※痛々しいです。先に言います許してください。



自室の扉をがらりと開けると、幸村が笑顔で出迎える。外は暑かったでしょう?今日は如何でしたか、何か変わったことはございましたか。部屋の中央できちんと正座をしたままこちらを出迎えるその仕草に、はじめの頃は随分戸惑ったものだが、最近ではもうすっかり慣れてしまった。
一人部屋なら充分、だが二人となると少々手狭なこの部屋を、それでも幸村が出て行くことはない。政宗が強要した訳ではないが、彼はこの部屋を自らの領分と定め、政宗と一緒でなければここを出ようともせぬ。必然的に幸村の出迎えは玄関ではなくこの部屋の中で行われることとなり、政宗は自室に入る瞬間、中に居るべき幸村の気配を感じてそっと安堵の息を漏らすのが癖になってしまった。


幸村が政宗の許に訪れた経緯は随分唐突だった。道端で偶然出会って意気投合したのでも、普通に玄関をくぐり政宗を訪ねてきたのでもなく、ましてや路地裏に捨てられているのを政宗が拾ってきた訳でもない。
政宗の部屋の何もないところから現れ、急にことりと落ちてきたのである。そう、正に「落ちてきた」としか言いようもない登場の仕方であった。
地上、いや床上5、60cmに突如現れた幸村は、それでもきちんと重力の影響を受けたらしく、ごとりと鈍い音を立てて強かに床に身体を打ちつけた。呆気に取られて声すら出ない政宗の目の前で、やがてむくりと起き上がるとふるふる首を振り、おもむろに此方をぱちりと見遣って満面の笑みと共にこう言った。「政宗どのでございますね?ずっとお会いしとうございました」
会いたかったと言われても、少なくとも此方からすれば完全に初対面であったし、何よりこんな珍妙な登場の仕方をする知り合いなど居らん。そう突っ撥ねることが何故か政宗には出来なかった。
「この幸村、これより身命を賭して政宗どのにお仕え致す所存にございます」
最早何がどうなっているのか政宗にも全く分からなかったが、そうか、こ奴は幸村と申すのか、そんなとりとめもないことばかりが頭の中を巡っている。三つ指付いて深々と頭を下げる幸村の、さらさら流れる髪の毛に触ってみたいなあ、そう思った時には既に二人の共同生活は始まっていた。


一体どんな恩義があるのか、そもそも幸村にとって政宗とは何であるのか、政宗にも全く想像が付かないままだったのだが、幸村は完全に政宗の味方であろうと固く決意しているようだった。政宗どのの為なら厭うことなど何もございませんと豪語する幸村は、それを証明するかの如く、ただ政宗の部屋の中で日がな一日彼のことを考えて暮らす。
もしも政宗どのに何かあったら私がお守りするのです!そう息巻いている幸村の心中知らず、政宗が兼続の話題を持ち出したのは、全く持ってそう、偶然が生んだ悲劇であった。
「あ奴は義狂いでな。儂のことを不義の山犬と目の敵にしているのじゃ」
それは政宗にとっては愚痴ですらない、只の事実だった。
兼続に噛み付かれて悲しく思ったことも傷付いたこともない。むしろ特に感想すらないやもしれぬ。せいぜい、兼続はいつも元気じゃな、もう少し小さな声で喋れぬのか、くらいなものだった。
幸村が「困った方もおられるものですね」と笑ってくれれば良いと思った。それなりに長い共同生活の中、情が移ったという言葉では不適切な感情が己の裡にあることを政宗は既に自覚している。自分の話に熱心に耳を傾ける幸村の姿は何よりも、そう愛おしい。
しかし政宗にとって思わぬことが起こった。政宗の言葉を聞いた瞬間、幸村が激怒したのである。
「政宗どのを捕まえて不義の山犬とは酷いです!政宗どのは不義などではございません!ましてや山犬などと!」
それは政宗が初めて目にする幸村の憤りだった。政宗がどんな我侭を言っても、今まで声を荒げたことすらない幸村である。それが自分の為にここまで感情を露にするとは。
もしかして儂って思った以上に愛されてる?と思わず政宗の口元も緩む。
それでも幸村を放っておく訳にはいかず、まあ気にするなといきり立つ幸村の頭をぽんぽん撫でる。一瞬政宗を見詰めそのままくるりと背を向けた幸村。何じゃ、儂を思って泣いておるのか?全く愛い奴よ、役得とばかりに政宗の腕が幸村を引き寄せようとした瞬間、その幸村が勢いよく振り返った。
「政宗どの!今から私はこの道具で兼続殿を成敗して参ります!」
泣くどころか、いい笑顔でそう言い放つ幸村の手に握られているのは。
「…大筒?」
「いえ、これは空気大筒にございます!これをこうして腕にはめて…」
幸村の腕に大筒が装着された。その銃口をゆっくりと政宗に向ける。突如感じた命の危機に動くことも出来ぬ政宗。
幸村の眸の奥が光ったような気がした。と同時に。
「ど―――ん!」
無邪気な幸村の声と共に、身体中に感じる痺れるような痛み。骨がバラバラになったよう、という言葉はこういう時に使うのじゃな。その場に崩れ落ちながらも、何が起こったのかと必死で辺りを見回そうとする政宗に、幸村は笑って語りかける。
「腕にはめて掛け声を出すと、大筒のように空気が発射されるのです。これぞ真田の空気大筒!」
政宗どの、これでしたら兼続殿を懲らしめることが出来ましょう?そう微笑む幸村に、止めなければ、と震える手を差し伸べようとして、そのまま政宗は意識を手放した。


政宗が再び目を開けた時には、部屋の中は既に薄暗く。辛うじて届く残光が浮かび上がらせているのは、空気大筒とやらを腕にはめた幸村の姿に相違ない。そしてその横に転がっているのは
「か、兼続…か?」
間違いない、夕日を浴びて真っ赤に光る奇妙な兜。いや、口元とかにも明らかに違う種類の赤が付着しているような気がして、政宗は慌てて視線を逸らした。
「政宗どの!やっとお目覚めになられたのですね。この幸村、政宗どのの為に兼続殿を討ち取って参りました」
いや、討ち取ったら不味いだろ。ってことはこれは。
ぐらぐらする頭を必死で巡らす。もしかして。
「ししししし死体か―――?!」
「何を仰います、政宗どの!人聞きの悪い!虫の息ですが呼吸は呼吸、死んでなどおりませぬ」
ぷうと頬を膨らませ返り血に染まる幸村はなんと凄絶な。それで政宗に向かって言うのだ、兼続殿も分かってくださいました、政宗どのは不義などではありませぬ、とか何とか。
…儂は。儂は義とか不義とか一切興味ないが、強いて言うならお主が一番不義じゃ、幸村。いやなんか怖いからよう言わぬが。
「うう〜ん…花畑…あれは…謙信公?謙信公!今、そちらに…川を渡って…!」
「駄目じゃ、兼続!その川は渡るな―――!」
何とも上手い具合に要点をついた兼続のうわ言に、結構本気で這い寄る政宗。まさかこんなことで友情が芽生えるとは思わなかった。というか頼むからここで息を引き取らないでくれ。
目一杯兼続を揺さぶる政宗を、幸村がうっとりと見詰める。政宗どのは本当にお優しいですね。幸村はそんな政宗どのが大好きにございます。
夢にまで見た幸村からの甘い言葉の筈だったのだが、何故か政宗は身体の震えが止まらぬ。ようやく息を吹き返した兼続と、邪気のない幸村の笑顔を交互に見比べながら他人事のように、だが心から実感する政宗。完全な暴力というものはこうも容易く人の心の中にある色々なものを挫くことが出来るのじゃなあ。


よく分からぬ幸村の道具とやらで、意識不明の兼続をこっそり直江家に運び込んだその帰り道(義と元気だけが取り得の兼続は明日にも起き上がることが出来よう)。
疲労困憊といった感丸出しでとぼとぼ歩く政宗の後ろを、幸村が数歩遅れて追ってくる。政宗どの、幸村が遠慮がちに声をかけた。
「あの、申し訳ございません。政宗どののお手を煩わせてしまいまして」
傷害に殺人未遂の現行犯の謝罪としては完全におかしいが、それでも政宗は一先ず頷く。それを見て安心したようにほっと息を吐く幸村は、やはり政宗から見れば何者にも変え難いのだ。あー、まああれじゃ、今後は儂の為とは言えこういうことをするでないぞ?
「はい、証拠とかは二度と残さぬように致します」
しおらしくも俯きながら呟く幸村の台詞を聞いた瞬間政宗は固まった。
「もっと簡単な方法があったのです。それがこの道具にございます。スイッチを押すと跡形もなく、存在すら消えてしまうというものでございまして」
「つ、使うな!二度と道具は使うな!良いか、お主の道具とやらは全部儂が預かる。儂の許可なく絶対に使うなよ?!」
えー真田の道具はすっごく便利ですのに、そう言いながらもしぶしぶ独○スイッチを手渡す幸村を政宗は思わずまじまじと見詰めた。何故か「手遅れ」という単語が頭をよぎる。
やはりこ奴は可愛い同居人でも、ましてや便利な自分だけの味方でもなくて、真田なのだ。ぽちっとな、とか言いながら笑顔でこのスイッチを押してしまえる真田なのだ。
片手に収まる程の、その機能の割には小さく軽いスイッチを握り締めながら、今までこれを押したことがあるのかは絶対に聞いてはいけない、儂の精神衛生の為にも、そう固く誓う。
いつもより心なしか明るい月明かりの下、暗いアスファルトに映し出された更に真暗な自分の影が、何だか妙に心に沁みる政宗なのだった。




押しかけ女房的な真田。政宗どのすきすきゆっきーでも書こうと思ったら間違えやがった。ちょうごめん!
あと、言われて気付いたんですけど、謙信公死んで…?え?あ、ごめんなさい…。
(08/07/23)