玄関の方からかちゃかちゃと鍵の触れ合う微かな音が聞こえ、幸村は慌てて駆け寄った。大学受験の結果待ちの時ほどではないがそれでも緊張していた分、一人で待つ時間が長くて長くて。
勢い良く開けた扉の先に立っていたのは、今は同じ大学の後輩で同居人で何故か恋人で、ああそんな説明どうでも良いではないか。大丈夫だったのだろうか、それを確かめないことには。
「おっ!おかえりなさいませ!あの!」
飛び出してきたのはいいものの、急に直接それを尋ねることに躊躇したらしく、幸村が口ごもる。
滅多に無い玄関までのお出迎えに本気で驚いていた政宗だったが、理由が分かればどうということはない、苦笑しながら掌に収めたそれを幸村に見せてやる。
「大丈夫じゃ、儂を誰だと思っておる。受かったぞ、ほれ」
政宗が差し出したのは運転免許証。免許如き取るのに何度落ちようが、それどころかいっそ持っていなくても構わないと政宗は思うのだが。
どうせ幸村が車を運転するのだ。自分では車を運転するつもりは更々なく、ただビデオ屋の会員カードを作るのにその方が楽だと思い至った政宗は、免許を取ることに決めた。そんな理由である。面倒臭がって自動車学校にすら通わなかった。適当にテキストを読み、既に免許を持っている恋人に手取り足取り教えて貰っただけである。
政宗はもともとそんな気持ちだったから随分気楽に構えていたのだが、幸村はそうはいかなかったのだろう。自分が教えた手前もあり、じりじりと結果を待っていたに違いない。
「良かったです!政宗どの、おめでとうございます!」
取り立ての免許を握り締めて満面の笑みを見せてくれる幸村を見れただけで、免許をとった甲斐があったというものだ。
「今夜はご馳走にしますか?」
確か、自分が幸村と同じ大学に受かった時にも、似たような反応だった、と政宗は思い出す。
春からは一緒の大学ですね、と喜ぶ恋人に、一緒に住もうと申し出るのは受験より緊張した。その後、幸村が作ってくれたご馳走に舌鼓を打ちながら、二人で住宅情報誌を見たのだ。
あれから一年。自分達は随分上手くいっていると思う。
と、冷蔵庫を覗き込んでいた幸村が、不可解なことを口にした。
「もしも取れなかったら作ってやると父が言っておりました故」
いつ話が変わったのだ?幸村の父親は何を作ってくれるのだ?
未だに少し苦手な幸村の父・昌幸を思い出す政宗。が、勿論幸村の前でそんなことはおくびにも出さない。
「もしも政宗どのが免許を取れませんでしたら、父が偽造してくださると」
何を言っているのだ、幸村は。
「でも政宗どのはきっと受かるから大丈夫ですと申し上げたのですが」
「………」
「如何されました、政宗どの?」
「……そ、それは犯罪ではないのか?」
「はい、犯罪です」
うんしょ、と冷蔵庫から肉を出しながらする話題ではない、筈である。それとも何か?儂が間違っているのか?あまりにさらりと話す幸村に混乱すること暫し。やっと政宗が話の全貌を掴みかけた時。
「しかし父上にも困ったものです。気が早いことにもうこんなものを作って、先程渡して帰られたのですよ」
そういう幸村の手にあるのは、政宗の持っている免許と寸分変わらぬ運転免許証。
「な!何故そんなものを持っておるのじゃ!」
政宗の声も裏返るってなもんだ。
「私は絶対政宗どのなら大丈夫ですと申し上げましたのに」
「問題はそこではないわ!儂まで共犯にする気か、あの親父!」
「お嫌ですか?!」
「いや、いいぞ!!儂は幸村と共におれるなら犯罪者になろうが!……て違うわ―――!」
切なげに自分を見遣る幸村に騙されうっかり犯罪者になるところであった。いや、幸村はともかく、この言葉があの父親に知れたらいっそこちらが主犯になりかねない。
「でも、私三枚持ってますよ?」
「ど、どういうことじゃ、幸村!」
激しく動揺する政宗の目の前に、幸村は自分の免許証を取り出した。
「はい、これがちゃんと取った奴です。こちらが父が作ってくれたものですね。あと一枚は…あ、今小助が持っているんでした」
「こすけ?」
「ええ、穴山小助。実家に住んでおります影武者の一人です」
影武者?影武者が必要なほど幸村は何者かに命とかそれに准ずるものを狙われているのか?それとも逆に何かを狙おうとしているのか?いや駄目だ、これ以上うっかり尋ねて真田家の暗黒面が次々露見したら、儂はどうしたらいいのじゃ。
目下の問題は影武者では無い、免許じゃ。幸村と儂の偽造免許を秘密裏に葬ってしまえば問題なかろう。そう思いたい。
「そ、そうか。だがそれは小助とやらから早急に帰して貰おうぞ、幸村」
「?良く分かりませぬが、政宗どのがそう仰るのであればそう致します」
政宗の言うことに疑いもせずにっこり笑う幸村は可愛いらしい。だが、もう少し色々なこと――例えば自分の父親のすることとか――は疑って欲しかった。
「うむ、早く返して貰えよ。儂は少し出掛けてくるからな」
「はい、お気をつけて」
政宗の記念すべき初ドライブは、ホームセンターにシュレッダーを買いに行ったことであった。
金に物を言わせて高性能なシュレッダーを買って帰ってきた政宗。
「ええと…こちらが本物です。間違いありません」
幸村の指導の下、偽造免許を早速切り刻む。何故自分にも見破れない違いが幸村には分かるのかだとか、小助とやらが持っていた筈の幸村の三枚目の免許が既に家に届けられているのは何故だとか、最早そんなことはどうでもいいことのように思えた。
「政宗どのが要らないのでしたら、政宗どのの偽免許、私が持っていようと思いましたのに…」
少しだけ幸村がごねた(そして政宗はそれに少々絆されそうになった)が、そこは気持ちだけ貰っておこうと思う。せめて法的には清く正しく生きたいではないか。
「そういえば三成殿が自動車学校に通っておられるそうですよ?」
「ほう。あ奴が運転なぞできるのか?」
とりあえず逸れた話題にほっとしながら政宗が答える。手は忙しなくシュレッダーのゴミを掻き集めているのではあるが。
「もう何度も仮免許で落ちているのだと兼続殿にお聞きしました…これ、三成殿に一枚差し上げれば良かったでしょうか?」
既に紙くずと化した偽造免許を勿体無さそうに指先で摘みながら幸村が言う。いや、それはそれで洒落にならぬから。
「…幸村、それは絶対に昌幸殿には言うなよ」
急に肩を抱いて真剣に言う政宗に驚いたようだが、それでも幸村は素直に頷いた。
翌日。
「幸村、実家から書留じゃぞ」
台所で料理を作る幸村に変わって、郵便物を受け取った政宗が戻ってきた。
「すみません、今手が離せませんので、政宗どの、開けてくださいますか?」
おう、いいぞ、と封筒を開けた政宗はそのままの姿勢で固まった。
『この免許を治部少殿に渡してやれ。――父より』
昨日納戸に放り込んだシュレッダーを再び引っ張り出す為、慌てて走る政宗を、幸村が不思議そうに見詰めていた。
6〜8月半ばまでの拍手話でした。
犯罪はダメですよ。犯罪かっこわるい!
免許の書き換えか何かで思いついたのでしょうね。即物的なネタが多いので、後から見ると何やってたが一目瞭然です。
あと多分伊達と真田を同棲させたい!という熱が高まっていた時期。