「画餅だな」
「画餅ですね」
「画餅じゃな」
寸分の狂いもなく見事ハモった声に三成はがっくりと膝をついた。いや、正確には既にきちんと行儀良く正座していたのだ、膝をつくも何もないが、気分は正にそんな感じだった。
「これだから石田治部殿は戦下手などと面白おかしく囃されるのだ!水攻めにもならぬ忍城水攻めには私も腹がよじれるほど笑わせて貰ったがな!だがそれはそれとして悔しくはないのか、三成!」
悔しい、だが何が悔しいかと言えば、義の誓いまでさせられた兼続に過去の古傷を持ち出されそこまで言われることが悔しいのであって、それに比べると世間で自分が戦下手と笑われていることなど瑣末な問題のような気がしてくるのだが。
大坂城の一室、今日も今日とて仕事に励む三成の許を兼続が訪れ、鍛錬を終えた幸村が顔を出し、その幸村を追っかけて政宗が登場したらもう仕事になどならない。
お前は豊臣ではなく上杉の臣だろうもう頼むから国に帰れ、それに奥州は大名がいなくても滞りなくやっていける程貴様の存在は軽いのか。(幸村は人質なのでこの辺りをうろうろしているのはまあ、仕方がない)そんな台詞は、兼続が選挙カーよりも姦しい音を発しながら、大坂城の廊下をこちらに向かって歩いてきた時に既に独り言ちておいたことである。
その後は全く三成の予想通りに彼の部屋に集まった三人。俺は戦下手かも知れぬが、お前らの動きは手に取るように分かるのだよ、自嘲気味に呟いた三成の言葉を拾い上げてくれる者は誰も居ない。
唯一左近が何か突っ込みたそうにうずうずしていたが、結局口を挟まずにそっと部屋を後にした。畜生、左近め。その行動は全くもって正解だ。その如才なさがまた三成には腹立たしい。
そんな四人が顔を突き合わせて何をしているのかと言われれば、単なる雑談に他ならず「憎き徳川を倒すにはどうしたらよいか」というのが専ら今日のお題である。
豊臣の天下を簒奪しようと謀っている(ように三成には見える)家康めは気に入らぬが、勿論今のところ三成自身、徳川と事を構えるつもりはなく、ただ「不義!不―義―!」と力任せに叫ぶ兼続に乗せられてつい胸中温めておいた秘策を口にした。その反応がこのザマだ。一体貴様らはどっちの味方だと三成がむかっ腹を立てるのも致し方ない。
「私と三成で家康を挟撃か。日本を一つの戦場に見立てたまことに壮大な策だが、画餅だな!」
「で三成殿、私は何をすればよろしいでしょうか?」
口を開きかけた三成を尻目に兼続が答える。
「その場合は交通の要所ともなる上田で示威籠城、といったところかな。しかし画餅だな!」
「一度画餅と言えば分かる、しつこいぞ兼続。じゃがそうだな、上手く挟撃するのは難しい。ましてや相手はあの狸。大体こんなものタイミング一つ狂えば仕舞いじゃ」
ひらひらと掌を振りながら事も無げにそう言い放つ政宗に、三成がぐ、と言葉に詰まる。それでも絞り出すような声で、ならば貴様らにいい案はあるのかと問い詰めたのは三成なりの矜持であろう。待ってましたとばかりに口火を切ったのは政宗だった。
「まず儂なら軍艦を造る!」
それでエスパニア人の度肝を抜き、ついでにちょっと騙くらかして艦隊を拝借したら、大坂城も江戸城も攻略し放題じゃ!
腕を目一杯広げ目を輝かせながら語る政宗は、一見未来への希望のような何かを感じさせるが勘違いしてはいけない。彼らが話しているのは徳川との戦の手段。座興とはいえこんな血生臭い話はない。
「ふん、それこそタイミングが間違えば終わりだな」
「全く山犬は他人の褌で相撲を取るのが大好きだな!己の力では何も出来ぬという訳か、これは面白…」
「政宗どの!その軍艦とやらに粥をかけられる場所はついておりますか?!」
地雷火然り、真田丸然り、兵器好きの幸村が兼続の発言を遮って食いついた。
興奮を隠し切れぬといった感じで身を乗り出す幸村に、思わずこくこくと頷いてみせる政宗。軍艦でどれだけ接近戦をする気だ、と三成が突っ込んだが、政宗は目の前の幸村から目も逸らさずに三成を殴って黙らせた。粥を流しても魚の餌になるだけだなんて。酷く嬉しそうな顔をする幸村に向かって、まさか政宗がそんなこと言える筈もない。
「実は最近私は粥に凝っているのです!父上とどちらが殺傷力の高い粥を作れるか競っているものですから」
出来上がったら私も乗せてくださいませと、はにかみながらお願いする幸村の手を取り「無論そのつもりじゃ」と笑顔を返す政宗の頭の中では、殺傷力の高い粥って何じゃという疑問は遥か彼方、どころか甲板で寄り添う二人の図が浮かんでいる。
こ奴らにも内緒で本当に造っている軍艦の完成を早めねばな、そうして幸村と二人で新たな人生の船出じゃ!粥噴出装置も忘れず付けるぞ、幸村。
一方の三成も、やっと合点がいったとばかりに一人頷いている。
最近城の台所で米の消費が何故か早いという声を耳にしたがそういうことか。今度幸村に城の米を使いすぎるなとそれとなく注意しておかねばな。今この場できつく言い渡すという発想は、幸村に関しては全く浮かばぬらしい。
「全く山犬の無策には呆れて物も言えぬな!」
政宗と三成、双方の物思いを散々に打ち砕いたのは、物も言えぬと自己申告した兼続の絶叫だった。
義!義があればどんな奇策も愚策に過ぎぬ!とても智将で軍師とは思えぬ発言を繰り返す兼続に、三成が少し気の毒そうに問い質す。それこそ画餅、いやもう画餅どころではないぞ、兼続。
「何を言うか、三成!義は何物にも屈さぬ!矢でも鉄砲でも、いや大筒も義の前には無力だ!」
「何じゃその無意味な自信は」
「義と愛とついでに毘の力があれば私は無敵だ!不義の山犬め、見るがいい!」
兼続の中の仮想敵が一瞬にしてすり替わったようだが、それはこの際どうでもいい。含み笑いをしながら立ち上がった兼続は呼吸を整えると気合と共に右手を前に突き出した。ピンクのような紫のような、見るからに奇妙な五芒星が掌の先に浮かび上がる。
「ああ、遠呂智のオープニングの」
「儂、間近で見るのは初めてじゃ。兼続もなかなか便利じゃのう」
「その便利さが義好きという欠点一つで台無しだな。で、それでどうやって攻撃する気だ、兼続」
言われたい放題の兼続だったが、珍しく反論一つせず今だ直立不動を保っている。
「なるほど、この技の発動中は全く動けぬ訳か。喋ることも出来ぬとは良いことを知ったわ」
「少し静かになりましたね」
「何だか俺は地蔵マリオを思い出した、懐かしいな」
あああったあった、ちくわブロックの上で地蔵になってしまうと焦るんですよね、とマリオで盛り上がること暫し、兼続ががたがたと震え出し、やがて。
「ぶは―――!貴様ら!この私が義と愛と毘の力で発動してやったこの神聖なる技を目の当たりにしてその反応は何だ!よりにもよって義に溢れた私と配管工を同列に語るとは何たる不義!」
「兼続殿、配管工も家老もどちらも立派なお仕事です」
「この技は息も出来ぬので非常に疲れるのだぞ!徳川と事を構えることとなったら、この私の義があって良かったと心から思うことになろう!分かったか三成!」
「息が苦しくなったら一巻の終わりだがな」
「ん?それまでに三成か幸村が敵を蹴散らせば良いだけの話だろう?」
いやもういい。こんな阿呆と挟撃策など考えた俺が馬鹿だった。「そう自分を馬鹿と悲観するのはやめろ、三成!」兼続がまだ何事か喚いていたが、無視してくるりと幸村に向き直った三成が尋ねる。お前はどう思う?何か目新しい策は思いついたか。
「私は上田で示威籠城か、政宗どのの軍艦で粥目付でしょう?」
粥目付、その名称はさておき、まあ仕事内容は充分分かるし、政宗がこれ以上ないくらい嬉しそうな顔をしていたので良しとした。
そんな三成に声を落として幸村が囁く。
「…でも本当に実行するのであればもっと違う方法を取りますけどね」
あの信玄の薫陶を受けた武田の秘蔵っ子。更には天下に名高い軍略を誇る真田の次男坊である。思わずごくりと咽喉を鳴らして自然詰め寄った三人(さすがの兼続も大人しくなった)の顔を順々に眺めると、幸村が極上の笑顔を政宗に向けた。
「やはりこの中でしたら政宗どのが一番適任です。どうぞこれを」
そういって懐から懐紙に包んだ何かを取り出す。
「何じゃ、これ?」
「何の変哲もない、でも珍しい菓子です。そうですね、そろそろ家康のところにご機嫌伺いにでも行かれたら如何でしょう?ついでにこの菓子も差し上げてみたら」
「…幸村?」
「大丈夫、菓子を寄越せと言ったら吝い家康のこと、首を縦には振りませんが、自分が貰うとなれば否やはないでしょう。それに政宗どのはそこそこ信頼も得ておいでの様子。疑われたら一緒に食せばいいだけの話ですよ」
「…儂、何だか別の意味で一人ぼっちの船出になりそうな予感がびしびしするんじゃが」
幸村から渡された包みを震える手で摘む政宗の横では、兼続と三成が真っ青な顔をして黙りこくっている。
「何をおかしなことを仰います。政宗どのはあの事件以来、解毒剤を片時も離したことはないではありませんか」
いざとなったらそれを飲めば大丈夫ですよ、とにこにこ笑う幸村の口を三成は慌てて塞いだ。あの事件は政宗最大のトラウマの一つだ、恐らく。
幸村、もう本当に色々可哀想だから勘弁してあげてくれ!そうだぞ幸村、さすがの私も何処をどう同情したらいいかすら分からんぞ!気をしっかり持て、山犬!そんな大声が大坂城の廊下に響き渡る。
丁度その時、大欠伸と共に廊下をだらだらと歩いていた左近は、突如響いてきた主とその友の声に驚き、更に廊下の端にうずくまっている人影に再び吃驚して立ち止まった。
「あのー、つかぬことを伺いますが一体何をなさっておいでですか?」
「ああ、左近か」
そう言って振り返ったのは見間違いなどではなく主の主、つまりこの日本を統べる天下人・豊臣秀吉である。
「左近殿、ご苦労ですな」
「い、家康殿まで…」
何をやってるんですかい。思わず身分も何もかも忘れて素で尋ねてしまった左近の声を打ち消すように、三成の部屋から声が響いた。
「だから狸といえど暗殺など俺は好かん!正々堂々と家康を負かし、秀吉様亡き後の豊臣の世を守るのだ!」
「でもここに折角こうして猫の首に鈴を付けに行く者も居りますのに!」
「な!人を指差すな、幸村!そもそも鈴をつけに行く鼠がどうなるか考えたことはあるか?!」
「義いぃぃぃ!」
あ、あのですね、多分殿たちがしているのは冗談の延長で、秀吉様への忠誠が先走ったっていうか、若手がベテランに反発するみたいな?ああでも暗殺はいけないですよね、暗殺は、しかし何で俺がこんな必死に言い訳を。
「んなことは分かっとるわ、左近」
額を軽く叩かれて咄嗟に口を噤む左近に、別に怒ってる訳じゃないんじゃがなー、肩を落として愚痴り出す秀吉。いくら愚痴でも天下人の言葉は言葉である、襟を正す左近に秀吉が呟いた。
「そりゃあ年齢で考えればわしの方が早くお迎えが来るじゃろうが、こんなに元気なわしを差し置いて死んだ後の相談とは悲しいのう…」
「…何を、まだまだ良いではありませぬか。この家康こそ何故ここまであの者らに目の敵にされるのか分かりかねますが…いっそ期待通り天下でも狙ってみますかなあ」
顔を合わせてあはは、と力なく笑う秀吉と家康。泣く子も黙る時の実力者二人の余りに痛々しい様に、左近も思わず貰い泣きしそうである。
「しかしまあ、微笑ましくもありますなあ」
いやいやあいつらが話し込んでいるのはあんたの首をどう取るかって話ですよ。思わずぎょっとした左近を無視して秀吉も小さく笑う。
「天下の何たるかもよく分かってない童共が、まあ色々小賢しく考えおるわ、のう家康殿」
折角だし一杯付き合うてはくださらんか、それはいいですなあ、ご相伴に与りましょう、仕事帰りのサラリーマンのような会話をしている癖にその貫禄は本物で、二人は「若い頃を思い出す」などとさも愉快そうに笑いながら大坂城の廊下を静かに歩いていく。
その後には子供チームにも天下人チームにも入れない左近がぽつんと佇んでいるだけ。
「…あー俺も久しぶりに郷舎達と呑みにでも行きましょうかね…」
ともあれ、何だかんだで今日も色々平和なのである。
何だこの話!みんなそれぞれ好きな居場所があるんです。
伊達、東軍じゃん、とかそーゆーのはいっそ清々しく無視してください。
(08/09/17)