一、

 

 

暮れかけた陽を背にした彼女は、初めからそこに立っている像のように見えた。
 
彼女が着ている着物やその容貌は、見覚えのない、まるで遠い異国の物語に登場する人物のようだったのだけど、全くと言っていいほど警戒心が湧かなかったのは、去って行こうとする一日の終わりの風景に悉く溶け込んだ雰囲気の所為だったのかもしれないし、旧知の者に接するような何の気負いもない彼女の語り口がそうさせたのかもしれなかった。
 
目が離せないでいる自分に、彼女はそっと呟いたのだ。
ねえ。あなたの力が必要なの。
物語の始めの台詞としては有体だけど悪くない、そう思った。
 
「ねえ、私と一緒に来てくれない?あなたの力が必要なの」
 
飽くなき小競り合いを迫られる集落の現人神は、象徴でなければならない。世界を背負って立ち、世界の形代でなくてはならない――ならない、だなんて嘘。自分の立場に悲観的な印象すら――ああ、それも嘘や。
うち、そんなん考えたことあらへんもん。
目の前の女から目を逸らさずに、そっと心の中で独り語ちる。
 
だって、うちにとって、世界が何か、なんてことはずっと蚊帳の外だったんやし。
 
粗末な木枠で囲われた村、その中にあるいくつかの住居と田畑。
それを世界だと言うのなら、あの柵の向こう側にある地平は何と呼ぶべきなのだろう。
 
「うちの、力?」
 
やっとの思いでそう尋ねた時には既に彼女の手を取っていた。
予想に反してその手は随分暖かくて、握ってみれば生き物特有の弾力の中に、もっと強い力が跳ね返ってくる。急激に滲み始めた景色をぼんやりと見ながら、卑弥呼は、彼女のように自分も風景と同化する術を身につけたのだろうかと考える。
溶け込むことと、存在を主張することは同じことなのだ。
見慣れた自分の家や祭事の為だけのがらんどうとした庭、その向こうに広がる光景が歪んでも、何の感慨も湧かなかった。
 
「何を、すればええの?」
 
口から出た言葉すら何かに呑まれてしまうのではないかと思えるほどの浮遊感の中、卑弥呼は必死に尋ねる。
 
世界を。
 
柵の向こうの、更にその先にあるものをきっと彼女はそう呼んだのだ、ふと思った。
 
「私の世界を作ってよ、お願い」
 
手の届かない彼方に閉じていこうとする見慣れた光景の中、卑弥呼はそこにぽつんと佇むもう一人の自分自身の姿を、確かに、見た。

 

 

ごめんなさい、短いですけど、序章ってことで許してくだされ。
(10/11/01)