※微エロです。苦手な方は回避してください。でも相変わらず色気は微塵もありません。
ふと不自然な温度を頬の下に感じたような気がして、幸村はゆっくりと意識を覚醒させた。
薄目を開けてみると、目に飛び込んできたのはカーテンから洩れる薄い光。間もなく夏になろうとする空気ごと容赦なく照りつけようとするそれではなくて、もしもそれぞれ速度が違うのだとしたら、これはゆっくりゆっくり周りを照らそうとする静かな光。
「白々と夜が明ける」という言葉は本当なのだな、と思う。まだこの部屋はやっと朝を迎えたばかりだ。
寝返りを打って再びまどろもうとした幸村だが、一拍置いて今度はぱちり、と勢いよく目を開いた。
頬の下に宛がわれた腕(道理で何だか寝辛くて首が痛かった訳だ)、耳元で聞こえる穏やかな寝息、シーツ越しに伝わる、明らかに自分のものではない体温。ああ、それに自分は何という格好を。
余りの事と言えば余りなこの状況をやっと把握して、それでも叫び声を上げ飛び起きなかった自分を誉めてあげたい。いや正直に言うと、身体がまるで鉛を含んだように重くて、跳ね起きるのはもとより声を出すのも億劫だっただけである。
幸村はゆっくりと昨夜の記憶を反芻した。間違いない、あれは夢ではない。
この痛み、鈍く身体を伝わる痛みは、まるで歯が軋むほど甘い甘い菓子を頬張った時のような感覚に似ている。そんな甘い菓子がこの世に存在するとして、の話だけど。
昨日までの自分は政宗の何処を見ていたのだろう。
例えば。僅かに触れる指先があんなにも熱を伝えるものだということを、幸村は昨夜始めて知った。深く何度も睦言を囁く声は別人のようだった。何かをこらえるように僅かに眉を潜め、息を詰めながら。まるで約束された言葉のように、彼が繰り返す吐息雑じりの自分の名。それを聞いて幸村は、自分の名前が「幸村」であったことに、彼がこんなに切なく口にするその名であったことにすら、心の裡で感謝した。
そうして、痛み――それは肉体的に、というだけではなくて、もっと胸が抉られるようなそんな――に耐え切れず溢れかけた幸村の涙を、政宗はゆっくり唇を寄せて舐め取ったのだった。それはこの世で最も正しい舌の使い方の様に見えた。こくり、と音を立てて、自分の涙が政宗の咽喉を通り過ぎるのを、幸村はぼんやりと見上げていた。
やがて彼の隻眼が此方を見下ろした時、確かに自分はもう死んでもいいとさえ思ったのだ、冗談抜きで。
政宗の腕が後ろから幸村を抱えている。むしろ死にそうなのは今なのです。
どうしよう、何と言って顔を合わせればいいのだろう。昨夜はお疲れ様でした、そんな挨拶何だか、いや物凄く嫌だ。結構な御点前で。ふとそんな言葉が浮かび、幸村は少し本気で自分自身を呪う。何を考えているのだ、私は。
そんな自分の不埒な妄想に溺れつつ、布団の中でおたおたと不思議な動きをしていた幸村だったが、大変なことに思い至った。今度こそ本当に叫び声を上げるところだった。政宗に気をとられて忘れたままならどれだけ幸せだっただろう。
幸村は昨夜の自分の痴態を、それはそれはまざまざと思い出したのだった。
それは断片的に押し寄せてくる記憶なだけに却ってタチが悪い。
声を上げて縋りつく自分を政宗はどう思っただろう。居てもたってもいられなくて、ころん、と転がってみた。政宗と距離をとるように。かと言って彼を起こしてしまったら、もうどうしていいのか分からない。こっそりと肩を竦ませて、未だ目を覚まさない政宗の腕からするりと逃げてみる。
何だか途中から良く覚えてないのですけど。そう自分に言い訳しようとして気付く。覚えてないのではなくて、忘れたいだけだ。「政宗どの」「お願いです」「もう」そのような意味合いのことを昨夜は何度叫んだだろうか。あああああ。またもやころころと転がる、今度は頭を抱えて。
「………おい」
耳元でそう呼びかけられたのと、こっそり解いた筈の腕が再び回されたのと、それに身体を反転させられ引き戻されたのはほぼ同時だった。
「ベッドから落ちるぞ、幸村」
頭の中で昨夜のことを思い出し、一人脳内反省会に夢中な幸村は、未だ何が起こったのか分からない。暫くの間あんぐりと口を開けていたが、一瞬、どころか数瞬の後、目の前に政宗の顔があることにやっと気付いたらしい。
「!!!」
声にならぬ叫びを上げ、辛うじて手で顔を覆う。何故か逃げなくてはと思うのだが、抱きすくめられていてはそうもいかぬ。
そもそも力が上手く入らないのだ。その原因が恥ずかしさと、それに加え昨夜の行為の所為だと気付き、今度は足をばたつかせる幸村。ささやかな(ささやかにせざるを得ない理由はもう考えないようにした)抵抗だが、しないよりはした方がマシな気がする。
「こ、こら、幸村!暴れるでない!いいから大人しくしてろ」
「い―や―で―す―!」
色気もへったくれもない後朝だが、本人達は至って真剣だ。
「いたっ!足動かすと痛いです!政宗どの!」
「だから動くなと言うておろうが」
「それは嫌です!」
「何故じゃ」
「どうしてもです!」
それでも力任せに押さえつけ、労わるように背中を撫でると(これはこれで矛盾しているなあと政宗は思ったのだが)途端に幸村が大人しくなった。不思議に思って幸村を覗き込んでも、寸での処で顔を逸らされてしまっては政宗にもどうしようもない。
「どうした、幸村?急に大人しくなって。撫でると気持ち良いか…ぐふっ!」
昨日は無理をさせてしまったという詫びと、それ以上の慈しみをもって言ったつもりの台詞だったのだが、言い方が不味かったらしい。寸分の狂いも無く鳩尾を狙って繰り出された幸村の拳に、しばし呼吸困難に陥る政宗。その隙に幸村はくるりと背を向けてしまった。
そういうつもりじゃなかったのじゃが。げほげほと咳き込みながら、それでも首筋まで真っ赤に染め上げている幸村が面白くて、そして何より愛おしくて仕方がない自分は大概やられている、と我ながら思う。
「…さい」
鳩尾の痛みにもめげず、だらしなくにやにやしていた政宗の耳に、幸村の声が届いた。
「ごめんなさい」
ごめんなさい、だと。いつもはケンカしても、ぶんむくれた顔で「申し訳ありませんでした」などとしか言わない幸村が。余程自分が悪いと思わない限り、政宗の逆鱗に触れても涼しい顔をしている幸村が、ごめんなさい、だと。
媚を含んだ謝罪の言葉がこんなに甘いものだとは、政宗は再び腕を回す。今度は驚かせないように、細心の注意を払って。
「…嫌だった訳では、ないのですよ?…」
昨夜のことが、か。それとも先程のことか。そんな無粋なことは聞かない。
あえて言うなら、こうして二人で居ることが、ってことだろう。腕の中で幸村がじっとしているのが何よりの証拠だ。
「………ちゃんと、政宗どののことはお慕い申し上げておりますから」
「…まだ早いからもう少し寝ておれ。今日はのんびり共に過ごそうな」
腕に力を入れながら。このままで居ても良いか?そう耳元で尋ねると、幸村はそっと頷いた。
危なかった。腕の中から幸村の小さな寝息が聞こえてきたのを確認すると、政宗はようやっと息を吐き出した。
まさかあんなところで、幸村から思いがけない告白を受けるとは思わなかった。確かに嫌われているとは思っておらぬ。しかし普段なかなかそういうことを口に出さない幸村のこと、故に却ってその破壊力は侮れぬものがあるのだ。
背中を向けていたから良かったものの、もしも顔をつき合わせて言われていたら、そのまま襲い掛かるか、それならまだしも先程の幸村のように面映さの余り暴れ出していたかもしれぬ。
そう思った途端、昨夜のことが鮮やかに思い起こされた。
すうすうと規則正しい寝息を聞きながらも頭に浮かぶのは、幸村の切なげな声。力なく首を振りながら、途切れ途切れに自分の名を呼ばれた時、政宗は思わず叫び出しそうになり慌てて幸村に口づけたのだ。涙に濡れた眸で、それでも此方をはっきりと見詰め綺麗に微笑んだ幸村に、鳥肌が立った。気の利いた言葉一つ口に出せず、只々幸村の名前を呼び続けることしか出来なかった自分、しかし幸村はそれにも健気に返事を返す。
これは儂のものだ。そう思ったらもう堪らなかった。
今なら、朝っぱらから忙しなく転がっていた幸村の気持ちが良く分かる。
実は結構早い段階から目を覚まし、ずっと寝た振りをしていた政宗。恥ずかしさの余りぐるぐる転げまわる幸村を、先程までは微笑ましくも正直訳が分からぬと見守っていた筈だった。
だが陽が差し込みだした、まるで後ろ暗いところなど何一つ無い様な穏やかな部屋で感じる幸村の体温は、却って何とも卑猥なもののような気がしてどうにも落ち着かない。
儂ってば、昨夜はなんてことを!
そう思った政宗が頭を抱え、結構長い間ごろごろ転がっていたことは、穏やかな寝息を立てている幸村には知る由もない。
似た者バカップル。はじめて、のふたりです。
(08/06/18)