余所様の子供の面倒を丸々一日見る、というのは、そこそこいい年こいてまだ所帯の一つもない左近と、まだまだ子供なんて世界の外の生き物であるような年齢の三成にとっては確かに重労働ではある、あるのだが。
年端もいかない子供に責められながら、それでも彼の想像する理想形を何とか作ってやろうとブロックと奮戦する主を見ながら、左近は笑う。左近と三成、二人だけであれば容赦なく鉄扇の錆になるであろう自分のこんな表情も、弁丸という緩衝材が入ることで遠慮なく浮かべることが出来る。
「べんまるのおしろは、みつなりどのがつくられるような、そういうものではないのです!」
左近の含み笑いは弁丸の抗議と共に三成の耳に届いたのだが、案の定三成は左近を横目で睨みつけただけで、大人しく、丹精込めて作ったブロックの城とやらの解体作業に戻った。
ま、別に殿が弁丸に振り回されてるってことに笑った訳ではないんですけどね。
聞こえもしない言い訳を左近は心の中だけで告げる。
部屋中にぶちまけられたブロックの中から、弁丸は比較的小さなそれを懸命に集めている。同じくらい真剣な顔付きで城の縄張りを脳内で修正し、再び石垣を作り始めた三成(そもそも数に限りがあるブロックで石垣から城を作ることが失敗の原因だと左近は思うのだが、応用が利かない主はきっと「城といえば石垣だろう」とごり押しするであろうから黙っていた)その隣にしゃがみ込んだ弁丸が、小さな真四角の何かを作って据え付けた。
「弁丸、それは何だ」
「ここはまさむねどののおうちです!こっちはかねつぐどののおたくです」
「随分離れているのだな」
「おとなりさんにすると、きっとまいにち、けんかがたえませぬ」
「俺の家はないのか」
「みつなりどのとさこんどののおうちは、こちらですよ」
政宗と兼続の応酬には普段から苦労しているのです、といった風情で溜息を吐く弁丸。城の敷地の片隅に作られた自分の家を見て、何処か嬉しそうに顔をゆがめる三成の表情に、左近は覚えがある。
左近と三成の付き合いは長い。
親子ほどとは言わないが、それに近いくらい年が離れた二人であるから、三成がもう忘れてしまったようなあれこれを左近は割合きちんと記憶している。隣の家の大きな犬が怖いから学校に行きたくないとごねたことも、遠足の前日に酷く腹を下して泣きながらうどんを啜った姿も。
母の日に図工の授業で描いたのだと小さな手で握り締めながら持って帰ってきた絵には、ど真ん中にまず佐吉の姿が大きく描き出されていて、その隣に母親の姿があった。その紙の端っこには、到底似ても似つかない自分の姿まで載っていたのだ。ご丁寧に「さこん」という汚い文字付で。
担任の教師が一体どう判断したのか知らないが、翌月の父の日の為の絵には左近の姿はなくて、正直俺は母親ではないんですがねと複雑な気持ちになったりしたが、確かにあの時自分の顔は今の三成のように綻んでいたと思う。僅か数十センチ四方のちっぽけな紙切れに存在している自分が、何より誇らしかった。
「母上様をもっと大きくお描きにならなければ駄目じゃないですか」そんな思いを抑えて進言してみたのだが、「おれと、めんどうをみてくれる母上と左近だから、ははのひだ」だから左近は馬鹿なのだ、そうつっけんどんに返された。
真面目な主は、家族や友人や可愛がってくれる近所の人、それらを逐一頭の中で取り出して、自分の世話を焼いてくれる人と同時に、今この瞬間、それに報いたい人について真剣に検討したのだろう。
狭いようで案外広い子供の見ている世の中、その中から大事な人を取り出していく作業、そんなものが一体どんな意味をもつのか、もう既に左近は忘れてしまったが、当時の佐吉の掌に消えずに残っていた黒いクレヨンの擦れたような跡だけは忘れないと思う。
佐吉にそっくりな彼の母の髪の毛は綺麗な栗色で、多分その黒いクレヨンは自分の為だけに佐吉が選んだ色だったのだろうから。
結局、自分の姿を書き留めてくれたことに礼を言おうと思ったのだが、それを果たしてきちんと伝えられたのかも分からない。
小さくて不恰好な家を指し示す弁丸に、三成が何かを憚るような小声で「そうか、左近と同居では少々手狭だな」と返す声を聞きながら、足元のブロックを拾い上げ左近はまた小さく笑った。
遊び尽くされ色が剥げかかったブロックは、何故か佐吉の絵を思い起こさせる。
長い間冷蔵庫に貼られ、日焼けしてしまったあの絵は、今も左近の与り知らぬ何処かに大事に仕舞われているに違いない。恐らく三成の父と、そして左近の好む煙草の匂いまで染み付かせたままに。
左近が用意したおやつを弁丸が食べている間にも、三成は休むことなく作業を続けていた。
「それはべんまるのぶろっくです!つかったらだめです!」
土台は出来たものの、すっかり足りなくなった材料に困り果てた三成が、弁丸の傍に置かれていたブロックに手を伸ばそうとしたところを、ぴしゃりと遮られる。
「少しくらい良いではないか」
「だめです!だいじなものです!」
「これで何を作るつもりだ?」
「これはおおづつのたまです!これで、てきから、みんなをまもるのです!」
決意を込めた眸を輝かせて、弁丸がそう宣言する。
「糞、では大筒まで作らんといかんではないか」三成はそう唸っているが、叫んだ拍子に弁丸が零してしまった牛乳を拭いながら左近は感心した。子供は無邪気な訳ではなくて、シンプルなだけだ。取り繕う態度や言葉を、大人よりほんの少し知らない子供は、時々物凄く強い。
隣の大きな犬が怖くて(とは言っても、その犬は大きいだけでとても心根の優しい大人しい犬だったのだが)いつもその横を一人で通るときには全速力で駆け抜けていた佐吉は、左近と通る時だけはわざわざ道路の内側に回りこんでびくびく歩いていた。
「そっとあるけばだいじょうぶだ、さこん」
そう言う佐吉の掌は汗で湿っていて、そんなに怖いのなら自分を盾にして通り過ぎればいいのにと不思議に思ったものだ。
でも今なら、佐吉が本当に怖かったものが分かる気がする。
そして、自分達に預けられる度に飽きもせず、「みんなといっしょのおうち」だとか「みんなでくらすおしろ」だとかを作り続ける弁丸の気持ちも。
「ブロックが少ないのがいかんのだ。左近、ひとっ走り買って来い」
ドーナツをぼろぼろ零しながらご満悦の弁丸を尻目に、三成はそんな無茶を命じる。全く、毎度毎度弁丸に付き合っているつもりが、つい本気になって歯止めが利かなくなるのは三成の悪い癖だ。
「殿、そうやってこの前も玩具を買ってあげて政宗さんに叱られたでしょう」
弁丸を預ける度に玩具を買い与えおって、貴様らは手加減できずに孫を可愛がりまくる田舎の祖父母か。そう政宗に罵られたのはつい先日のことだ。
それを思い出したのか渋い顔を作りながらも、完璧主義の主はまだぶつぶつ口中で文句を呟いている。「しろはつくれませぬか?」「石垣は完成したのだがな」額を寄せ合ってひそひそ相談する彼らは、きっとまだ知らない。
石垣なんかなくても城壁がどれだけ歪んでいても、どんなにいい加減な器だったとしても、守るべきものも守られるべきものもその中から出て行くことはないのだ。
「この左近が強い強いお城を作ってあげますよ」
「さこんどのが、ですか?」
「ふん、貴様が城を作れるようには見えんな」
「まあまあ、そう仰らず期待しててくださいよ」
左近が完成させた城は、城でも家ですらなく、唯の四角い塊だった。三成は当然鼻で笑ったが、弁丸はお気に召したらしく賞賛の眼差しを惜しげもなく左近に贈る。
「この大きいのが皆で暮らすお城ですよ。ほら、大筒もついてますんでね」
「おにわもありまする!」
ぐるりとめぐらされた柵、花畑の中の大筒(小さめのブロックを置いただけだが、左近はそれを大筒だと主張し弁丸に認められた)、裏庭の動物園、屋根はないけど玄関のドアだけはしっかりある家。
「おにわに、てーぶるもあります!」
「そう、ここで皆でご飯を食べるんですよ」
「大筒に腰掛けて、か」
「このちっちゃなたてものは、なんですか?」
「政宗さんと兼続さんが喧嘩したら、反省するまでそこに閉じ込めておきましょうか」
「べんまるもわるいことをするとおしいれにはいります!」
「ほほう。それはいけませんなあ」
適当に組み上げた残りのブロックを人に見立てて遊び出した弁丸を、三成は無念そうに眺める。
殿、殿だって本当はそうだったでしょう。
その言葉を左近はぐっと飲み込んだ。弁丸がいなかったら、あの頃の佐吉が何を願っていたかだなんて思い出しもしなかった。でも、殿もそうだったでしょう?
幸せな日常に必ず存在する終わり。それに気付くのは途方もなく怖い。怖いけど、俺達はまだ、こうして一緒にいるじゃないですか。
「こんな子供騙しの城など俺は認めんぞ」
「ま、子供相手ということであれば、年季が違いますからね」
意味が分かったのか分からないのか、三成が変な顔をしたが、左近は黙って弁丸から手渡された自分の人形を庭にそっと立たせた。いびつな見た目の割りに、揺らぐことなくしっかり立った人形に、少々吃驚する。その隣では、兼続と三成、そして政宗と弁丸に擬えた人形やぬいぐるみが、何とも楽しげに庭先のテーブルを囲んでいる。
それはまるで子供騙しのような、でも確かに幸せを願う光景に間違いはないのだった。
兼続兄ちゃんとは、弁丸の一日って感じだったので、こちらはその中の一瞬を。
弁丸の真意が分からずとも、三成はいいお兄ちゃんです。そして親戚のおじさんのような左近。思いの外左三っぽい。
(09/03/21)
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