「ふふふふふふふぎいいいいいいいい!!!」
遠くから奇妙な悲鳴が響いて、梵天丸は思わず噴出した。紛うことはない、与六の悲鳴である。
あのいけ好かない与六が一体どんな顔で驚いたのか、腰を抜かさんばかりの声に、意地が悪いとは思うがつい笑いが漏れる。
「あれはよろくどのですか?」
「そうじゃな、あ奴、豪胆だ豪胆だと抜かしながら早速驚きおったわ」
「よろくどのは、きもがすわっておりませぬな!」
「全くじゃ」
昌幸の怪談にも眉一つ動かさない(大喜びはしていたが)弁丸からすれば、誰だって肝は座ってないことになろうが、そんなことは然したる問題ではない。
今夜は夜更かしが出来て嬉しいこと、明日もやっぱり一緒に遊ぶこと、そんな呑気な約束を交わしながら二人はのんびり夜を歩く。
と、目の前に白い布を被った人物が飛び出してきた。きゃー!と弁丸が歓声を上げる。
「ひでよしさまです!」
お化けを模したというには陽気な、まるで踊るような動きを見せる秀吉に、弁丸も手足を振って応じてみせる。
「凄いのう、何で分かったんじゃ?」
「べんまるとおどってくれるのは、ひでよしさまです!」
「おお、弁丸は賢い子じゃなあ」
梵天丸も弁丸も、ちっとも怖がってくれないというのに、秀吉は全く堪えない。
ずんどこ踊る(本人がそう言うなら踊っているのだろう)弁丸の手を引いて、梵天丸は先を急ぐ。
「お主、ちっとも怖がらぬな」
「?」
梵天丸の言葉に意味が分からぬといった風情で首を傾げた弁丸の背後から、再び大きな物体が飛び出した。全くこの町内は暇な大人だらけだ。
「待たれい!」
暗闇からそっと忍び寄り驚かせるのが仕事であるのがお化け役、真っ先に声を出して別の意味で驚かせてどうする、そう言い掛けた梵天丸だったが、次の瞬間、自分でも吃驚するような悲鳴を上げてその場に蹲った。
「ぎゃあああああ!」
二メートルはゆうに越すかと思われる堂々たる体躯の男、暗がりでそんなものが飛び出してきただけでも怖いのに(肝試し的な意味ではなく、あらゆる意味で)、お座成りに作られたのっぺらぼうの面を被り男は仁王立ちである。
だが梵天丸の恐れなど何処吹く風、やっぱり弁丸はにこにこ笑いながらその男に飛び付いた。
「焼肉屋のおじちゃんです!」
何を隠そう、男は焼肉・平八の店主、本多忠勝だ。美味しい肉を思い出したのか相好を崩しはしゃぐ弁丸を物ともせず、彼は夜の湿った空気を震わせるかのような地響きのような声で子供たちを驚かそうと試みる。
「子供らよ!我を超えていけい!」
超えていけって言われたって。
勿論正規のルートを外れるわけには行かないから、その道を通らせては貰うのだけど。
怪談などとはまた違った恐怖に慄きながらも梵天丸は、弁丸に手を引かれるようにして忠勝の脇をすり抜ける。身体に似合わぬ小さな面が不気味に怖い。何より、その一言を発したのみで、後は身を盾にして本陣を守る武士の如く、身動ぎ一つしないその姿勢が怖い。気の所為だろうか、頭の中を流れるBGMまで変わったような。っていうかBGMって何じゃ!
例えば「詮無きこと」と、か細い声で物陰から声を掛ける女や、美しい髪を長く垂らしぶつぶつと皿を数えている男など、その後も様々な人達が登場したのであるが、昌幸の怪談と忠勝の恐怖には比ぶべくもなかった。
もう、ゴールは見えている。
ヒトの潜んでいる気配はないし、さすがにそろそろネタも尽きたじゃろう。
前方から聞こえてきた微かな悲鳴をこっそり数えていた敏い梵天丸は、そう見当を付ける。と、急に弁丸の足が止まった。
「どうした?」
「………なんでもございませぬ」
何でもない、という顔ではない。
微かに浮かぶゴールの明かりを見詰めたまま、弁丸は動こうとしない。固く握られた手は可哀想なくらい冷たくなっている。
「…怖いのか?」
あの昌幸の話にも忠勝の姿にも怯まなかったお主が。数十メートルごとに此方を驚かすお化け達もいなくなって、何故今更。
「もう、誰もおりませぬ」
どんなに不気味な話をしようが、昌幸は弁丸にとって父に相違ない。
例えば、鬼と戦って宝物と美しい女を手に入れた昔の勇士の話や、チョークを食べた狼を家に招き入れてしまった子羊の話。弁丸にとって昌幸の怪談は、それらと変わりなかったのだ。どきどきしながら話を聞いていると、悪い奴や強い人や、怖いものが出てくる、それだけ。
暗い夜道を歩かされたって、見知った顔が何だか可笑しな格好をして、弁丸達を導いてくれていたのに、今見えるのは、墓を模った台に置かれた札と、小さな灯りだけで、
「皆、見えなくなってしまいました」
再び弁丸が小さく呟く。
弁丸の真意がやっと分かった梵天丸の背中を冷たい汗が伝う。
遠くを走る車の音が他人事のように通り過ぎて、後は耳元で鳴いているかのような虫の声が響くのみ。
二人ぼっちだ、梵天丸は思う。
佐吉と与六と四人で遊んでいる時は、弁丸と二人なら良いのにと思うことだってあるのに(それはごくごく稀なことだったけど、それでも佐吉と楽しそうに話す弁丸を見るにつけそんなことを思ってしまうのは、事実だ)。
実際二人だけで遊んでいる時なんて、喧嘩したって楽しいばかりで心細い気分になったこともなかったのに。
「大丈夫じゃ、儂が居る」
申し訳程度にかけた慰めの言葉は余りにか細くて今にも消え入りそうだったのだが、弁丸はその言葉に僅かに顔を上げた。
二人っきりなのは怖いのだけど、怖い怖いと口にするのは格好悪い云々など最早どうでも良くて、でも辛うじてそんな強がりを言えたことに自分でも驚いている梵天丸の顔を、弁丸は覗き込みまじまじを見詰める。
「…でも、べんまるだけでは、ぼんてんまるどのをまもってさしあげられないかもしれませぬ」
「だから大丈夫じゃ、儂だって」
今度は普通の声できちんと伝えることが出来た。確かに自分では弁丸を守ってあげるなんて到底出来ないのかもしれぬのだけど。
何だか面映くて「守ってやる」と断言出来ぬ自分が、少し情けない気もしたのだけど、握る手に力を込めたら弁丸が少し何事か考えるような顔をして、今度は体温の戻りつつあるその手で、痛いくらいに梵天丸の指を握り締めてきた。
それでも梵天丸の少しだけ後ろで恐る恐る歩く弁丸の気配を感じながら、梵天丸は思う。
いつか、怖い話を平気で話す昌幸や、一人で夜道を歩く左近や、こんな暗がりで子供達を驚かせる為だけに一人で待っていられる大人達みたいになってしまっても。
虚勢だらけの自分が握った弁丸の手が冷たかったことは、ずっとずっと覚えていたいのだ。
お札を取って(札には「ゴールおめでとう!ガンバったね!」という言葉と共に、ゴール後の集合場所が書かれていた)皆の元へ戻ると、既に何とか生還を果たした佐吉が、虎之介と市松と早速喧嘩していた。
「おれは、とちゅうからひとりでゴールまできたのだ。ずっとこわがっていたおまえらと、いっしょにするな」
「なにを!ひゃーひゃーわめいている声がこっちまできこえてきたぞ!」
「おれにも、きさまの、ひんのないひめいはきこえたぞ」
言い争う彼らの中に混じって「与六はどうした?」と尋ねると「いきなりおどろいて、どこかへはしっていった」と不機嫌極まりない声が返ってきた。
弁丸はゴールの褒美で貰った菓子に夢中だし、まあ狭い町内、迷子になったからとて何とかなるじゃろう、子供の足で行ける所なんて限られているのだし、と然して気にも留めない梵天丸である。
「子供らよ!我を超えていけい!」
「うわっ!吃驚した!忠勝さん、左近ですよ、左近!」
「我を、超えていけい!」
「いや、肝試しはもう終わったんですよ!だから俺は左近ですってば!怖いんでとりあえずそのお面外してくださ…ちょ、本当に怖いから!俺は脅かさなくていいんですってば!」
スタート地点からゴールの集合場所まで向かう予定の左近の声が遠くから響いて、子供達は顔を見合わせる。
「左近め、すこしはおれたちのくろうをおもいしるといいのだ」
佐吉が如何にも溜飲が下がった、といった風に言い放った言葉に、そのまま皆で噴出す。佐吉も、市松も虎之介も、梵天丸も、早速菓子を頬張っていた弁丸も一緒に。
「道、違う…戻」
「ぎゃあああああああああ!おばけええええええええ!」
「くくくく、迷子か。…下らぬ、下らぬ」
「ふふふふふふふふぎいいいいいいいい!!!」
ところであのまま道を外れてしまった与六は、明らかに人選ミスである迷子回収係の二人に追い回され、肝試しなんか目じゃないくらいの恐怖体験をすることになったのだが、家路を急ぐ子供達にとってはそんなこと、どうでもいいことなのであった。
肝試しって小学生の頃、数回だけやった覚えがあるんですが、今はやらないのかな〜。
幽霊譚→肝試し→お疲れ様のお菓子、という流れが全国共通なのかどうなのか、気になるところ。
あ、本当は真っ先に信長様出そうと思ったんですが、夜道で出会ったらまじで怖そうなので(私が)止めました。
忠勝は絶対焼肉屋さんだと思います。種類はないけど、安くて美味くて何もかもが大盛り!
(09/07/30)