帰り支度をしていた幸村の鞄から滑り落ちた教科書を拾ってやろうとして三成は手を止めた。
 
三成も持っている(当然だ。同学年で同じクラスは伊達じゃない。クラスは関係ないが)世界史の教科書。
授業以外で開く機会が少ないのか、はたまた持ち主の性格によるものか深く追求はしないが、綺麗な表紙に比べて中は落書きだらけだ。丁度広げられたページに載っているルイだか何だかいうどこぞの王の肖像画の隣に吹き出しで「ハラ減った」と書かれているのを見た三成は堪らず噴出した。
 
「幸村、何だこれ。授業中に遊んでいたのか?」
「ああ、それ政宗どのですよ」
 
「何!不義の山犬がどうした!よし、私の義の出番だな!」
 
少し離れたところで幸村と同じように鞄に荷物を詰めていた兼続だったが、政宗という単語に釣られたのかひょいひょいこちらに歩いてくる。今日は比較的大人しくしていたから、兎に角理由をつけて義!とか不義!とか叫びたいのだろう。
 
兼続を無視してぱらぱらページを捲って見れば、まあ出てくるわ出てくるわ。
「眠い」「暇じゃ」といった落書きした当人の気持ちを代弁するような叫びなんかは序の口で、ヘンリ8世の横には「わしは離婚するんじゃー」と書かれているなど中々芸が細かい。かと思えば端には「ゆきー、飯なにが良い?」「カレー!」といった筆談まで残っていて(多分幸村によるものだと思うが、お世辞にもカレーには見えないイラスト付だった)、勿論肖像画の眉毛は繋がっているものが多い。
 
さすがにこの年齢になってそんな馬鹿な落書きはしなくなったが、確かに数年前――政宗は幸村達の二つ下で現在中三。吃驚するほど呑気な受験生だ――は俺の教科書も結構酷かった、ここまでではないが。
その昔パラパラマンガ(大概左近が主役で、彼は血を流したり禿げたり死んだりする役だった)の制作に全力を注ぎ、一時期教科書の端っこが色々大変なことになっていたことは、三成にとって非常にどうでもいい過去である。
 
「教科書に落書きとは不義!しかも幸村の教科書にするとは全く許し難い不義だな!」
 
全教科の教科書、資料集、その他教材の「義」「愛」の文字(さすがに毘という文字は見つからなかったらしい)にマーカーを引いているお前が言うか?
あれはまだ学年も変わって間もない四月の半ば、放課後俺を無理矢理机の前に縛りつけ、右手にペンを握らせて「さあ次は59ページ!8行目!ここに義の字があるぞ、三成!」と他でもない俺の教科書に印をつけさせたのは、誰だ。そう思って兼続を睨むが、当の兼続はさして気にした様子もなく、今度は落書きの出来に文句をつけている。
 
「何故ブリューゲルの農民たちはこぞって『おはよー』と叫んでいるのだ、幸村!」
「ああ、試験勉強中にそのページを開いたまま私が眠ってしまったのです。それでその隙に」
「成程!転寝から目覚めるとこの農民らが口々に挨拶をしてくれるという寸法か!」
 
中学と高校では当然ながらテストの日程が全然違う。既にテストを終えた政宗の家でテスト勉強をしていると、政宗がやってきては覗き込み、ちょこちょこ落書きをしていく、とは幸村の弁だ。
なんというか、テスト期間中くらいは離れていられぬのか、貴様らはとも思ったが、爽やかに「ええ!」とか返されても困るので、その辺は強く突っ込めない三成である。
 
「モンテスキューだから隣に『三けん分立じゃー』と書いてあるのだな!しかし『権』くらい漢字で書けぬとは、やはり不義!」
「そうだな、そんなザマでは奴の受験が今から心配だ」
「そのくらい政宗どのは書けますよ!只の落書きですから仕方ないんです!」
 
それに政宗どのがそう書いてくれたから前のテストでモンテスキューの選択肢は正解できたのです!と憤慨する幸村。
政宗どのは成績だって良いんですよ、と主張する幸村に兼続が落書きだらけの教科書を見ながら尋ねる。
 
「この落書き、消したりはしないのか?幸村」
「ええ、別に困りませんし」
 
まあ、肖像画の眉毛が大変なことになっていようが、下らない吹き出し付だろうが、関係ないといえば関係ないのだが。
 
「それに何だかお可愛らしいと思いませんか?」
 
そう言われて戸惑ったのは三成の方だ。可愛い?あの餓鬼が?
中坊の癖に堂々と高校の敷地内どころかこの教室まで入ってきた挙句、「帰るぞ、幸村」と尊大な態度で幸村の手を引いて帰っていくあの政宗が?
 
「ふむ!確かに可愛いところもあるようだ!見ろ、三成!」
兼続が一番後ろのページを開いて三成の目の前に突き出した。
 
真田幸村、と記された持ち主の名前の横からは矢印が伸びており、その先には小さな文字で「こ奴は儂の」と書かれていた。ささやかなのか図々しいのか分からない主張に、さすがの兼続も苦笑気味だ。
 
「幸村、これ、お前知ってたか?」
 
三成が笑いを堪えて幸村を手招くと、幸村も何ですか?と自分の教科書を覗き込む。
一拍置いた後、おかしな動きで教科書をもぎ取った幸村は「これは違うんです!知りません、こんなの!」と叫びながら慌てて教科書を鞄に詰めた。
 
「折角山犬が書いたのだ。消したりしないでとっておいてやれよ!」
「いいえ消します!家に帰ったらすぐ消します!誰にも言わないでくださいね、お二人とも!」
 
ここで消せばいいじゃないかとか、誰にも言うなってそもそも誰に話すのだとか、そんな突っ込みをする暇もなく、幸村は鞄と自分自身を色々なところにごとごとぶつけながら逃げるように帰っていった。
廊下からは「ぎゃあ!政宗どの!」という叫び声が聞こえる。恐らく今日も幸村に会う為潜り込んできた政宗と鉢合わせでもしたのだろう。
「何かあったのか、幸村?」「なんでもないです!」そんな遣り取りが目に浮かぶようだ。
 
 
 
 
 
「なあ幸村。俺教科書忘れちまってよ。悪ぃがちょっと貸してくれねえか」
 
後日、隣のクラスの武蔵がそう言って現れた時、幸村は真っ先に三成のところへ走ったのだった。
 
「三成殿!武蔵に教科書を貸してやっては頂けませんか?」
「お前のでは駄目なのか?」
 
耳まで真っ赤に染めて俯く幸村。私のは、あの最後のページが…幸村にもごもごと言われてあの落書きを思い出す。消すと叫んではいたが、どうせ消せなかったのだろう?と確認すると、だって何だか勿体無くてと小さく頷かれた。
 
「くっ、武蔵か…あいつ教科書を汚しそうで嫌なのだが仕方ない。貸してやる」
「…あの、世界史じゃないのです…数学だそうで…」
「数学ならお前ので良いだろう?幸村」
 
「それが、あの落書き世界史だけじゃなくて、数学にも生物にも音楽にも…」
 
音楽にもか!政宗の意外なマメさに吃驚した三成は、そのまま教科書を武蔵に手渡してしまい、一時間後、ページのあちこちに「これ、わからねぇ!」「これもまちがっちまった!」と書かれすっかり様変わりした自分の教科書と対面することになるのだった。

 

 

 

去年の9月くらいから1月半ばまでの拍手でした。
ここでは伊達は年下なんですね。何もかもが懐かしい。何とか伊達年下設定を思い出そうとしていたこととか。
(09/01/19)