此方のおまけの話です

 

 

※だから、性別関係なく結婚できる設定なんだってば!
正甲斐夫婦入ります。くのいちもいます。さなくの的なものは欠片も含まれません。

 

 

 

結婚すると告げたらくのいちに婚姻届をもらった。
何故持っていたのかという当然の質問に、くのいちはしれっと返す。
 
「ほら、ちょっと前、甲斐ちんが結婚したじゃん。余ったからって貰ったんですよう」
 
幸村の手元には、何も書き込まれていない婚姻届が三枚。余ったにしても多過ぎる。それとも案外世間にこの手の用紙は出回っているものなのだろうか。
 
「予備で二枚貰ったんだって。そしたら旦那さんも二枚貰ってきてて」
「失敗しなかったから三枚あるのか?」
 
合点がいったとばかりに頷きながら言ったら、甘―い!と返された。
違う違う、幸村様、考えてもみなよ。甲斐ちんとその旦那さんだよ?一枚で事足りると思う?
 
「だってここに三枚あるだろう?」
「一枚は、旦那さんが見事に名前を書き間違えたみたい。二枚目は甲斐ちんが『旦那になる人』のところに自分の名前を書いちゃったんだって」
 
自分の名前なんか生まれてこの方何度書いたかしれないのに書き間違える正則は凄いと思うが、甲斐姫の間違え方も間違え方だ。
笑ったことがばれたら有無を言わさず鉄拳制裁だろうに、図太く笑うくのいちにつられて幸村も小さく噴き出す。
 
「で、三枚目にはお茶を溢して、最後の一枚は間違えないように鉛筆で下書きしたら、その下書きを消す時に破いちゃったらしいよ?馬鹿だよねえ」
 
さすがに表立って同意は出来ないが、幸村は心の中で大きく頷く。
まだその兆候はないらしいが、もしも二人に子供が産まれたら出生届を書く時にもてんやわんやの騒ぎだと思うと、今から恐ろしい。そういう時母親は動けないだろうから父親が一人で提出しに行くとなると、尚更だ。おねね様と清正殿、どうか頑張って付き添ってください、と幸村は二人に一先ず現在必要ない応援を送る。
 
「それでもう一度役所に行って、同じく四枚貰ってきて。でも結局自分達で書く自信がなかったから保証人ぞろぞろ引き連れて窓口で書いたんだってさ。役所のお姉さんにいちいち、此処に名前書いてくださいねーって言われながら」
 
幸村の脳裏に仏頂面の氏康と苦笑している秀吉の顔が浮かぶ。窓口はさぞ騒がしかったことであろう。事情を知らない人は何事だと脅えたに違いない。
こんな馬鹿――失礼、そそっかしい人でも結婚できたのだ、婚姻届などさぞかし簡単に記入できるだろうと幸村はくのいちに礼を言って丁寧に用紙を仕舞いこんだ。
 
 
 
まあ、その考えはかなり甘かったことが後で判明するのだが。
 
「儂も貰ってきたのじゃが」
「売るほどありますね…」
 
どうやら書き損じ対策に婚姻届は二枚くれるものらしい。
政宗が鞄から取り出した用紙は二枚、幸村が貰ってきたのと合わせて五枚になってしまった。結婚し放題である。
 
「で、何でお主は三枚も貰ってきたのじゃ」
 
訝しがったので事の経緯を教えたら、政宗は腹を抱えて大笑いした。
あ奴ら、凄いな!儂、あの二人の結婚生活見てみたいわ、と失礼なことを口走っていたが、幸村とて同感である。
 
「儂らはそんな失敗はせんぞ、なあ?」
「当然です、名前なんか普通間違えませんよね」
 
それでも丁寧に机を拭き(きれいだったけどこういうのは一応、やっておくものだ)用紙を取り出してペンを持った辺りだった。政宗の様子がおかしくなったのは。
 
「なあ、幸村。もしも儂が名前間違えても嫌いになるなよ…」
「なんですか、急に」
「これ…何か…凄いわ…唯の紙なのに何じゃ、この威圧感…」
 
伊達の伊だけを書いた政宗はペンを放り出し煙草に火をつけた。ちゃんと名前書き切ってくださいよ!と幸村が抗議したが、政宗は何だか疲れ切った顔で、だがテンション高く反論する。
 
「物凄く緊張するんじゃて!お主も書けば分かる!正直プロポーズの時より緊張したわ!」
 
あんなだらけた欠伸交じりのプロポーズで緊張とは笑わせる。そう思いつつ、先に書いてしまおうとペンを持った幸村は、用紙の前でぴしりと固まった。
 
「な?な?緊張するじゃろう?」
「政宗殿五月蝿い!」
 
こんなの名前と住所諸々を書くだけだ。真田、と書き掛けて幸村は思わず息を呑んだ。
公文書にこの苗字を書くのは多分これが最後。
そう思うのは確かに緊張する。昌幸の前で、これまでお世話になりました、と形ばかりの礼をとったが、ぶっちゃけそれよりぐっとくる。が、ここで間違えたら正則同様もの笑いの種だ。
書き慣れた筈の苗字を何とか書き込んで、何故か、やったな!と歓声を上げる政宗を黙らせて名前に取りかかったのだが。
 
「…政宗殿、間違えちゃいました…」
「なっ!馬鹿!己の名前じゃぞ!」
 
緊張のあまり苗字すら放り出した人に言われたくない。が、間違えてしまったのは事実だから仕様がない。
 
「幸村の幸、辛って字にしちゃいました…」
「何じゃ、その縁起でもない名前!」
 
丁寧に書こうと思ったのだ。そうしたら段々文字が分からなくなってしまった。
よりにもよってこんな大事な書類に、しかも真田幸村という名前を正式に使える最後の機会に間違えるなんて。
 
「だ、大丈夫じゃ、幸村。横棒一本足せば問題ないぞ!書き順がおかしいだけで間違えてはおらん!」
「そうですよね!こうして付け加えれば何の問題もありません!」
 
お世辞にも上手とは言えない幸村の字に、更に無理矢理横棒を入れたものだから、大層残念な出来栄えになってしまった。が、とりあえず名前は書き切ったと幸村は満足気である。
先程感じた感慨は何処へやら、政宗に名前を書けと婚姻届を押し付ける。全く名前一つ書くのにどれだけ時間を掛けているのか分からない。
 
「ちょっと待て!儂も心の準備というものがじゃな」
「私はもう書きましたのに!早く書いてください!」
「分かった分かった、今書くわ!大体儂の漢字の方が画数が多いのじゃ!間違えたら誤魔化せぬだろうが!」
 
あっという間の出来事だった。どうやら夕御飯を食べた後にお茶でも飲みながらのんびり書こう、という目論見が仇になったらしい。
振り回した政宗の腕が湯呑に当たってばしゃんと勢いよくお茶が零れる。
 
「…政宗殿…何やってらっしゃるんですか…」
 
不幸中の幸いか、婚姻届は幸村が持ちあげて政宗に押しつけていた所為で無事だった。儂は正則か、とすごすご布巾を取りに行った政宗は見る影もなく落ち込んでいる。
 
「あ、あの、婚姻届は無事でしたし」
 
一旦は責めた幸村もそう言わざるを得ない。
ひらひらと用紙を靡かせながら、幸村は今更ながらに正則と甲斐姫を笑ったことを申し訳なく思う。
結婚するって大変なのだ。
まだ正式に婚姻届は受理されていないから、正確にどのくらい大変かは分からないけど、書き慣れた名前を間違え、普段溢さない茶を溢してしまうくらいには。
 
「………とりあえず儂らは落ち着くべきだと思うのじゃが」
「そうですね」
 
きっと四枚も無駄にしたあの夫婦は、最後まで落ち着けなかったのだろうと思う。
が、もう笑う気にはなれない。気持ちは痛いほど分かってしまったので。
 
 
 
落ち着いたことが功を奏したのか、あの夫婦みたいにはなりたくないという強い意志がそうさせたのか、その後の記載は恙無く済んだ。途中政宗が本籍地が分からんと言い出したり、次男と二男の書き方に迷ったりもしたのだけど。
 
「書けたぞ!」
 
婚姻届を掲げた政宗が煙草を咥えながら感無量と言った風に叫ぶ。政宗は普段より随分たくさん煙草を消費しているのだけど、本人も、一枚で済んだと手を打って喜ぶ幸村もそれには気付いていない。
 
「やりましたね、政宗殿!」
「ああ、これを出せば晴れて夫婦じゃ!」
 
 
 
真っ白な保証人の欄は、後日お互いの親に書いて貰った。
幸村は昌幸が間違えないかとはらはらし通しだったのだが、予想に反して昌幸は実にすんなり、まるで当たり前のことのように記入してしまった。書いてやったぞ、とでも言いたげな、いつも通り偉そうな父親を見ながら幸村は思う。
きっと父上もたった一枚の紙に大騒ぎして、緊張して色々間違えそうになったんだろう。
出来上がった婚姻届を掲げて母上と顔を見合わせて笑うまで、一体どのくらいの時間がかかったか聞こうと思ったが止めた。お前はどうなんじゃと返されたら答える術がないから。
 
本当は四枚も用紙を駄目にしたあの夫婦にも聞きたかった。お茶を溢してしまった紙はさすがに捨てただろうけど、書き損じはどうしたのかと。
きっと丁寧に折り畳まれ、何処かに注意深く仕舞われているのだと思う。
唯の紙切れ。けど書き損じすら迂闊に捨てられないもの。
 
だってそれはまるで結婚までの過程にそっくりだから。大騒ぎして失敗して台無しになりそうなものを何とか取り繕って、きっとそれは結婚したって変わらない。
 
だから大抵の人はあんな唯の紙切れを、手を繋ぎながら出しに行くのだろう。
 
 
 
 
 
その後新婚生活を謳歌していた矢先(まあ、何も変わらないと言えば変わらなかったのだが)、にやにやしたくのいちに聞かれた時、幸村は少しだけ平常心を働かせなければいけなかった。だってこんなことを聞くから。
 
「幸村様は何か失敗しなかったの?」
 
言うまでもなく正則と甲斐姫以上の面白エピソードを期待しているのだと分かったから幸村は慌てて答える。
わ、私は名前を間違えたりなんかしないし、政宗殿だってお茶など溢されなかったぞ。
ふうん、と彼女は笑っただけだった。
 
婚姻届にまつわる失敗談をくのいちに話した甲斐姫は凄いと思う。妹のように思っているこの娘にそんなことで笑われるのは耐えられない。
 
「じゃあさ、結構紙余ったよね?どうしたの?」
「三成殿に全部差し上げた」
「ええ?なんであの狐にあげちゃったの?!」
「丁度、け、結婚して一番初めに家に遊びに来られたからだが」
 
結婚、という単語を口ごもると、くのいちはにやにや笑う。そのくらいで笑われるなら安いものだ。
 
いつか必要になりますから、と三成に押しつけたのは唯の偶然じゃなかった(三成が偶々一番最初に来たのは偶然だったけど)。
捨てるには忍びないけど、多分もう必要にはならないもの。書き損じは思い出として大事にされるのに、おかしな話だと思うが、真新しい婚姻届なんて既婚者にとっては持っていたくないものなのだ。
 
「でもさ、幸村様、結構酷いことしますよね?」
「何がだ?」
「予定もないのに婚姻届押しつけるなんて」
 
しかも四枚も。そう言われると人の良い幸村はつい怯んでしまう。でも甲斐姫は余ったからってくのいちに渡した訳で、自分が三成にしたのもそれと同じだと思うし。
 
「あたしが貰ったのは後学の為だよー。あとちょびっと幸村様の為」
「そ、そうか。役には立ったが」
「でもさ、何の予定もない男の人が持ってたらちょっと気持ち悪いよ?」
 
やや考えて、くのいちは言い直す。
 
「ちょっとじゃなくて、かなり気持ち悪いかも。いざ使おうとしたら、用意周到過ぎて警戒されるか、一緒に取りに行きたかったってごねられて…まあ、どちらにしても駄目だね」
 
 
 
それは幸村にとって説得力のある言葉だったので、暫くの間彼は人知れず悩むことになるのだが、後日恐る恐る婚姻届の行方を三成に尋ねてみたら逆に謝られた。
 
「すまぬ、幸村。どうしても手が離せぬ時にメモが必要になって、手近にあった婚姻届の裏に色々書いてしまったのだ」
 
そりゃ確かに必要ない人にとっては唯の紙切れだし、くのいちの言うことが本当だったら胸を撫で下ろすところなのかもしれないけど。
 
「お前の気持ちを無駄にするつもりはなかったが…しかしそのメモは大変役に立った。それで許してくれ」
 
自分は慣れているからそれで腹が立ったり落ち込んだりはしないが、この実際的すぎるところと正直なところが一部の人に嫌われる要因なんだろうな、と幸村は少しだけ友の今後に複雑な気持ちを抱く羽目になったのである。

 

 

おまけ程度の話だったんですが、長くなってしまったので…。
あんな妙なテンションで書く公文書など、そうそうないと思われ。
 
二枚必ず貰えるのかは分かりません。もしかしたら人を見て予備を渡しているのかもしれないです。

(10/08/15)