※性別関係なく結婚できる設定でよろしく…(無茶いうな)
政宗がそのことを口にした時、肝心の相手である幸村は団扇片手に、つい今しがた食べ終えてしまったアイスの棒を未練がましく齧っていたところだった。何とも行儀の悪い姿だったがこの猛暑の中であれば仕方ないのかもしれない。
因みに、政宗はソファを占領したままの転寝から、やっと覚醒し出した状態だった。どっちもどっちである。
これだけであれば夏真っ盛りの休日の午後、珍しくも何ともない光景だ。
こうやって(ついでに言えば夏バテも起こさないくらい健康な二人ではあるが、まるで暑さに耐えかねるようにだらだらしながら)一緒に夏を過ごすのはもう数え切れないくらいであるが、名実共に一緒に――つまり共に暮らし始めてからは三度目の夏で、クーラーの設定温度についても短い夏休みの過ごし方についても、暗黙の了解が上手く機能し始めたくらいの頃。
「あー…儂のアイス…」
元々寝起きの悪い政宗が発する言葉に覇気は欠片もない。空調が利いている部屋とて暑いことは暑いから(ぎんぎんに冷やすと幸村が勿体無い!と怒る所為だ)、政宗の寝起きはいつもより数倍悪く、欠伸交じりに言ったところを見ると、アイスに微塵の未練もないのだろう。
「政宗殿のアイスは今朝食べちゃったでしょう?これは私のです」
「…そうじゃったかー」
「そうです」
ゆったりと団扇を動かしながら幸村は窓の外を見上げた。
都会に空なんかないというけど、それは今朝方大量に干した洗濯物の所為なんじゃないかと思う。白いシーツは僅かな湿気も含んでいないかのように軽やかに風に舞っていた。
乾いたのであればさっさと取り込まなければ、今度は容赦ない太陽の所為で必要以上に熱くなって眠れたものじゃない。
それは分かっているのだけど窓を開けるのも億劫だから、政宗殿が早く気付いてくれればいいなあ、と思いながら幸村はアイスの棒をまだ噛んでいる。箱アイスはいっぱい入っていて嬉しいけど、当たりがないのが難点だ。
「暑いのう」
「暑いですね」
「儂、溶けたらどうしよう」
「拭くのが面倒なところでは溶けないでくださいね」
「おう」
団扇の向きを調節して、二三度政宗に風を送ってやる。
たったそれだけで政宗は気持ち良さそうな顔で伸びをした。つられて幸村も欠伸をする。
「よくこんな暑い時期に政宗殿の御母上は政宗殿をお産みになりましたよね」
「本当じゃな、餓鬼を産むなんて一仕事じゃろうに」
その感想はどうかと思うが、それはさておき、誕生日というのは祝った回数が多ければ多いほど、どうでも良くなっていくものらしい。
遥か昔(然して昔ではないのだが、幸村にはそう思える)はじめて二人で過ごした政宗の誕生日の記憶には、夏の暑さなど混ざる隙すらない。
とは言え夏は夏だった筈だが、きっと若い頃の自分は暑さなど物ともせずに彼の誕生日を心待ちにし、いそいそとプレゼントを買いに行ったのだろう。確か三成に頼み込んで一緒に買い物に行ってもらったことまでは覚えているが、何をあげたのかまでは覚えがない。
覚えているのは、二人だけだった筈のささやかな誕生パーティ(という程でもないが)に乱入した兼続が買ってきたケーキに「不義の山犬め!お誕生日おめでとう!」というプレートが乗っていて、兼続に引っ張ってこられた三成が「ケーキ屋でそんな言葉を書いて貰うのは恥ずかしかった」と憤慨していたことだけだ。政宗はそもそも二人が乱入してきたことに憤慨していたが。
はっきりと覚えてはいないがきっと自分は、幾許かの複雑な感情を抑えた苦笑いしか出せなかったのだろうと思う。
今の自分であれば心の底から笑うくらいは出来るというのに。
兎にも角にも、然して重要なイベントでもなくなった政宗の誕生日(政宗だけではなくて、幸村の誕生日だって似たようなものだ)は数日前に過ぎた。
当日は紛うことなく平日だったので、ケーキを食べる以外は何もしなかった。
今日の休日を控えた昨晩、誕生日だったからという名目で呑みに行った。お世辞にもデートに最適などという褒め言葉は出ない、小さな行きつけの、だが味は悪くない店だ。
いつもの週末と変わらない。
違うのは、ありきたりな、食事開始の合図の意味しかない乾杯の後「そういえばおめでとうございます」と言ったことと、それに政宗が横柄に頷いたこと、支払いは幸村がしたことだけ。
家に帰ってきて当たり前のように抱き合って、終わった瞬間「あっつい!」と叫びながら身体を離した。
情緒もへったくれもない事後で申し訳ないが、性欲がきれいさっぱり去った後、暑さにすら愛は勝利するのだと信じて相手にしがみついていられるほど、こちとら子供ではないのである。
それは例えば、二人きりだった筈の誕生日に兼続や三成が乱入してきた(実際三成も被害者なのだけど)ことに、驚くほど似ている。
宵闇に紛れて狭い部屋でどんなに固く抱き合おうが、身体を離さなければいけない現実という名の朝は来るものだし、いっそどろどろに溶けて混ざってしまいたいという願いは当然のように達成されない。どんなに睦言を交わそうが二人だけの世界なんてあり得ない。
そしてそれは決して嘆くことではない。
そのことを知っているのが大人というものだ。
自分達は二人きりだと信じていた右も左も分からない世界から、手を繋ぎあったまま周りを必死で眺め、恐る恐る足を踏み出し、二人きりの世界などなくても手を繋いでいられることを知った。そういうことだ。
団扇を取った幸村の手を、政宗が腕を伸ばして捕まえる。
それは幸村が少しでも力を入れれば簡単に振りほどけてしまうくらいの繋がりだ。そして自分が政宗を振り解かないのは、今そこまで団扇で扇ぐ必要性を感じてないだけに過ぎぬことを幸村はちゃんと分かっている。
政宗も、然して重要な意味合いなどなく、手慰みに腕を伸ばしただけだと自覚しているのだろう。
暫く幸村の指を弄り、団扇を取り上げて二三度幸村を扇ぐとすぐに「ほれ」と返して寄越した。
暑いな、とまた言うから、暑いですね、と答える。
政宗がやっとのことで起き上がるが、身体は微妙に斜めになっている。だるそうに伸ばした腕をテーブルの上に彷徨わせていたが、やがてだらりと力を抜いた。多分テレビのリモコンを取りたかったのだろうけど、わざわざ立ち上がるのも面倒だったのだろう。
政宗の目的を瞬時に悟った幸村も、腕は伸ばさない。政宗と同じ理由で。
「取ってくれ」
「嫌ですよ」
「お主の方が近いじゃろう」
「でも手が届きません」
尤もだ、とでも言うように政宗が頷いた。頷くくらいなら初めから取れなんて言わなければ良いのに。
「のう、幸村」
やっぱり欠伸交じりに政宗が言う。何度目の欠伸か、もう数え切れない。なんでしょう、と答えるのも面倒だったので、首だけを政宗に向ける。
政宗は身体をソファに投げ出したまま、早く涼しくなれば良いのに、と呟いた後でこんなことを言った。
声音も表情も、態度も何一つ変わらぬまま。
「あのな、儂らそろそろ結婚でもせんか?」
「まあ、いいんじゃないですか?」
今日の夕飯は面倒だから外で済ますか、と言われたらもっと愛想の良い返事になっただろうし、買い物に行くかと誘われたらこの炎天下に嫌だと断っただろう。幸村の返事は丁度その間くらいのテンションだった。
つまりは、何の感動も感慨もないような応えだった。
「そうか、いいか」
「いいですけど、また何で急に」
「急に言いとうなった」
正直、いつかこうなるのではないかと思っていた。
一緒に暮らしている以上わざわざ結婚に踏み切る理由などないが、同様にわざわざ法で雁字搦めになりたくないという理由もまた、ないのである。
だがこのタイミングはぶっちゃけ驚いた。
相手は幸村なんかにはメニューすら読めない高級な店で食事をした挙句、何処ぞのホテルのスイートで抱えきれないくらいの花束に云十万もする婚約指輪を忍ばせ、一世一代のプロポーズでもしそうな男なのだ。そんなことをされたら混乱と気恥かしさのあまり断るかもしれないが。いや、その前に幾らかかったんだと怒るだろうけど。
それはさておき、目の前の政宗は、そうかそうか、なんて言いながら少しだけ満足気な顔でソファに横になった。
そこには、「私なんかで良いのですか」「絶対幸せにしてやるからな」「嬉しいです」といった類の感極まった言葉が立ち入る余地などなく、唯々うだるような暑さの休日の午後の空気だけが忍びこんでいるだけ。
わたしとあなた、二人だけの芝居めいた世界。
そんなものを信じるほど自分達は幼くなどないし、気負った愛情と、だらけながら語られるそれに何の違いもないことなど充分分かっている。けどなんか。
今はまるで二人だけの馬鹿げた世界の中にいるようだ、と幸村は思う。
こんなプロポーズじゃ感極まって泣くことも、将来を不安に思うことさえ出来ないから、余計に。
「婚姻届を貰ってくれば良いんじゃろう?」
「その前にご挨拶に伺わないといけないんじゃないですか?」
「儂の家には暇な時にでも行けばよいじゃろう。そっちは…昌幸か…儂死ぬな。骨は拾ってくれ」
あるとかないとか、そういうことではなくて、出たり入ったりするものなのだろう、と幸村はふと思う。二人だけの世界と二人だけじゃない世界。
政宗がまた手慰みに腕を伸ばしてくるから幸村はそれをそっと取る。
無意味に掌を合わせたり指を絡めたりするだけだ。だって振り解くだけの大した理由がないから。
御大層な理由もなく繋がれた手は、何よりも堅い気がするのだけどそれこそ感傷なのかもしれない。けど大事なのは、いつでも手を繋いでいられる自信だけなんだろうと正直思う。
泣き喚いたり感極まったりしなくても、それこそ丁度良いくらいのテンションで相手の言葉に頷ければそれでいい。
二人だけで過ごそうとした一回目の結婚記念日には、兼続が三成を引き摺って現れるのだろうと思う。きっと政宗は憤慨し、兼続はそれを無視して三成は申し訳なさそうな顔をする。そして自分は色々なものを含んだ苦笑いを返す。
数年もすれば心の底から笑えるくらいのハプニング。
そうしてどんどん記念日はどうでも良いものになっていってしまうのだろう。
年に二回、今まであったどうでもよいお互いの誕生日に結婚記念日が加わるだけだ。
それは然して重要ではないかもしれないが、悪いこととは決して言えないんだろうな。そう思って幸村は頷く代わりに二三度、団扇を政宗に向けて扇いでやる。
その日の夜は「あっつい!」なんて叫ぶことなく、意識がなくなるまで固く抱き合って眠った。もしかしたらそれはがんがんにかけたクーラーの所為かもしれないけど、何でそこまで設定温度を下げてしまったのかと誰かに追及されでもしたら、幸村は目を逸らすことしか出来なかっただろうと思う。
だって言える訳ないじゃないか、偶には朝が来るなんてこと考えず、まるで二人だけの世界みたいな場所で眠りたかっただなんて。
まぁ、伊達は結構格好良いムード満点なプロポーズをするとは思うんですけど、
あたしにゃ思い付かないので皆さんにお任せするよ!
でも私の理想のダテサナプロポーズは、実はこんな感じだったりもするのです。
遅参の段ごめんなれですが、伊達の誕生日記念に。
(10/08/12)
おまけはこっち。正甲斐含まれます→