何故大人はもっと子供が喜ぶ催し物を考えないのだ、と佐吉は憤慨しながら考えた。
考えるついでに左近の髪の毛を引っ張って、その長く垂らした髪の毛を数本引っこ抜いてやったのだが、そうしたことで何か事態が改善される訳でもないことは、佐吉にだってよく分かっている。
今日は夜から子供会主催の胆試しがあるらしい。
そうまで嫌なら参加しなければいいのだけど、怖がっていると思われるのは心外だし、どうせ御託を並べたところで人の話を聞かない与六に引っ張り出されるのは火を見るよりも明らかで、そう思うと佐吉の機嫌はいよいよ急降下していくのだ。
「佐吉!迎えに来たぞ!共に肝試しに参ろう!」
玄関先で響く与六の声に、佐吉は覚悟を決めると恐怖を振り払うかのように部屋から飛び出した。
「私もはじめて肝試しとやらをするのだが、そう言うからにはこの私の肝が試されるのだろう!これは面白い!」
日の暮れかけた道を話しながら、二人は歩く。集合場所にはもう弁丸の手を引いた梵天丸が立っていた。
町内の子供を苦心して集めている左近に小さく手を振り、その横でにこにこしながらやっぱり子供たちの世話を焼いているねねに、遠慮がちに頭を下げる。
「きょうは、べんまるのちちうえもきているのです!」
「お化けの役ではないそうじゃ。一先ず真の恐怖からは逃れられたな」
「いよいよ肝試しか!私の豪胆さ、とくと照覧あれ!」
与六の気合の篭った台詞と共に胆試しが始まった。
やっぱりおとなはこどものことなどわかっておらん、と佐吉は思う。
二人一組になって列に並ばされた子供の群れは、学校での予防注射を待つ時のそれより、数段、大人しくなってしまっている。佐吉といえど例外ではなく、市松と虎之介の後ろに並んだ佐吉は、ちっぽけな矜持だけでその場に立ち続けた。
佐吉を見ればすぐに突っかかってくる市松と虎之介も、今日ばかりは言葉少なに挨拶のようなものを交わしただけである。
問答無用でコンビを組まされた与六までもが大人しい。
佐吉のすぐ後ろに並ぶ弁丸は、いつも通り無邪気にはしゃいでいるし、梵天丸は難敵は去ったと言わんばかりに弁丸の世話に余念がない。
「さて、怖い話も終わったところでいよいよ肝試しですよ」
いや、むしろさっきまでのが肝試しだったのだろう。
佐吉は、呑気に説明を繰り返す左近を忌々しげに睨み付けた。
昌幸がお化け役で呼ばれた訳ではないという梵天丸の情報を聞いた時、その可能性について考えておくべきだった。
子供心なんてちっとも分かっていない大人達は、子供たちを怖がらせるのに躍起になる余り、昌幸に肝試し前の幽霊譚を語る役を任せたのである。それは肝試しなんか目じゃないくらいの恐怖だった。
あらゆる意味での昌幸の恐ろしさを既に知っていた梵天丸は、耳を両の手でしっかり塞いだまま、片時も離そうとしなかった。
初めの内こそ「それは実に恐ろしいことだ!」と望まれもせぬ合いの手を入れていた与六が、途中からむっつりと黙り込む。市松と虎之介は、昌幸のおどろおどろしい語り口にすっかり呑まれ、真っ青になって震えていた。
昌幸の話が佳境に差し掛かったところで、弁丸が絹を割くような悲鳴を上げる。感受性が皆無なのか、世の中に怖いものなんて存在しないのか、それとも単に少々馬鹿なのか、弁丸の叫びは恐怖というよりわくわくを押さえ切れない、といった歓喜に溢れる底抜けに明るいものだったが、彼の歓声がその場に溜まりに溜まった恐怖を爆発させる引き金になったのは間違いない。
弁丸の声に市松と虎之介は勿論、与六も梵天丸も、そして自分も小さく悲鳴を上げ飛び上がったのだから。
「…なあ、お虎。弁丸の親父殿が話してたのは本当じゃろうか」
「そんな訳あるか!馬鹿なことを申すな、市松!」
市松の言葉に噛み付くように返す虎之介の言葉にも覇気がない。
そんな話をしながら暗がりに消えていく二人を、佐吉はぼんやりと見送った。じーじーと何処からともなく響く虫の声までも敵になったような心持ちがする。いっそ真暗闇だったら怖いものだって見えないのかもしれないのだけど、翳むように辺りを照らす街灯の頼りなさが、また怖い。
いつもだったら、左近の手を握って歩く夜道だけど、今日自分の隣にいるのは、あの、与六で、どちらともなく握ったその手は余りに小さいのだ。
頭上から急に左近の声が降ってきて、佐吉は再び飛び上がらんばかりに驚いた。
「突き当たりにお札がありますからね。一枚取ってゴールしてくださいね」
ばかさこん!
もっとやわやわ話しかけねば(それはそれで怖いだろうとは佐吉には思う余裕すらない)吃驚して死んでしまうかもしれないではないか。
前方から市松の悲鳴が微かに聞こえた。「わ、わしはお化けなんぞ怖くはないぞ!」虎之介が泣き声で啖呵を切る声が少しだけ佐吉に勇気をくれる。
何が可笑しいのか、左近は少しだけ笑って、そうして佐吉と与六を送り出した。
「ここで私が膝をつけば、義はどうなる!」
どうなるもこうなるも。そんな虚勢を張る与六と寄り添うように、佐吉は月明かりが照らす夜道に一歩足を踏み入れた。
「どうした佐吉。怖いのかな?石田佐吉らしくないぞ?」
与六の声がいつもより小声なのは、気の所為ではない。気持ちは分かる、大きな声を出すのが怖いのだ。
毎日毎日、夜は必ず訪れるというのに、懐かしい匂いのする自分の家を一歩出ればそこは守ってくれるものなど何もない空間で、さっきの昌幸の話通り、人ならざるものが木の影や自分の足元にすら身を潜めているような気がする。
与六に正直に怖いと打ち明けるべきか、それともこの期に及んでまだ強がって見せるべきか、悩んだ佐吉は、結局黙って歩を進めた。
声に出したら自分が此処にいるのが見つかってしまう気がする――何に見つかるというのか――いや、それについては深く考えたくはないし、今考えたらいけないことのような気がする。
「ところでな、佐吉」
一層声を潜めた与六が、何か一大決心を語るかのように耳に口を寄せる。
「肝試しとは言うが、こんなことで肝が試せるのか?このようにただ歩くよりも、先だっての昌幸殿の話の方が私にとっては肝を試されるような内容だったのだが」
あれはあくまで前哨戦だ(前哨戦というには恐ろし過ぎたが)。
これからお化けに扮した町内の暇な大人達がこぞって自分達を脅かしに来るのだ。
先程の市松の悲鳴の出処であろう場所は、もうすぐそこまで近付いている。
「もうすぐでるぞ。与六、かくごをきめておけ」
「ん?覚悟とな?何が出るというのだ」
なにって、だからおばけが。
そう言おうとして佐吉は寸でのところで言葉を呑み込んだ。
何故こんな暗い夜道で、今自分が最も恐れている単語を口にせねばならんのだ。だが与六はどうも納得がいかぬ、と言わんばかりに首を傾げるのみ。
「与六、まさかとはおもうが、きさま、きもだめしがどういうものか、しらんのか?」
「とりあえず肝を試されるのであろう?それが」
何か、と与六が言いかけた瞬間、木の陰から何か白いものが勢い良く飛び出してきた。途端に身体を硬直させる佐吉。
悲鳴を上げたらもっともっと怖くなってしまう、本能的に身につけている恐怖への対処法を最大限に活用しようと口を手で押さえた佐吉だったが、真の敵は白い布をかぶって何処か滑稽な動きをしている物体ではなかったようだ。佐吉の背後で凄まじい悲鳴が上がる。
「ぎゃああああああああああ!おばけえええええ!」
肝試しにその台詞は少しおかしいだろう。つい、いつもの習慣で与六にそう突っ込みかけた佐吉の恐怖が少しだけ和らいだ。
もしかしたら与六は、胆試しがこのようなものだと知らぬのか?
「ふふふふふふぎいいいいいいいいい!」
不義、と罵りたいのか、ふぎぃ!と奇妙な悲鳴を上げているのか、最早判別つかぬ与六を振り返った瞬間、当の与六は力いっぱい佐吉の手を振り解くと、あらぬ方向に向かって一目散に駆け出した。
後には呆気にとられた佐吉と、与六の余りの声量に動きを止めたお化けがいるばかり。
「あちゃー。ちょっと脅かし過ぎたかのう」
白い布を取った物体がそんな声を上げる。聞き慣れたその声に、佐吉は自らお化けの懐に飛び込んだ。
「秀吉様!」
「おお、佐吉か。佐吉は強い子じゃな。さっき市松なんかは泣き喚いてわしを足蹴にしおったわ」
秀吉のそんな台詞に佐吉の顔にも笑顔が浮かぶ。
家の前の路地で遊んでいると、必ず声を掛けてくれるこの人が、佐吉は大好きだ。おやつをくれたり、時々は仕事帰りに一緒になってしゃがみ込んで遊んでくれて、面白い話もいっぱいいっぱいしてくれる。
「一人で待つのも心細くてのう。ついつい張り切って驚かせ過ぎてしもうたわ」
まあ、迷子にならんように見張りの者がいる筈じゃから、与六は大丈夫だろうが。そう言って秀吉は、その身体には大き過ぎる布ごしに佐吉の頭を撫でてくれた。
与六が戻ってくるのを待つか?それとも次に来る子を待って一緒に行くか?そう提案する秀吉に意気揚々と手を振って、佐吉は一人で歩き出した。
心配げに見送るお化けと、それから見たこともなかった与六の驚愕した顔に思い出し笑いを浮かべながら佐吉は夜道をてくてく歩く。もう恐怖は殆ど感じなかった。
あの与六が怖がったら大層いい気味…いや、可愛いのではないかと思っただけです。
でも年を経て兼続に変態すると、人外にすら義を説く生き物になりそうですが。
あと、私は「こどもかい」って聞くと無駄にどきどきします。
続きます、ごめん!
(09/07/25)