二、
この不条理な世界に飛ばされて、その根源であった筈の遠呂智は倒れた。
「結局戻りませんでしたね」
君主の生還に一先ず沸く蜀将を尻目に、幸村は政宗の耳元でそう囁く。主語が完全に省略された幸村の言葉は、それでも政宗に真意を伝えるには充分だった。
「ここに来た時のことを覚えておるか?」
幸村に同意する代わりに政宗はそんなことを尋ねる。
忘れられる筈などない。
周囲の空気、いや気配の色が変わった、そう思った瞬間政宗はこの見慣れぬ地に立っていた。違和感を覚えたのは一瞬だけで、正確には見慣れた館の一室に彼は座っていた。
違うのは、窓から見えるどんよりとした紫色の低い空。昼とも夜とも判別しかねる嗅いだことのない空気。聳え立つ見慣れぬ天守、無かった筈の沼、明らかに形を変えた山々、そして異形の軍隊。
太陽とも月とも判別つかぬ空に浮かぶ小さな球、それが照らす果てに薄ぼんやりとした、叫び出したい程懐かしい光があった。
徐々に薄れていくその光の中に、自分は確かに文机に向かう己の姿を見たのだ。自分と全く同じ着物を羽織り、同じ筆を握り、此方には全く気付けないでいる、普段の政宗の姿。
その姿が徐々に歪み、虚空に映し出される映像の数々――走馬灯だ、何の疑いもなく、そう思った。
右眼を抉り出した自分は次の瞬間には父を撃ち、あれは人取橋だろうか、小十郎を振り返って、成実が馬上で槍を振るっていた。眼前に横たわる泥に塗れた幸村の躯、豪雨の中で愛しい者の名を叫んだのは、自分だったのか、それとも「あちらの」自分だったのか。見知らぬ男から「伊達の親父殿」と呼ばれ面を上げる自分の、何と年老いたことだろう。そのたった一つしかない眼がゆっくり閉じられる。如何な戦乱をくぐり抜けた者とて、到底慣れることのない唯一の、死体。己の。反射的に伸ばした腕は硬直したまま動かなかった。
伊達政宗が、死んだ。いや、儂が。
儂は確かにあのようにして死ぬのだろう。
それは、死が身近にある戦国の武将であれば当然のように考える己の死姿の想像図、という生易しいものではなかったし、疑いすら、なかった。
ああやって、死ぬのだ、間違いなく。
己の末期の映像はまるで、人知を超えた偉大なる存在からの宣告のように。免れ得ぬ運命というのは確かにあり、その中で指一本も動かせぬ、或いは瞬きの一つも出来ぬ己は何と矮小な存在であるかと骨の髄から囁かれているかのような。
これを絶望と言うのであれば、世の大概の事は絶望にすらならぬ。
伊達政宗の死で幕を下ろした走馬灯は消え、今の自分と全く同じ姿をし、文机で筆を滑らせる政宗の姿も消え――そうして自分は遠呂智の作りし世界に立っていた。
暫くは、息も出来なかった。
息が出来るかどうかを判断するのが恐ろしかったと言ってすら良かった。
程なくして身体が呼吸を求めたところで、政宗はやおら平静を取り戻し、そうして思った。
儂は、誰だ。二つに分かれてしまった伊達政宗。
握り締めた掌も、見知らぬ大地に立つ足も、己のものだというのに。
政宗の本能が告げる。「あれ」も、自分のことなど見えていないかのように日常をこなす「あの」政宗も、己と寸分違わぬ伊達政宗に違いない、と。
「のう、お主の目には儂はどう映る」
「……政宗殿は政宗殿です」
心持ち目を伏せながら幸村が政宗の手をそっと取った。
恐らくは幸村も自分と同じものを見たのだ、と政宗は確信する。
真田幸村が二つに分たれ、己がどんな人生を歩みどのように力尽きるか。走馬灯と呼ぶには余りにも生々しい感情すらも伴った映像を。これは、自分と幸村に限ったことではないのやもしれぬ。
ここに来た経緯を誰も口に出したがらない。悪夢を口にするのを恐れるのと同じような理由で。
遠呂智率いる軍との混戦の中で意識を失い、そのまま連れてこられた者もいない訳ではなかろう。
だが、多くの者がきっとそれを目の当たりにし、ある者はその瞬間何かを諦め、ある者は必死に手を伸ばした。
自らの人生、切り離されたもう一つの己の姿。あれは何を意味しているというのだ。
「この世界は」
そこまで口に出して政宗は言葉に詰まる。
遠呂智の作り出した世界。奴はいつ、どうやってそれを作ったのだ。自分達は“元の世界”とやらから連れて来られた、この世界にとっては奇異の存在なのか。いや、本当に連れて来られたのか。
あの時確かに自分は、かつての世界に存在している自分をこの目でしかと見たではないか。
この世界はこれからどうなるというのじゃ――寸でのところでその言葉を呑み込んだ政宗は、口に出せぬ悪夢が忍び寄る足音を聞いた気がした。
戻れぬ現実が怖いから口を噤むのではない。
この世界が、そこに在る己が紛い物だとしたら、その先に待っているものは想像に足るではないか。駆逐され淘汰されることがないと誰が言い切れる。
「私もご一緒致します」
姿を消した妲己を追うのだ。奴が求めるものは遠呂智か世界か。だが全ての鍵は妲己が握っている。
劉備を中心に楽しげに振舞う蜀の将兵らの、その後ろにある隠しきれぬ不安を見据えるかのように隻眼で一睨みし、立ち上がりかけた政宗の腕を掴みながら、幸村が言う。
伏せられた睫毛は少し震えていた。
思いもかけない申し出に動きを止めた政宗の腕を強く握り直し、幸村が顔を上げる。
思わず腕に固く抱き寄せてしまいたくなるような、見たこともない顔だった。ああ、しかし、これは間違いない。自分が愛した真田幸村だと政宗は知る。
だから、今ならこの愛おしさの為に世界の一つくらいは簡単に守れる気がしたのだ。
喜びに湧く蜀の将らの前に、神を名乗る青年が舞い降りたのは、政宗と幸村が姿を消したその直後だった。
遠呂智も再臨も、結局最後までプレイしたのに世界は戻らなかった、ということを考えた時に、
政宗達は「連れて来られた」のではなく、遠呂智世界にコピペされて誕生した存在ではないか、と思ったところからの話です。
太公望たちは、自分のことを仙人と名乗っていますが、左慈せんせーとは明らかに違う存在、ということで
神扱いにさせていただきました。
それに伴って、仙界を神界という名前で統一してあります。
因みに、遠呂智のムービーなんかでは、綺麗なあおぞらが広がっているのですが、
異世界に来たのに何もかもが元の世界と同じっつーのもどうかと思ったので、
彼らが見ている遠呂智世界の空は、遠呂智のOPムービーで忠勝と呂布が戦っているところや家康がごごごごって連れて来られた時のような
紫色の雲が広がる空だと思って頂ければ。
あのヤスは本当に可愛いよね…。攫いたくなったの分かるよ、遠呂智様!
…まーこーゆー設定をここでぐちぐち話すのは駄目な証拠なんですけどねー…
(10/11/04)