「今日の兼続は泣き上戸か…」
「…そのようにございますね」
床に散らばった大量のビールの空き缶を拾い上げながら嘆息すると、すっかり空になった皿を運んでいた幸村もそう呟く。今日の夜も長くなりそうだった。
政宗と幸村、それに三成・兼続という、付き合いは長いが仲が良いのか悪いのか、まるで分からない四人の関係は、やがて政宗と幸村が共に暮らすようになり、おまけに堂々と酒が呑める年齢になっても何一つ変わらなかった。
バイトから帰った幸村を、政宗と何故か三成が出迎えることもあったし(かと言って決して仲良さ気に話し込んでいるということはない)、玄関を開けようとした政宗が、既に家の中から響いてくる兼続の声にげんなりして、結局帰宅早々「山犬が!」「烏賊め!」と大喧嘩なんてのも珍しいことではなかった。
つまり、政宗と幸村の住処は、三成や兼続にとっての体のいい溜まり場であり続けたのだった。
週末ともなれば、三成・兼続二人揃ってやってくる。
どこをどう間違ったのか知らないが、酒を酌み交わすことこそが友に対する最大の義だと勘違いしている兼続は、必ず酒瓶片手に伊達家の玄関を叩くのだ。最近では三成までも酒やらツマミやらの手土産を持参するようになった。家主である政宗も幸村もいける口ではあるのだが、少々複雑な気持ちで二人を招き入れざるを得ない。先日も「兼続が毎週のように家に来ているが彼女は怒らないのか?」「それより三成も家に入り浸っていないで女の一人でも作ったらどうか」という少々お節介な心配を本気でしてしまった政宗と幸村である。
無論、偶には二人でのんびり過ごしたいという思いもある。第三者の目から見れば、毎日毎日飽きもせずいちゃいちゃしやがってと思われそうな二人ではあるが、それでも尚足りぬのが恋心。お互いのことに関しては、周りが見えないどころか完全に愚かしいまでに慕っているのだから仕方がないではないか。
謙信公からの薫陶を受けたと自慢する割に、いや謙信公よりの薫陶を受けた所為か、兼続の酒の呑み方はまるで滅茶苦茶だ。さすがに二合も入る馬上杯ではないが、ビールジョッキに日本酒をなみなみと注いで呑む姿はかなり異様である。
はじめのうちはさすがの政宗も、何か嫌な事でもあったのかと心配したが、単に酒の呑み方が全く分かっていないと判明してからは無視を決め込むようになった。
最終的にはがくりと崩れるように眠ってしまう兼続は、早く酔い潰した方が楽だ、そう判断したのである。幸村もそう思ったのであろう。今では兼続に率先してジョッキを渡し、日本酒を注いでやるようになった。
だが問題は、酔っ払ってから寝るまでの兼続の行動である。
酔っ払いなど大方酷い生き物に相違ないのであるが、兼続は酷い。酷すぎる。素面でもあれだけの躁状態にいる兼続のことだ、これに酒の力を加えれば正に狂躁状態である。
相手の話を聞かない能力も益々研ぎ澄まされるので、完全に独壇場。叫ぶ、呑む、笑うのヘビーローテーションなのだ。
「その時…である!謙信公は正…に毘字こそが是と言われたのだ!私…は大いに感銘を受けた!この義を世に…む!酒がなくなったな!何たる不義!ああ、すまない幸村。そなたは…気が利くな!義!…義と言えば最近エコバッグを持ち歩く…とポイントが付いてそれが溜まればエコバッグ…プレゼントキャンペーンという企画を見たが、あれは…却ってエコではないな!不義!」
これが延々続くのである。「…」部分は兼続が酒を呑む為に生まれる一瞬の沈黙だ。
話題はどんどん飛ぶし、酒を呑むタイミングが自由に過ぎるので、酔っ払った兼続の話は素面の六割増くらいで聞き難い。
かと思えば、全く喋らない日もある。これを政宗はこっそり「当たり」と呼んでいる。
本当に喋らないのだ。険しい顔で前を見詰めたまま、壊れたからくり人形のように酒を口に運んでいるだけだ。
「兼続殿は…何と申しますか、色々大丈夫なのでしょうか?」
やはりこれも始めのうちはそう心配した幸村が話しかけてみたが、こちらが混乱する返答ばかり。
「兼続殿、義のお話を聞かせてくださいませんか?」
「…カレーライス」
「あ、あの、カレーが召し上がりたいのですか?兼続殿」
「……のど自慢大会出場」
「どういうことでしょうか?歌を歌われるのですか?それとも何かご不満なことでも…」
「………もじもじくん」
そんな遣り取りを小一時間は続けただろうか。突如政宗が「しりとり!兼続はしりとりをしておるのじゃ!」と叫び、兼続が口走る意味不明な言葉の羅列の謎は解けたのであるが、続いて何故そもそもしりとりをしているのかという謎が浮上した。この謎は今も残ったままである。何せ本人がしりとりの単語しか口にしないのでは尋ねようもないし、それ以前に多分酔っ払っているだけで何の意味も無かろうと皆が判断したのだ。
だが一先ずはこの状態になってくれれば、幸村が作ったツマミに舌鼓を打ちながら、ゆっくり酒を楽しむことが出来る。
「これも幸村が作ったのか?凄いな。俺は全く料理が出来ぬからな」
「ナスの御用邸」
「いえ、そんな。政宗どのの方が料理はお上手なのですよ」
「じゃが幸村の料理も美味いぞ。わざわざ外で飯など、もう考えられぬ」
「ぬりかべ」
「…誉めすぎですよ、政宗どの」
「ノーヒットノーラン」
…今「ん」が付いたぞ、とつい言いたくなる事を除けば、こんなにも穏やかな時を過ごせるのだ。政宗がこれを「当たり」と呼ぶのも詮無い事であろう。
さて、これが「当たり」ならば、今日のは最大の「外れ」である。
今日の兼続は酒を口に含むや否や、突然大声を張り上げて泣き出した。少し豪快に過ぎる泣き上戸、という奴である。こうなると兼続も意味のあることはますますもって喋らなくなる上に、泣き声がうるさ過ぎて、普通の会話も侭ならない。
「幸村―、ついでにビールをもう一本持ってきてくれるか?」
「うおおおおん!謙信公の義!これが泣かずにいられようか!」
「何か呼びました?政宗どの!」
「ビールを!持って来いと!言うたのじゃ!」
「ご○ぎつね!ごんぎ○ねが!!ごおおおおおんん!!」
「え?!何ですか?!」
こんな調子なので、兼続以外は黙って黙々と呑むしかない。一種の苦行である。
それでも政宗と幸村は暫くの間、会話の真似事を続けるのだが、余りの聞き取り難さに諦め、結局は黙り込んでテレビを見る羽目になる。音声は全く聞こえないのだが。もしかしてテレビの画面下に出るフリップは、この為に開発されたのではないかとさえ思えてくる。
他にすることもないので、酒のペースは早い。四人の中で一番弱い(ある意味一番弱いのは兼続だろうが、一番早く気持ち悪くなるという意味だ)三成など完全に兼続のペースに呑まれたのだろう、先程からトイレに入ったきり出てくる気配もない。
「…兼続は、凄いな」
「ええ、お見事でございますなあ…」
三成が天岩戸よろしく立て篭もるトイレのドアをがんがん叩きながら、兼続が泣き喚いている。兼続は別にトイレの順番待ちではなさそうなので放ってあるが、儂と幸村の愛の巣がいつからこんな地獄さながらの様相に。
トイレから一番遠い部屋でちびちび盃を重ねながら、やり場のない怒りを感じる政宗である。兼続には言わずもがな。八つ当たりだと分かっているが、全く酔わない幸村も少し腹立たしい。そう思いながら、顔色一つ変えず片付けの合間にアルコール摂取を続ける幸村を盗み見る。
単純な酒の強さでいけば政宗が勝つだろうが、それにしても幸村だって負けていないのである。酔っ払ってへろへろする幸村が見てみたいのに。へろへろするかどうかは知らないが、兼続のようなことにはならぬだろう。だがそれを実行しようと思ったら、政宗といえど自滅覚悟でかからねばならない。
「お主、全然酔わぬな」
「政宗どのだって、お強いではないですか」
(主に)兼続が食い散らかした跡を拭きながらそう答えた幸村は、政宗を見て少し首を傾げた。怒っている?いや、そういう訳ではなさそうだが、ご機嫌はあまり宜しくないようだ。それは多分、兼続のことだけではなく。
政宗が自分のすぐ隣の床を軽く叩く。ここに座れ、そう言っているのだ。この人は甘えるのが上手なのか下手なのか分からない。
「何だか儂、疲れたわ」
隣に座らせた癖に、政宗は酒の入った盃を見詰めながら口を尖らせてそう言う。なんだ、拗ねているのですね、幸村は苦笑が抑えられない。
兼続は五月蝿いわ、それにお主は全然酔わぬしのう。酒と言えば酔っ払ってうきうきハプニングの一つもあって良さそうなものなのに。
そんな下らぬことをぶつぶつ呟く政宗は、いつもより情けなくて何故か少し嬉しい。
「政宗どの」
「…何じゃ」
それならば。ちっとも此方を向いてくれない政宗の左頬に、素早く口づけてみる。
「うきうきハプニング、でしたか?」
大きく見開かれた政宗の隻眼が、幸村を捕らえた。こんなことをして、きっと他でもない政宗に揶揄われるんだろうなあと思ったが、それでご機嫌が直ってくれれば良いではないか。そう考えながら政宗が声を掛けてくれるのを待っていたのだが。
「あ、あの…政宗どの?」
当の政宗が全く動いてくれない。自分の左頬を押さえたまま、じっとこちらを見るだけだ。揶揄われるのも嫌だが、こんな真面目な顔で見詰められる方が余程困るのである。
「…何か言ってください、わ、私も、その…恥ずかしいのですから…」
空気を変えなければと必死に言い訳めいた言葉を捜してみる。が、それも上手く見つからず「恥ずかしい」と口にした瞬間急に居た堪れなくなって、幸村は口を押さえて俯いた。
「…すまぬ。儂も何だか普通に嬉しかった…」
「そ、そういうことをわざわざ言わないでください!」
「あー、うむ、悪かった」
「…謝らないでくだされ」
互いにそっぽを向いたままぼそぼそと、でもぴったりくっついた腕だけがひどく熱い。
「くっ。扉が開かぬではないか…左近、俺はどうしたら…!」
ドアの前で眠ってしまった兼続の所為でトイレから出られなくなった三成が救出されるのは、随分先のことのようである。
幸が伊達にちゅーを書きたかったのですが、恥ずかしい結果に終わりましたよ!
兼続暴れすぎ。こういう呑み方しなくなったなあ。
(08/06/24)