一緒に家を出て一緒に帰ってくる。
そんな幸福に酔いしれつつ、三成からは「まだ幸村は帰っていないのか。何を愚図愚図している。昌幸の恐ろしさは貴様が一番良く知っているだろう!いや、家康が一番知っているかもしれないが、貴様も知っている方だろう!」と正確さに満ち満ちた脅しをかけられその都度微妙に脅えつつ。
明日は休みじゃからなあ、のんびり二人で過ごしたいがやはり実家に帰れと説得すべきか、そんな迷いを抱えながらも、幸村の手を握り帰宅した政宗の目に、見慣れた筈の表札が映る。一瞬素通りしかけたが、奇妙な違和感に再び目を遣り、政宗は一瞬言葉を失った。
門の脇に掲げられた「伊達」という至って普通の表札の下に、何か付けられている。
そこいらの蒲鉾の板に油性マジックで。汚い文字で。ガムテープでくっ付けられているのが、如何にもやっつけ仕事、という感じで。
「真田(分家)」
正確に言うと言葉を失ったのは一瞬どころではなかった。
ん?と首を傾げる幸村が不審感たっぷりに政宗を覗き込むまでの数秒、政宗はじっと固まり、その後、
「何じゃこれは!」
盛大に吠えた。
「何じゃこの表札は!幸村、お主か?!」
政宗はもうどうしたらいいかがさっぱり分からない。
幸村がやったのであればこんなに嬉しい現象はないのだし、まるで別姓の夫婦のようで、それならこんな蒲鉾板ではなくてきちんとしたものを作ってやるし、ってそうではなくて!
幸村でなかったら、犯人はあの親父しかいないではないか。しかもこれ、嫌がらせかどうか、非常に微妙なところである。
「む!これは父上の字ですな!」
もしかしたら幸村がやったのか、という政宗の淡い期待は秒殺された。
政宗の手を振り解くと、幸村は玄関に駆け込んできょろきょろとあたりを見回す。
が、間違えてはいけない。ここは伊達家の玄関であり、政宗が帰宅するまで無人だった家であり、勿論戸締りもばっちりだった筈なのだ。しかし、あの昌幸の進軍が玄関の鍵やらセ○ムやらで止まる訳はない。
「父上!おられるのですか?!父上―!」
返事はない。
「いるのは分かっております!隠れても無駄です!」
そうかそうか、居るのか。昌幸は確かに儂の屋敷の敷地内に居るのか、と半ば遠い目で幸村を見守っていた政宗の背後で爆発が起こった。
爆発が起こった、などと普通に語るものではない気もするが、それは確かに爆発以外の何物でもなかったのだから仕様がない。
「ぎゃっ!な、何じゃ!は、爆ぜたぞ!何か!」
「これは…父上がずっと研究なさっていた焙烙玉!遂にこれだけの威力を出せることに成功なさったのですね!」
反応はそれぞれだったが、一先ず爆発の正体は分かった。分かったところでどうしようもないが。
耳を劈くような爆音と、もうもうと立ち込める煙がやっと収まった頃、奥から昌幸がひょっこり顔を出した。再度言っておくが、ここは真田家ではない、伊達家である。
「別に隠れてなどおらんわい。そんなことより儂の焙烙玉はどうじゃった?」
「見事なものでした!しかし爆発に対して煙の量が多いような気がします」
「それよ。やはり罠は驚かせてこその罠であって、傷つけるものではないからのう。爆発に加え煙で視界を奪って、敵をパニックに陥れることを目的としておるのじゃ」
その目論見は、この場に立ちつくす政宗に対しては多大な成功を収めることが出来た。
爆発に加え、当たり前の顔をして自宅から出てきた昌幸に、政宗はパニックを通り越し、もう声も出ない。
「少々火薬臭いな、とは思いましたが、私も通りすがりながら焙烙玉が埋まっているなどちっとも気付きませんでした!」
「そうじゃろう、そうじゃろうとも」
「しかし幾分か匂いが気になりますな。あれでは目敏い者であれば火薬が埋まっているとすぐにばれてしまいます」
「そこはおいおい改良していきたいところじゃて」
アイスは、もう良いのか。幸村、貴様は家出をしたのではなかったか。あんなにカレーの具の盛り方に憤っていたお主は何処へ行ったのじゃ。それに昌幸が片手に持っとる酒。あれは確か留守にしている父の秘蔵の酒で。
「そんなことよりここは儂の家じゃ―――!!!」
やっと立ち直りかけた政宗が頭に浮かぶ幾つもの疑問符を振り払いながら怒号を投げつけたのだが、昌幸は、今やっと政宗がそこにいることに気付いたかのような顔で、いとも簡単にこんなことを言った。
「わしも今日からここの家の子になるわい」
「は?」
「わしも幸村を見習って家出してきたのじゃ」
「なんと!父上もですか!」
「そうじゃ。幸村が家出をしたのはわしが悪いだの何だの、信幸にぶつぶつ文句を言われてな。じゃからあの家は信幸に託そうと思う。今日からここが真田分家じゃ!」
いい年こいて家出をした挙句、人の家に不法侵入し、玄関先で焙烙玉をぶっ放し、表札まで掲げた昌幸は、何とも誇らしげにそう言った。
これだったら命を狙われた方がマシだった。昌幸の行動は政宗達の想像の斜め上を行っている。
政宗は、昌幸の「この拠点は儂が占拠したわい」という叫びを確かに聞いた気がした。
その後のことは政宗にとって思い出したくもない。
焙烙玉の改良実験の名の許に、昌幸が伊達家の離れを一つ、半壊させた。無人の離れだったから人的被害はなかったが、物的被害は測り知れない。幸村は「なかなかのものですなあ」と笑っていたが、政宗も笑うことしか出来なかった。
庭の池から火柱まで上がった。水柱ではなく、火柱である。ついでに灯篭も砕け散った。どういう理屈かさっぱり分からぬし、分かりたくもない。
「真田分家は広いから罠も作り放題じゃ」
という昌幸の満足気な呟きを聞いた政宗は、結構本気で泣いた。が、泣いている最中に壁からビームのようなものが飛んできたので、それすら中断せざるを得なかった。
幸村の奴、家出なんて困るがまるで新婚生活みたいじゃな、とうきうきしていた政宗の姿は、勿論何処にもない。
儂の家が、いや正確にはこれは父上の持ち物で、そうだ、父上帰って来てくれないか、と政宗は幼子のような純粋さで優しい父の帰宅を願った。勿論仕事に忙しい輝宗が息子の叫びを聞きとれる筈はなく、もういっそあの母上でも良いと思い至ったところで、もしもあの母が帰ってきたら家を半壊させた昌幸と意気投合するか怪獣大決戦を繰り広げるかのどちらかだから、やっぱり母上にはばれませんように、と政宗がころころ願いを替えていた頃、台所から幸村の悲鳴が上がった。
「父上!とっておいた私のお菓子食べたのは父上でしょう?!」
いや、もう問題はそんなことではなくて、何故か登ろうとした階段が爆発した方が儂にとっては重要で。「地炉の間」と称して伊達家の一番いい部屋に引き籠った昌幸を引っ張り出して来て幸村は何事か文句を言っている。
「何じゃ、幸村の菓子という証拠はあるのか、証拠は」
「あります!ほら、ここに名前!」
「んー。こんな小さな文字では、よう見えんわ」
「もう父上など知りませぬ!家出してやります!」
通称「地炉の間」の辺りから聞こえてきた幸村の台詞に、政宗は真田家(本家の方だ)に走った。
最早一刻の猶予もなかった。
「ええと、父と弟がそちらにお邪魔しているのは知っていたんだけど」
死に物狂いで呼び鈴を押しまくり、それでも何処かのんびりと政宗を出迎えた信幸に、政宗は涙ながらに家の惨状を訴えた。兎に角大変なことになっていること。何より大変なのは、幸村が先程吐いた言葉だ。
幸村に去られたら、真田分家もとい伊達家には昌幸と二人きりになってしまう。
頼むからあの親父とついでに元凶である弟を引き取ってくれないかと手を付いた政宗の顔を上げさせ、「何とか説得してみるから」と笑いかけた信幸の姿は、政宗にとって神にも仏にも見えた。つか、もうこの状況を何とかしてくれるのであれば神だろうが鬼だろうが何でもいい。
信幸の後姿をこっそり拝みたいほど追いつめられていた政宗は「…まあ、ここ暫くのんびりさせて貰ったし、そろそろかな」という信幸の鬼のような呟きについては、聞こえない振りをした。
結果から言うと、昌幸は信幸に耳を引っ張られ、「儂の罠がー!」なんて言いながら引き摺られるように帰って行った。
「そういえば私は家出していたのです!兄上!兄上ってば!」と最後まで抵抗をしていた幸村も、信幸には敵わなかったらしい。
荷物は後で取りに来させるから、ついでに謝罪もその時に、と壮絶な笑みを浮かべながら信幸は言っていたが、その日の内に誰もこなかったところを考えると、あの父子は信幸にさんざん絞られたのだろう。
次の日にやってきたのは、政宗の命の心配にここ数日明け暮れていた三成で、彼は伊達家の玄関をくぐるなり絶句したまま動けなかった。
「政宗、階段が登れぬがどういうことだ」
「昌幸がやったのじゃ」
「庭の池の水が全部なくなっているぞ」
「それも昌幸じゃ」
「分かっていると思うが、離れが壊滅しているな…」
「…そうじゃな、誰の所為か聞きたいか?」
「いや、いい。詮無きことを言ってすまなかった」
さすがに見物だけでは申し訳ないと思ったのか、せこせこと罠を片づける政宗の隣で木片なんかを集めてしまう三成である。家の中に何故そんなものが大量に落ちているのかについては政宗も説明しないし、三成もおおよそのことは分かるので、言及しない。
「…良かったら明日辺り左近を連れてきて手伝わせるが…」
三成にしては物凄く気の利いた、しかもこれ以上ない優しい申し出を政宗は断った。まあ、今更、家の修復に関しては素人の左近が何人来ようが何とか出来る類のものではないし。
そんなことよりな、と笑みを覗かせながら政宗が言う。
「明日からは幸村のところに行くのじゃ。あんなことになっては政宗殿も大変でしょうから、家が直るまで是非、と言われてな。暫くは幸村と一緒じゃぞ」
開いた口が塞がらぬ、とはこのことだ、と三成は後で左近に語った。
あの一族にああも自宅を蹂躙されて(正確には昌幸一人がやったのだけど)尚も幸村と一緒にいられると心底嬉しそうに話す政宗に、俺は男を見た。ああはなりたくないが、実は敬意すら覚えた、と戦慄する主に、左近がかけるべき言葉など一つもなかった。
信幸にこってり絞られた昌幸が、その後暫く罠を作ることを禁止され、その腹いせに昌幸は家康に地味な嫌がらせを繰り返すことになるのだが、それはもう政宗や三成の知ったことではないのである。
これは…ひどい!
(10/10/22)