女の子っつーのは結構大変なのだ。お館様はあたしのことを「成田の倅」と呼んだけど、そうやって呼んだのはお館様だけだった。
つまり、女の子のあたしをそうやってからかえたのは、お館様だけだった。
 
男勝りだと囁かれる陰口には拳で返したし、あれでは嫁の貰い手が、なんてゆう余計なお節介にも…やっぱりあたしは拳で返した。いや、別に拳で返すのが趣味って訳じゃないし、それしか方法を知らないって訳でもない、本当だってば。
逆に、ごく稀に、かねてよりお噂はうんちゃらかんちゃらな甲斐殿がこのような美しい姫だったとは、とか真顔で言ってくる男もいる(どんな噂よ!)。さすがにそれには拳で返さないけど、どうしたって顔は強張る。
 
だってそうでしょう?
 
男勝りって言葉は男には使わない。
結局のとこ、あたしは嫁入り先を心配されてるけど、女には違いないってこと。だけど、自分への賞賛をにっこり笑って余裕たっぷりに受け取れられるような女ではないってこと。
「ま、あたしより頼れる男がいないってのも事実なんですけど」
お館様にそう言いながら、あたしは何処かで釈然としない。
 
本当はあたしだってちやほやされて守られたい。けど戦の度に先陣を切る自分のことを、少しかっこいいなんて思ってる。乱暴さをネタにされれば、自虐ぎりぎりの返事をして、一応怒ってみせる。
けど、多分誰も知らないんだ。あたしが少しだけ傷ついてる一方で、実はそんな風に振る舞うのも潔いかもしれないと自画自賛してることは。
 
 
 
 
 
だから、目の前の馬鹿が口に出した言葉にあたしは声を失った。頭に血が上るのが、やけにはっきり分かった。
後方を守っていろ、と言ったのだ、この馬鹿は。
大坂城を取り囲む徳川の軍勢を前にして、出来る限り前に出るなと、敵と切り結ぶなと、あたしに、まるで、当然のような顔で。
 
「あたしが女だから?だから後ろにいろなんて言うの?馬鹿にしてるの?っていうか、あんた馬鹿?」
 
少し声は裏返ったけど、取り乱してるって感じは必死で抑えた。
そんなこと言われたことなかったのよ。誰も言ってくれなかったじゃない。
 
「はあ?馬鹿はてめーの方だし」
 
戦は怖い。諍いは嫌い。本当は一番後ろで震えていたい。
けど、こんな時に震えるどころかびくともしない自分の膝が、指が、声が、あたしは潔いと思う。他の誰も褒めてくれないから、せめて自分で自分のことをそう思う。あたし、頑張ってるじゃない。
 
「弱い女を守るんだったら普通の男で充分だろーが。んでもって、てめーはどう考えても大人しく守られてるようなか弱い女じゃない訳だ」
「知ってるわ。だから前に出て戦おうってんじゃない。もう出るわよ」
 
踵を返したあたしの腕を、馬鹿が掴んだ。おっきな手だった。
 
「てめーは奈阿姫を守れって言ってんだっつの」
 
奈阿姫。
秀頼様の御息女だけど、あたしにすんごい懐いてくれた。
ぎゅってすれば楽しげな声を上げるあの娘は、まだまだ子供で、守らなきゃいけなくて、あたしには守らなきゃいけないものばっかり増えて――そしてあたしのことは誰も。
 
「いいか?強い女は、他の女子供を守る為にガチで戦う。んでもって最強の男は、そんな強い女とついでに大坂城を守る為にガチで戦うってことだ」
 
あたしは恐る恐る尋ねる。徐々に指の力が抜けて、生まれて初めてあたしの膝は少しだけ、震えた。
 
「誰よ、最強の男って」
「俺」
「…は?」
 
今度こそ、あたしが発した声は裏返った。綺麗に。
これが動揺してる人の声の見本です、そんな感じに。
 
「だから、俺。漢・福島正則。俺、俺より強い男の中の男、見たことねえもん。よって最強は俺!」
 
果ての見えない敵の軍勢はまるで雲霞のよう。
どんな大軍が相手の時だって、あたしはいつも敵に一番近い場所に立っていたのに、あたしと敵の間にこの馬鹿は立とうとしてる。耐えられなくて、ついにあたしは自分で自分の肩を抱いて座り込む。上から、間の抜けた声がした。
 
「どうした?何か悪いもんでも食ったのか?」
「守るって何よ。勝手なこと言わないでよ」
 
誰からも守られないのは嫌だった。
でももっと嫌だったことがあったの。誰かの背中を見送るくらいなら、あたしは先頭にいたかった。誰かを一歩でも前に出すこと、それがどういうことか、あたしだって分かってる。
 
「守るものの為にあんたがいなくなったら、意味なんてないのよ?」
「なんだそれ。いなくならねーし。意味とか、わかんねーし」
 
きっと、この人、本当に馬鹿なんだ。奈阿姫を抱えたあたしが、ずっと自分の無事を祈りながらその背中を見守り続けてるって本気で信じられるんだ。あたしのとこにきちんと戻ってくるって、何の疑問もなくそう思ってるんだ。こいつの脳内のあたしは、呑気で無邪気な笑顔でも浮かべてるに違いない。あーなんて馬鹿馬鹿しいのかしら!そしてあたしはなんでそれを馬鹿みたいだと笑い飛ばせないのかしら!
 
でも、だって、きっと、もしかしたら、それはこれまでのあたしに足らなかったもの。
守られる者が取るべき正しいやり方、守ってくれる人を信じるってゆう最低限の作法。
 
あたしは息を吸い込む。何処かで覚えのある感覚。
初陣の時、あたしは、確かにこんな風に息を吐いた。無理すんなってお館様が言ってた。
大丈夫、今までしてきたいっぱいの無理に比べれば、こんなの無理なんかじゃないって思うから。
 
「本当に勝つ気なのね」
 
背中に向かって問い掛けたけど、返事はなかった。そんなもの、最初からいらなかったけど。代わりに背後から声がかかる。
 
「正則は、あいつと同じで心の底から馬鹿なんだ」
 
あいつっていうのが誰のことかさっぱり分からなかったけど、馬鹿の後ろを追うように歩きながら、清正だかって人は随分嬉しそうにそう言った。
 
 
 
あたしは奈阿姫を守るべく、天守に戻る。探すまでもなく奈阿姫はあたしに駆け寄ってきてくれた。
 
「まさのりは?」
「あそこ。見える?」
 
あたしは奈阿姫を抱き上げて、馬鹿の旗印の場所を指差してあげる。
ちょっとだけ旗印が前に出たような気がした。勝つ気どころか、勝つ気満々じゃないって思った。
奈阿姫が無邪気な笑い声を上げる。
 
「まさのりは、かいをまもるのよ」
「あの馬鹿は、あたしだけじゃなくて、皆を守ってるのよ」
「ちがうよ。まさのりがいったもん。まさのりは、かいをまもるの。そしてかいは、なあをまもってくれるのよ」
「…うん」
「なあは、ちちうえをおまもりするの。ちちうえは、ははうえをまもるんだって」
 
誰かの背中に隠れたままの戦はこれが初めてだから、あたしは震えが止まらない。真白になったあたしの指先を、奈阿姫がそっと握る。大丈夫よ、あたしは笑う。
奈阿姫には強いあたしがついてて、あたしには最強の男がついてるんだから。
 
きょとんとしたまま、でも頷く彼女の掌はちっちゃくて、とても温かくて、それが無垢な癖に力強い誰かの掌を連想させるから、あたしはなかなか奈阿姫の指を離すことが出来ない。

 

 

正則の章で、甲斐姫が敵に突っ込んでいかない理由。
男が女を守るなんて身勝手な男の理屈だと思いますが、
難しい理屈なんて歯牙にもかけない正則が言ったら説得力ある。
落城寸前の大坂城から奈阿姫を抱えて逃げるのがその後の甲斐ちんです。
でもこれは私の勝手な妄想なので、今日ばかりは
正則は勝って甲斐のところにちゃんと戻ってきたって言いたい。
(11/04/01)