バスと電車を乗り継いで、やって来ました温泉旅館。
「広くて綺麗なお部屋ですね」
「うむ!そうだな幸村!早速この部屋の床の間に私が持参した義の掛け軸を飾ろう!」
荷物を置く間ももどかしく、兼続は鞄をごそごそ漁り巻物を取り出した。
松だか山だか、当たり障りのない水墨画が掛けられていた床の間には、今や燦然と輝く義の文字。
左下に「直江山城守兼続」と名前(銘ではなく、名前だ。あくまでも)まで入っているので、兼続は習字か何かと勘違いしている公算が高い。
「これは先だって私がしたためた書だ!毘字が入った枕も持ってきた!これで謙信公の夢が見られるに違いない!」
温泉に来て、風呂の話も料理の話もせずに、夢の話をする人も珍しい。が、仕方ない。
道理で荷物が多い筈、そう思っても幸村はにこにこと黙っている。突っ込むのは自分の役目ではないし、第一少々面倒臭い。
その(比較的)突っ込み担当の二人と言えば
「三成!予約を取ったのは貴様か?!何故わざわざ四人部屋にするのじゃ!」
「何だと、貴様は俺に一晩中兼続の相手をしろというのか?というかそもそも俺の目が黒い内は幸村と共寝などさせぬ!断じてさせぬぞ!」
「まだそのような戯言を言うておるのか!幸村は儂のじゃ!保護者面して口を出すな、馬鹿め!」
「いつ貴様のものになったのだ!俺は認めんぞ、うちの幸村は嫁にはやらん!」
低俗な争いをしていて楽しそうだなあでも何だか寂しいなあと、幸村はこれまた黙って眺める。
仮に別室だとしても、隣室に友人が居ると知って政宗が何か出来よう筈もないし、三成に至っては二人のことに首を挟む権利は何一つないのである。
旅行で浮かれて口汚く罵り合っているだけだと判断した幸村は、勝手に茶を煎れ茶菓子を齧り出したので、誰も止める者のいなかった兼続の演説と、三成と政宗の口論は、その後小一時間程続いた。
叫び続けた三成が盛大に咳き込んだところで、一先ずこれらの事態は収束に向かった。
ぐびぐびと茶を飲む政宗(兼続は咽喉に関しては全く平気そうだったので、こっそり幸村は感心した)に、幸村は宿の案内を見せる。
「ここは色んな外湯があるそうですよ。ほら、浴衣で回れるって書いてあります」
「ほう。夕飯前に行ってみるか」
「この毘字を見よ!かつて謙信公が夢枕に立ち、この枕を私に手ずから渡された時のことだ!」
「枕、枕叫んでないで行くぞ、兼続」
「私、温泉を回るのははじめてなのです」
「お主はいつも風呂が早いからな。逆上せるなよ」
「温泉酔いという言葉がある!」
四人が浴衣に着替え外に繰り出すまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。
やっとの思いで手拭い片手に湯を巡り出した面々だったが、意外なことにまず音を上げたのは幸村だった。いや、正しくは音を上げたどころではない。
三箇所ほど温泉を回った後、脱衣所できちんと浴衣を着た幸村は「牛乳でも飲むか」とか何とか話し掛けた政宗に微笑んで見せるとそのまま真後ろにぶっ倒れたのであった。
「な!ゆ、幸村!」
「…あれ?ま、まさむねどの…なんだか…ふにゃふにゃします…」
「お主、逆上せたのか」
辛うじて幸村を支えた政宗。しかしそのまま落とさぬようにしているのが精一杯である。
そこへ風呂の扉が開いて三成が顔を出した。
「お前ら五月蝿いぞ…って幸村!政宗、貴様このような場所で幸村に何を!」
激しく勘違いした三成が、碌に身体を拭きもせず、脱衣所に正に文字通り飛び出してきた。
「馬鹿め!何を考えておるか、貴様!さっさと手を貸さぬか!」
「て、手を貸せだと!ななななな何をする気だ、政宗!」
「いいから落ち着け!それとせめて手拭いを腰に巻け!見苦しいわー!」
そんなことを叫びながら、風呂場から響いてくるやけに滑舌の良い兼続の鼻歌をBGMに何とか幸村を椅子に座らせる。
「大丈夫か、幸村?今、冷たい茶を三成に買いに行かせるからな」
ちゃっかり三成を遠ざけようとする魂胆が丸見えではあるが、幸村の為とあらば三成も黙って従うしかない。
そんな三成には目も呉れず、政宗は水で冷やした手拭いを幸村の顔に当ててやった。
「気持ち良いか?幸村」
「…はい、まさむねどの」
息も荒く真っ赤な顔で頷く幸村が痛々しいやら何やら。色々思うところもあるが、あえて口にはすまい。
まあ正直、三成には、というか他の誰にも見せたくなかったと政宗はひっそり思う。
「だから言うたじゃろう?我慢してまで風呂になぞ入るものではない。気分が悪くなる前にさっさと出れば良かったものを」
「…でも気分は悪くなかったのです、さっきまで」
口を尖らせてそう反論する幸村の頬に濡れタオルを押し付けると首をすくめる。
少しは回復してきたようで、ほっとするとついつい小言が口をついて出た。
「そう言って倒れておれば世話はないな。全く餓鬼ではないのだからもう少ししっかりしろ。……何じゃ、その顔は」
気付くと幸村が嬉しそうに(いや具合は悪そうなのだが)こちらを見上げているではないか。
心配を掛けた挙句へらへらしおって。そう怒ろうとしたが、余りに幸村が幸せそうなのでそうも言えず。
「すみません、嬉しくて」
「風呂で倒れたのが、か?」
「いいえ、政宗どのがお相手してくださるのが」
思わず眉を寄せる。なんだ、それは。まるで儂が幸村を放っておいたみたいではないか。
顔を顰めた政宗を見て、機嫌を損ねたと勘違いした幸村が慌てて言葉を続けた。
「だって、こちらに着いてからずっと三成殿や兼続殿と楽しそうにお話なさっていたではないですか。
あ、あの!勿論楽しそうになさっておられるのは嬉しいのですが、私のことも構って欲しくて…」
「…幸村。お主は一体何を見ておるのだ…?」
思わず脱力する政宗である。
宿に着いてからの三成との下らない遣り取りは、どう好意的に見ても「楽しそう」ではないと思うし、その後風呂の中では「義ー義ー」うるさく歌う兼続に噛み付いただけだ。
「せめて政宗どののお傍にいようと思ったら、お風呂に浸かっている時間が長くて…」
で、ひっくり返ったという訳か。
「…分かった、さっさと部屋に戻るぞ」
要するに幸村が可愛らしいやきもちを妬いたらしい。
相手があの二人だと思うとげんなりしてしまいそうになるが、そこは目を瞑ろう。幸村がそんなことを思ってくれたということの方が今は重要だ、多分。
「は?戻られる、のですか?」
「ぼやぼやするな。お主もう温泉なぞ入れぬだろう。
…夕食まで時間もあるし、部屋で二人でのんびりするぞ」
はい!と嬉しそうに立ち上がり(それでも多少くらくらしたようだったが)自分の浴衣の袂をおずおずと握ってくる幸村の手をしっかり握り返して、政宗は部屋に向かった。
逆上せているのか嬉しいのか恥ずかしいのか、とにかく真っ赤な顔をしている幸村を盗み見ながら、次は、次こそは絶対二人で来ようと、固く心に誓いながら。
「冷たい茶を買ってきたぞ!無事か?!」
風呂上りということも手伝って汗だくになりながらお茶を片手に走りこんできた三成。
「おお、三成!気が利くな!私なら無事だ!」
愛、と書かれたタオル(勿論自前である)で、すぱーんと勢い良く身体を拭いていた兼続は、三成の言葉に振り返り、返事も待たぬまま茶を奪い一気に飲み干した。
「さすがの私も風呂で歌を歌うと咽喉が渇くな!まだまだ義が足りぬ!」
「…兼続、お前のことはどうでもいい。幸村はどうしたのだ?」
「ん?先程山犬といちゃつきながら帰っていったぞ!全く幸村は甘えん坊だな!
おお三成、そなたまた汗を掻いたのか。これはいかん!もう一度共に風呂に浸かろう!」
その場に固まった三成の身包みを剥ぐと、兼続は声を響かせて再び風呂場に入って行った。
兼続の行動がわざとなのかどうかは、もう誰にも分からない。
逆上せた幸は可愛いだろうなという妄想が凄絶に噴出しました、すみません。いちゃいちゃさせすぎました。
三幸ではない(予定)筈ですが、殿が手がつけられません。まあいいや。
素っ裸で脱衣所に飛び込む殿が書けて満足です。すいません、本当にすいません。
風呂桶に数分浸かればあっという間に逆上せるわたしには、温泉に三つも四つも入る人の気持ちは分かりません…。
(08/04/30)