「左近、すまんが明日一日佐吉の面倒を見ててはくれんか?」
佐吉の父親にそう持ち掛けられたのは昨夜のことだった。
「はあ?嫌ですよ、大体俺は子供の面倒なんて見たことないんで」
「二万円、出そう」
「殿のお世話、させていただきましょう」
とまあ、給金に心動かされ、まだ幼い佐吉の面倒を見ることになった左近。
どこかに連れて行くのが一番楽かもな、と考える。
「子守をしろ」と改めて頼まれれば尻込みしてしまうが、左近だって毎日佐吉のちょっとした世話はしているし、居候先の子供とはいえ可愛がっているのは間違いない。
動物園、ってのはどうでしょうかねえ。
いい年こいた男が辛うじて思い付く、子供の喜びそうな場所といったらその辺りだろう。
「ほんとうか、左近!あしたはどうぶつえんで、おべんとうなのだな」
普段から仏頂面で子供らしくない子供と思われがちだが、なかなかどうして、動物園にお弁当と聞いて左近に飛びつく佐吉は可愛らしい。
「弁丸もよんでもいいか?」
「そうですな。折角だ、殿のお友達も連れて行きましょうか」
足に纏わりつく嬉しそうな佐吉に釣られ、うっかりその申し出を呑んでしまったが為に左近に地獄が訪れようなど、一体この時誰が想像できただろう。


こども四人連れての動物園。
その地獄は当日の朝、あっさり左近の想像の範疇となった。
「べんまるは、べんまるは、くまがみとうございます!」
おそらく興奮の為だろう、顔を真っ赤にして叫ぶ弁丸。
確かに昨夜佐吉は、弁丸も一緒に連れて行きたいと言ったのだ。あの後左近の監督の下、佐吉から弁丸に電話をさせた。間違いない。
「そうか、ではこの儂がお主に熊を見せてやろうぞ!」
梵天丸にはおそらく弁丸から連絡が行ったのであろう。
一瞬、連れて行くのはこの左近ですよ、と思ったが、にこやかに手を取り合って熊について語り合っている様は、微笑ましいと言えなくもない。
「私は動物園というものは初めてでな!動物を捕らえ囲ってあるところだと聞くが、それは不義なのであろうか!
 是非ともその真偽を確かめねばならぬとこうして参った次第!本日はくれぐれも宜しく頼むぞ、左近!!」
こいつを呼んだのは、誰だ。
「与六もきてくれたのか!」
「佐吉、無論だ!私が行かずして誰が行くというのだ!梵天丸のような不義の輩に動物園を闊歩されるのも癪であろう!そもそも…」
「はーい、みなさーん、車に乗ってくださいよ」
いっそ爽やかに与六を門前に置き捨てていきたい気持ちが溢れ出した左近だが、楽しそうな佐吉の顔を見るとそうも言っていられない。
ついに左近は腹を括り、皆を車に押し込んだのであった。


行きの車の中で悲劇は早々に起きた。

「左近、おれはきもちわるいのだ」
助手席に座っていた佐吉がおそるおそる口を押さえる。
「な、ちょ、殿、酔ったんですかい?」
「何!それはいかんな、佐吉!私を見るがいい!義の心に溢れた義士はどんな車に乗っても決して酔わんのだ!さあ佐吉も義の心について…」
「だー!ちょっと黙っててくださいませんかねえ。殿、吐きそうですかい?」
「そう、大一大万大吉という言葉がある!」
与六の演説をバックに、真っ青な顔で頷く佐吉。
「馬鹿め!儂は厠に行きたいのじゃ!」
これは色々やばい。左近は慌ててハンドルを切るとコンビニに向かおうとした。
「さきちどのはしんでしまうのですか?!しなないでくだされ、さきちどの!」
と今度は後部座席からけたたましい泣き声。
「大丈夫だ佐吉!謙信公から受けし薫陶を思い知るがいい!気持ち悪い時は呼吸法だ!それ、ヒッヒッフー!ヒッヒッフー!」
それでも佐吉なりに与六の言うことを信頼し、早速指示に従おうとした結果。
「ひっひっふうー、ひっひ…うげええええ」
「ちょ、殿!…あー、間に合いませんでしたか…」
「さきちどのがーさきちどのがしんでしまいまするー!」
「大丈夫じゃ、佐吉なぞ死んでもこの儂がおるではないか、弁丸」
その後、色々な処理などに手間取った左近の車は、予定より随分遅れてやっとの思いで動物園に到着したのである。


平日の動物園は、空いていた。
これならまず迷子になることもなさそうだ、左近はこっそり胸をなでおろす。
「ふわー。おさるさんがたくさんおりまするなあ」
「弁丸、あそこに小猿がおるぞ」
「ふん。さるくさいな」
さすがに動物を見せれば子供達はそちらに関心を向けるらしい。
弁丸は素直に動物に驚いているようだし、梵天丸も楽しんでいるようだ。佐吉も、文句を言いながらも視線を外していないところを見ると満足しているのだろう。
これでぐっと監視、いや子守がしやすくなった左近である。
「ふむ、これが猿か!猿とはこのように群れをなし行動する生き物なのだな!
 ということはあの一回り立派な風格を持つ猿が主と言えるのだろうか?
 素晴らしい!あの猿の下、皆が集い平和に時を過ごす、これぞ義!
 佐吉、弁丸、見ているか?!私はこの義の猿達にこれから愛を教え…」
「弁丸、あそこに熊がおるぞ。見に行くか?」
「ほんとうにございまするか?」
「おれもいこう」
成程ね、子供なりに与六のあしらい方は完璧らしい。左近はひっそり感心した。
当の与六はと言えば、猿相手にひとしきり不義の定義を述べた後、熊を見に行った三人を追ったようだ。
「左近、何をぐずぐずいているのだ!
そなたのような大人が迷子になって我々年端も行かない子供に保護されたとあっては武士の名折れだぞ!」
五人分の荷物を持って歩き出した左近に与六の檄が飛ぶ。
あなたに荷物を持たされた上、呼び捨てにされる義理はないんですがねえ。
「左近、おおきなくまがいたぞ」
一旦熊を見に行った佐吉が戻ってきて左近の手を取った。その割にはご機嫌は良くないようだ。
そのまま抱き上げてやると耳に口を寄せてひそひそと佐吉が囁く。
「与六はときどきうるさい。そんなにちゃんとはなしをきかなくてもいいからはやくこい、左近」
こどもは時に残酷だ。
そう思いながらも、佐吉の子供っぽいやきもちが面白くて、左近はそのまま佐吉を肩車してあげる。
そのまま皆に合流したところ、子供たちの間で左近(正確には肩車)人気が突如急上昇した。
口を開けて見上げる弁丸に、佐吉が「かわってやろう」と声を掛けると、弁丸も嬉しそうに手を伸ばす。
肩の上には弁丸、右手を佐吉と繋いだ左近は、家族思いの父親のようだ(お母さんはいないが)。
「殿、弁丸と変わって良かったんですかい?」
髪の毛をひっぱろうとする弁丸をさり気なく片手で牽制しながら左近が聞く。
「むろんだ。弁丸もたのしそうでよかった」
「殿は良い子で…のわっ!っと」
佐吉の頭を撫でようとした左近を、突然背後からの衝撃が襲う。
「馬鹿め!儂も登るぞ!待っていろ、弁丸!」


それからの惨劇は思い返すも恐ろしい。
弁丸は意外に器用に左近の頭にしがみつき(おかげで左近は何度か毛根が死滅する嫌な音を耳にした)きゃらきゃら笑い声を上げているし、梵天丸は左近の背中にしがみつくだけならまだしも、足でがんがん蹴ってくる。
「痛い痛い!勘弁してくださいよ」
「ぼんてんまるどの!ぼんてんまるどのがちいさくみえるのです!」
ああ、そんな禁句をいい笑顔で言い放つ弁丸が少々憎い。
「何ぃ!馬鹿め!儂はもっともっと大きくなるのじゃ!」
交替で肩車してあげますから、という左近の悲痛な叫びは最早誰の耳に届くこともなく、先程良い子の称号を勝ち得た佐吉までも「弁丸のつぎはおれだ」と主張しはじめ、背中に引っ付いた梵天丸を引き摺り落とそうとする始末。
結局、奮戦空しく梵天丸が背中から滑り落ち、丁度真下にいた佐吉がつぶされ、それを見た弁丸が慌てて降りようとして落下。
幸い弁丸は柔らかい草の上に落ちたようだし、左近が咄嗟にかばったのが良かったのか怪我はなかった。
梵天丸も、佐吉がクッションになったおかげで大事無いようだ。
「左近、…ちがでているのだ」
涙目で訴えてくる佐吉の膝を見ると、確かに僅かに血が滲んでいる。
この程度で済んで本当に良かった。胸を撫で下ろす左近の耳に与六の叫び声が聞こえた。
「む!怪我などさせたらえらいことだぞ、左近!子供の扱いには気をつけろ!」
ああ、そうですね。でもこれ、左近の扱い酷すぎやしませんか?
って、与六さん、何勝手に弁当を食べる支度を始めてるんですかい。
このままでは、早く弁当を食わせろと主張する子供達による更なる悲劇が幕を開けてしまう。
そう判断した左近は梵天丸に弁丸を見ているようにきつく言い含めると、佐吉の傷口を洗う為、水道に向かって何年かぶりの全力疾走をしたのだった。




→続く

ちょっと前までブログでちょこちょこ書いてた奴を纏めてみました。
時折文章の繋がりがおかしいのはその所為ですが、あーここで切れてたんだなと笑ってやってください。
…というか、左近これ、金貰ってたんだ。すっかり忘れてました。

忘れてたと言えば、この辺りで佐吉が一番こどもらしいと思って、わたしの中で佐吉ブームが一瞬来ましたっけ。
(08/05/07)