇を(もしも仮に私に備わっていたとしても、それは発揮されないで消えていくのが正しいのではないか)褒めそやされることもなかった。
失意の内に亡くなった父を持つ子として、また弟を戦で失くした兄として、政宗は信之を扱った。
 
つまり彼は、信之の前で、昌幸の名も、幸村も、どころか真田という単語一つ用いたことはなかった。
それは政宗が信之のことを誰よりも「幸村の兄」だと思っていたからこそだったのだろう。彼の口から少なくとも信之に向かって「真田の軍略」「幸村の武勇」と言った無神経な言葉が語られることはなく――そういえば、幸村のことは、ただ一度だけ。
 
公儀には内々のこととして政宗の屋敷で甥や姪達に会った時に、彼は幸村のことを一言、語っただけだ。
 
 
 
伊達屋敷に呼ばれ人払いがなされた時に、政宗が自分を誰に引き合わせたいのか、信之は予感していた筈だった。
だが如何せん、場所は将軍様のお膝元、伊達の江戸屋敷である。人払いをしてあるとは言え誰の目があるか分からぬ所だ。
 
人目を憚る為、小姓や侍女を装った甥や姪達が座敷に入ってくることを想像していた信之は、少しだけ面喰った。
 
目の前に座っているのは元服したばかりの立派な若武者と、何処の姫君かと思わせるような娘達で、彼らの記憶にはもうないであろう叔父に手を付き挨拶を交わすのを、政宗は相好を崩して見ていた。
「伊豆守様に置かれましては」
どういう躾の賜物か、甥は信之のことを決して叔父とは呼ばなかった。
流れるような、だがしかし何処かたどたどしい挨拶の途中で、娘の一人が無作法にも横目で政宗を見遣った。
 
信之はふいに思い出す。
 
幼い頃、父の溺愛ぶりに顔を顰めた矢沢頼綱が、このままでは甘やかされ碌な人間にならぬと、自分と、まだ弁丸と呼ばれていた弟を引き取って武士の心得を叩き込んでくれた。信之には政と領主の心得を、弟には槍捌きと戦の駆け引きを。
父以上に父であった彼の元を離れ、改めて昌幸の目の前で手を付き、実の父をお館様と呼んだ時、自分は視界の端に頼綱の姿を探そうと目を泳がせたものだ。
自分が頼綱へ向けた信頼同様に、弟の子達は縁もゆかりもない六十二万石の殿様を父のように慕っている。
 
例えば、かつての信之にとって、上手くやったと褒めてくれるのは、あくまで昌幸ではなく頼綱であったように。
姪は、顔も知らぬ叔父上に頭を下げる自分を見て笑みを浮かべる政宗を見て、胸を撫で下ろしたのだろう。
 
 
 
彼らは、真田の誇りも、そもそも自分達の父が日ノ本一と称えられたことも知らないかのように見えた。
政宗は幸村の子らに、真田のことを知ることを禁止もせず、かと言って殊更声高に語り継ぐのでもなく、唯々慈しんで育てたのかもしれない。
 
そんな推測と(そしてそれは外れていないと思う)寂寞すら覚えても良い弟の子供達の態度に、信之は胸を撫で下ろした。
それは天下にようやっと泰平が訪れた時の気持ちに似ていた。
泰平は自分も含む天の総意であり、子らが真田のことも、父や叔父や祖父のことも然して省みることなく生きていくことは、幸村の真意に叶ったものだったと。もしやそれは幸村の真意ではなく、政宗の願いだったのやもしれぬ。
 
父親然とした政宗は、彼らが退室して行くとすぐ、酒の準備を命じた。
酒が来る僅かな時間、政宗は既に見えぬ彼らの後姿を追うかのように閉ざされた障子を暫く眺め、そうして言ったのだ。
 
「もう二度とは言わぬ。唯一度だけ」
 
政宗は赦しを乞うている、そう直感した信之は微かに俯いた。
 
「儂がそなたと交誼を持ったのは、そなたがそれに足る人物だったからじゃ。しかし豆州を見ておるとどうしても思う」
 
信之は垂れた頭を上げ、真正面から政宗を見詰める。知らず口元に浮かんだ笑みは、まるであの子の表情を真似ているようだった。
 
一度だけだと本人が言ったのだ。どれだけ我慢してきたか知らぬが、一度だけなら許してやろうと思った。
弟を戦で亡くした兄、という立場からすれば無神経とも言えるこの先の台詞を政宗が紡ぐのを、信之は待つ。
 
「幸村に会いたい。そなたは本当に、あれによう似ておる」
 
弟に似ていると言われたことはない。目鼻立ちは似ているという自覚はあるが、父からも家臣らからも、無論本人達もそれを口にしたことはなかった。
似ているというのは顔の造作だけを指して言うものではないのだろう。何とは無しにそう思い、これまで自覚などなかった事実を、まさか、と否定する気にはなれなかった。
 
多分この世で最も弟を愛した者から似ていると言われ、信之は自分でも驚いたことだったが――それに深い誇りと感謝を覚えずには居られなかった。
 
 
 
甥や姪達を、真田とは全く関係ない場所で、真田のことなど気にもさせずに生きさせる。
それは政宗ではなく、やはり幸村の願いだったのだろう。
 
彼らの父がどれだけの武功を立て、どれだけの戦をし、そして政宗にどれだけ愛されたか。
その事実を伝えることを政宗はあたかも血反吐を呑み込むように堪え続けたのだ。薄れていく世間の、そして自分の記憶に歯噛みしながらも、政宗はそれと戦おうとは決してしなかった。
 
幸村がそう望んだから。そして幸村の子達には当然のようにその権利があるから。
たったそれだけの理由で。
どうして幸村が彼のことを好きになったか、分かった気がした。水と油程に性質の違う彼に、弟に似ていると言われたことがどうしてこうも誇らしいのか。
 
決して混じり合わない、むしろ混じり合おうともしないものが頭上に存在している。
だから波風を立てずに自分は生きていけるのだと思うし、自分に似ているらしい幸村は暖かい油の下でそうやって生きていけたのだろう。
 
 
 
 
 
それ以来何度も政宗とは交流があったが、その彼が死んだらしい。
きっと彼はあれからも幸村のことは決して饒舌には語らず、口を閉ざしたままで逝ったのだろう。
 
誰かに聞いて欲しいという渇望にも似たそれを封印し続けること、その困難さは身に沁みて分かっている。
 
例えば父の無邪気過ぎる戦への情熱、弟の命を賭けた采配が如何に素晴らしかったか、その子達の無事を家康の養女であった妻がどれだけ祈ったか、そして至極平穏にあの政宗に育てられたであろう弟の子供達。
泰平が来たと実感した己が吐いた息がどれだけの安堵に包まれていたか、そう、それは父や弟のことなど全く関係なく。
 
「殿、泣いてしまっても良いんですよ?」
 
傍らの右近が心配そうに言う。
訃報を聞いて以来顔色一つ変えていないつもりだが、却ってそれが悪かったのか。この目敏い家臣は何もかもが分かっているらしい。
それでもここで全てを話せば、黙ったまま死んでいった彼らの顔に泥を塗ることになる。
信之はそう考えて、苦笑を一つ浮かべようとする。その苦笑に、右近も全く同じ顔で返すから、信之は二の句が継げない。
 
「私は、泣ける立場ではないよ、だけど」
 
それでも、もしも赦されるなら。
いつぞやの政宗によく似た謝罪に、右近が小さく俯いたのが分かった。
 
「――もう二度とは言わぬ。一度だけ、右近、聞いてくれるか」
「私も二度と殿のそんな言葉など聞きませぬから」
 
「…寂しいな。私は、酷く――寂しいよ、右近」
 
振り絞った筈の言葉は随分乾いたもので、何の感慨も持たせないまま、無機質な部屋の壁に静かに消えていった。咽喉の閊えを吐き出したら、随分年をとったような気がした。
信之の生涯たった一度の愚痴を聞いた筈の右近は何も答えなかった。
 
因果は断ち切らねばならぬ。
ふいに感じたそれは、まるで世は泰平をもって治るべきである、というのと同じくらいの重みがあった。
 
もう二度とは言わぬ。
語られることで続いてしまう因果があるのであれば、この先は沈黙を守り切ることが最も賢明なことのように思えた。彼の御仁もそう思って口を閉ざしたに違いない。
武勇を戦勝を、或いは矜持を声高に叫ぶことで、どうしようもない業も受け継がれてしまうのなら、そんなもの端から話さぬに越したことはないのだ。
 
それでも――主の心の叫びを耳にしたにも拘わらず、顔色一つ変えずに粛々と座っている右近を見ながら信之は思う――それでも。
 
 
 
固く唇を噛み締めても零れてしまう人生でたった一度の悔恨を、こうして右近が受け止めてくれたように、政宗が最期を迎えたその脇にも、右近のような股肱の臣がいたら良い、と、どうしようもないことを今更ながらに信之は思わざるを得ない。

 

 

まさかのお兄ちゃんネタ。が、ずっと書きたかったお兄ちゃん!
だからこそ、お兄ちゃん家の蔵を明治になって開けたら三成からの書状がざくざく出てきて、
みんなびっくらこいた、という妄想。
歴史的資料を彼は残しましたけど、中に何が入っているか誰も全く知らなかったらいいなって。
そして、信之兄ちゃんにとっては一度だけでも弱音を吐ける相手だった右近は、わざわざ御公儀に申し出て殉死させて貰ったんじゃないか、という妄想。
彼はお兄ちゃんの万感をきちんと抱いたそのままに、だったのです。だったらいいなという妄想だらけ。

お兄ちゃんと兼続は、私の中で真逆の格好良さなんです。兼続だって格好いいんです…www
(10/10/07)