「運動会をしよう」と兼続が提案してきた時、俺が思わず聞こえない振りをしたのも致し方ないことであろう。
 
運動会?せめて御前試合じゃなくてか?むしろ何故だ、何故そんなことをする必要がある?
そもそも運動会なんて体力の有り余った暇な餓鬼共が校庭をころころ走り回る為のもので、目の前に果てのない仕事が積まれた日の本一忙しい俺が、この石田治部様が、何故わざわざやらねばならぬのだ。
 
だが兼続の「しよう」は提案ではなく決定事項なのである。「私の中で実行されることと相成った」という意味に他ならない。
聞こえなかった振りに精一杯で、迂闊にも兼続の暴走を食い止めることに遅れを取った俺が巻き込まれるなど、至極尤もなことだったのだ。あくまでも、後から思い返すに、の話ではあるが。
 
 
 
「いいか!秋といえば食欲の秋に読書の秋!そしてスポーツの秋だ!いくら私の義をもってしても、食が細い・偏食家・味の良し悪しが分からない、と三拍子揃った三成に食欲を出させることは出来ぬからな!こうなればスポーツの秋を目一杯取り入れ、武将とは思えぬその生っちょろい身体を鍛える役目に私は励んでいきたい!及ばずながら!」
 
「偏食と食が細いのはさておき、最後のは何だ。そんな俺の欠点初めて聞いたが貴様とい」
 
俺の抗議は兼続の轟音に遮られた。
 
「さて、そう考えれば運動会というのは実にうってつけの企画であろう!そうと決まれば三成、早速選手を集めねばな!よし、人選は頼んだぞ!一致団結し皆で勝ち取る優勝!感動の男泣き!これは正に義だな!そしてそれを機に、日頃から蛇蝎の如くお前を忌み嫌っている正則殿や清正殿とも交流が深まるという寸法だ!うむ、今思い付いたにも拘わらず実に尤もらしい意見、さすが私!」
 
「思い付きで喋るな、兼続。あと奴らに嫌われているのは知っているが、わざわざ他人に言われると不快な」
 
俺の抗議は兼続の轟音に遮られた。(二度目だ)
 
「よし!選手と優勝賞品の手配はお前に一任しよう!賞品がノートや鉛筆といったささやか過ぎるものだったら許さんぞ?五万石くらいは欲しいものだな!おっと私としたことが、これは利かな?はっはっは!しかしそうと決まれば、忙しくなるぞ!私はこれから部屋に篭って競技種目について熟考する!邪魔はしてくれるなよ、三成!」
 
では、三日後に大坂城の庭で雌雄を決するぞ!そう叫びながら兼続は慌しく去って行き、俺は大量の疑問符と共にその場に取り残された。
 
「…で、何だったんだ?…俺の悪口を言いに来ただけか?」
 
そう呟き仕事に戻った俺が、兼続の言うことをすっかり忘れてしまっていたとしても、一体誰が責められようか。
 
 
 
 
 
だから三日後、「愛」とプリントされたジャージを着て部屋に雪崩れ込んできた兼続に、俺は素で「どうした?遂に気でも狂ったか?」と尋ねたのだ。
 
「何を!第一回直江山城杯運動会IN大坂城のことを忘れた訳ではないだろうな!」
「…忘れた」
 
何と、石田三成らしくない不義!そう突っ伏してわんわん喚く兼続の背後の襖が薄く開いて、幸村が顔を出した。
 
「あの、今日三成殿のところへ来ると五万石貰えるという話は本当ですか?」
「何だ、その話は!誰から聞いた?!」
「嘘かと思ったのですが、兼続殿がしきりにそう仰るので」
「おい、三成、いいから早く五万石寄越せ」
 
幸村の横から顔を覗かせるのは、政宗。
 
「政宗どのはもう五十八万石も持ってるじゃないですか」
「いや、貰えるものは貰うぞ。五万石とて疎かには出来ぬ。金持ちとはケチなものなのじゃ」
「いつもあんなに注意しても湯水のように金を使いますのに、こんな時だけ」
 
小遣いの使い道を巡って喧嘩する夫婦か、貴様らは。
そんな突っ込みは勿論誰の耳にも入らなかった。顔を上げた兼続が暴れだしたのである。
 
「いいぞ、二人共!そうやって闘争本能を高め、歴史に残るような運動会を行うのだ!参加者がまさか三人だとは私も予想外であったが、何、三成の人徳のなさを考えれば頷けようというもの!早速、私杯の開会式だ!」
 
は?三人?三人って誰がカウントされてるのだ?もしかして俺か?五万石の噂とは何だ?
「義と愛とスポーツマンシップに則り!」そのまま怒涛の宣誓に入ってしまった兼続に、俺が口を挟む隙はない。兼続が気持ち良さそうに喋っている間直立不動を命じられ(無論政宗は嫌がったし、幸村も尻込みしたが、兼続には誰も勝てなかった)、そんな疑問を浮かべながらも俺は、長すぎる宣誓に意識を失ったのだった。
 
 
 
 
 
「さて、第一種目は綱引きだ!」
 
兼続の所為で起こさずとも良い貧血を起こし、辛うじて意識を取り戻した俺だったが、誰に運ばれたか、気付くと既に大坂城の庭に転がっていた。糞、体調の優れぬ者にこの仕打ち、そう舌打しつつ重い頭を振り周囲を見渡しても、助けてくれそうな人など誰もいない。
いつもふらふらと出歩いては「一応天下人なんですからもっと自覚を持ってください!」と俺に叱られる秀吉様が散歩でもしていてくれたらと願ったが、世の中そうそう上手くは動かぬらしい。(そしたらどうなる、という訳でもないのかもしれないが)
いっそ紀之介でもいい、笑われるだろうが兼続を止めてくれるのであれば、それでも構わない。(兼続には勝てないかもしれないが)
最悪、正則がぶらぶらしていたら巻き込んでやるのに。(勿論途中で喧嘩になって運動会などぶち壊しだ)
だが、そんな俺の願い空しく、城の庭は閑散としたものだった。
 
「何じゃ、綱引きに勝てぬと五万石貰えぬのか?」
「五万石頂けるのでしたら、綱引きくらいは致しますが」
 
訳も分からず巻き込まれた癖に、変なところ乗りが良いバカップル(馬鹿が二人、という意味だ)の会話がまた腹立たしい。
綱引きなど、誰がするか!
俺の魂の叫びを遮ったのは、なんと兼続ではなかった。
 
「三成―――!応援に来てあげたよ!ガンバってね!」
「おっと、父兄の方から早速義の応援だな!これは負けられないぞ、三成!」
 
兼続の言葉が終わるか終わらぬうちに、俺はその場に崩れ落ちた。
ああ、何故あのお方が。よりにもよって。
一番止めてくれなさそうな、しかも無様な姿を一番見られたくない人に、友を自称する男に巻き込まれ貧血でぶっ倒れるというザマを見られたのだ。
 
「兼続…覚えてろよ…」
 
こうして唯一の歯止め役であった筈の俺の闘志は別の方向に燃え始め、結局はまんまと兼続の策に陥るのである。
ああ、こうなることは分かっていた。もういい、諦めた。どういうルールかさっぱり分からんが(綱引きのことではない、この運動会そのものだ)やるからには勝ってやる。
戦なんか比べ物にならぬ敵愾心を秘め、折角やる気を出して綱を握ったというのに。
 
「何故貴様らは普通に俺の反対側で綱を握るのだ!」
「いや、そうは言われましても…」
「何と言うか、儂も深くは考えてはおらなんだが…立ち位置的にこうなったのじゃ」
 
のう?ええ、と顔を見合わせて首を傾げる政宗と幸村に、益々苛々が募る。
綱引きなんてどう考えても二チームに分かれて争う競技だろう?そしてどうやら兼続は、言葉で応援することに余念がないらしく(つまり、進行役のようなものだろう)参加者はたった三人。
二対一で勝利を収めるのは、普通の人間にはどう考えても無理だ。
 
「ウチの清海入道なら勝てますけど」
「あんな人外と俺を一緒にするな!こんな勝負、やる前から結果は分かっているではないか」
「全く弱気だな、三成!だが余りにハンデある戦いはやはり不義、と言ったところかな?よし、ここは私が助っ人として狐さんチームに参加しよう!こんなに心強い義の助っ人がいたら、山犬さんチームなど一捻りだがな!」
「三成、しっかりね!負けたら承知しないよ!」
 
遂に勝手なチーム分けが始まった。
が、そんなことは最早どうでもいい。俺だって一応男、仄かな想いを寄せている女子(人妻だし、ちっとも望みはないのだけど)が応援してくれれば、食い下がる訳にはいかぬのだよ。
 
政宗だけは「山犬チームじゃと?」と眉間に皺を寄せていたが、「山犬さんチームですか、頑張りましょうね」という幸村の笑顔に途端に相好を崩した。全く安い男だと思う。(俺自身のことは棚に上げて置くように)
 
「よし!では、はじめ!」
 
だが競技が始まった瞬間に、早速俺は後悔した。
早くも手が痛い。最近筆しか握っていないから体力が完全に衰えている気がする。何より、政宗は兎も角、幸村の力に勝てるものか。
大体俺が、落馬しそうになった秀吉様を支えたのは、火事場の馬鹿力とかいう奴で、主の命の危機でもない唯の綱引きに馬鹿力など都合良く出せるか。
 
「ギーフギ!ギーフギ!ギーフギ!」
 
しかも背後から聞こえてくる奇妙な掛け声。
 
「か、ねつぐ…やめろ…その、掛け声、力が、ぬけ…るのだ…よ…」
「相分かった!確かに不義という掛け声は間違っているな!ギーアイ!ギーアイ!」
 
声を張り上げる力があるなら、その分綱を引っ張ってくれ。そうも思ったが、そんな願いが通じる相手なら、そもそもこんなところで綱引きなどしていない。
俺の奮闘(と、ついでに兼続の勇ましいだけの掛け声)空しく、狐チームとやらはずるずると山犬チームに引っ張られ、情けないことにあっさり決着が付いた。
 
五万石、五万石!と手を取り合って喜ぶ政宗と幸村に「いや、まだだ!」兼続の声が飛ぶ。
 
「五万石は優勝賞品だ!これで山犬さんチームは五点!狐さんチームは零点、という訳だな!」
「優勝賞品?」
 
綱引きに勝てば五万石貰えると勝手に信じていた幸村が首を傾げる。
 
「これは運動会なのだからな!優勝せねば賞品はない、当たり前だろう!」
「運動会じゃと?!こんな小規模な運動会があるか!」
 
政宗、貴様もちっとも分かっていなかったのだな。だが遅い、俺はもう少し早く突っ込んで欲しかったのだよ。
 
「さて、お次は百メートル走だ!」
 
「ちょっと待て!賞品の五万石は本当なのじゃな?何処から出るのじゃ?」
「それはチームに出るのですか?一人五万石ですか?」
 
全く、細かいことを気にする二人だ。そんな賞品、冗談に決まっているだろう。
 
「利に走る山犬さんチームは、褒美がないと運動会をすることも出来ぬか!では教えてやろう!三成が己の十九万石を割いて賞品を提供してくれた!太っ腹にも一人五万石だ!有難く思え!」
 
「な、何だそれは!俺はそんな話知らんぞ!」
「山犬さんチームが勝てば、都合十万石だ!おっとついでに私も進行役の報酬として五万石くらい頂こうかな?!どうだ、三成!」
 
「ふざけるな!そんなことをしたら、最悪、俺の所領はたった四万石ではないか!左近に禄を支払ったら二万石だぞ!」
「昔を思い出して懐かしいじゃろう?」
「そうですよ、三成殿。ゼロから再び人生をやり直すなんて、そうそう出来ることではございません」
「幸村、ゼロではのうて、四万石からの再スタートじゃ」
糞、こいつら、早くも勝った気でいやがるのか!
「石田治部ともあろう者がそんなことで騒いでどうする!左近の禄など二万石から二石に下げれば良いだけではないか!これぞ名案!」
「そうだ、左近!左近を連れてきてもいいか?!」
 
こうなったら俺達の運動神経を結集して、俺の所領を守るのだ。
正直左近が何処まで頼りになるかは分からぬが、俺より武働きは得意であろうことから、全くの戦力外ということもなかろう。何より一対二では、分が悪すぎる。
 
だが頭に血が上ってしまった俺は、全力疾走で左近を探し回り(こんなときに限ってふらふらしているとは何事だ!)やっと見つけたところを言い包め、引っ叩き、無駄な体力を消耗してしまった。
 
「ちょ、殿ー、運動会なんて正気ですかい?」「俺は正気だが、兼続がおかしいのだよ!」「秋とはいえ、まだこんな暑い日に外で走り回るなんて嫌ですよ」「そんなの俺だって嫌だ!」
だからそんな文句を垂れながら戻った瞬間スタートした百メートル走の戦績がどうだったかは、今更口に出したくもない。
 
 
 
 
 
なけなしの体力を使い切り、多分真っ青な顔の俺と、ぜいぜい息を切らしている左近を容赦なく種々多様な競技が襲う。
大体参加者が四人(辛うじて一人増えたが)というところが、もう間違っているのだ。
 
息つく間もなく、百メートル走の次は二百メートル走(何故、都合三百メートルも走らねばならぬのだという抗議は、兼続に黙殺された)、ご丁寧にハードルなんかも用意してあった。全く信じられん。
しかも兼続が競技を考えたものだから、内容も順番も、無茶苦茶だ。
一体何処の世界に、運動会で、踏み台昇降と懸垂をする阿呆がいるのだ。これはスポーツテストでも体力測定でもないのだぞ。
 
「よし!次は運動会の花形、騎馬戦だ!」
「…そんなもの、いつも戦で本物をしておるわ!」
 
さすがに政宗も肩で息をしている。しかし隣の幸村は涼しい顔。
こいつの体力は底なしか、俺は蹲りながらも心の中で悪態を吐く。
 
「騎馬戦って、三人で馬を作るんでしたっけ、ねえ殿?」
「知るか…今俺に話しかけるな…吐く」
「ちょっと人数が足りない気も致しますが」
「むう、私が五人いたら事足りるのだがな。仕様がない!パン食い競争に変更だ!」
「いや待て。パン食い競争など、やる前から勝負が見えているではないか!幸村の圧勝だ!」
「三成殿、私はいつからそんなキャラになったんですか?」
「大丈夫じゃ、幸村。パンまっしぐら、そんなところも可愛いぞ」
「というか運動会の花形といえば、リレーじゃないですかね?」
「成程!左近も偶には良いことを言うではないか!だが、こんなこともあろうかと!」
 
馬鹿左近!余計なことを言うな!お前は何年俺の家老をやっているのだ!
ほら見ろ、兼続が満面の笑みで兜の中からバトンを取り出したではないか。危なかった。パン食い競争だったら兜の中から出てきた兼続臭の染み付いたパンを齧らねばならぬところだったのか、ってそうではなくて!
 
「早速リレーと参ろうか!コースはこの庭一周だ!」
 
な、ま、待て!この庭が一体一周何キロあるか、貴様は考えたことが…。
 
「では、スタート!」
 
走る順番も決めないで兼続が合図を出したものだから、俺達はてんやわんやだ。まだ何も決めていないだろう!そう叫んだところで、この場のルールブックであるところの兼続が耳を傾ける訳などないではないか!
 
「仕様がない、左近、貴様が先に走れ」
「ちょ、殿、ずるいですよ!左近だって少し休みたいんですがね」
 
そうごねる左近の横を、幸村が凄い勢いで飛び出していく。「では政宗どの!アンカーは頼みました!」「うむ、幸村。儂はここで見ておるからな、頑張れよ」手を振る政宗も、ぶっちゃけ幸村が先に走ってくれて助かったという色を隠せない。
政宗の無尽蔵な幸村への愛情も、疲れには勝てぬか、そうだろうとも。
 
「殿が先に行ってくださいよ、左近より若いんですし」
何だと!これが戦だったらどうする。俺が貴様より若いからと、主を先陣に立たせるつもりか。
「いえ、これ、戦じゃないんでね」
「狐さんチームは何をやっているのかな?!このままだと負け狐確定だぞ!」
「そういうことだ、さっさと行け、左近」
 
結局、幸村があっさり庭を半周したところで左近がでべでべと走り始め、息も絶え絶えにバトンを渡す。
幸村から政宗にバトンが渡ったのだがその随分前のことだったから、俺はおねね様が見守る中、罰ゲームよろしく、たった一人で城の庭を走らされる羽目になったのだった。

 

 

運動会なら、何故いつものように子供ネタにするか現パラにしないの?と言う意見に三万点。
ただの気分です。(でももうパラレルみたいなものだし、大坂城って出てくるだけだし)
残念ながら続きます。
子供が走る擬態語は「ころころ」。譲れない。
(09/09/12)