※下品です←そろそろこの注意書きにも飽きてきましたね!
幸村が伊達家に仕官して、あっという間に数年が経った。
初めの内こそ奥州の冬の厳しさはもとより、上田と比べて随分豪奢な城の細部にまでいちいち戸惑っていた幸村だったが、その人当りの良い笑顔と、時に真面目に過ぎる性分、そして何より武将としての才を周囲に認められ、気付けばすっかり伊達家に打ち解けていた。これだけならば、只のよくある話である。が、幸村と打ち解けたのは、伊達家を支える家臣団の皆だけではなかった。幸村と最も親密になりたいと無駄に頑張ったのが事もあろうに伊達を束ねる十七代当主・政宗であったから、話はまたややこしくなった。
暫くは遠慮がちに逃げ回る幸村を、大声を張り上げた政宗が追い掛け回し、それを小十郎が嫌そうに窘めて回るという光景が城内のあちこちで見られたものだ。
やがて政宗を止める役が幸村自身に代わり、いつしか何の間違いか幸村が「もう止めるのも疲れました…」と真っ赤な顔でしどろもどろの言い訳と共に政宗を受け入れてからは、もう完全に政宗の独壇場になってしまった。
こうなった政宗は兎に角幸村を傍に置きたがる。政務中、僅かな暇を見つけて会いに行くなど日常茶飯事。幸村が仕事していようが鍛錬中だろうが、それこそ昼寝中だろうがお構い無しに付き纏う。
先日などは偶々会いに行ったら先に成実が幸村と手合わせをしていたという理由で、家臣相手に銃をぶっ放し本気の大喧嘩ときた。「幸村は梵だけのものじゃないだろ!」「何を言う、儂だけのものじゃ!もう貴様出て行け――!」「ああ、言われなくても出てってやるよ、こんな家!」と家出の如き気軽さで、出奔するしないの大騒ぎになったのは記憶に新しい。
さすがにその時は幸村が声を荒げて二人を止めて事なきを得たのであるが、何だかんだで政宗の我侭ににこにこと付き合っている幸村にこっそり感心し、思わずどこぞの山城守のごとく「愛?」とか言ってしまいそうな小十郎である。
そんな小十郎にとって、その日は何の変哲もない普通の日であった。いつも通りに館を出て、頭の中で今日為さねばならぬこと――治水の計画を上げてしまいたいなあとか、今年の稲の出来はどうであろうかとか、そういうことである――を考えながら大手門を潜ろうとした小十郎は、視界の端に奇妙なものが映った気がして、思わず通勤途中の歩みを止めた。
如何にも起き抜けといった風情に、不遜にこちらを睨む隻眼、それでも大手門の前に直立不動で立っているのは。
「と、殿?」
「…なにやってんだよ、梵」
いつの間にかやってきたらしい成実も小十郎の横に立ち、あんぐり口を開けて君主であるところの政宗を見詰めている。
「早いな、小十郎。成実も」
よいしょ、とばかりに身動ぎさせた政宗の腕の先には「二の丸」と書かれたバケツがそれぞれ提げられており、これはどう見ても日曜夕方からの国民的アニメあたりでしか生存が確認できなくなっている「宿題を忘れて廊下に立たされる小学生」そのものである。
「いや、儂小学生じゃないけどな。しかも立たされてるのは廊下じゃのうて大手門の前じゃけどな」
「こんな朝っぱらから何遊んでんだよ。悪戯でもしたのか?それとも何かのプレイか?」
広い意味での悪戯ならいつもがんがんしとるわ。いや待て。そうか、これはもしかして噂の放置プレイというやつか!
バケツを提げながらそう力強く叫ぶ主を見て、小十郎は全てを理解した気がした。いくら深い愛にだって限界はあるだろう。これをやったのはそう、多分幸村だ。
覚醒する前の寝惚けた頭で、幸村は横にいる筈の政宗を探す。毎晩律儀に訪れそのまま共寝していく誰かさんの所為で、寝起きに政宗の体温を求めるのは、すっかり幸村の癖になってしまった。うろうろと彷徨っている幸村の手を政宗は引き寄せ、ついでにこの暑さで寝ている間に無意識に離れてしまった身体も引き寄せる。
「幸村、そろそろ時間じゃぞ」
そう言いながらも政宗が腕を緩めることはないし、そもそも眸すら開けていない。あと少し、と寝息の隙間に囁かれるぼんやりとした幸村の返事が嬉しくて仕方がない。
そうだ、初めの頃はこんな甘え方すらしてくれなかった。
「起きないと知らぬぞ。儂の独眼竜ビームを浴びる羽目になるぞ」
むにむにと政宗の肩口に顔を押し付けていた幸村が俄に起き上がった。布団の上にきっちり正座すると、とても寝起きとは思えない声で、静かに政宗に話し掛ける。
「…政宗どの、ちょっとそこに座りなさい」
政宗にはこの手の発言が非常に多い。
先日もどういう経緯か知りたくもないが「儂の息子は元気でのう、さすがは竜よ」と呵呵大笑していたのを見てしまった幸村。現時点で政宗には息子どころか娘もいないことについては言及するのも馬鹿馬鹿しい。
風呂に入れば、偶々紛れ込んできたらしい蛇と面つき合わせて(何の面だと幸村は危うく突っ込むところだった)にらめっこ的なことまでしていたらしい。幸村と軽い口論になり「その口、儂が直々に塞いでやろうか?」とにやにやしながら言われた時には、もしも本当にそうするのであれば躊躇なく噛み切ってやろうかとすら思ったものだ。
頭も良いし、まあ優しいし、何より自分を愛してくれているのは知っている。いざ褥でそんな雰囲気になれば、下ネタを嬉々として口にすることもない。が、その分、普段の生活の中で口に出す頻度が高すぎる、いや酷すぎる。
さすがにこれは限界だ。こうも毎日毎日、下半身と脳を、いやむしろ口を(変な意味ではなく)直結させたような応酬に慣れる前にきちんと躾けておきたい。そう幸村が思い、この機会を虎視眈々と窺っていたことを一体誰が責められようか。
「何じゃ、幸村。いつになく真面目な顔をしおって」
一方の政宗はにやけた顔を戻しもせずに、自らの腕を枕にまだ横になったままである。
そうは言っても幸村にとっては上司にあたる政宗、コトの最中以外に幸村が「政宗どの」と呼んでくれたのはいつ以来じゃったか、そう思うと頬は緩みっぱなしである。別に今更「政宗様」なんて呼ばずとも、普段から「政宗どの」とか言うてくれれば良いのじゃが。いやいや、いっそ御前様とかでも。
「…いいから。そこに座りなさい、政宗どの」
「どうした?儂の独眼竜ビームを浴びるのは嫌か?じゃ中に」
「兎に角!きちんと座りなさい!はい、正座!!」
幸村の大声に反射的に居住まいを正した政宗に、幸村は淡々と語りかけた。
いいですか、政宗どのは下ネタが多過ぎまする、よりにもよって目が覚めて開口一番、あのような戯言を口になさるなど何をお考えか、そうでなくても貴方様は誤解を与え易い言動が多いのですから…一体何処の世界に自分のアレについて嬉しそうに語る大名がおられるというのですか?
しかし残念ながら幸村の必死の訴えは政宗には全く通じなかった。
「やきもちなど妬かんでも大丈夫じゃ。儂の竜は幸村専用ぞ!」
すげえいい笑顔でそう言い放った政宗に、幸村は奥州の北風より冷たい一瞥をくれると問答無用で政宗を大手門の前まで引っ張って行き「ここで暫く反省なさいませ!」と水の入ったバケツを差し出したのだった。
「ふうん、何で幸村専用なのが竜なんだよ」
「何じゃ、分からんのか成実。竜というのは喩えでな、儂の」
一瞬にして幸村に深く同情した小十郎は、咄嗟に政宗の口を塞ぐ。いくら罰だとしてもイメージ商売でもある君主を、人通りの多い大手門前にしかもこんな格好で立たせておくなんてと思っていた小十郎だったが、話を全て聞いてしまった今、完全に心は幸村の味方だ。それを面白そうに成実が観察している。
「竜が喩えってのは分かるけどさ、そんなに梵のって立派かよ」
「な!立派も立派、大したものじゃ!幸村だって満足の大き」
ムキになるなんて怪しいなーと笑う成実を無視して、今度こそ小十郎は後ろから政宗の頭を小突いた。
「政宗様、いい加減になさいませ。幸村殿に愛想を尽かされて泣いても知りませんからね」
幸村の名を聞き途端に大人しくなる政宗。そうじゃった、幸村がこうしておれと言うたのじゃ、いそいそとバケツを持ち直すと政宗はしゃんと姿勢を正した。
何と言うか、政宗にとっては幸村に言われたからそうしているだけで、反省とかそもそも何故立たされているかとかは余り重要ではないのだろうなと思うと、もう二言三言きつく言ってやりたくもなるのだが、自分だってこれ以上関わって大手門の前で注目を集めたくない。「梵、頑張れよー」成実の呑気かつ無責任な声援を隣で聞きながら、とぼとぼ大手門をくぐる小十郎は、この政宗の状態を幸村に告げ口するか否か、結構本気で悩む羽目に陥るのだった。
結局幸村に、全く反省の色が見えない政宗の様子を伝えてしまった小十郎。「今はそうでも暫く経てば絶対に反省してくださいますよ」自信たっぷりに口にする幸村に半信半疑のまま、政宗を迎えに大手門の前に向かうと、そこには憔悴しきった政宗がまだ「二の丸」バケツを提げて立っていた。
「どうです、反省なさいましたか?」
鼻歌でも歌い出しそうなご機嫌な様子でそう尋ねながら、幸村は政宗の手からバケツを受け取る。うん、儂すっげえ反省した、そうぼそぼそと語る政宗は既に口調までおかしくなっている。
だって朝はあんなに元気に下ネタ全開で立っていらして、それから半日も経っておりませぬよ?
「あのな、小十郎。儂、曲がりなりにも君主だったんじゃ」
これだけ年若い君主、しかも隻眼という誰にでも見分けられるおまけつき、である。
「ここに立ってると領民がじろじろ見ていくのじゃ。見ていくだけならまだ良いわ。儂さっき爺さんに『有難いことで、伊達の殿様じゃ、ほんに有難いことじゃ〜』って手を合わせられてな…」
出来たばかりの堤のおかげで水害を免れた、今年は多分豊作だ、普段雲の上の存在とも言える政宗にそんなことを伝えようと領民が次々にやってくる。中には娘の縁談が決まってほっとした、婆さんの病気が回復に向かって嬉しい、政宗とは一切関係ない朗報までも告げ「有難い」と手を合わせていくのである。
これは色々な意味で結構キツい。領内の視察に訪れて君主面して民の声を聞いているという状況とは訳が違う。
我らが殿様じゃと無邪気に慕う領民に、まさか下ネタが過ぎてここで宿題を忘れた小学生宜しく、よりにもよって家臣でもある情人におしおきの真っ最中だから放っておいてくれとは、さすがの政宗も口が裂けても言えぬだろう。
だが政宗の様子に疑問を持った民の一人が問いかけた。
「殿様、ところでそんな格好で何をしてらっしゃるんで?」
「…こ、これは…儂は…重いものを持って立っていると、良い政策が浮かぶのじゃ!」
咄嗟の出任せにも無邪気すぎる領民にはさすが殿様だと映ったらしい。ほんに民思いの殿様じゃ、と口々に誉められ、政宗は崩れ落ちそうな自らの身体を矜持一つで支え続けた。
「…民の無垢さに、儂、うっかり自害しそうじゃったわ…もうあんなことは嫌じゃ!儂は格好良い君主になるのじゃ!」
幸村、許してくれ!もう下ネタは余り言わぬようにする!と泣きついた政宗から見えないように、幸村はこっそり周囲に合図を送った。首を傾げる小十郎に「一応護衛の為に忍を伏せさせていたのですよ」とそっと囁き笑う幸村だったが、それは本当に護衛だけの為か、もしかしたら中には領民に変装して政宗に精神的ダメージを負わせる役目を負った忍もいたのではないか、そう尋ねることがどうしてもできない小十郎だった。
「はい、これは私が政宗様の為に一生懸命作った法度です」
幸村はそう言って政宗の前に紙を差し出した。墨の香もまだ強く残るそこには「政宗様諸法度」と幸村の筆跡で大きく書かれている。
未だ領民によるダメージから立ち直っていない政宗は無言でその書簡を広げた。
一、自分の一物について無闇矢鱈に口にしない
一、性的な冗談は一日二回までとする
一、食事中の下ネタは固く禁じる
「二回までは言うても良いんじゃな!幸村!」
下ネタってそんなに言いたいものか?と不思議そうに尋ねる成実を置いてけぼりにしたまま、恋人達の阿呆な会話は続く。
「ええ、そのくらいは。私も鬼ではありませんから」
「幸村!ありがとう、幸村!儂、幸村が一物って書いてるのを想像してどきどきし」
「今日はもう二回言いましたから、言ったら駄目ですよ」
「……この儂諸法度、破ったらどうなるのじゃ?」
そしたら私は上田に帰ります、そう言い掛けた幸村が急に口を噤んだ。
これでは何だか本気でない三行半を突きつけていちゃいちゃしている夫婦みたいではないか?もうこんなことしたら別れますよ、とか甘えながら脅しているみたいで。いや、どころか自分が上田に帰る、なんて罰は、政宗が自分と一緒にいたいと思ってくれなければ成立しないではないか。
勝手に法度まで作った癖に、急に不安になる幸村である。
「ま!まさか幸村、上田に帰るとかは言わぬよな?」
守るようには努めるが、もしも三回口走ってしまって上田に帰られでもしたら!儂はどうやって迎えに行けば許されるのじゃ!白装束か、十字架背負うか!「なあ、だから下ネタ言わなきゃいいだけの話じゃねえの、梵?」そう呟く成実をやっぱり置いてけぼりにしたまま錯乱する政宗に、幸村がそっと耳打ちする。
「…絶対、それだけはしませんから。ずっとお傍におりますから、ね?」
それから、回数もう一回増やしてもいいですよ?
何故か急にしおらしくなった幸村に我慢できなくなった政宗は、儂の竜が何のかんのと、早速その増えた一回分を使ってしまい、小十郎にぶちぶち文句を言われながらその日の午後を終始無言で過ごす羽目になったのだった。
〜おまけ〜
「という訳でじゃな、儂諸法度のおかげで飯を食いながら下ネタは話せぬのじゃ」
酒の肴をつまみながら何処か得意気にそう言った政宗に、幸村は苦笑い、三成は顔を顰めている。それはさておき、不義ぃ!と叫ぶかと思われた兼続が大人しく政宗の話に耳を傾けながら酒を口に運んでいるではないか。
「どうした兼続。腹でも痛いのか?」
「いや、それがな三成。私も先日お船に山城諸法度を作られてな…」
そう言って兼続は懐から書状を取り出した。
「これによると、食事中の下ネタは当然禁止、それどころか一日一回しか言ってはいけないのだ!そして私の最も愛するあの言葉を叫んでいいのは一日十回までとされてしまった!」
「…義と愛か?」
「そうだ!今朝起きて半刻もせぬうちにもうそれぞれ十回も口にしてしまったのだ!叫びたい!だが叫んだら直江の家から出て行けと事も無げに言われてしまっては従うしかないのだ!」
「下ネタに加え、義と愛ですか。それは…お船殿もいい加減色々大変だったのでしょうね」
そんなしみじみ口にするほど、儂の相手もいつも大変だったのか?そう聞いてみたかったが、ぐっと堪える政宗である。兎に角これに関しては余計なことは言いたくない。儂は兼続の必死を笑いはせぬぞ。
だが兼続の真の敵は政宗ではなく、互いを知音とまで認め合った三成であった。
「兼続、お前先程『愛』と口にしたが、それはいいのか?まあ、動詞だったがな」
「!!!」
十一回になってしまった!お船に離縁されるくらいなら死んで責任をとる!と刃物を振り回して泣きじゃくる兼続に、今更ながら慌てて止める三成。慶次殿がいらっしゃらないと兼続殿の自害を止めるのも一苦労ですね、と冗談にもならぬ冗談を言う幸村。
もしも酷いことを言うのは一日三回までという法度を儂が作ったら、幸村は守ってくれるのじゃろうか。
「兼続殿、お船殿の前でそのくらい泣き喚いて慌てれば、絶対許してくれますよ。ねえ、政宗どの?」
脳内で幸村諸法度の内容を忙しく考えていた政宗は、どうしてそこで自分に話が振られるのか、何故幸村は嬉しそうに笑っているのか、まるで分からないままとりあえず頷いてみたのだった。
見れば分かると思うのですが、成実がだいすきです。「わししょはっと」って語呂いいなーと思っただけで、ええ。
もう何が何だか。気安い藩ですね、領民も家臣も…すみません。
(08/08/18)