自室に戻ってきた幸村は(三成が上手く取り計らったのか、部屋に戻るまでに誰一人会うことはなく、自室も完全に人払いがなされていた)あれよと言う間に政宗自ら敷いた布団に押し込められた。
違和感はありまくりだが、何処も具合の悪くない身体を横たえているのにどうにも慣れず、もぞもぞと何度も寝返りを打つ。枕元に陣取った政宗は、幸村の額に手をやったり、口を開けさせ咽喉の奥を覗いたりしていたが、「風邪ではないのですから」と苦笑され、ようやく大人しくなった。
 
自分の身体は自分が一番良く分かると言うが、こうまで劇的な変化をしたにも拘らず不具合は何処にも感じられないことに、幸村は少しだけ覚悟を決めた。
おかしな箇所があれば、元に戻るか或いは別の姿になるか(これ以上一体どうなるというのだろう!)その可能性も考えられるが、希望的観測は持たない方が良さそうだ。
 
布団から腕だけ出して政宗の手を握ったら少しだけほっとした。「本当にお主は幸村なのじゃな」幸村の変化を目の当たりにしたとはいえ、たかだか掌の肉刺如きでそう断言した政宗は凄い、と思う。
 
 
 
その政宗が、締め切った障子の向こうに目を遣って嘆息する。陽が暮れかけていた。
 
「あの女狐は今、大坂に居るか?信幸殿の奥方は?」
 
くのいちは今上田に居る筈だ。義姉も勿論此処には居ない。枕に頭を乗せたまま、幸村はふるふると首を振る。
 
「…では今宵は誰か口の堅い信頼できる侍女と休め。夜中に何かあるとも限らんからのう、少しでも変わったことがあれば深夜でも儂を呼べ。儂も今日は館には帰らず、城に詰めておるつもりじゃ」
「共に居てはくださらないのですか」
 
幸村が跳ね起きた。再び幸村を布団の中に押し込めつつ、政宗が目を背け言う。
 
「…いくら何でも儂が共寝する訳にもいかぬじゃろう」
「この姿では」
興が削がれますか?そう尋ねようとして幸村は唇を噛んだ。
 
そりゃそうだろう。自分自身だって違和感を拭いきれないのに、政宗に昨日までのように振舞ってくれと乞うのは、酷だと思う。女になってしまったからだろうか、いずれ政宗に抱かれることになるかもしれぬと考えると、身が竦みそうに怖い。
だが、幸村の持って生まれた身体も、いやそれを含めた何もかもを慈しんでくれていた政宗のこれまでを裏切ったのだと思い知らされることの方が、怖い。
 
「というか、儂が自信がない」
「は?」
 
何を言っているのだ、この人は。
 
「儂自身が一番信用ならぬ!分からぬか、馬鹿め!少しばかり姿形が変わったところで隣に寝ておるのは幸村、お主なのじゃぞ。儂の我慢がうっかり利かなくなったらどうするのじゃ!一晩も耐えられぬのかと三成には睨まれ、兼続には罵られるぞ!いや、そんなことはどうでも良くてだな、お主は安静にしておらねばならぬじゃろうて!」
 
「はあ、まあ一応大人しくしていた方が良いとは分かっておりますが…」
「お主は全然分かっとらん!大体儂が幸村を前に大人しくして居れる筈なかろう!」
「いえ、そういうことではなくて、あの、私の身体は」
「そのようなこと知るか!確かに多少声は違うが、話し方は幸村そのものじゃし、顔付きも、雰囲気とてそうそう変わっとらん。そんな頼りなげな風情丸出しで、ころころ寝ておるお主が悪い!」
 
いや、寝かせたのは政宗なのだが。
 
「それ、やはり儂が――というより儂の元気すぎるあれがこれで問題なのじゃ!突っ込む穴が多少変わったくらいで臆する独眼竜ではないわ!」
 
そこまで一息に叫び倒して、やっと幸村の白い目に気付いた政宗が黙る。
 
「…そこは少し臆しましょうよ」
 
あと、大声で下世話なことを叫ぶのは如何なものかと。
そう告げたら、政宗が小声ですまぬ、と呟いた。噴出しそうになったが、二度目の貞操の危機に(一度目はすっかり過去のことではあるが)そうそう甘い顔もしてられず、わざと眉間に皺を寄せたまま「もういいです」と拗ねてみせたら、政宗が俯く。
 
「でも、一緒にいてくださいませんか?」
 
あー、とか、うー、とか唸っていた政宗が小さく頷いたのは、幸村がそう尋ねて暫く経って後だった。「儂、頑張ってみるわ」何をどう頑張るのか疑問に思ったので、それは聞こえない振りをした。
 
 
 
湯浴みがしたい、そう言った幸村に、政宗は一瞬困った後(人に見られる危険性が云々ではなく、風呂上りのほっくり据え膳状態の幸村をどうしたものだかという迷いが全身からだだ漏れだったので、やはり幸村は知らぬ振りを決め込んだ)それでも湯殿の用意をしてくれた。
幸村にとっては何てことない、唯この変化した身体にしっかり向き合いたかっただけである。
 
そんなこととは露知らず、幸村の部屋にぽつんと残された政宗は、あああああ、と気味の悪い声を上げながら幸村の香りが未だ残る布団の上で大いに転がっていた。
傍から見たら大層残念な光景だが、これでも彼は真剣だ。三成あたりが見たら、人払いをしておいて良かったな、とか言いそうな状態だ。
 
勿論当事者であるところの政宗は、自分の奇行を省みることなどなく、脳内は今宵の幸村一色である。
これは、あれか?幸村はそれとはなしに良いですよ、とか告げているのか?身体を隅々まで磨いてきますということか?だがうっかり手を出して怖がられたり嫌われたりでもしたら。「政宗どの、最低です」とか眦に涙を浮かべられたら、それはそれで。いや、そうではのうて。そうそう、幸村の身体も心配じゃし、今日は大人しく隣で休むだけだ。でも少しくらいなら。
随分前、幸村の褥にはじめて忍んでいくと約束を交わした時にも、昼間っからこんなことをしていて、小十郎に底冷えのする眼差しを向けられたのだった。無論、そんなもの政宗にとって何の抑止にもならなかったのだが。
 
そうだ、自分の分の布団を敷いて落ち着いた風情で幸村を迎えねばならぬ。
政宗がやっとそこに思い至ったのは、幸村が湯殿に行ってかなりの時間が過ぎた頃であった。
とりあえず、いそいそと自ら夜具の用意をしてはみたものの、幸村の布団にぴったりくっつけてみようか、それとも隙間は開けた方が良いのか、だとしたらどの位じゃ!と再び悶絶する様は、とても奥州王とは思えない。返す返すもがっかりだ。
 
 
 
「政宗どのー!」
 
聞き慣れた幸村の声が響き、彼にしては珍しく廊下を走る音が聞こえる。
まさか破廉恥な妄想全開で転がっていたことがばれたか、そう思って慌てて立ち上がった瞬間(別に立ち上がる必要はなかったのだが)障子が勢い良く開け放たれた。
 
「いや、あの…儂はじゃな!あわよくばなどと思っておった訳ではなく!」
「戻りました!湯に浸かってみたら、元の姿に戻れました!」
「だから儂はちょっとだけなら良いかななどと考えてはおらぬ…は?戻ったじゃと?」
「ええ!何故戻ったのは分かりませんが…やっぱり政宗どのはこうして見下ろす方が安心します」
 
政宗が顔を上げると、そこには見慣れた幸村(男)の笑顔。常日頃、幸村より少々背が低いことをこっそり気にしている政宗にとって、幸村のこの言葉は正に地雷だったのではあるが、今の彼にはそんなことどうでも良かった。
 
「そうか…戻ったか…」
「政宗どの?」
 
不審そうに政宗の顔を覗き込む幸村の表情に、胸が痛くなる。懐かしい、そうだ、自分が感じているのは馬鹿馬鹿しいが懐かしさなのだと思う。どっちも幸村に違いないとは言え、やはり。
 
「会いたかったぞ」
 
そう言えば幸村が破顔した。思わず抱き寄せようとした政宗の腕からするり逃れた幸村は、にこやかにこう宣言する。
 
「それでは、三成殿達にもご報告して参りますね。ご心配をおかけしてしまいましたので」
 
後には、行き場のない手を伸ばしたままの政宗が佇むばかり。
 
 
 
 
 
幸村が元に戻った、その報告を他でもない本人から受けた三成が詳細を聞こうと左近を引き摺って幸村の部屋を訪れ、義ー義ー喚く兼続までも押しかけ、「くそう、儂の計画ではこれで心置きなく幸村と組んず解れつじゃったのに…」と不貞寝する政宗を尻目に宴会が始まった。
 
「うむ!誠に目出度いな!それもこれも私の義と愛によるものであろう!あと謙信公のお導きとかな!」
 
思い出したように旧主の名を口にする兼続に突っ込むものは誰も居ない。政宗はあんな調子だし、左近はその政宗を誠意の全く見えない態度(つまり酒を呑みながら)で慰めているし、三成は幸村との会話に一生懸命だからだ。
 
「戻ったとは言え常識では考えられぬことが起こったのだ。暫くは大事をとって安静にした方が良いぞ」
「いえ、もう何処もおかしくありませんよ。病気という訳でもありませんでしたし」
「まあ幸村がそう言うのであれば大丈夫だとは思うが…一応注意はしておけ」
「はい。そのくらいでしたら。でもじっとしていたら身体が鈍ってしまいますので」
 
朝起きて一番に槍の鍛錬をするのは、幸村の日課だ。
 
「だが明日は雨になりそうだぞ」
 
雨が降ろうが雪が降ろうが、その日課は変わらない。まだまだ寒さが厳しいとはいえ、春を待つ静かな雨の中での鍛錬も、幸村は好きだ。
今日一日てんやわんやの挙句布団に押し込まれていた所為だろうか、それともあり得ない姿から戻った所為か。普段より身体が軽い気すらするのです、そう微笑む幸村に三成もやっと笑みを返す。
 
「兎に角無理をしないことだ。何かあったらいつでも言って来い」
 
その「何か」が早速、次の日の早朝に起ころうとは、三成も幸村も、いやこの場にいる誰一人考えてもいなかったことなのだが。
 
 
 
明朝以降、雨天時に一人鍛錬する幸村の姿を見た者はいない。

 

 

 

終わったよ!だらだら続けたけど終わりです。
すいません、これが限界だったぜ!
素敵なネタをくださったまろ師匠にはこの場を借りてお礼を!ありがとうございました〜v
(09/02/28)