「儂はお主が好きじゃ」
色々な、わざわざ取り出して挙げ連ねるような特別なことは何一つないけど、それでも上手に言葉に出来ない色々なことがあったのに、やっぱり政宗は幸村の頬を両手で挟んで、何度も何度も好きだと繰り返す。
もう幸村は黙って笑みを返すことも出来るし、「分かってますよ」と軽くあしらうことも出来る。当然、「私もです」とこっそり耳打ちすることだって。
「私も好きです」と言うのは、まだ少し恥ずかしくて勿体無いので。
政宗の所為で随分と熱をもってしまったこの身体は、まるで穴が開いているみたいだ、幸村は思う。この人は、なんて自分のことが好きなんだろう、そう考えるとその穴はもっともっと大きくなって、空気が通る音すら聞こえてくるようだ。
胸にぽっかりと穴が開くという表現は嘘ではない。それは寂しいとか満たされないとかじゃなくて、もっと単純な罪悪感に似ている。好きだとしか言えないこと(まあ、相変わらず余り上手くは伝えられていない気もするのだが)、それは決して悪いことじゃない、でもきっとこの先の自分はぴったりな言葉を探しあぐねて途方に暮れ続けるのだろう。
政宗が首筋に舌を這わせるのがくすぐったくて、幸村は少しだけ笑った。
恋人に思いを伝えきれないという罪悪感を抱くことが、これ程までに自分をうっとりさせるなんて、想像したことすらなかった。幸村の体温を上げた筈の政宗のその指は、ひんやりとして気持ちいい。恐らくは、政宗も同じことを感じているのだと思う。
何の根拠もないけど、二人の体温の差がそれを証明している気がするのだ。
もしも政宗にそう話したら、きっと彼は動きを止めて自分の顔をまじまじと見詰めた後で「そうかもな」とか何とか言うに違いない。それはまるで二人の為の朝食のメニューを決める時のような気安さで。
そりゃそうだ、明日の朝ご飯も政宗への思いも、同じくらい大切で、他愛もないことではないか。
「考え事か?随分余裕じゃな」
耳を甘噛みしながらそう責める政宗の声音は、あくまで優しい。
一瞬、考え事の正体を明かしてしまおうかと思ったのだが、やはり勿体無いので止めておくことにした。
変わりに目を閉じたら政宗が覆い被さってきて、瞼の裏の暗闇が濃くなったように感じる。そういえば、政宗の前で目を瞑ることが怖くなくなったのはいつからだったろう。慣れぬ内はうっすらと眸を開けて彼に抱かれていた気がするというのに。
目を瞑ってもなくならない世界が本当にあるのだということ。
政宗を自分の奥底に受け入れ、やんわりと、でもきつくきつく包んで、ああ、政宗に教えてもらったのは、そんなことだけではなかったのだ。
「幸村」
政宗が酷く情けない声で自分を呼ぶものだから、殊更に、仕様がない方ですねという顔を作って、幸村は声以上に情けない表情を浮かべる政宗を見上げてみせた。
あなたが私に見せてくれる世界は、目を瞑ってもなくならない。無理に両手で顔を覆ってしまう必要だってない。
だからほら、こうして私はすんなりと目を開けることだって出来るのです。
あの手紙は破いてしまおうと幸村は思う。
あの、も何も。
現実には紙だって用意していない、出だしの言葉すら思い付けないで、有体に言えば心に突き刺さったままの手紙のようなものは(紙が突き刺さったりするものかと幸村は首を捻ったが、そんなことはどうでもいいことだ)人知れずこっそり破いてしまうのが一番正しい気がするのだ。
そんなものなくても、証拠なんていくらでもある。身体の中心から徐々に押し寄せてくるような疼きだとか、いつまで経っても慣れぬ異物感だとか、政宗が与える甘い罪悪感だとか。
いちいち覚えていたらキリがない。いずれ綺麗さっぱりなくなってしまう日まで、それらは増え続けていくのだろうし。
もう一度政宗が自分の名前を呼んでくれたら、本当に手紙は破いて、なかったことにしてしまおう。
もう、そろそろだ。政宗が自分の名を呼ぶタイミングまで計れるほど、自分達は飽きもせずこんなことを繰り返してきたのだから。
床に押し付けられた幸村の腕を解放して、政宗が額に貼り付いた髪を拭ってくれる。
「お主は何も間違ってはおらぬぞ」何も知らない筈の政宗が頷いたような気がして、幸村はきつく目を閉じる。「政宗どの」乱れる呼吸を整えようともせず甘えるようにそう囁いたら、全く同時に、荒くなった吐息に混じった政宗の声が静かに降ってきた。
(完)
いや別に、政宗がいつもワンパターンということではなくてですね。
つか、遅くなってすいません。不義!忘れてたわけじゃ…うん、忘れてましたけど!ごめんなさい!
(09/03/31)