「おい政宗、何してんだ。とっとと行こうぜ」
 
孫市がそう声を掛けた時には、上田城主の次男坊は既に姿を消した後だった。
自称・馬鹿さじゃ負けねえ戦人に続いて、ぞろぞろと城下を見下ろす面子の中に政宗が加わらなかったことは孫市も気にしなかったが、来るべき圧倒的不利な戦など全く気にもかけない風で慶次が大きく伸びをし、兼続がまだ見えぬ徳川勢に向かって(本人曰く)気概篭った鬨の声をたった一人で上げ続け、それに薄く笑みながら僅かに頭を下げ幸村が辞しても、政宗は固まったように身動き一つしなかった。
 
「おーい、聞こえてんのかよ、政宗?」
 
近寄って、ゆらゆらと目の前で手を振ると、何とも忌々しげに腕ごと叩き落とされる。
 
「…折角あれの後姿を反芻していたというに、邪魔をするな」
「は?」
「ああ、糞。戦なんぞどうでも良いわ」
「何だって?」
 
やれやれ面倒なことこの上ないが、孫市にとって政宗は腐っても主筋なのだ。
何とはなしに付いていくのは面白そうだ、そもそもがそんな不謹慎な動機ではあったが、竜の野望に自分の腕を貸してやるのも悪くないと思ったのも事実。なのに腑抜けたままでは面白くない。
そう考えていた孫市は、突如覇気を取り戻した政宗の言に心底驚いた。
 
「真田幸村か…気に入った!あ奴、何としても手に入れるぞ、孫市!」
「何言ってんだ、政宗。手に入れるって…幸村は敵将でも何でもない、ここの殿様の息子だろうが」
「貴様こそ何を言うておるか!この儂が!独眼竜が惚れたと言うておるのじゃろうが!察しろ!」
 
世の中には面倒事を次々に作り出す人間と、何の因果かそれを背負い込まねばならぬ人間がいる。腑抜けていた時間が長過ぎたからうっかり忘れてしまっていたが、彼はどう好意的に捉えても前者で、しかもそれは筋金入りだ。
途端それを思い出した孫市は、そうか精々頑張れよと笑い声にもならぬ笑い声を立て、そっと後退さったのであるが、無情にもその動きは政宗の雄叫びに阻まれた。
 
「よし!この地に居る間に何としても儂は幸村と恋仲になってやるぞ!あの狸親父に、出来るだけゆるり進軍せいと誰ぞ言うて来い!いや、そんなことより、どうしたらあ奴を落とせるか、貴様も無い知恵絞って考えろ、孫市!」
 
幾ら何でも家康に進軍速度を遅くしろというのは冗談であろうが(だが強ち冗談とも思えない)、おー!と刀振りかざして叫ぶ政宗に、見えぬ敵に向かって語彙の限りを尽くし罵詈雑言を吐いていた兼続までもが、何だ何だと寄って来る。
 
「おっと政宗とやら、大人しくしていたと思ったら、早速その身を劣情に委ねていたとはな!全くもって嘆かわしい!」
「何じゃと!愛を掲げておきながら、儂のこの燃ゆるような愛も分からぬとは!貴様こそ真の大馬鹿者よのう!」
「勘違いするな!私が掲げるべき愛は、愛染明王の偉大なる愛!そのような下世話な情とは似ても似つかぬ!」
 
初顔合わせがつい先程だったのが嘘のように、容赦のない口撃を浴びせ合う二人を見ながら、孫市はどうかせめて幸村が戻ってきませんようにと祈ることしか出来ぬ。
 
「幸村か…だって男だぜ?俺は女の方がいいと思うがなあ」
 
祈りながらも一言多いのが、孫市の特徴だ。
 
「貴様、孫市の癖に儂の幸村を愚弄するか!」
「ちょ、待てよ!いつお前のもんになったんだよ!気が早過ぎるだろ!」
「そうだぞ孫市!いくら劣情とは言え、主の嗜好を頭から否定するなど、賢い臣のすることではないぞ!」
「あんた、どっちの味方だ!」
「む?おかしなことを尋ねる奴だ!私はいつだって私の味方だぞ!」
 
姦しい室内に呵呵と笑い声が響いたのは、丁度その時だった。
 
「政宗って言ったか、いいねえ、いい顔になったじゃねえか。その勢いで徳川なんて捻り潰して、ついでにここの息子も惚れさせちまえ!」
 
ああ、と搾り出すような溜息と共に孫市は頭を抱えた。
面倒事を次々に作り出す人間と、何の因果かそれを背負い込まねばならぬ人間がいる、世の中はきっと綺麗にそうやって二分されるであろうに。激しい一目惚れの挙句、腑抜け状態からあっさり立ち直った政宗に、無責任に背を押す慶次(政宗に噛み付きながらも自分のことしか見えていないような兼続だってそうだ)、よりにもよってこの場には前者しかいないだなんて。
常識を嫌という程兼ね備えた自分以外は。
 
頭を抱えながらそれでも立ち直った政宗に、内心、ほっと胸を撫で下ろし――それは別にしてもこの戦、自分がせめて頑張らなければと孫市は殊勝なことを少しだけ心に誓った。
どう考えても劣勢極まりない戦、別の意味で腑抜けた主と、この面白に過ぎる面々は、もう戦のことなど全く見えてないようであるし。
 
 
 
が、孫市の心配は、全くの杞憂に終わった。
 
徳川の勇猛にして可憐な乙女武者(口説く間も無く敗走させてしまったのは、返す返すも惜しかった)も、そう評したように、卑怯の一歩、いやぎりぎり半歩手前くらいの策で次々と徳川方を窮地に陥れる昌幸の智謀に、無駄にやる気漲る真田の精鋭、寸分の迷いもなく敵を次々に打ち倒す幸村の槍、それに強さと思い込みではある意味戦国最強とも言える上杉が手を組んだのだ。
豪快に過ぎる慶次の槍捌きは、見ているこっちまで吹っ飛ばされそうだったし、随分離れている筈なのに、風に乗って兼続の叫び声が聞こえてきたことだって、多分気の所為ではないだろう(それは真田軍の強さとは一切関係ないのだが)。
 
戦が始まるまでは「どうやったら幸村を振り返らせることが出来るか」と、そればかり口にし、用もないのに幸村の部屋の前を行ったり来たりしていた政宗も(それで何がどう進展したのか孫市の耳には入らなかったので、多分政宗はうろうろしていただけで何も出来なかったどころか会ってもいないのだろうと彼は推測した)、さすがに徳川の軍勢を見て表情を引き締めた。
が、孫市が安心したのも束の間、砥石城付近の敵を撫で斬りにした政宗はあっという間に何事か奇声を上げながら幸村の元にまっしぐら。「待て!いいからちょっと待てって、政宗!」叫んだ孫市は、北条に囲まれ身動き取れないまま主の後姿を見送るしかなかった。
いくら幸村恋しとは言え、あの北条の軍の中を単騎で駆け通しに駆け、上田城下の幸村と合流したというのだから、腐っても竜の実力恐るべし、である。
 
「攻めてきた俺が言うのもおかしいけどな、手前ら、もっとちゃんと戦えよ…」と呆れ顔の氏康の攻撃をがんがんくらっていた孫市の危機など、勿論誰からも全く省みられず、その頃政宗は、幸村と一緒になって家康の本陣に先頭切って突っ込んでいたらしい。
兼続も慶次も、嫡男・信幸も、どころか城主・昌幸ですらそれに続いて家康に飛び掛っていったと言うから、さすがにあの狸親父も槍を取り落とさんばかりに驚いたには違いなかった。
 
軍略に優れている癖に、最後は総大将に総大将が掴み掛かっていくという荒業。全くもって真田の戦い方は機略縦横過ぎて意味が分からない。
今なら家康と肩を並べて愚痴を言い合ったら話は尽きないんだろうな、そんな詮無き想像もしてしまう孫市である。
 
 
 
そんな孫市の切なくも哀しい心中はさておき、家康を難なく敗走させ、「徳川家康、何するものぞ」と不敵な笑みを浮かべる昌幸の後ろで、政宗は、さてこの目出度き勝利の瞬間に乗せて初顔合わせ以来やっと出会えた想い人に気の効いた台詞の一つでも吐かんと意気込んだらしいのであるが、先手を切ったのはなんと幸村の方だった。
 
まだ肩で息をしながら返り血に染まった槍を収めつつ、ふと隣に立っている政宗に目だけで笑うと、彼は小さく囁いた。(まるで見てきたように言ってはいるが、孫市はその状態を知らないので、本当はどうかは知らないけど)
 
「政宗殿」
 
たった、それだけ。
お力添え感謝します、とも、政宗の武功を讃える言葉一つなかった。
 
 
 
「こうな、丁度息を切らせておるところでな、乱れた呼気に混じってそっと!儂の名を!呼んだ訳じゃ!聞いておるか、孫市!初めて会うた時のあの挑発するような笑みも良いが、ふわっとな!儂が隣に居ることに心底ほっとしたように、じゃ!まるでひっそりと咲き誇る花のように、たおやかに笑うのじゃて。あれは、絶対儂に惚れておる!もう間違いない!」
 
足をがんがん踏み鳴らしてそう喚くは、政宗。
屍がそこかしこに積み重なっている状態で咲き誇る花(しかも返り血付じゃねえか)など、正直、孫市にとっては、それ何てホラー?以外の何物でもないのだが。
 
「惚れている、とな?!全く山犬の前向きさには呆れて開いた口が塞がらぬ!あれはどう見ても『おっと、この不義の生き物は誰だったかな?!そうそう、山犬と言ったか!こんなところにいるとは驚きだ!』と言った表情だった!ほっとして見えたという表現は間違ってはおらぬが、あれは山犬の名を何とか思い出せたという安堵からであろう!因みに私は山犬の名などもう忘れたが、そんなもの不義の山犬で充分だ!このうろたえわんわん者め!」
 
と、此方は兼続の弁である――おいおい、何だよそれ。
 
双方共に自分にだけ都合良く解釈して物申しているのは重々承知で、孫市は思う。
勇猛な将と猪武者とは、天と地ほどに違うのだ。幸村は勇猛な武士ではあるが、周りが全く見えぬ猪武者ではないから、政宗がいきなり自分の許に駆けつけたのは、疾うに承知のことだった筈。
家康を潰走させ、息を整える間も無く、幸村はきっとその日、むしろ、あの日以来初めて政宗に話し掛けたのであろう。
 
勝利に沸く味方の鬨の声に紛れて、一言。(因みに、その鬨の声は、北条に追われほうほうの体で上田城下に逃げ込み、得物の銃で身体を支えながらうろうろしていた孫市の耳にも届いたが)
兼続が言うように、あたかも今気付いたように、さり気なく、けど政宗が言うように、ほっと息を吐きながら、たった一言彼の名を。
おいおい、マジかよ、何だよそれ。
もしかするともしかするってか。
 
急に湧き上がった疑惑というには確信あり過ぎる想像に、眉を顰めて顔を上げたら、顎に手を当て面白そうににやにやしている慶次と目が合った。
おい、政宗。何がおかしいのか、そう呼びかける彼の声は相変わらず陽気に過ぎる、と孫市は思う。
 
「一先ず派手な戦も終わったし、ちょいと孫市を借りてくぜ」
「何だよ急に。おい、慶次、引っ張んなって!」
 
いいや、あれは絶対儂に惚れまくりじゃ!
何を言う、だがその根拠のない気概は私も見習わねばならぬな!
全く噛み合わない喧嘩を背中に受けながら、慶次は呟く。
 
「野暮なことだとは思うがな、もうちいっとばかり骨休みが延びたって、今更誰も文句は言わねえだろう」
 
ああ、そういうことか。表向き政宗は、伊達の正式な援軍ではなく、この戦の為だけの素性も分からぬ傭兵風情なのだから、事が済めばさっさと出て行くのは道理。
もしも自分の想像が当たっているのならば、僅かではあるが時を稼ぐのも悪いことではないだろう。
 
「一目惚れだってよ、全く若いねえ」
 
友として恋の成就を割と本気で願ってしまった、そんな自分の青臭さを誤魔化すようにそう言ったのだが、
 
「一目惚れなんて唯のきっかけさ。一目惚れも出来ねえような相手に誰が本気で惚れるかってなもんだ」
 
慶次に返され言葉を失った。
一目惚れとやらをしたのは、政宗だったのかそれとも幸村の方だったのか。
孫市は尋ねることも出来ず、最近、一目惚れなんてしてねえなあ、と思わずこぼす。そうかい、と慶次は笑っただけだった。
 
深い意味はないのだろうが、彼の笑みは実に良くない。
女の子は普通に可愛いと思うんだけどな。
慌ててそう付け加えた言葉の裏にある、漠然とした寂寥感のような――ああ、もう俺、女にうつつを抜かすとか出来ねえのかな、という、ほっとしたような、だがそこはかとない不安のようなものを見透かされた気になる。
 
これ以上考えると益々寂しくなりそうだから、孫市は慌てて話題を戻した。
 
「上手くいくと思うか、あの二人」
「俺は政宗じゃないから、分からないねえ」
 
それこそ、野暮ってもんだ。
慶次はそう笑ったが、その言い草こそ野暮ってものだろう、孫市もつられて苦笑する。
 
初めての出会い以来襲い掛かるでもなく(そんなことされたら普通に困るが)口説き倒す訳でもなく、唯々幸村幸村呟いている政宗に、らしくねえなと笑いながらやきもきしていたというのに。
気に病むまでもなかったんじゃねえか。
政宗が幸村に惚れているのは周知の事実で、一方の幸村の胸の内など分からないのだから、普通だったら「幸村じゃないから分からない」というべきであろう。
 
「どうだい、時間潰しに城下をぶらついて、綺麗どころでも見ながら一杯」
「いいけどよ。今の上田にそんな店あるか?」
「秘策とやらで燃えちまったってか。だったら俺達がちょいと行って、直してやりゃあ良いじゃねえか」
 
なるほど、こういう無責任な尻拭いの方法もあるんだな。孫市は黙って慶次の後に続く。
戦火に巻き込まれた町全体を立て直すのは昌幸の、幸村の仕事だろう。国に戻れば政宗だって、兼続だって。
だが酒が呑みたいという馬鹿げた理由で復旧作業を手伝えるのは、きっと自分達だけだ。
 
「店一軒ばかし直して美味い酒をしこたま呑み終えるくらいには、あいつらも纏まってるだろうよ」
 
こいつはこいつなりに、結構本気であの二人を心配してるんだな、と孫市は頷く。
兼続は良い奴なんだが、こういう時には頭が固くて困る。わざと拗ねるような声音を作った慶次に噴出した。

 

 

続きます。
孫と慶次、ちゃんと書いたの、もしかしたら初めて…ではないでしょうか。
上田城をやるといつも思うのですが、何故昌幸は総大将の癖に、ああも率先してヤスに飛び掛っていくのか。(しかも強い)
(10/01/08)