夜、一緒に出掛けるのは何だか楽しいですね。微笑みながら幸村がそう言う。
夜とは言っても日が暮れた直後くらいの時刻のことで、辺りの家々からは夕飯の匂いが漂ってきていた。何か出掛けなければならぬ用事があったのか、昔のことなのでもう思い出せない。だが、そのような時刻に一緒に居るのは珍しいことでもなし、大体下校時間が遅くなれば真暗な道を二人で歩くのだって良くあることだ、そのような返事を幸村に咄嗟に返したのは、これから二人で「出掛ける」という状態に自分も幾分か戸惑い、高揚していたからだと思う。
以来、幸村が家に泊まりに来た時などには、よく二人で宵の口を選んで出掛けるようになった。
それは夕飯の買出しの為のこともあったし、いかにも外出する理由をこじつけたような場所、差し当たって必要ないコンビニや本屋への買い物の為だったこともあった。
もうわざわざ理由を口にするのも面倒臭くなった頃には、夜の散歩というのは既に二人にとって特別な習慣になっていたのだ。
「夜の散歩」をする時刻は、二人の年齢が上がるにつれ、それと比例するかのように深夜に近付いていった。
申し訳程度の外灯しかない寝静まった住宅街を共に歩くのは、何とは無しに後ろめたい心地がするものだ。カーテンの隙間から洩れる仄かな光や、通りすがるといつも吼えるあそこの犬、夏椿の白い花弁がアスファルトの上に散っており、これらのものが自分の手の届くか届かないかくらいの、薄皮一枚向こうで、静かに寝息をたてているような感覚。
それは真暗な部屋で幸村の寝息に耳を傾けている時の心持ちに似ている。
すぐ傍に己とは違う異質なものが存在しているという安心と、それからも切り離されている自分を感じる静かな孤独。幸村がいなければこの世にも自分にも価値がない、などと馬鹿げたことは思わぬ。ただ少なくともその価値をわざわざ振り返り、掘り出してみることはしなかっただろう。
それは至極他愛もないことだが、好意という罠だらけの感情に隠された核のような、それでいて誰も教えようとはしない大切なものだということを自分はもう知っている。そう例えば、二人で夜を歩く楽しみに初めて気付いた時のように。
余程明かりの多い大通りでなければ、幸村が手を繋ぐことを許してくれることもある。この言い方はおかしいが、ある意味で正確だ。
「政宗どの」理由も意味もないそんな呼び掛けに振り返ると、幸村がじっとこちらを見る。何だ、と聞き返すような真似はしない。必要があって呼ばれる自分の名前と、いかにも口をついて出たといった風情の幸村の声によって紡がれる自分の名は、到底同じものを示しているとは思えぬ程に違う。
恐らくは、幸村も知っているのだ、と思う。すぐ隣に愛すべき人がいるという実感、穏やかな傷み。
それを切なさというのだろう?
幸村に答える代わりに手を繋ぐ。甘えたがりの癖に絶対に自分からは折れようとしない幸村の為に。手を繋ぎたいのは儂で、だから仕方なく手を差し出してやっているという様子を崩そうとしない幸村。だから儂は手を繋ぐことを許して貰った、と言い続ける。
でもその手は思った通り、自分よりずっとずっと熱い。儂は幸村に気付かれぬように、こっそりその熱を楽しむ。
だってこの熱は伝わることはあっても共有することはできぬのだ。なんて切ない。
大通りやコンビニの明かりがこちらを照らすギリギリのタイミングで幸村は腕を振り解こうとする。
「どうせ見えぬから大丈夫じゃ」始めの頃はそんなことを言っているうちによくケンカになった。仕方がないので大人しくこちらから手を離したら、今度は幸村の機嫌が急降下して結局ケンカになった。どうしたらいいのだと詰め寄ったが、顔が笑ってますよと素気なく言われ、返す言葉を失った。
仕方ないじゃろう。手を繋ぐのは嫌だと言う癖に、離したら駄目だとごねる。そんな我侭を堂々と言うお主を、儂以外の誰が知っている?そう言いたかったが我慢した。幸村が変な顔でこちらを見ていたが関係ない。
我侭で面倒臭い儂の相手をするのは大変だ、と幸村はいつも悪戯めいた溜め息と共に口にするが、本当はお主も大概なのじゃぞ、自覚してないだろうがな。まあそれで良いわ。
お主がどれだけ儂に惚れているかなんて、お主自身にだって教えてやるものか。
それでも手を離す瞬間、幸村が浮かべる表情が気にならないといえば嘘になる。何か言い忘れたことがあるのだが、それがどうしても思い出せない、そんな顔をする。
その癖、手を繋いでいたら人様に政宗どのが変な目で見られるから嫌だ、と言うのだ。儂は人目など気にせんぞ?気にしてください、と軽く叩かれた。ふん、お主の言うところの「我侭で面倒臭い」儂は、人目なぞより幸村にそんな顔をさせる自分の方が許せぬがな。
儂の手からするりと抜けようとした幸村の指を固く握る。政宗どの、痛いですってば。それでも無視していたら、渾身の力でこちらの指を握られた。痛い痛い、あー握り潰されるかと思ったわ。
じんじん痺れる手を振れば、目の前には上目遣いでこちらを見遣り笑う幸村の顔。この為なら指の一本や二本どうということはない。本気で思ったのでそう言ってみたら、今度もやはり叩かれた。
私にとってはどうということなのです、とふてくされたような声で返ってきたので儂は満足じゃ。お主がそういう声を出す時には決まって本当のことを話す時だけなのだから。
そうやって儂らは夜の中で並んで歩きながら、色々なことを話したのだ。随分長い年月をかけて。確かに会話など殆どしなかった。でも儂はずっと幸村を口説いているつもりだったし、幸村はもっと雄弁に色々なことを語っていた。言葉と言葉の間にあった、本当に、色々なことを。
やがて一緒に暮らすようになると、夜を共に過ごすことが特別なことではなくなった。四六時中一緒に居るのだ。散歩に行くことも無い訳ではない。なんとなくそれらの意味合いが変わってきただけの話だ。
そんなある日、幸村の手を取って家路を急いでいたら、唐突にこう言われた。
「帰る場所が一緒なのは、何だか嬉しいですね」
ああ、そうだな。やっと思い出した。特別なことは増え続けていくから特別なのだ。幸村の手はやっぱり熱くて、二人の熱が混ざり合うこともない。
一緒に扉を開けて一緒に夕飯を食って一緒に眠ろう。まるでこの世にたった二人だけのような気分になっても、そんなの所詮は錯覚だ。
儂らはそんな錯覚を臆面もなく語ってしまうほど、どうしようもなく互いに惚れておるということだろう?
愛する人がいる実感、そして同時に感じる穏やかな痛み。それを未だに切なく感じられる自分に、儂は心から感謝したのだった。
きちんと振り返らなきゃ忘れちゃうこともあるってことで。
(08/06/21)