計算外はそれだけではなかった。
平和な悩みにかまけてすっかり忘れていたのだが、所詮此処は遠呂智作りし世、乱世かどうかは知らぬがまあ、割と物騒な世界なのである。更には幸村も政宗も三成も(忘れそうだけど兼続だってそうだ)そんな乱れし世に戦う運命を背負って生まれた武将なのである。
古志城から戻った三成は、急に降り掛かった戦の報に、置いてきた政宗のことも忘れるほどてんてこ舞いだった。
遠呂智軍との衝突、何万という大軍を動かすほどの規模ではない、それは唯の小競り合いではあったが、古来より小競り合いが世の趨勢を決めるのに結果としてどれだけの力を揮ったかは身に沁みて知っている。手は抜けなかった。
故に三成は幸村を前線に出した。
幸村とて、プロである。三成の命を聞くと人が変わったような顔つきですぐさま戦支度に取り掛かった。同様に兼続にも出陣を乞う。
幸村だけで事足りるとは思うし、戦働きなら自分より兼続の方が見込みはある。戦況は読めるだろうが空気は読めぬ兼続がいざという時(戦云々ではない、政宗と幸村のことだ)何処まで頼りになるかは分からんが、いないよりはいた方がマシであろうと思ったのだ。
いや、兼続を信用していない訳ではないが、後方支援という責務がなかったら俺が行きたかったと三成は頭を抱える。問題は山積みだ。
既に遠呂智軍と刃を交えていた味方は、幸村と兼続の到着に沸き立った。
三国と戦国という、二国の代表的乱世の時代を生き抜いてきた武将と兵達である。それに対して遠呂智軍は、相変わらずの物怪の寄せ集め、妲己も戦場に姿を見せていない。
人と物怪、一対一では敵わなくとも、統率が取れておらぬ状態では、敵はその強みを存分に発揮することも難しい。勝利は確実だと思われた。
数人ごとの塊でばらばらと気侭な攻撃を繰り返す遠呂智軍が、だから、幸村の後詰として控えていた兼続の陣に差し迫っていると聞いた時、誰もが耳を疑った。
油断していた訳ではない。しかし敵陣深く斬り込んだ前線部隊の目を掻い潜るようにして忍び込んだ遠呂智兵らが後方で暴れているのは事実だった。
恐らくは敵もそこまで深くは考えてはいまい。これが戦術であるならば、前方の遠呂智兵と挟撃して前線の兵を一網打尽にする筈、これは偶然だ。だが見過ごしてはおけぬ。
「私と、数名の手勢だけで良いですか?」
畜生、あいつら軍略も戦術もないから却ってこういう時厄介なんだよな、どう動くか予想が付きやしねえ。
そう歯噛みした自分を見据え言葉少なに語ってきた異国の若き猛将に、夏侯淵は目を見張ったが、それも一瞬だった。
「おうよ!ここは妙才様に任せておけって。兼続だかいう奴のことは頼んだぜ?」
心安い夏侯淵の笑みに目だけで軽く答えた幸村が、すぐに馬上の人になる。
「俺んところとお前の隊、きっちり纏め上げて一泡吹かせてやっとくからな!」
幸村を見送って、夏侯淵は、さて、と目の前の敵を睨み付けた。最早後方の不安は一掃されたも同然。あと一踏ん張りだ。
「兼続殿!」
馬上から槍を突き出しながら幸村は叫ぶ。
紛れ込んだ遠呂智軍は報告通り高々数十名ではあったが、相手は物怪。人を相手にするより幾分か骨は折れる。
恐らくは最後の遠呂智兵を槍で薙ぎ払いながら辿り着いた兼続の陣は、少し慌しい雰囲気が漏れていた。
「おお、幸村か!私はここだ!」
その中央から聞こえてくる相変わらず元気そうな声に、幸村は胸を撫で下ろした。
ご無事で良かった、この状況に呑気そうな返答を聞いても尚、そう思ってしまうところが幸村の凄いところだ。三成だったら遠呂智兵よりまず先に、兼続を討ち取ってしまいかねない。
「わざわざ幸村自ら駆けつけてきてくれるとはな!これも私の義の賜物かな?!遠呂智兵の何人かが此方に向かってきたことまでは把握していたのだが、まさかここまで潜り込んでいようとは!全く私ともあろう者が油断してしまったようだ、怪我などしてはいないかな?私はこの通り、ぴんぴんしているぞ!」
地面に倒れ伏していた筈の遠呂智兵が最期の力を振り絞って弓を番えたのは、その時だった。
兼続に駆け寄らんとする幸村の背後から唸りを上げて矢が迫る。
「幸村!動くな!」
聞き覚えのある声に幸村は思わず立ち止まった。
一瞬日が翳ったかと思うと、大きな黒い塊が頭上を飛び越えて――同じだ、あの時と――金属を跳ね返す音に続いて響く銃声、同時に軽い着地の音。動くな、と言われた所為ではないが、幸村には身動き一つ出来ない。
遠く夏侯淵の陣辺りから、勝ち鬨の声が夢の中のように響いた。
勝ったのだ。その高揚が少しだけ幸村の金縛りを解く。
そうでもなければ振り返ることすら出来なかった。
目に飛び込んできた緑と黒、そして金を基調にした具足、右手に構えた細身の、美しい刀。銃を持った左手は真直ぐ前へ向けられている。三日月ではない前立と、風に翻る奇妙な、だが幸村にとっては見慣れてしまったマント。
そう、全く同じなのだ、あの時と。
違うのは、あの時は傲岸な笑みを湛えていたその顔に、今では必死の形相が浮かんでいることくらい。
「あ、あなたは…」
「伊達政宗推参!この政宗が居る限り、幸村には指一本触れさせぬわ、馬鹿め!」
何と、言ったのだ、この人は。
だて、まさむね?遠呂智ぜっと様ではなくて?
あの時だって今と全く同じ出で立ちで、同じ声で、ああ、しかし空耳などではなく。確かにこの男は今、伊達政宗と。
「待たせたな、幸村。此度ばかりは間に合うて良かった。大事無いか?」
腰が抜けたようにその場にへたり込んだ幸村の左手をそっと取りながら、政宗が言う。
あの時の傷はもう癒えたようじゃな。
包丁で切った浅い小さな傷。身体中に傷なんて無数にあるのに、それだけは確かに特別だった。
「治って、もう、痕もなくなってしまったと思った時には、辛くて…辛くて、それで」
俯くと涙が零れそうだったから、下は向けない。幸村は政宗の顔を只管見詰めながら、詰るようにそう呟く。
「おお!遠呂智Z殿、久方ぶりだな!息災であられたかな?!私は元気だ!」
そう叫ぶ兼続を無視して政宗は幸村の髪を掬い上げ、頷きながら薄く笑った。
「お主は、変なところしっかりしておる癖に、これじゃから」
ああ、もう泣くでない。頬を撫でる指からは、煙草の香りではなく、硝煙の匂いがした。
そんなもの関係なかったのだ、幸村は思う。
漂ってくるのが香の香りだろうが煙草の香りだろうが、いっそ硝煙の匂いだろうが、もうずっと前から上手く笑うことすら出来てはいなかったのだ。
「な、頼むからもう泣かんでくれ。儂が悪かったのじゃ。お主を守るにはあんな方法しかないなんて思うてしまった儂が、悪かったのじゃ」
跪いた政宗の首に腕を回しながら幸村は言う――そうです。政宗どのが悪いんです。「そうじゃな」あやすように背を優しく叩かれ、しゃっくり上げながら、でも幸村ははっきりと政宗の耳元で囁いた。
「守って差し上げたいのは、私だって同じですのに」
私にだってそのくらい出来るのです、あれからお財布だって忘れたことはないんですよ?
そう言って顔を見合わせてぐしゃぐしゃの顔で笑う。
凱旋してきた幸村達を出迎えた三成は、幸村の隣に政宗の姿を見つけて、明らかにほっとしたような顔を見せた。
「三成殿!遠呂智ぜっと様は政宗どのだったんですよ!」
今更なことを打ち明けてくる幸村に頭を抱えそうになったが、三成は我慢する。
戦は大勝、しかも幸村は(ついでに政宗も)先日までの腑抜け状態からすっかり立ち直ったのだし、これで良しとしようではないか、いやそうしたい。
「ん?遠呂智Z殿といえば、先程からすっかり姿が見えんのだ!一体これはどうした訳かな?!」
未だそんなことを言う兼続を三成は思い切り無視したが、幸村の隣に居た政宗がぼそりと答える。
全く自分が幸せだからって兼続にまで急に丁寧に受け答えするなど、現金な奴だ。
「もう遠呂智Zは現れることはないじゃろうて」
「なんと!」
「こそこそせずとも、幸村を守る覚悟は出来たわ。まあ幸村が望むなら、またなってやっても良いがな」
「いいえ、政宗どののままでいてください」
手を固く握り合ったままひっそりとそんな遣り取りをする二人に、三成は少しだけイラっとした。
誰のお蔭だと思っているのだ!
思わず鉄扇を投げつけそうになったが、「殿、馬に蹴られますよ」隣でそう耳打ちした左近に向かって間違えて投げてしまう。
「殿!左近は何も変なこと言ってませんよ!」
「気にするな、つい癖でうっかり間違えただけだ」
「気にしますって!うっかりで殺されたら堪らないですよ!」
「遠呂智Z殿は星に帰られた、という訳か…この世から義士が一人減ったのは誠に残念ではあるが、この直江山城、僭越ながら遠呂智Z殿の旅立ちを言葉で応援したいと思う!」
「いや、星じゃなくて、天から舞い降りたという設定だったんじゃが」
佐和山主従のてんやわんやも、政宗の突っ込みも、何故か滂沱の涙を流し続ける兼続には通じない。
馬に跨ったまま(馬は少し吃驚して嘶いたが、この飼い主の性質に慣れているのだろう、それ以上は特に動じた風もなかった)遥かな地平を眺め、兼続は叫ぶ。
「ありがとう!遠呂智Z殿!そなたの義、我々は決して忘れはしないだろう!ありがとう!」
「山城 I 参上!」
そう言って城の中庭に躍り出た兼続に、仕事をしていた三成と左近、そして幸村に凭れかかってここぞとばかりにいちゃついていた政宗は飛び上がった。幸村だけがにこにこと兼続を見守っている。
「何事ぞ!って兼続か。何をして居るか。兜と陣羽織まで改造しおって、本物の阿呆みたいじゃぞ」
それは政宗だけには言われたくないだろう。
「そうだ、五月蝿いぞ兼続。俺は今貴様と遊んでいる場合ではないのだよ」
「兼続ではない!私は山城 I !まあ、あの直江兼続とかいう高潔な義士と、同じく義と愛貫く私を間違えそうな気持ちは分かるがな!私は遠呂智軍の作り出した改造人間である!そして皆の義と愛を守る為、不義と戦うのだ!」
「ええい、その中途半端な設定は何じゃ!」
「政宗どの、許してあげてください。きっと兼続殿は羨ましかったんですよ」
幸村がそう言うとすぐに政宗は大人しくなった。そうかそうか、お主がそう言うのであれば仕様がないのう、と幸村の髪を梳き、既に興味は兼続にはなくなった様子である。
「山城 I のアイはアルファベットのアイ、そして愛染明王の愛、更には『私!』という意味のアイだ!三日も寝ずに考えた!」
そう言っておもむろに兼続がポーズを決める。三日も寝ていないと自己申告した割には元気に過ぎる。
右手を高々と上げ、左手を大きく回し、何処からともなく取り出した段ボール製の愛の字を兜に装着すると、兜が眩い光を放った。
「な!眩しい!邪魔だ、やめろ兼続!お前はぴかちゅうか!」
「うわ、光ったぞ!何じゃあれ、儂もあんなの作ればよかったわ!」
感想は人それぞれである。兼続などいないかのように振舞っていた政宗が、妙な興味を示し始めた。
「あれ、どうなっとるんじゃ…?糞、儂だって時間があればあのくらい作れるぞ。ついでに音も出す!」
「政宗どの」
目を覆い倒れ伏した三成とは対照的に、そわそわする政宗に向かって幸村は幾分か、冷たい声音で呼びかけた。
「何じゃ、幸村」
「もう遠呂智ぜっとは現れないと仰ったのは、政宗どのでしたよね…?」
「あ、ああ、そうじゃ。儂はこの姿のまま、ずっとお主と共におるわ」
「それなら、良いのです」
にっこり微笑む幸村に、冷や汗を垂らしながらこくこくと頷く政宗。
魔王と呼ばれる遠呂智が丹精込めて作り上げた世界だけど、今日も平和なもんですな、左近はまだ目を覆って倒れている主を介抱しながら呑気に思う。
「ちょっと!三成さん!あの兼続って人、三成さんの友達でしょ?!ゴキブリみたいに古志城の色んなところに現れてギーギー叫んで気持ち悪いんだけど、何とかしてくれない?!時々急に光ったりするし!卑弥呼だって、ていうか遠呂智様だって怖がってるわよ!」
三成だけは、少しだけ平和ではなさそうなのだけど。
(完)
色々ごめんなさい。反省は、してます。
勢力とか関係ないなら好きな人出したれ!って私は淵ちゃんが書けて満足でしたが。
(09/11/11)