一緒に暮らそうと提案したのは、政宗だった。
余りにしどろもどろに、しかも如何にも、今から儂は言うぞ言うてやるぞという態度のまま、立て続けに煙草を三本も吸ってからの発言だったので、その間幸村は何故か叱られる子供のように政宗の前で正座をして大人しくしていなければならなかった。
思い出せる限りの彼との時間や自分の所業を頭の中で羅列しまくって、もしやこれから説教タイムか、或いは別れでも切り出すつもりか、と幸村は首を捻る。そうしたのは、こうして思い巡らせる可能性の全てが幸村にとっては青天の霹靂で、しかも政宗にはそれらしい緊張感が一切感じられなかったからだ(別の緊張感は漂いまくりで、政宗は灰まで落として「熱!」と叫んでいた)。
いつもは此方の感情の動きには実に敏感な政宗が、まるで別人のように無頓着なままで、何だか分からないけどもしかして緊張してる?と他人事のようにそれを眺めていた幸村の耳に届いたのが、例の言葉だったのだ。
ぽかんと口を開ける幸村に、政宗は同じ言葉を繰り返した。馬鹿の一つ覚えのように。
「は?」
「だからな、共に住もうと言うておるのじゃ」
「まあ、いいですけど」
「うむ。そうか」
これを切り出すまでの政宗の逡巡、その他のあれこれを考えれば、我ながら何と無感動な冷たい応えだったのだろうと思うが、事はそんな風にしてあっさり結末を見た。が、帰着したのはあくまで建前上のことであって、幸村の頭にはいくつもの疑問符が浮かぶ。
暇さえあれば相変わらず伊達家に、正確には政宗の部屋に入り浸っている毎日。
わざわざこの家を出て二人で暮らすことに何の意味があるのだと頭の片隅でそう問いかけてみたのだが、さすがにそれを面と向かって口にするのは憚られた。政宗がそう思ってくれたことが嬉しくないといえば嘘になる。
とは言え、自由になる時間の殆どを互いの為に費やしている現状と、何が変わるというのだろう。
もしこれで、大袈裟に驚いたり喜んだりでもすれば、もう少し違った展開にもなったのかもしれないが、例えば夕飯の買い物に誘われた時と同じ気安さで返事をしてしまった幸村には、一つ屋根の下で暮らす自分達というイメージが全く湧かない。
精々が、家の電話番号だとか、洗濯機だとか、二人で共有するものが増え、細々とした金を一つの財布から出す、というくらいだ。
たったそれだけの変化の為に、一緒に暮らすと言う労力を割く必要が、本当にあるんだろうか。
結局幸村のそんな疑問は、本人にすら打ち捨てられたままで、二人は引越しの為の準備に取り掛かった。
政宗は、実感が湧かない事態にまだ戸惑っている幸村を引き連れ不動産屋を回って、互いの給料明細と首っ引きで家賃の額で揉めに揉めて、それが済んだと思ったら、あれよと言う間に今度は幾つかの新しい家具まで揃えてしまった。
確かに普段よりやるべきことことは少々増えたのだけど、想像以上に何ともあっさりした展開に、幸村は内心こんなものかと考える。
共に暮らす許しを得んと昌幸に勝負を挑んだ政宗が、大方の予想通りずたぼろになって「あの親父の恐ろしさを考えただけで禿げそうじゃ」と呟いていたら「若い内からそんなことを考えておると本当に禿げるぞ」というメールが、その場にいない昌幸から届いたことで、幸村は暫く政宗の恐怖を和らげる為、言葉の限りを尽くして慰めねばならなかったのが一番大変といえば大変だったことくらいだ。
後はまあ、実に事務的に、然したる滞りもなく、二人の為の新居の準備は着々と整ってしまったのである。
因みに、昌幸もその話を聞いた当初から、政宗のいないところでは「どの辺りに住むつもりじゃ」とうきうきしながら幸村に尋ねてみたり、本屋で住宅情報誌を貰ってきては熟読していたり、「これはもう使わぬから持っていけ」と物置を漁って色々なものを引っ張り出してきていた。
恐らく父は、面白がって反対していただけなんだと思う。
だが実際に、二人分の引越しとなると、思っていた以上に大変な事態で(引越しを舐めていた幸村は「こんなものくらい自分達で運べるでしょう」と業者に頼まなかったのだ)、それはもう三成と兼続、左近までも巻き込んでの大騒動だった。
男手が五人分もあれば早く済みそうなものだが、その考えは返す返すも甘かった。
休日の午前中から呼び出された三成の機嫌は当然のように悪かったが、礼を尽くした幸村の言葉と、何故か必死に機嫌を取る左近の態度に何とか持ち直した瞬間、玄関から道場破りも吃驚な大音量が響いてきたのである。
「たのもおおおお!」
労働力になるどころか、足を引っ張れるだけ引っ張るであろう兼続に、皆が皆引越しの詳細は黙っていた。筈だった。
しかし玄関先に悠然と立っているのは、紛れもない兼続その人に他ならない。
彼の登場に既に疲れてしまった左近はその場にへたり込み、幸村ですら溜息を吐いた。勿論、一旦上がりかけた三成の機嫌は急降下し、地にめり込みそうである。
「黙っておった筈じゃったのに、誰が漏らしたのじゃ!」政宗はそう怒るが、兼続の神秘とも言えるこの登場の妙は、勿論誰かが仕組んだものではなく、政宗の怒りは向かう先を見出せないまま暫くの間迷走する羽目になった。
二台の借りた車の中に、既に荷物はぎっしり積んである。これを新居に運び込めば終了なのだが(そう、言葉にすればたった一行の行為なのだ)、ここで早速大変困った事態が持ち上がった。
兼続が、その車を運転したいと言い出したのである。
法的には一応彼だって運転が出来るのだが、荷物の危険を感じた政宗が、兼続に車の鍵を渡すことを固辞しまくった。
「絶対に鍵を渡すなよ、政宗。奴に運転させるくらいなら俺がした方がマシだ」
「そうです!政宗どの!頑張ってくださいね!」
聞いている此方までしょんぼりさせる三成の激励と(彼は免許を取って以来ハンドルを握ったことがない)愛しい恋人の応援に俄然奮起した政宗だったが、敵、もとい兼続も然る者。山犬の扱いは心得ていると言わんばかりに、小憎たらしい余裕ぶった表情で政宗を罵り続け、遂に激昂した政宗が持っていた鍵を兼続の顔面目掛けて投げ付けた。
「あーあ。ま、そうなるとは薄々思ってたんですけどね」
「政宗どの!鍵を投げてしまっては駄目ですよ!投げるのでしたらせめてこの花瓶にしておけば宜しかったですのに」
「あんな挑発に乗るとは、貴様はミミズ以下だな」
さっきまで影に隠れ口々に応援していた三人の、更に勝手な言い分に落ち込む政宗とは対照的に、兼続は鍵を握り締め、山犬の心意気、この兼続がしっかと受け取ったとか何とか騒いでいる。
未だ政宗を責め続ける幸村に、兼続が爽やかな笑顔で言い放った。
「さて幸村。義をもって私の隣に乗」
「嫌です」
「貴様の運転する車に幸村を乗せるなど、この儂が許すとでも思うたか!」
正に死の宣告。
それを笑顔で言う兼続も兼続だが、人間の反応速度の限界を明らかに超えた幸村の返答も見事なものだった。だがそんなことで怯む兼続ではない。
「成程、幸村の定位置は山犬の助手席という訳か!」実際いつも運転するのは幸村で、政宗はふんぞり返って乗っているだけだが、とりあえず兼続はそう納得したらしい。となると、残りのメンバーはもう三成だけ(政宗と一緒なんて兼続にとっては冗談じゃないだろうし、左近は兼続にとって空気みたいなものらしい、余り良い意味ではなく)である。
身の危険を感じた三成が、一歩後退さる。
「俺は嫌だぞ」
「そう遠慮するな!必要以上の遠慮は不義だぞ、三成!さあ、大船に乗ったつもりで私の義のドライビングテクニックを満喫すると良い!」
「自慢ではないが俺は生まれてこの方遠慮などしたことはない、本当に」
乗りたくないのだよ、という言葉は途中から悲鳴に変わった。
兎に角、助手席に乗る人間の身柄を確保しようと、兼続が力尽くで三成に挑みかかったからである。
兼続に引き摺られながらも、意外にああ見えて力のある三成は、俺ばかりが生贄になって堪るかと言わんばかりに左近にしがみ付いた。
「ちょ、殿!止めてくださいよ!左近はまだ命は惜しいですってば!」
「俺とて同じだ!畜生、こうなったら死なば諸共だ!」
「はっはっは!私の義の車に乗るのがそんなに嬉しいか!全く私は人気者だ!これはまいったな!」
結局、荷物でぎっしりの後部座席に有無を言わさず左近が蹴り入れられた。
元々人が乗るスペースなんか作っていなかったものだから、左近は頭から後部座席に押し込められ、満員電車に乗客を乗せる駅員の如く、いやそれ以上に後ろをぐいぐい押してくる三成に抗議の声を上げつつも荷物の隙間に収まった。もう左近は、身動きどころか窓の外すら見れない。
「糞、俺も男だ。覚悟は決めたぞ。出発しろ」
「三成殿、素晴らしいお覚悟です」
「貴様らはどうなっても構わぬが、荷物は死守しろよ」
呑気な声援に見送られ、助手席のドアを力任せに閉めた三成に、兼続の怒号が飛ぶ。
「不義!三成、それは不義というものだ!全くそなたは自動車学校で何を学んでいたのだ!車の下には子供や猫が入り込んでいる可能性もあると言う!このようにきちんと確認することこそ、義!」
そんなことだから仮免の試験でああも無様に二度も落ちるのだぞ!
三成の余り触れて欲しくない過去を大声で披露しながら、兼続は地面に寝転がって念入りに車の下をチェックした。
あれは緊張していたのだよ、と三成がもごもごと弁解するが、そんな三成の言い訳などちっとも興味のない兼続はそのままエンジンを点検し(一体彼が見て何が分かると言うのだろう、案の定兼続はボンネットの開け方すら分からなかった)更にはブレーキランプやハザードランプの点検に余念がない。
やるならさっさとやれ、と腹を括っていた三成だったが、こうも焦らされると逆にふつふつと恐怖が募ってくる。後ろで呻き声を出していた左近までもが大人しくなって「本当に兼続さんは公道を運転したことがあるんですかね」などと恐ろしいことを言い出す始末。
二人の人柱を乗せた車にようやっと、だが意気揚々と乗り込んだ兼続は、「ハンドルは十時十分に握るのだぞ!」と何故か非常に嬉しそうな奇声を上げた。
おかしい…私が書きたかったのは一緒に暮らし始める新婚ダテサナだったのだが…?
引越しのあれこれなんてどうでもいいじゃんって思ったけど止まりませんで…続きます…。
どうでもいいですが、車の運転の仕方でセックスの傾向が窺えるなんて言いますが、
あらゆる意味で一番上手いのが幸村、次に政宗、
意味もなくゆったりとした運転をするのが兼続、(この話では酷いですが)
助手席の左近に地図や信号を確認させたり、うっかり後方や左方向なんかも確認させて
ハンドルにしがみ付くようにひぃひぃ言いながら運転するのが三成だと思います。
いや、三成がどうこうって言ってるわけじゃ…ないですよ…?
(09/08/13)