遠足の行き先が山なのか動物園なのか、そんなこと弁丸たちにとって非常にどうでもいいことであった。
 
 
 
「遠足の醍醐味は前日にあるのだ」
だいごみ、という言葉がどんな食べ物を指すのか全然分からなかった(チョコのように甘いのだろうと弁丸は推測した)弁丸だが、梵天丸がそう言ったことに全く反論はない。
遠足の前の日!そう遠足の前の日が弁丸には一番面白い気がする。
 
三百円なんて大金を持って買い物に行く楽しみ。
スーパーまでの道のりで、何度も何度も掌の中の三つの百円玉を数え、今度はそれをポケットに捻じ込んで山のようなお菓子の中から大好きなものを選ぶのだ。
「弁丸、チョコは溶けるぞ」「わかっておりまする!でもどうしてもちょこがほしいのです!」
毎年やってくる春と秋のそれぞれ一回ずつ、自分達は三百円を握り締めて物心ついた時からずっとそんな話をしてきたのに、今年もやっぱり言われてしまう。
「弁丸。チョコは多分大変じゃぞ」「…わかっておりまする!」そう言って口を尖らせる弁丸の影から突如大声が響き、梵天丸はぎょっとして歩みを止めた。
 
「明日の遠足のおやつの買い出しか!全く結構なことだな、諸君!」
 
陳列棚にがたがたとカゴをぶつけ、ついでに商品をがんがん落としながらも全く頓着せず近付いて来るのは与六だ。
その少し後ろには屈みこんでプロ○球チップスを両手にとり真剣に検分している佐吉の姿。恐らくは、選手のカードを選んでいるつもりなのだろう。
佐吉は決して熱心なプロ野球ファンではないが、遠足に持ってこいのこのサイズはやはり子供心をくすぐるものだし、何より毎回メガホンにスクワットという熱心な応援を自宅でも欠かさない(らしい)兼続の目の前で、奴の大好きな広島の選手などを引き当ててしまったら、有無を言わさず奪われること必至である。
これは…巨人っぽいな。俺はどちらかというとアンチ巨人なのだよ。むう、これはどうも袋から赤が透けて見えているような気がするな。店内の蛍光灯に菓子袋をかざしながら考え込む佐吉を一瞥すると、梵天丸は与六が棚から落とした菓子を拾いながら尋ねた。
 
「与六、貴様は菓子を買いにきたのではないのか?家のお使いか?」
「何を言う!山犬の目は節穴のようだな!この義のカゴにすっぽり収まった私のおやつが見えんとは!」
 
そう叫ばれ、弁丸がふおー!とカゴを覗き込む。が、わざわざ覗き込むまでもなく、そこには弁丸が丁度両腕を広げて一抱えくらいの袋がぽつんと置かれていた。
 
「これは…なににございまするか?」
「海苔だ!」
「のり?」
 
やっと自分の勘を総動員して納得のいくプ○野球チップスを選んだ佐吉が合流し、そう尋ねる。与六は只でさえ狭い通路のど真ん中にカゴを投げ出し、大仰にその中の海苔の袋を指差してみせた。
何事かしら?と視線を向けた主婦の方々に、何故か梵天丸が黙って軽く頭を下げる。
 
「味海苔という食べ物がある!江戸時代に生まれたとされる板海苔に、醤油や砂糖、香辛料で味をつけ、八切りから十二切りされた海苔のことだ。謙信公、そして義・愛の次に私が好むものの一つでな!ぱりぱりとした食感の後、唾液によって溶け出した調味料が口の中で絶妙なハーモニーを響かせてくれると言う」
 
「しんじられんな」
「食べてみるか?」
 
そういうと与六は今度は通路にしゃがみこんで味付け海苔の袋を引っ張り出した。まだレジも通してないものを開ける気満々だ。
こんな所での演説くらいであれば兎も角、ちょっとそれは自由過ぎる。梵天丸は慌てて与六を羽交い絞めにした。
 
「何をする!この不義の山犬め!私の味海苔は渡さぬぞ!」
「誰がそんなものいるか!食うなら金を払ってから食え、この馬鹿めが!」
「こんなに海苔が入っているのだ、一つくらい食べても分からぬだろう!」
「分かるわ!」
 
子供とは言えいくら何でもその理屈は通らない。不義どころか立派な犯罪だ。与六の手からどうにか味海苔の袋を奪い取った梵天丸に、今度は弁丸の叫び声が聞こえた。
 
「こんなに!こんなにあるのはずるいです!べんまるもおおきなものをかうのです!」
 
「な!ちょ、待て弁丸!走ると転ぶぞ!」
「あそこにおおきなものがあるのです!」
「くそ!おれもおおきなものをかうぞ!」
「こら、佐吉!プロ○球チップスは棚に戻せ!」
 
「これは!よっち○んいかお徳用パック!味海苔にするかよっ○ゃんいかにするか!謙信公、私はどうしたら!」
 
余りの混沌に梵天丸はその場で頭を抱え立ち竦んだ。
スナック菓子数点と甘いもの、それからあとは十円くらいの飴やガムで構成されるのが正しい遠足のおやつではなかったか。何故こいつらは大物ばかりを狙おうとするのじゃ。与六にいたっては菓子ですらないではないか。
 
自分のおやつを買うことも忘れて呆然と立ち尽くす梵天丸の周りに、それぞれおやつを手にした弁丸と佐吉が戻ってきた。
どうでもいいことだが、その間与六は物凄い熱い視線をよ○ちゃんいかに注ぎ続け、珍しく一言も口を利かなかったが、やがて物悲しそうな顔で首を振ると味海苔をそっと抱き締めた。どうやら与六の遠足のおやつに選ばれたのは味海苔らしい。まあそんなこと梵天丸には非常にどうでもいいことだ。
 
「ぼんてんまるどの!べんまるのおやつにございます!」
 
息を切らしながら走り寄って来た弁丸が抱えているものを見て、梵天丸はもういっそ穏やかに頷いて見せた。
どうせ儂が食べる訳じゃないし。
弁丸が満足ならそれで良いではないか。弁丸が抱えているのは、20枚は入っているだろうと思われる草加煎餅の袋。
そしてこちらも自慢げに佐吉が見せてくれたのが、やはり袋に大量に詰まった一口大の栗饅頭。どちらも量だけでいったら、与六の味海苔といい勝負である。
 
「良かったな、二人とも…」
乾いた笑いでそう言ったのに、弁丸も佐吉もそれはそれは大事そうに袋を抱えてこくこくと嬉しそうに頷いた。金額的に問題があれば差し替えさせることもできようが、残念ながらどちらも税込み298円。そういうところはきっちり選んでくる二人が信じられない。
…でもやっぱり儂が食べる訳じゃないし。勝手に煎餅でも海苔でも饅頭でも齧っておれ。儂はバリエーションに富んだ菓子を買うのじゃ。
そう思いながら、もしも弁丸が煎餅以外の菓子を欲しがったらすぐに分けてあげられるように、弁丸が好みそうな菓子ばかり選んでいく梵天丸がちょびっと痛々しい。
 
「どうじゃ?色々あるのも良いじゃろう?」
 
振り返ってそう言ってみたが、弁丸は煎餅の袋をまじまじと見ながら掌で口元を押さえていた。涎が抑え切れんほど煎餅が食いたいのか。
慌てて残りの菓子を選び、レジに連れて行く。
 
「2えんものこったな」「ふむ、あのバナナくらいなら2円で買えるのではないかな?」
佐吉と与六がまたややこしくなりそうなことを話していたのを小耳に挟んでしまったので、梵天丸は弁丸の手を取って急いでその場を離れた。
そうとも知らず弁丸は嬉しそうに袋を提げたり覗き込んだり。
「明日まで食うなよ」と釘を刺したら「だいじょうぶです!」と涎を垂らしながら良い返事が返ってきた。
 
 
 
 
 
次の日はそれはそれは絵に描いたような快晴で、お弁当をすっかり平らげた後、四人は自慢のおやつを手に取った。
 
海苔の小袋を開ける音、煎餅を齧る音、栗饅頭を咀嚼する音だけが響く。
これはこれで楽しそうで何よりだ。そう思った梵天丸に弁丸が寄って来て小声で囁いた。のどがかわいたのです、と。
 
「水筒がそこにあったろう?」
「…もうのんでしまいました。でもべんまるは、のどがかわいてしまったのです…」
 
煎餅を一気に何枚も食えば誰だってそうなるわ。梵天丸は自分の水筒からお茶を汲み弁丸に差し出してやる。
 
「おれも…のどがかわいたのだ」
「ふむ。そういえば私も酷く咽喉の渇きを感じるな!山犬、私にも茶を持て!」
「何故貴様に儂の茶をやらねばならぬのじゃ!」
「私の水筒はもうすっかり空でな!」
「おれも、カルピスだったので、うれしくてぜんぶのんでしまったのだ」
 
カルピスは不義だな、佐吉!と叫びながら当たり前のように梵天丸の水筒から茶を飲み、更に味海苔を頬張る与六。
 
煎餅に海苔に饅頭という、咽喉に張り付きそうなものを懲りずに食べ続けている三人の咽喉を梵天丸だけの水筒だけで癒せるはずもなく、遠足から帰った四人がまず向かったのは学校の水飲み場であった。

 

 

 

去年の9月くらいから1月半ばまでの拍手でした。
何故か与六は広島ファン。意味は全然ありません。
(09/01/19)