ゴールデンウィークもとっくに過ぎ、かと言って夏まではまだまだ遠く。
「あー暇じゃのう」
先程までさして面白くもなさそうにゲーム画面を眺めていた政宗が、コントローラーを放り出すとこれ見よがしに呟いた。
「そうですね」
全身から構えオーラを発しているというのに。己の愛しい恋人は漫画から目も上げず生返事を寄越す。
「のう、幸村。儂は暇じゃ」
「………」
既に返事もない。
「…それ、もうすぐ主人公が死ぬぞ」
「ま、まことですか?!」
「嘘じゃ」
驚いて顔を上げた幸村に、やっとこっちを見てくれたと言わんばかりに飛びつく政宗。そのようにされては流石の幸村も再び漫画に目を落とす訳にもいかぬ。
冗談めかした深い溜め息を一つ吐いてみせると、幸村は尚も纏わり付こうとする政宗を無理矢理引っぺがした。
「漫画はもう仕舞いましたよ。これで良いですか、政宗どの」
「…お主、そういう言い方は可愛げがないぞ。まあよい。何かするぞ、幸村」
勢い良く立ち上がりかけた政宗だが
「何かって何ですか?」
尤もな幸村の疑問にあっさり座り込む。
「うむ、出掛けたり、とかか?」
「先程コンビニに行ったではないですか。何か欲しいものでも?」
「いや、そういうことではなくてな。儂はこう、街中をぶらぶらしたり茶でも飲んだり…そう、そういうのがしたいのじゃ!
 世間一般の恋人がするような外出じゃ!間違ってもコンビニでガリガリ君を三本も買うとかじゃなくてだな!」
確かに三本は買い過ぎだったと思う(だから一本は政宗に分けてあげた)。しかしそう言われても幸村にはピンと来ない。
学校帰りに本屋に立ち寄ったり買い食いしたり、そんなこと毎日やっているではないか。
「ええと、では何処かに出掛けましょうか?」
自然、幸村の台詞も少々投げやりになるというもの。
「違うわ!いいか?待ち合わせじゃ!こういう場合は待ち合わせをするものと相場が決まっておるものだ!」
待ち合わせ!と馬鹿の一つ覚えのように叫び出した政宗を、今度は冗談ではなく本気の溜め息交じりに見遣った幸村は、何だか面倒なことになったなあと言わんばかりに再び漫画に目を落としたのだった。


「聞いておるのか、幸村!待ち合わせは明日の十一時。駅前だぞ!忘れるなよ!」
昨日は結局幸村が自宅に帰るまで(いや、帰ってからも一度メールが来た)そのようなことを繰り返していた政宗である。
あそこまで言われれば遅刻などする訳にもいかぬ、と律儀に目覚ましをセットして就寝した幸村だったが。
「…まだ早いではないか」
何だかふと目が覚めて時計を見れば午前六時。折角の休日だ、もう一眠り、そう思って布団を被ってみても何だか目が冴えて眠れない。
いやいや、きっとこれは昨日散々念を押されたからで、遅れてはいけないと変なプレッシャーを感じているのだ。確かに待ち合わせなんて碌にしたことはないけれど、二人で外出だったらざらにあることではないか。
別に楽しみで早く目が覚めてしまった訳ではなくて!
布団の中でそんな言い訳を誰にするともなくぶつぶつ言っていた幸村だったが、三十分後むくりと身体を起こした。
もう完全に、目は覚めてしまった。
シャワーでも浴びようかと洗面所に向かったところで、だからシャワーを浴びるのには他意などなく、早く起きてしまって時間を持て余しているからで!と頭を抱えてうずくまる。
偶々用事で早起きをした兄・信幸が幸村の奇行を見て、彼女でも出来たかな?もうそんな年齢なんだなと弟の成長を微笑ましく思っていたことは、勿論幸村には知る術もない。


あの後、シャワーを浴び、部屋の掃除をし宿題を終わらせ、更に庭に水まで撒いたところで、やっと出発予定時刻が訪れた。
とはいえ駅まではバスで凡そ三十分。十一時の待ち合わせに十時に家を出ようとする幸村は、どう考えても落ち着かなさ過ぎである。
幸村の家からバス停までは丁度政宗の家の前を通らねばならぬ。これなら何も駅で待ち合わせしなくても、とついつい伊達家の門を覗いてしまう。
外から窺うだけでは人の気配なぞ分からず、もしかしてこのまま待っていたら政宗と会えるのではと期待する幸村だったが、それは不味いと慌てて足早に立ち去った後で気付いた。
ええと別に今お会いしても問題なのですが、あれ程政宗どのが待ち合わせがしたいと仰っていたのですから!
そろそろ自分が如何に浮かれているか自覚したらどうだと各方面から突っ込まれそうな幸村を乗せて、休日の空いたバスは駅に到着したのだった。


三十分以上前に待ち合わせ場所に着いたにも拘らず、既にそこに待ち人の姿を認め、幸村は面食らった。
政宗は、まさかそんな早く幸村が到着するとは思っていなかったのだろう。辺りを見渡すわけでもなく、手元の本に集中しているようだ。目の前まで歩いてきた幸村にも気付かず、仕方なく幸村は遠慮がちに声を掛けた。
「…あの、政宗どの」
「な!幸村、早くないか?」
「早いのは政宗どのではないですか」
何とも奇妙な待ち合わせ風景である。
「…いや、バス停で鉢合わせたら何だか間抜けだと思うてな」
聞けば幸村の丁度一本早いバスで到着したというのだ。待ち合わせ時刻の一時間近く前には到着していたという計算になる。
もう少し早く家を出なくて良かった、と我知らず胸を撫で下ろす幸村。
「で、どうする?何か腹に入れるか?それにはまだ早いか」
「ええと、今日はいつもより朝食が早かったので小腹が空きました」
これでは幸村の朝の行動が政宗に筒抜けも同然なのであるが、政宗は珍しくそれには何も突っ込まなかった。
儂も早かったからな、などと小声で呟くと、二人は連れ立って歩き出す。


結局、その後はいつもの二人と何一つ変わらなかった。
つまり安いファーストフード店でたらふく食い、本屋を覗き、買うつもりもないのに店々を物色したところで政宗がやっと気付いた。
「これでは…いつもと変わらぬではないか」
「あ、でも今日は休日ですので、少し人出も多いですね」
「そういうことを言うておるのではないわ!」
見当外れの幸村のフォローに声を荒げかけた政宗だったが
「それにわざわざ待ち合わせもしましたし」
僅かに目を逸らしながらそう囁く幸村を見て、先程までのくすぐったいような面映いような感覚を思い出したらしい。
うむだの、そうじゃのうだの、もごもご言うと再び幸村の数歩前を歩き出した。いつもいつもこのパターンで誤魔化されている政宗である(幸村に誤魔化すつもりはないのだが)。
と、突然政宗が足を止めた。
「そうじゃ、あそこに登ってみぬか?」
指差した先はこの駅前に最近出来た、地上五十階近い建物だった。
中にはショッピングモールからホテル、結婚式場とよりどりみどりだったが、最上階には展望台があるらしい。らしい、というのは二人が行ったことがないからであり、それどころか政宗に至ってはこんな場所にそのようなものを建てるなぞ金の無駄とまで思っていたのであるが。
「はあ。別にいいですけど何でまた」
「話のタネじゃ。実は儂も今思い付いただけで取り立てて行きたいと言う程ではないが」
人を誘っておいてそう抜け抜けと言い放つ政宗に苦笑いしながら幸村は政宗の後を追う。


「予想はしておったが、まあこんなものか」
政宗のその言葉は、何の味気もない展望台に向けられたものか、それとも眼前の景色か、あるいは目ぼしい物など何一つない土産物屋の品揃えに対してだったのか。
それは分からなかったが、余り大声でそういうことを言うものではないと判断した幸村が政宗を諫める。
「そのようなことわざわざ言わずとも良いではないですか」
「ここに登るのに五百円も払ったのだぞ。そのくらいは言わせろ」
政宗は決してけちではないが、何故かこういうことには厳しい。
「まあ金を払って高いところまで来て景色を見るなぞ、浮かれたカップル共のすることだから良いがな」
今度は矛先が自分達以外の客に向いた。
「ま、政宗どの!」
「儂らのことだ」
「は?」
「だからそんな浮かれ者は儂らだと言うておるのじゃ」
それは。大変分かり難いが、政宗が浮かれているということだろうか。
そう首を傾げる幸村を、政宗は土産物屋の中に引き摺っていく。
「そうじゃ、浮かれついでに何か土産でも買うか?この妙なキャラクターのストラップはどうじゃ」
政宗が差し出した手には、お世辞にも可愛いとは言えぬ、どころか正体もモチーフも分からない生き物のストラップが乗せられている。
「そんなものいらないですよ」
うっかり幸村の本音も洩れるというものだ。
「まあそう言うな。それともあそこの饅頭が良いか?」
「わざわざこんなところまで登ってお饅頭を買われる方がいらっしゃるんでしょうか?」
本音どころか、政宗につられてかなり酷いことを言い出した幸村である。

ひとしきり土産物屋を冷かした後、周囲にぐるりと巡らされた窓から何気なく外を見下ろした幸村は、そのままぎくりと足を止めた。
普段と違う視点から見下ろす自分の町は、まるで知らない場所のようで、それでもそこには自分の家があり、政宗の家もあり。
幸村は怖くなったのだ。
何の変哲もない只の町の景色を自分は本当に本当に綺麗だと思った。こんな高いところからは玩具の様にしか見えぬ家にもそれぞれ人が暮らしていて、そういう当たり前のことが無性に愛おしく思われ。
―――それは多分、今政宗どのが隣に居るからだ。
この人は、色々な事を気付かせてくれる。でももしも政宗が傍に居なくなったら。
自分の感情を都合良く全て持ち去ってくれる別れなど無い。そうしたら自分は一体どうしたらいいのだろう。
ふと、無表情で佇む己の姿を思い描き、幸村はぞくりと身を震わせた。
「幸村?」
知らず、政宗の服の裾を掴む幸村に、政宗が訝しげな顔を向ける。
何でもない、と首を振ってみせる幸村を睨むと、政宗はそのまま幸村の手を取った。
「幸村の手は、温かいのう」
「きっと、心が冷たいんですよ」
政宗がいないと簡単なことも分からない。想像すらしていなかったのだ、だって。
「馬鹿め。それを決めるのは儂じゃ。勝手に量るな」
こんなに大事なものがあるなんて、今まで気付いてすらいなかった。
幸村の手を握って温かいと言う、そういう政宗の手の方が、幸村はずっとずっと温かいと思う。
怖くても、この手は離してはいけないのだ。離れる覚悟が出来なくても(そういうものが本当にできることなのかどうか、幸村はちらりと考えたのだが、それは余り考えてはいけないことのような気がした)、この手を握り続ける覚悟くらいなら。
「…もう少し、このままでいていいですか?」
政宗はそれには答えず、ゆっくり右手に力を入れた。


「あー、暇じゃのう」
展望台で一緒に景色を見て何だかしおらしくなっていた愛しい恋人も、それから二週間も経てばこんなものだ。
先程までさして面白くもなさそうにテレビを眺めていた政宗が、仰向けに寝転がりながらこれ見よがしに呟いた。
「そうですね」
全身から構えオーラを発しているというのに。幸村は新聞から目も上げず生返事、いつものことだ。
「のう、幸村。儂は暇じゃ」
「……」
既に返事もない。
と、丁度テレビからCMが流れ、幸村が顔を上げた。二人で登った展望台のCMだ。
釘付けという訳でもなく、嬉しそうな顔をする訳でもなく、幸村は只テレビを見ている。僅か十五秒。
それが終わるとまた顔を伏せて、今度は広告を読み始めた。
「幸村」
「…なんですか?」
あくまでも自分の興味は目の前に広げた広告にあります、と言わんばかりの幸村の返事。
馬鹿め、お主が小学生対象の塾の広告なぞ、そんなに熱心に見ている筈なかろう。
本当に幸村は、感情を隠すのが下手だと思う、殊に自分が絡む時にはいつでも。
手ぐらいでいいなら、ずっとずっと繋いでいてやるのに。
「幸村、また何処か行こうな」
幸村は答えない。顔を伏せたままでは幸村の表情も見えない。
だが、その耳が赤く染まっているのを見て、政宗は満足そうに微笑むと自分の右手をそっと眺めた。




二人にらぶらぶデートをさせたい!デートって何だっけ?ああ思い出せない!というわたしの切なさがもりもり篭った話になりました。

恋人でも何でも人間関係にリスクが伴うのは当然で、中でもしんどいのが「一方的な」「突然の」別れだと思うんです。
でもこればかりは運やらなにやら絡んでくるから自分の努力だけでは致し方ない。これを突きつけられるのは怖いことです。
それでも一緒にいられたらいいね、と幸に思わせたかったのでした。政宗は随分前から気付いてるでしょうが。

展望台は最近出来たわけでもない、うちの実家の地元を参考に(笑)。
一度登って、何もねぇ!と叫んで降りてきました。つくづくわたしは情緒がありません。

政宗様、追悼記念に。
(08/05/24)