本当に、子供みたいだ。何で自分はこういうことが下手なのだろう。
幸村は隣を歩く政宗をそっと横目で見詰めた。
きっかけは他愛も無いことだった。
「政宗どのは何故私に怒らないのですか?」
別に喧嘩を売るつもりだったわけではない。幸村からしてみれば長年持ち続けていたちょっとした素朴な疑問を口にしただけだった。
ただ、如何せん言葉が足りなかった。
幸村は(三成や兼続辺りからすれば口を揃えて否定されそうではあるが)随分政宗に我侭を言っていると自分では思っている。
それを政宗が笑って聞いてくれるのは嬉しい。でもその都度何処かで、こんなに甘えて大丈夫かと問う自分がいるのも確かなことで。
我侭を言い過ぎたり、そうでなくても意に沿わぬことがあれば叱ってくれて構わないのに。そういうつもりであった。
しかしそれならば幸村はせめて「何故私を叱らないのですか」と言うべきだったのであろう。
幸村の疑問を聞いた政宗もうろたえた。
自分は確かに気が短い。それは自覚していることであるし、その為幸村からすれば八つ当たりのような行動をとることも分かっている。そしてそれを幸村が許してくれていることも。
幸村に怒ったことは一度も無いなど、お世辞にも言えない。
喧嘩をした時にも決まって先に怒鳴るのは政宗だ。喧嘩なぞ結局お互い様じゃ、だが如何せん自分の言葉遣いが悪い。知らず幸村を不快にさせたり傷付けていることもあるかもしれぬ、そう政宗は思っていたのだが。
幸村は何を言い出したのじゃ?政宗は正直、幸村の真意を量りかねたのだった。
何かの嫌味かとも思ったが、幸村がそういうことを少なくとも自分に言うことはまず考えられない。
「いや、儂はむしろお主に怒り過ぎていると思うぞ?」
そう考えた政宗がこのように返したのはむしろ当然のことであろう。
「いいえ、そのようなことはありませぬ!政宗どのはお優しいので時々困るのです」
これでは誉められているのか何なのか良く分からない。
「…優しいのなら良いではないか」
「でも私が時々居た堪れなくなるのです」
「お主は儂と居る時、そのように思っておったのか?」
言葉の足りない幸村に、少々口の悪い政宗がそう答えれば、いつもの喧嘩コースまっしぐらだ。
「だからそういう意味ではございません!」
「ならばどういう意味ぞ?!言うてみよ!」
「それは!…その、」
幸村が口篭れば、弁の立つ政宗の独壇場になる。が、それ故勢い付いて言ってはいけないことまで口走ってしまう可能性もあるわけで。
「共に居るのが負担だと言うておるのと変わりないではないか!」
しまった、と思った時には既に遅かった。幸村が項垂れる。嫌な空気が場を支配した。
が、激し易いがすぐに冷静になれるのも政宗ならでは、である。沈黙を作ったのが政宗なら、それを壊したのも彼だった。
「幸村」
呼びかけた声にもう怒りは混ざっていない。
「今のは儂が言い過ぎた。そのようなこと本当は思っておらぬ、頭を上げてくれぬか?」
弾かれた様に顔を上げて政宗を見る幸村はとても痛々しくて、政宗は謝罪の言葉を口に乗せてしまう。
「もう喧嘩はここまでじゃ。すまん、許してくれ、幸村」
それがどんなに幸村を切なくさせているとも知らず。
そうして話は冒頭に戻るのである。
喧嘩をするのは構わない。どんなに派手にやったところで修復不可能な喧嘩など今までしたことないのだから、これからも多分ないだろう。
その辺りは呑気に考えられる幸村も、さて仲直りの方法となるとそうも言っていられない。
よくよく思い返すに、自分が誤解されるようなことを言うから悪いのだ。いや、そもそもはじめからきちんと説明していればただの会話で終わった筈だった。
なのに政宗を怒らせて、それだけではない。謝らせてしまった。なのに自分は何故謝れぬのだろう。
いや、謝ろうとはしているのだ、だが今それを口に出すべきかどうかが幸村には分からない。結局、咽喉まで出掛かった言葉は伝わることなく。
「…むら、幸村」
政宗どのはこんな風に黙ってしまう私のことを嫌いになったりしないだろうか。
一言、もっときちんと喋れと叱ってくれたら何とかなりそうな気がするのに。それとも呆れてしまって叱るどころではないのだとしたら。
「幸村!」
そう悶々と考え込む幸村の腕を政宗がぐいと後ろに引っ張った。
「馬鹿め!考え事も良いが信号くらいはしゃんと見ろ!」
政宗に支えてもらって尻餅をつくことだけは免れた幸村が、きょとんと政宗を見る。
「全く!お主はいつもそうやってぽやぽやしおって。…まあ儂も悪かった故仕方は無いが、せめてきちんと歩け!」
そう幸村に詰め寄る政宗の顔には、さっきとは違う怒りがはっきり浮かんでいて。
「も、申し訳ございません」
政宗の顔を見た瞬間ぽろっと零れ出たのは、自分でも待ち侘びていた謝罪の言葉だった。
「うむ。分かれば良い」
あれ?自分は、自ら発した言葉がまだ理解できないでいるというのに、それをあっさり受け取る政宗は、まるで何でもないような顔をしていて。それが、嬉しい、ような。
「政宗どの、どうもすみません」
「もう儂は怒ってはおらぬぞ」
「はい、でも本当に申し訳ございませぬ。今も、それから先程も。それにありがとうございます」
自分から謝るタイミングさえ掴めないような私に、やっと謝らせてくれて。
少しだけ胸の痞えが取れた気がした。今なら話せる気がする。
幸村がそっと政宗の腕に自分の掌を重ねた。
「でも、あの、もしも私が何かお気に召さなかったら、今みたいに怒ってくださいませ
私はきっとはっきり言って頂かないと分かりませぬ故、時折不安になるのです」
そういうことか。合点が行き、急に目の前の恋人が愛しく思えた政宗は、うっかりそのまま抱き締めそうになって、ここが交差点の真ん中であることに気付き思わず両手を握り締めた。
「お主がぼんやりしているのも口下手なのも今に始まったことではない。そのくらいで不安になるな、馬鹿め」
しかし、と幸村が口を尖らせる。それだけではないのです。
「政宗どのが私のことで何か我慢をしていたら嫌です。教えて頂ければちゃんと直しますから。それで一緒にいられなくなるのは…」
政宗が思わず額を押さえる。その言い方は。ええい、そんな顔で儂を覗き込むな、幸村。
まさかこのような台詞が幸村の口から出るとは思っていなかった政宗。それでも何食わぬ顔で答える。
「…お主だって儂に不満を言ったことなどないであろう?」
先日、脱いだ靴下はさっさと洗濯機に入れろと文句を言われたことを除けば、な。
「それは…政宗どのには直して欲しいところなどないですし、私の方が我侭も言いますし…」
馬鹿め、お主の我侭なぞ我侭にも入らぬわ。
深い溜め息と共に声を絞り出す政宗の心中知らず。しどろもどろと答える幸村は、政宗によるありもしない断罪の時を待っているのだろう。深刻そうな表情を崩そうともしない。
確かに細かいことを挙げればお互いキリがないが、不満に思うことなど、ないのに。ましてやそれで不安になることも。今更儂がお主を離すとでも思うておるのか。
「幸村」
「はい」
「儂が、我慢をしているのは嫌だと言うたな」
「…はい」
そんな顔をしおって。突然不安に思うことは政宗にだってある、余りに何でもない日常に。問題は幸村も似たようなことを考えていたということだ。
不安に思わせたくないなどと格好良いことは言えぬ。大事なものが出来れば仕方がないことだろう?
不満などないのに無理にそれを探そうとし、離れる気もないのに別れる理由を憂い、誰より傍にいるのにもっとと願う。そんな止め処ない愚かな戸惑いすら愛おしい。
「儂が我慢せずにしたことがお主の嫌なことなら、どうするのだ?」
「政宗どのはそのようなこと、なさいません」
そうきっぱりと告げる幸村の胸座を引き寄せ。
「そうかそうか。ならばこういうこともお主は嫌ではないのだな」
噛み付くように口づけた。馬鹿め、お主はまだ何も分かっていない。儂とて不安に思うことだってあるのだ。
だがせめて、その半分だけでも知ってくれ、儂がどれだけそなたを思っているのかを。
もともと「何かからかばおうと幸村を引き寄せた政宗が、意外に顔が近くにあったのに吃驚してちゅー」というネタをいただいたんですよ!
そしたら喧嘩しちゃうし、幸は悩み出すし、政宗はアレだし、困ったものです。ごめん…。
(08/06/02)