「だからこの儂が頭を下げているのであろうが!」
いや、下げてない。それに貴様が叫ぶ所為で店内の視線がこちらに集まっているぞ。
さすがに居心地が悪かったか、軽い舌打ちに鋭い隻眼付きで周囲を見渡すと、四方八方からの視線は感じなくなった。
変わりに周囲の温度が下がった気がするがな。
「ならば俺にどうしろと言うのだ、政宗」
「三成、貴様は幸村と同じクラスだっただろうが!何でもいい、あれから何か聞いておらんのか?」
聞いたところで貴様に教える義理がどこにある。
そう言いたいのを堪えて、俺は先程別れたばかりの幸村のことを思い出した。
そう、確かにここ数日、幸村はどこかおかしかったのだ。


いつものように兼続が義を語っても上の空、俺が止めなければうっかり兼続の口車に乗せられて上杉部への入部届けを書いてしまうところであったし、授業中には教室中に響き渡るような溜め息を吐いて注目を浴びていた。
急に厳しい顔をしたかと思うと、次の瞬間には真っ赤な顔で机の上に突っ伏して「う〜」とか何とか唸っている。
新種の病か?と心配もした。
幼少の頃から蝶よ華よと、いや違う、弟のように可愛がってきた幸村が何か悩んでいるのであれば助けてやりたくなるのが人情というものだ。
兼続などは「山犬に何かされたか!幸村!」と叫び、大いに不興を買っていた。
無論、俺もそこは疑うところであった。
幸村と政宗、この二人の仲をおおっぴらに反対するような真似はしないものの、やはり面白くはない。多分、兼続もそうであろう。
もしも幸村に何かあったら明日の太陽は拝めないと思え。
そんなことを思いながら幸村を観察していたら。
「そういえば昨日」
弁当の唐揚を飲み込んだ幸村が、ふと口にした。
「政宗どのが猫を拾ってこられたのです」


この報告が三日前。
それから今日に至るまで幸村の口から政宗という単語は出てきていない。
普段から政宗のことを自分からべらべら喋るような奴ではない。
が、動物のいない家に急に犬なり猫なりがくるというのは大ニュースだろうから、幸村が話したかったのも分かる。しかし
「あの様子からすると有り得んが、幸村がよもや猫が嫌いだったということはないのか?
 自分の意見も聞かず猫を拾ってきた貴様に怒っている、とか」
「馬鹿め。その日は猫と愛らしく遊んでおったわ。アレルギーがあるとも聞いておらん」
愛らしい、はやはり猫にではなく幸村に係るのだな。それはいい、問題は。
「では何故貴様と口を利かなくなったのだ?」
「それが分かるなら貴様になど相談しておらぬわ。きっかけも分からん。
 目を合わせない。近くに来ても俯いておる。理由を尋ねてもなんでもないの一点張りじゃ。
 されど怒っている様子もなし。それこそ、昨日の夕食は一緒に食ったしのう」
そうだ、幸村は怒ると容赦ない。政宗なんぞ一撃だ。
生きてて良かったな、政宗。
政宗の命はさておき、では幸村の奇行の原因は何だ。
「幸村が猫の話を貴様らにした後はどうじゃ?何か言ってはおらぬか?」
確かに。普通ならどんな猫をどんな経緯で拾い、どうしたかを話す筈…
「…落ち着いて聞け、政宗。その直後、兼続が猫を捨てる飼い主の不義について語り出した所為で幸村は聞き手に回ってしまった」
「なっ!兼続の馬鹿めが!」
政宗の拳がテーブルを叩き、店内の注目が再び俺達に集まったが、さすがの俺も政宗を諫められなかった。
「大体儂が何をした?!いつもは気に入らぬことがあれば容赦なく儂を殴りつけるあ奴が!
 それとももう儂は幸村にとって殴られるだけの価値もないというのか?!」
多分兼続のことで頭に血が上っているのだとは思うのだが、その言い方は誤解を招くわ、同席している俺の方が恥ずかしいわで少し困るぞ。
「まさか!どこか体調が悪いのか!それとも儂には話せぬ心配事か!」
そうだな、今日も幸村は弁当を平らげた後、菓子パンを三つも頬張っていた。とはいえ病ではないとは言い切れぬ。
いつもはふてぶてしいまでの政宗も幸村のこととなると勝手が違うのであろう。
取り乱し叫ぶその姿を見ながらも少々嬉しいのは、俺が多少なりとも二人のことを認めているからか。
それとも、ああ、これが巷に言うところの父親の気持ちというものなのだろうか。
「そう!これが愛だ!!山犬、貴様もついに愛に目覚めたのだな!それは喜ばしい!!
 あとは貴様が義に目覚めれば万事上手くいく筈だ!さあ、幸村も言ってやれ!義の道を共に目指そうと!
 一人が皆の為に!皆は一人の為に!義の為に!愛の為に!!」
突然の乱入者に俺は、そして政宗も言葉を失い、兼続の大演説は店員に追い出されるまで続いたのだった。


「ふむ!我ら義の士を追い出すなど、あの店は不義の誹りを受けることになるであろうな!」
尚も気炎をあげる兼続を華麗にスルーして幸村が言う。
「申し訳ございません。三成殿にも兼続殿にもご心配をお掛けしてしまいました。それから」
俺はいい。兼続も心配していたかどうかは怪しいものだ。
「政宗どのにも。兼続殿に叱られました。話さねば伝わらぬと」
「う、うむ」
政宗は些か複雑そうだ。
それはそうだろう。これから幸村が何を言い出すか分からない上、あの兼続に諭されたなどと言い出したのだ。
よもや無いとは思うが、これで幸村による義の演説が始まったらどうしたらいい。
俺なら逃げ出すかもしれん。
「政宗どのが、猫の、その名前を、あの」
俺がとりとめのないことを考えているうちに幸村はさっさと本題に入ったらしい。さすがだ、幸村。
武士の情けとして、俺は兼続を引き摺って目の届かぬところにでも行ったほうが良いか。
「何じゃ?弁丸にするのはやはり嫌か?」
少々余裕を取り戻した政宗が尋ねる。
いや、ちょっと待て。俺と兼続はどうしたらいいのだ?ここで見ていろと?
「嫌ではございません!ただ、あの!名前が!」
「ふむ!幸村は山犬が己の幼名を呼んだことを嬉し恥ずかしく思うと同時に、そのように愛し気に呼ばれた猫に嫉妬を覚えたのだな!」
「何故貴様が解説するのだ!」
寄寓にもハモった俺と政宗の声に答えたのは兼続だけではなかった。
「いくら猫でも、いくら私の幼名でも、あんな風に呼ぶのはお止めください…」
解説するのは私の役目だ!と高らかに宣言する兼続の声に雑じって、それでも消え入りそうな幸村の声は肝心の相手にしっかり届いていたらしい。
「馬鹿め。お主の名なら一晩でも二晩でも好きなように呼び続けてやるわ、幸村」


馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
猫にやきもちだと?猫に想い人の名だと?
幸村は小さい頃からずっと一緒だったんだ。
まさかこんなに早く唾がつくなんて思ってなかったんだ。
ずんずんと早足で歩いて二人から遠ざかった。もう奴らの声は聞こえない。
そうだ、それに互いしか見えてないのだ、俺がいなくても気にしないだろう。
義だの愛だの叫びながら俺についてきた兼続が言う。
「明日は休みだ。左近や慶次も呼んで三成の家で騒ぐか」
「…何で俺の家なんだ」
本当はそれほど怒ってはいなかった。ただなんとなく羨ましかっただけだ。
「お前の部屋が一番広いだろう」
「……つまみはお前が用意しろよ」
「うむ、承った。…手のかかる弟が増えると大変だな、三成」
俺はそれには答えず口の端だけで笑ってみせると、左近に連絡をする為に携帯を取り出した。




実は三成のポジションを決めかねていて、これでやっと決まったって感じでした。
だから話はダテサナですが、主役はお兄ちゃんみっつんです。
四人でいるのも好きなのです。
最後はぼかしましたが、もちろんお酒は二十歳になってからですよね!

※上杉部…直江が立ち上げた部活。謙信公の素晴らしさを語ったり叫んだりする。意外に部員は多い。
(08/04/01)