小学生にとって最も憂鬱で恐ろしい行事。
それは授業参観でもマラソン大会でもない。歯科検診である。
この春、小学三年に進級した幸村のクラスにも、近所の歯科医・家康が姿を現した。
今日は「しかけんしん」だ。だから家康の手元には歯を削る道具は無いのだ。
分かってはいても幸村はついつい家康を睨んでしまう。
歯医者さんは怖いし、何より自分に輪をかけて歯医者嫌いの父・昌幸が「歯医者はこっそり健康な歯に虫歯になる薬を塗って患者を増やしている」と幼い自分に吹き込んだ所為もある。
つまり、幸村にとって歯科医に怒りを覚えることこそ、義。これぞ正に義憤というもの。
(わたしはぜったいに、きみょうなくすりをぬられぬようにするぞ!)
そう心の中で叫ぶ幸村の突き刺すような視線に気付いたのだろう。家康はその恰幅の良い身体を大きく震わすと、息を吐き出した。
(…このクラスは…三成に、真田の次男坊がおるのか。あそこの長男は聞き分けが良いのにのう…)
そんな家康の後ろに控えていた半蔵が呟く。
「…直江、山城…」
半蔵の視線の先を確認し、兼続もおるのか、と項垂れる。
近所の問題児(というわけでもないが、歯科医から見れば問題児だろう、やはり)三人が集うクラスにうっかり自害を決意しそうになる家康だった。
とまあ、始まる前まではすったもんだが(家康の心中で)あったものの、始まってみれば家康もプロ。
伊達に何年もこの学校の生徒たちの検診をしているわけではない。
ぶるぶる震えた三成がいつまでも口を開けなかったり、
幸村が「そのゆび、ちょうだいする!」と叫び、口に入れた器具を噛んできたり(毎年のことだったので想定内ではあった)、
兼続が口を開けたまま喋っているのを担任に注意されるなどといった場面があったものの。
概ね滞りなく終了したと言って良いだろう。
後は家康から歯磨きと定期的な歯科検診の重要性について(少々おざなりな感じではあったが)話があり、それでこの一連の行事は終わった筈だった。いや、どの子も終わって欲しいと切実に祈っていた。
しかし、そうは問屋が卸さない。
「くっ…おれにも…けいさんがいのことがあるのか…」
「三成!頑張れ!まだ勝機はあるぞ!」
「みつなりどの!たたかうこころあれば、まけはしません!」
ランドセルを背負って、下校途中の通学路で泣いたり叫んだりかしましいのは件の三人。
その中心にいる三成の手には「虫歯のおしらせ」というピンク色の紙が握られている。
現代の赤紙とも言える最後通牒を突きつけられた三成を、兼続と幸村はどうやら励ましているようだ。
しかし心なしか、兼続・幸村両者の台詞が他人事なのは、自分は免れたという安堵を含んでいるからだろう。
その様子を遠くから見てしまった、同じく帰宅途中の政宗(クラスは別だ)は、正直げんなりした。
鞄には三成が今握っているものと同じ紙が入っている。つまり政宗にも虫歯が見つかったのだ。
確かに歯医者に行くのは嫌だ。
面倒臭いし、他人に口の中をいいようにいじられるのは少々我慢ならん。
だが行かなかったらもっと酷くなるのは自明の理ではないか。
それよりも「虫歯のおしらせ」の紙を貰っただけで、ああもうろたえる奴ら(幸村は別にいい)の方が我慢ならん。
そんなことを考えていたら見つかってしまったらしい。
「まさむねどの!」
幸村が駆け寄ってくる。
幸村は政宗の一番のご近所さんだ。よく一緒に遊ぶし、政宗も幸村には面倒見良く接している。今もそんなに走ったら転ぶのではないかとはらはら見守っている政宗へ
「たいへんなのです!みつなりどのが!」
「虫歯があったか」
すごいです!まだゆってないのにわかるまさむねどのはすごいです!と目を輝かせる幸村。
「山犬!大変なのだ!三成が!三成がー!」
「…虫歯くらい儂もあったぞ」
「何たる不義!やはり山犬に虫歯はつきものだったか!」
尚も「不義!」と叫ぶ兼続を無視し、ついでに虫歯発覚に加え「おれはふぎなのか?」との悩みを背負ってしまった三成も無視し、さっさと帰宅しようとすれば意外に強い力で腕を掴まれた。
「まさむねどのも、はいしゃにいくのですか?」
心配そうに潤んだ目で見つめられ、一瞬たじろぐ政宗。
「まさむねどの。わたしもおよばずながら、てだすけがしとうございます。わたしも、いっしょにつれていってくださいませ!
むしばになるくすりをぬられるのを、このゆきむら、ふせいでごらんにいれます!」
一体何を手助けするのかよく分からないまま、政宗は幸村と歯医者に行くことを約束させられたのだった。
どうせ行くなら早いほうが良かろう。
そう思って帰宅後すぐに訪れた「いえやす歯科」は戦場、いや正に地獄だった。
「さこん、おれはにげたいのだ…」
「とーのー。ちょ、困りますよ、ちゃんと見てもらいましょうよ!」
「おれは、にげたいのだ!」
「ちゃんと治したら今日の夕ご飯はハンバーグにしますから!たこさんウィンナーもつけますよ!」
歯医者の入り口の柱にしがみついたまま離れない三成を必死ではがしている左近。
待合室にはかろうじて泣いてはいないものの、べそをかいている子供が数人待っている。
更に診察室からは聞き覚えのある甲高い声(何だかんだ言ってもまだ子供なのだ)も響いてくるではないか。
「先だって家康公が定期検診の重要性について説かれていたのでな!
不義の狸といえど、その言葉、感じ入ったぞ!さあ、私の歯を存分に診察するがよい!」
「兼続殿。検診にはそれなりの期間を置くことも大事だが。
まあよいわ。それ程言うならこの家康、隅々までお主の歯を見せて貰うまでよ」
どうやら兼続は本日二度目の検診に入ったようだ。ものの加減のできぬ男である。
知り合いの醜態に眉をしかめながら保険証を出した政宗だったが、付き添いの幸村の様子が先程からおかしい。
それはそうだ。
大人ですら敷居の高い歯科医、更に中からは子供の泣き声(や喚き声)とくれば、ただの付き添いとはいえ恐怖心が頭をもたげてくるのは当然である。
政宗は幸村の手を握ると、待合室のソファの隅に幸村を腰掛けさせた。
「手を繋いでおれば怖くなかろう?」
それは確かにその通りだったので、幸村はこくん、と大人しく頷く。
ややって、少々余裕も出てきたのか、手を握ったままきょろきょろ辺りを見回していた幸村だったが、ふと違和感を感じたらしい。
手を繋いでいる辺りが何だかじっとりしてひんやりする。
(もしかしてまさむねどのも、ちょっときんちょうしているのでしょうか)
自分がしっかりしなくては、と政宗の手を繋ぐ手に力を込めると、今度は幸村が怖がっていると勘違いした政宗が更に強く手を握り返し。
しばらくそんなことを繰り返していたが、一定のリズムで返って来る政宗の反応に急にどきどきしてしまって、そうしたら手を繋いでいることが恥ずかしくなって、だからといって離すことも出来ず。
結局、政宗の名が呼ばれた時にそのまま一緒に診察室に入ってしまい、助手の半蔵や忠勝に追い出されるまで、幸村は何故かずっとどきどきしていたのだった。
あれから数年。
既に無邪気に手を繋げるような年齢ではなくなった政宗と幸村だが、時々こっそり手を繋ぐのは変わらないし、幸村がどきどきするのも変わらない。
余談だが、兼続が定期検診に家康の下を訪れるのも変わっていないそうだ。
「家康公!私の義で磨かれた歯はご披見かな!」
「おお!このような虫歯が一本もない歯、この家康これまで見たことが無い」
今日もいえやす歯科は繁盛している。
もともと、家康って歯医者っぽくね?直江は絶対健康診断とかすごい行くね!ってだけのネタでした。
それが…自分が歯医者に行って診療台に座っていたらこんなことに。
きっとすごく怖かったんだと思う。現実逃避しないと辛かったんだね、わたし!
その結果が、子供ですか…。いや、いいですけど。
平仮名だけで喋っていることに意味はありません。
真田パパの元ネタは野中せんせいの未●町内会です。ぱぱったら!
(08/04/01)