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こんだけ可愛い子が公園のベンチで物憂げに座っているのよ、誰か話しかけに来ても良いじゃない。
そう思ったけどあたしの思惑に反して昼下がりの公園には誰もいなかった。あああああたしは馬鹿か。
昨日、彼氏に振られた。
何でも他に女が出来たそうだ。
分かってる?あと一週間で夏休みだったのよ?!この大事な時期に!
そう言って一、二発くらい殴ってやろうと思ったけど出来なかった。いくらあたしだって電話越しの相手を殴るなんて芸当、出来ない。
別れる理由も理由なら、それを電話で伝えた男の馬鹿さ加減にも腹が立つ。へぇ、とだけ言って力任せに携帯を切った自分も、むかつく。あの時会って話したいとでも言ったならその後で殴るチャンスくらい作れたのに。
いや、どうしても殴りたいんじゃないけどね。
傷心のまま学校をさぼってぶらぶら歩いていたら公園にぶちあたったのだ。学校で食べる筈だったお弁当を取り出してベンチでむさぼり食べて、あー失恋してもご飯って何て美味しいんだろうって思って、お腹が膨れた瞬間、あたしは自分の間違いに気がついた。
今日は思いっきり遊んでやる!豪遊よ!ナンパされても断らない、絶対!
そう思ってたのにさ。遊ぶって決意を固めてたのに、何故こんなところに。
あたしは砂場で山を作ったり(それなら勿論トンネルも掘るわよ!)滑り台でも駆け上がったりする気か。こんなところに失恋を忘れさせてくれるいい男なんて落ちてる訳ないじゃない。
けどいっぱいになったお腹と木陰をさらさらと通って行く風が気持ち良くて動く気になれなかったから、あたしはそっと目を閉じた。
あーむかつく。他の女って誰よ。何であたしの方が捨てられないといけないのよ。
一番むかつくのはあんな男に一瞬でも惚れたあたしだ。彼氏出来ちゃったーなんてくのいちに浮かれて話した自分の首を絞めてやりたい。むかつく、というか恥ずかしい。
「こんにちは!」
「んあ?」
どうやらあたしは怒りながら寝ていたらしい。急に声を掛けられてあたしはうっすらと目を開けた。
まだ覚醒しきれないあたしに再び声がかかる。
「こんにちは!」
「…うん、こんにちは」
声をかけてきたのはいい男でも何でもない、唯の子供だった。空気の抜けかけたゴムのボールを両手で抱え、肩から小さな鞄を下げている。鞄の底は土で汚れていたけど、なかなか可愛い子だと思う。
ところどころ跳ねた黒い髪と同じ色の眸を輝かせて、その子は叫んだ。
「よだれがでております!」
「わ、分かってるわよ!わざと!そう、わざと垂らしてるの!」
「よだれ!よだれ!」
糞、これだからガキはむかつくのよ!鬼の首でもとったようにはしゃぐ子供を睨みながら、あたしは口の端を拭った。
きっと大口開けて寝ていたに違いない。
乙女としては少し失格だと思うけど、昨日失恋した子が心の傷を抱えながら、涎を出して昼寝して何が悪いのよ。
「よだれよだれ言うな!もう拭いたわよ!」
「おなか、すいているのですか?」
「何でそんな話になるの?」
「よだれをだしておりました」
「…いえ、空いてませんけど…ってか、あんた、涎の話しつこいわよ」
「べんまるは、たべものをもっております」
男の子は足元に大事そうにボールを置くと、ぎこちない仕草で鞄を開けた。
途端に鞄の中から何かが飛び出し、あたしは悲鳴を上げて飛び退ろうとした結果、ベンチの背もたれにこれでもかっていうくらい背中をぶつける。
「ちょ、痛!いやそれより、何?!あれ、何よ!」
「あ!かえる!べんまるのかえるが!」
「はあ?!蛙?!あんた、そんなもの剥き出しで鞄に入れてたの?!」
「さっきつかまえたのです!」
信じられない。
あんな気持ち悪いものをわざわざ捕まえることも、鞄にそのまま突っ込んでのうのうとしていたことも信じられない。
男の子は逃げ出した蛙を追って走って行った。
そのまま蛙も男の子も何処かに行ってくれないかなーと思ったのだけど、蛙は首尾よく逃げ切ったらしくて、男の子はしゅんとしたまま此方に戻ってきた。別に戻ってこなくていいんだけど、手ぶらで良かった。蛙を目の前に差し出されでもしたら、今度はあたしが逃げ出していたところだ。
「にげられてしまいました。うかつでした」
「今度からは虫かごにでも入れときなさいよ」
「はい…」
そう言いながらも男の子は鞄の中を漁っている。これ以上変なものが出てきたら嫌だなあと警戒したあたしに、彼は飴玉を差し出した。
「はい。べんまるのおやつ、いっこあげます」
「あー、うん、ありがとう。でもいいの」
蛙と一緒に入っていた飴なんて舐めたくないのよ、分かって!と心の中で念じているのに、男の子は――どうやら「べんまる」というらしい――はいどうぞ、と人懐っこい笑みを絶やさない。蛙のことをなるべく考えないようにしながら、あたしは指先で飴を摘み上げ、ゆっくりと包みを開ける。
「はい、口開けてー。ほら、早く!」
せっつかれて、つい、あーんと開けてしまったべんまるの口に、あたしは飴を放り込んだ。
ごめんね、お姉ちゃんやっぱり食べたくないの。だってほら、蛙は…ねえ?
「飴を食べたら遊んできなよ」
「いらなかったですか?」
「うーんとね、お腹いっぱいなのよね」
「それはなによりです」
べんまるは真面目腐った顔でそんな風に言った。
こういう言葉ってテレビとかで覚えるんだろうか。意味、分からなくて使ってるのよね。けど決して間違ってない。すごいわ、とどうでもいいことに感心する。
もう一度、遊んでおいでよ、と念を押して手まで振ったのだけど、べんまるはむぐむぐと口を動かしたまま目の前から動こうとしない。
「何?あたしに何か用事?」
「ええと、そこは、べんまるのばしょです」
ああ、そうか。きっとべんまるは毎日このベンチで遊んでいるから今日もここで遊びたいんだろう。咄嗟にそう思ったあたしは辺りを見回す。
公園だからベンチは腐るほどあるけれど、日陰になっているベンチはここだけだった。木陰の外はうんざりするほどの炎天下だから、あたしはベンチの隅っこに座り直す。
「ねえ、ベンチ、半分こでいい?」
べんまるは少し難しい顔をしていたけど、小さく頷いてくれた。なかなかいい子だな、とあたしは思う。
ベンチの背凭れにでも登って遊ぶのかと思っていたけど、違ったみたいで、べんまるはベンチの上に鞄の中のものを一つずつ出して並べ始めた。
しおれかけ、根っこには土まで付いている雑草や、ペットボトルのキャップ、何処から引っこ抜いてきたんだか、本体から切り離された電源コードは絡まっていて、後は石。石、石、石、石ばっかり。
思わずあたしは覗きこんで尋ねる。
「石、集めてるの?」
「きょうはいしをひろいにきたのです」
「ふうん」
「みはっててくれますか?」
まるでお店屋さんごっこのように並べられた彼だけの宝物とあたしを見比べて、弁丸は走り出した。公園の中をあちこち回って石を拾っている。幾つか集まるとベンチに戻ってきて、真剣な顔で選別作業に入る。
「このまるみはすばらしいです。このまるみも、すばらしいです。こっちのまるみは、ふつう」
掌よりもちょっと小さな石を太陽にかざしながらそんな一人ごとを繰り返す。
本人真剣なのだろうから笑っちゃいけないとは思うけど、ボキャブラリーの貧困過ぎる彼が、丸み、なんて言葉を何度も使うのが面白くて、あたしはちょっとだけ笑った。
「ねえ、石ばっかり鞄に入れたら重くなっちゃわない?」
「べんまるのかばんにはいれるのは、よいいしだけです」
「これは?」
「よいいしです!」
「じゃ、こっちは?」
あたしは弁丸の足元に打ち捨てられた石の群れを指差す。
「それはいらないやつ!」
ふうん、とあたしは捨てられた石をいっこ、摘み上げた。
要らない奴、なんて言わないでよ。
勝手に拾ってきて勝手に選別して、やっぱり要りませんでしたって捨てるなんて。
「可哀想じゃない」
べんまるは、きょとんとした眼を此方に向けて、当たり前のように言った。
「いらないものはだいじにできませぬ」
そうよね。大事になんて、出来ないよね。この子は何て正しいことを言うんだろう。
でもさ、大事に出来ないって言われた方は、どうしたらいいのよ。
「あたしさー、結局捨てられたんだよね」
こんなちっちゃな子供に何が分かるとは思えないのだけど、あたしは思わず繰り返す。捨てられたんだよね。
「では、いろいろなところにいけますな!」
「行けないのよ、だって石は」
…自分じゃ動けないじゃない。
「べんまるは、ちゃんともとのところにもどします!それが、ぎ、なんだそうです!」
変なことをいう子供だと思ったけど、あたしは無視して続ける。ひとりごとのように。ひとりごとを誰かに聞かれるのは、悪くない。
「あたしは何処に戻ったらいいのかなあ?」
「おうちです」
そういう話じゃなくて。
けどべんまるは正解を導いてやったとでも言うように、鞄の中の石と選ばれた石をごちゃまぜにして数え出す。
「ごー、ろく。きゅう!」
「七と八が抜けたわよ」
「べんまるはさんじゅうまでかぞえられます!」
「へーえらいじゃん」
「べんまるのおうちには、はっこ、いしがあります」
「すごいすごい」
正直その数は怪しいと思ったのだけど、あたしは大袈裟に驚いてあげた。
「きょうのいしは…」
「七個ね」
「ぜんぶで、あわせて」
「十五」
おお!と感嘆の声と共にべんまるがあたしを見上げる。
数学は苦手だけど算数だったら出来るのよ。
虚勢を張ろうとしたけど、出てきたのは全然違う言葉だった。十五個もある彼の宝物。
「なのにあたしは、何回好きになったら気が済むんだろ」
「かぞえられないですか?さんじゅうより、おおい?」
「少ない」
「なら、かぞえられます!」
「数えられないのよ」
あたしは指で顔を覆う。どうやっても涙は出て来ないから、泣く代わりに考える。
今まで好きになった人の数。
はじめて誰かを好きになったのはいつだっけ。二回振られて、一回はあたしから別れを告げた。
「おなか、すきました?」
あたしはそれに小さく首を振る。小学生の時に好きだった男の子の名前は、正確に思い出せない。中学の時に憧れてた先輩は、卒業しちゃってから一度も会ってない。正直に言うと、たった今その事実を思い出したくらい。
「だいじょうぶ。べんまるのいしは、かぞえられますよ?」
「あんた、さっき、数え間違えてたじゃん」
「ゆっくりやれば、わかります!」
「じゃ数えてみなよ」
「じゅうごです!」
べんまるは数えもせずにそう声を上げた。
「あたしが数えてあげたんでしょ?!」
「でも、いちどかぞえたら、もうわすれませぬ!」
「忘れるのよ、絶対!石の数だって忘れちゃうの!好きな人がこれまで何人いたのかなんてこと!」
「そっちのほうが、かんたんです」
急に怒鳴り出したあたしに吃驚はしたものの、怯むことなくべんまるは、石をこっちに差し出しながら言った。さっき蛙入りの鞄の中から取り出した石だ。
「べんまるには、みっつ」
「三つ?」
「ちちうえと、あにうえと、ぼんてんまるどので、みっつ。あの、これ、あげます」
あたしは、べんまるに押しつけられた白くてすべすべの石を思わず握りしめる。親とか兄弟とかの話じゃないの。
けど何故だかそう反論できなかった。
「いっしょうけんめいかぞえれば、わかります」
他に女が出来たなんて理由であたしを捨てた男はむかつく。そんな男に浮かれた自分もむかつくし、そもそも好きになったことがむかつく。
でも一番むかつくのは、しょーがないや、って思っちゃったこと。
電話を叩き切る瞬間、確かにあたしは、思ってしまった。まあ、しょーがない。どっかでちょっとだけこうなるのが分かってた気がするの、もうダメかも。
だからもう、しょーがないか、って。
「もういっこ、ほしいですか?」
今度は黒くて真ん丸な石を差し出しながらべんまるがそう言うから、あたしは笑いながらちょっとだけ泣く。
「よだれとか、なみだとか、たいへんですね」
「………大変なのよ」
あんただってそうでしょう、とばかりにあたしは泣きながらべんまるのぷにぷにした頬を軽く引っ張ってやった。
「ねえ、これ、返すわ」
あたしはちっちゃな手を取って、石を握らせながらそう言う。べんまるは戻ってきた石の感触を確かめるように、掌を開いたり閉じたりしていた。
いらないですか?と、ほっとしたように見上げてくるべんまるの頭をあたしは撫でる。
「欲しい。でも他のいい石と一緒にしといてあげなよ」
「はい!」
「ごめんね?」
「はい」
あたしの謝罪の意味も分からずべんまるは頷く。いい子だな、と思う。
「あんたはきっと忘れないよ」
遊び足りないのは事実だけど、もう今日は家に帰ろうと思った。
夕ご飯を食べてゆっくりお風呂に入ったら、一生懸命考えてみるの。昔のあたしが大事にしてた人の数。要らないものは大事に出来ないから、今となっては大事じゃなくなっちゃった、けど多分好きだった人の数。
あたしだって三十くらい、軽く数えられんだから。
それが済んだら、くのいちを誘って遊びに行こう。
格好良い人を見るときゃあってなっちゃう惚れっぽい(一応、自覚はあるのよ)あたしの指は、それでもきっと誰かを思い出しながら丁寧に折り曲げられていくに違いないと思うから。
「べんまるは、さあ」
親戚でも兄弟でもない子供の名前を呼ぶなんて滅多にないことだから、ちょっと緊張した。
「多分忘れないよ。石の数も好きな人の数も」
「はい!」
「お父さんもお兄ちゃんも、その…なんだっけ、ぼん何とかって奴のことも」
何の気なしに言った言葉だったのに、べんまるは零れそうなほど目を見開きこっちを見た後、耳まで真っ赤にして俯きながら、ぼんてんまるどのです、と小さな、小さな声で囁いた。
ひとりべんまるまつりをしようと思った名残のネタ。だから弁丸なのです。
頑なに一途ではないけど案外真面目で、地に足をつけたまま夢も見れる甲斐ちんは
誰より幸せになって欲しいし、幸せになるべきだと信じて疑わない。
(11/06/15)