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「祝言じゃ」「だからそうではございませんでしょう、政宗どの」「何を言うか、お主が伊達に来るのじゃろう、それを輿入れと言わずして何とする?」ああもういい加減にしろ。幸村、もしも本気で困っているのなら槍の一つも持ってきて、政宗の唯一残った左目をさくっと突いてやれ。出来ぬだろう?出来ぬのだろう?政宗の袂の裾を引っ張りながら諫める振りして甘えおって。いやもっと許せんのは政宗だ。幸村の手を有無を言わさず引き寄せて、何だその、簡単に言ってみれば抱き合うな。どさくさに紛れて首筋を撫でるな。
「殿、折角の長い突っ込みですが、全然聞こえてませんよ」全く友達は選んだらどうです?そう言うな、左近。お前よりも誰よりも、それを痛感しているのは他でもない俺自身で「うむ!目出度いな!晴れて幸村も嫁に行くのだな!義!幸せにしてやってくれ、山犬!」「馬鹿め!誰に物を言っておる、兼続。儂以外に幸村を幸せに出来る者など居らぬわ!」「政宗どの…嬉しゅうございます」ええい、黙れ貴様ら!色ボケと、ええと義ボケも大概にしろ!


政宗と幸村は俺や兼続や、まあその他諸々皆に弄られ揶揄われ、そして見守られながら何だかんだ仲良くやっていた。政宗はいつも幸村のことを話したり、そうでなくても目で追ったり隣に居続けたりしていたし、幸村もそれを受けながら当然という顔をする訳でも恐縮して縮こまる訳でもなく、そっと笑って寄り添っていた。
慣れというのは恐ろしいもので、いつしか俺も、幸村の傍に政宗の姿がないと何だか落ち着かぬ気分になったりしたものだ。そんな穏やかな日常の延長で、事件というものは起きる。
政宗と兼続の姦しい声が聞こえてくるのは、もう説明をするのも切ない気持ちになるのだが、大坂城の俺の部屋だ。どうした訳か俺の部屋に雪崩れ込んできた(幸村はさすがに挨拶の後入ってきたが、人の部屋に入る時にはきちんと断りを入れるんだよ、というおねね様の言いつけを守っている俺が間違っているのか?)政宗と幸村、一歩遅れて飛び込んできた兼続。あれよあれよという間に俺の部屋の人口密度は急上昇し、俺の機嫌は急降下。五月蝿い、黙れと叫んだところで、それを聞いていっそ同情の視線を送るは左近だけ。
だからお前ら一体何しに「儂と幸村の祝言でな」「政宗どの!ですから」「三成、良かったな!幸村も片付いて後はお前だけだ!さてこの祝いの」何をしに来たのかと問えば、俺が口を噤む間もなく三者三様に語り出す。
貴様ら、そろそろ空気を読め。俺が今○ボタンで無双ゲージを溜めているのは分かっているだろう?ゲームは違うが折角だ、覚醒でもしてやるか?
「三成―!三成てば、ここにいるんでしょ?政宗と幸ちゃんがね!」
そんな叫びと共に障子をすぱんと開けたのは、何を隠そうおねね様。最強最後の関門登場(他人の部屋に入る行儀云々についてはもう言わぬ)に戦うことすら諦めた俺は、仕事の書類を脇に押しやると、致し方なしとおねね様に向き直った――我ながら甘いとこっそり反省しながら。


つまりこういうことだ。政宗と幸村のらぶらぶっぷりに面白がったおねね様が「それならもういっそ嫁に行っちゃえばいいんだよ、そうだろ、御前様!そうと決まればすぐ準備だ。目出度いねえ」とか何とか仰ったらしい。おねね様の台詞は俺の想像だが、八割くらいの確率で当たっているに違いない。
おねね様に半ば押し切られながら秀吉様が慌てて止める。「ねね〜、それはちょっと無理なんじゃあないか?」「無理なんてことあるかい!あの二人は…そうだ!輿入れが駄目なら幸ちゃんに伊達の処でとりあえず暮らして貰ったら?ほら、ウチにずっと人質ってのも可哀想だし」
人質には一応色々な意味がありまして、猫の仔を遣り取りするようにそう易々と。しかし易々とやってしまうのだ。このお方にかかればそのようなこと雑作もないことなのであろう。
かくして幸村は伊達家に輿入れというか人質というか客将というか(多分仕官する訳ではないと思う)、俺にもよく分からぬ立場で貰われていくことになったのだ。そう、まるで猫の仔のように。


「それで何故私の部屋に揃いも揃って押し掛けるのです」
一通りの説明を済ませたおねね様はすっかり母親面で今度は幸村にあれこれ構っている。「いいかい、幸ちゃん。そうは言っても政宗は一応大名、これから幸ちゃんはその妻として政宗を支えていかなきゃいけない訳で」「大丈夫じゃ、幸村に苦労はさせぬぞ」「そうだ、あたしが編み出した浮気がばれた時のお仕置きの方法を教えてあげようか!」「心変わりは不義だな!山犬」「馬鹿め!儂がそのようなことになる筈なかろう」
だからね三成、二人の祝言をあげるんだよ。祝言ではありませぬ、おねね様。ああ幸ちゃん、そうだったね、まあ似たようなものじゃないか。お祝い、でいいのかねえ?ええと兎に角それで宴を開くんだよ。
「その宴を私が仕切れば宜しいので?」
やっぱり三成は話が早くて助かるねえ。そう嬉しそうに笑うおねね様の顔が、俺にはまだ見られない。


そんなこんなで日々の業務に加えて、政宗と幸村の祝言(もう面倒なので俺もそう呼んでいるが、つまりは只のおねね様の思い付きによる突発性呑み会だ)の準備に追われることになったのである。
そんな忙しい俺を見かねて、あるいはもしかしたらそんな俺に手足のように扱き使われ八つ当たりされる左近も見かねたのかもしれんが、幸村がちょくちょく手伝いに来てくれるようになった。有難い、それは有難いのだが、幸村が来ればもれなく政宗がついてくる。何故か兼続までついてくる。
「いいか!結婚には三つの袋が肝要である」「ふん、馬鹿め。そのように使い古された結婚式用のスピーチネタが何だと言うのじゃ」「義袋、毘袋、そして愛袋である!」「な!毘袋って何じゃ!」「逸るな山犬!とりあえず言ってみただけ、袋の中身は今から考えるのだ!」
阿呆丸出しの会話に俺は怒りを大きく通り越し、正直泣きそうだ。だが幸村は手元の書類を片付けながら笑顔を崩そうともしない。自分の耳に政宗の声(圧倒的に兼続の声の方が大きく、また頻度も高い気がするのだが)が入ってくるのが嬉しくて仕方がない、そんな顔をするのだ。
俺だって分かってはいるつもりだ。こいつらは。俺にはどこか不自然に見えるこの二人だが、恐らく二人にしか分からぬ幸せの領域があるのだろう。しかし。
本当にあれでいいのか?つい幸村に聞いてしまったのは、政宗と兼続の会話が余りに馬鹿馬鹿しかったからか、或いはおねね様が言った祝言という言葉に引っ張られていたのかもしれん。本当に、あんな処に嫁に行っていいのか?嫁ではないですってば、幸村は苦笑する。
「良いも何も、三成殿、急にどうなさったのです?」
俺は幸村と政宗が重ねてきた歳月を端から見ていただけで、二人の交わした会話や思いは一切知らん。知らなくて良いと思っている。故に反対するつもりはないが…そもそも政宗の何処が良いのだ?俺の言葉を受けた幸村は筆の柄を口元に当て、暫く首を傾げていた。目は政宗を追っている。その視線に気付いたのだろう、政宗が兼続との言い合いを止めて此方を振り向いた。
もしかしてこれは目も当てられない惚気の応酬になるか、そう思いきや。
「何処、でしょうねえ」
毒気なく、にこにこと微笑みながら幸村はそう呟く。全然思い当たりません。だがそう言って政宗を見詰める幸村の笑顔には覚えがある、いつだったか。
ああそうだ、あの秘密めいた笑顔。多分政宗にしか見せない、いや俺が見ても分からない表情。こういう時はな、口先でも良いから誉めおくものじゃ、幸村、そうからから笑う政宗も気を悪くした風はなく。でも本当に分からないのですよ、そういえば。
「私もいつだったか似たようなことを、とある方にお聞きしました。答えられぬと言ったその方のことが不思議だったのですが、今なら分かります。今の私にはもう、政宗どのの良さなど語れません。私と政宗どのにしか分からない言葉で語ることしか出来ません」
そういうものかもな、幸村の言葉に笑顔を作った政宗の隣で、兼続がぼそっと呟いた。


秀吉様は、人を信頼するのが上手い。こういうことにもスキルが必要なのだ。俺はこの方を見る度に思う。
様々な仕事を任されている俺だが、秀吉様は俺のもつ権力の大きさに頓着する素振り一つ見せず「好きなようにやってみい、三成」などと気軽に仰る。重要なことは勿論、小さなことでもなるべく報告に上がろうと俺が心に決めているのは、そうした秀吉様の信頼に応えたいから、そして単純に慕っているからだ。…当然おねね様のこととこれは全く別物だ。
その日は珍しく秀吉様のお傍におねね様が控えておられた。仕事のことと、それからついでにと宴の細々したことを報告した俺におねね様が寄って来て頭を撫でた。偉いねえ、三成はしっかりお仕事して偉いねえ。
俺はこうやってこの人に頭を撫でて貰って育ったのだ。急にそう思い俺は頭が上げられなくなった。
美味しいお茶を淹れることが出来たから、市松としぶしぶながらも仲直りできたねと、秀吉様にはじめて知行を頂いた時ですら、おねね様はそう言って俺を撫でた。偉いねえ、佐吉は本当に偉いねえ。
頭に感じる僅かな重みは象徴だった、俺の幸せの。この手が、もっともっと幸せであるようにと願うことは間違っているんだろうか、貴方が一人で泣くことのないようにと祈るのは、やはり思い上がりなのでしょうか。
「なあ、三成」
頭上から降ってきた声に驚いて顔を上げると、秀吉様が笑って此方をご覧になっている。
ねねがな、こっそり教えてくれたんじゃが、お前幸村に横恋慕しておるんじゃと?なんてことを!そう叫びそうになったがさすがにぐっと堪え、全力で否定すべく秀吉様を見上げる。うんうん、三成ってば可哀想にね、ちっとも可哀想がっていない様子で(むしろ含み笑いまでしていた!)頷くおねね様に、苦笑いを見せる秀吉様。いつになく真面目な口調で言うのだ。
「本当かどうかは知らんがな、それは苦しいじゃろう。三成は頭が良いし優しいからのう、余計に苦しいじゃろう」色々見える気がしとらんか?この人は幸せかと、こっそり悩んどりゃせんか?だがな、三成。こんなことはお前さんが決めんで良いことじゃ。
「不自然に見えても歪んでるようでも、実はなーんも間違ってはおらん。大真面目に誰かのことを考えられることこそ、わしは幸せじゃと思うんよ」
俺は唐突に思ってしまった。もしかして秀吉様は何もかもご存知だったのではないか。真夜中に声も上げずに泣くおねね様も。そんなおねね様を思う俺のことも。全部全部分かっておられたのではないか。
手拭い片手に涙するおねね様、覚悟は決まっていると笑うガラシャ、語る言葉など持たないと言う幸村にそれを嬉しそうに受け止める政宗。皆、大真面目だった、誰かの為に。政宗に文句を言いに行った兼続ですら。
そして、それなら俺も大真面目だ。この天下人というには少し気さく過ぎる主と、その奥方様の為に。
だが、ああ、あと一つだけ。秀吉様、おねね様、一つだけ教えてください。それでも俺はまだ見たいものがある。
「御二方は一緒になられた時、どのようなお気持ちだったのですか?」
俺の質問におねね様は声を上げて笑う。そんなの忘れちゃったよ、ねえ御前様?そう言って秀吉様を見るおねね様の顔を目の当たりにして俺は目を見張った。なんてことだ、俺は。


「市松、に佐吉?」
酷いケンカだった。きっかけはもう覚えがないくらい些細なことだったが、頭に血が昇った市松めが俺を引っ掻き、俺は市松を目一杯噛んだ。叩かれて殴って、痣だらけになって、それでも二人で家に帰ってきたのだ。
帰りの遅い俺達を心配して玄関先で待っていたおねね様は、俺達の姿を見て言葉を失った。市松に、佐吉かい?そう言ったきり、どうしたんだと聞くことも出来ぬほどおねね様は動揺していたのだろう。それはそうだ。面倒を見始めたばかりの餓鬼が二人、血だらけでしゃっくりあげながら帰って来たのだから。
「なんじゃ、ケンカか?」
その沈黙を破ったのは、急にひょいと顔を出した秀吉様。俺達の顔を見て、あーあこりゃ派手にやったのう、と面白そうにそう言ったのだ。市松はそれを聞いて急に声を上げて泣き出した。俺も泣きそうになったが、ここで我慢したら市松に勝てると訳の分からない子供の理屈で、涙を溜めながらおねね様を見た。言葉を失っていたおねね様は、市松の泣き声で我に返って、市松と俺を一緒に抱き締めようとして。
そうしてその直前、秀吉様のほうを向いてひっそりと笑った。それは母が子供に見せるような笑顔ではなくて、勿論子供達に声を掛けてくれて助かったよ、とかそういうものでもなくて。ただ、そこに存在している秀吉様を確かめるように。
さっきも、見た。幸村が、そして政宗も時々する、お互いにしか分からないあの笑い方だ。
涙に浮かぶぼやけた世界で、愛情があんな美しい笑顔を作ることが出来るのだと俺ははじめて知ったのだ。それは凄く、すごく綺麗なことだった。それに驚いて市松より大声を出して泣いて、それを聞きつけた虎之助まで出てきて、何故か虎まで泣き出して、皆揃っておねね様に説教されて、一人難を逃れた紀之介が笑ってた、さも可笑しそうに。
ああ、人を好きになる瞬間なんてこんな簡単に忘れてしまえる。
忘れていたのはそれだけじゃない、俺は思う、おねね様が笑った顔さえも。おねね様は安心、だと言った。安心しているから見せられる表情だと。あんなに欲しがったそれを、俺はもう見たことあったではないか。
秀吉様が居られることに安心したおねね様が、全てを放り出して笑う瞬間を。




政宗と幸村の祝言は、恙無くここに幕を開けた。この手のことが恙無く執り行われることが一体どういうことなのか、もう俺は突っ込むことはせぬ。
いっそ白無垢の一つでも着せてやろうかと冗談めかして言ったら、事もあろうに幸村の義姉である稲姫が鼻息も荒く「私が着た物で宜しければ!」と右手に花嫁衣裳、左手に幸村を引き摺って登場した時には、さすがの俺も膝から崩れ落ちそうだったが。幸村と信幸、真田兄弟が揃って泣いて頼んでやっと白無垢着用は勘弁して貰ったのだ。あの忠勝の娘も人の妻となって長いが、それでも輿入れと聞くとやはり娘のようにうきうきするとみえる。これが女の性というものだろうか。
その話はさておき、幸村は政宗の隣で随分楽しそうである。上座には秀吉様の席があり、その隣にはおねね様。が天下を統べている自覚がまるでなさそうなこの夫婦は、主役以上に楽しそうに席を離れてふらふら出歩いては、酒を注いだり注がれたりと忙しい。
兼続は先程から勝手にスピーチをしているようだ。義袋だかについてもうかれこれ半刻以上は喋っているが、誰も聞いていないし、兼続本人は至って満足そうで何よりだ。
清正が幸村の手を取って本気で泣いたのには少々ひいたが、まあ二人は仲良く鍛錬する仲だったからな。「幸せになってくれ、真田殿!」「嫁に行っても我らのことは忘れんでくれよ」「清正殿、ありがとうございます。正則殿も」はにかみながら答える幸村には文句ないが、そんな幸村を気持ち悪いほど優しい目で頷きながら見守る政宗と、心からの祝福を贈っている馬鹿二人には少々腹が立つ。何だその小芝居は。
こっちはやれ酒が足りぬ、つまみはまだか、挙句の果てには兼続が持参したマイクの音量が大き過ぎるなどと文句を言われつつ走り回っているというのに。「二人の未来が義に満ちたものであることを心より願い、簡単ではあるが、私、直江山城守兼続よりの祝いとさせて頂きたい!」ふん、やっと兼続のスピーチが終わったか。
誰も、新郎新婦(?)ですら聞いてなかったにも拘らず、兼続は大層満足そうに、いい汗をかいた!と湿ってもいない額を拭うとこちらに歩いてきた。お前のスピーチは有酸素運動か。「もういいだろう、お前も呑め!三成」そう言って大きく手を振るが、持ち場を離れるわけにはいかん。どんなに巫山戯た席であろうが、俺が幸村を祝福したく思っているのは事実なのだよ。
そんな俺の台詞が聞こえたか、おねね様が笑って寄って来て頭を撫でる。偉いねえ、三成は本当に偉いねえ。もういいから幸ちゃんのところへ行っておあげよ。やはりこの手は俺にとっては格別だ。
ああも簡単に色々なことを忘れてしまえる俺は、もう暫くこの人のことを忘れないでいようと思う。折角だ、完全に忘れることができるまで、全く実のない横恋慕を本気でするのも悪くない。今はそう思うのだ。


いつの間にか幸村が隣に来て座っている。政宗は?幸村が笑って指差した先には、いつの間にそうなったのやら、飲み比べながら罵り合っている政宗と兼続の姿。もういい、あんな見苦しいものは無視だ、無視。そこまで俺は面倒見切れぬ。
溜め息を吐いた俺に、やはりいつの間にやら寄って来た左近が盃を差し出した。「殿、お疲れ様です」左近の酌を受けながら遠くに目を遣ると、正則と清正がこっちを見ている。面白くなさそうな顔で、正則なんかは苦みばしった顔で、だが軽く盃を上げやがったので、こちらも仕方なしに口の端だけで返事をし、同じように盃を持ち上げるとそのままさっさと飲み干してやった。三成如きに負けていられるか!こっちにも酒じゃ!そんな声が聞こえたが、当然これも無視だ。明日になったらこんな他愛もないこと忘れてしまう。酒の所為でもそうじゃなくても。
日常は余りに忙しないので、いちいち小さなことなど次から次に忘れてしまう。でもそれでいい。
二人が繋いでいた手も見上げた空も、おねね様の笑顔も、忘れてしまうまで、覚えていられれば、それでいい。
「左近、俺は本当にそれで良いと思うのだ。忘れるまで覚えていられれば良いと思うのだ」
左近には何のことだか分からないに違いない。それでも左近は盃を舐めると少し考えてこう答えた。殿、何だか嬉しそうですね、と。そうか、そう見えるか。
「ならば俺は嬉しいのだろう。ではそれは左近にも上手く話せないし、きっと話しても分からないことだ」
なんにせよ、殿が嬉しそうなら左近も嬉しいですよ。徳利を覗き込み酒の残量を気にしながら、左近が軽い調子で口にする。ああ、そうだな、その通りだ左近。
こうして皆、末永く幸せに暮らしました。そんなお伽話のように世の中単純ではないけれど、かといって俺が思い悩むほど複雑でもなかったというだけのこと。


幸せかどうかを決めるのは俺ではない。それは確かにその通り、だが。
白無垢を着れば良かったのに、そう呟く稲姫に信幸が苦笑しながら酒を注いでいる。子供はいいぞ!と叫ぶ兼続に絡まれている清正は心底嫌そうだ。その清正を指差して、正則と幸村とガラシャが笑う。紀之介から受け取った羽織を、自分の膝を枕に寝てしまった秀吉様にそっと掛けながら、おねね様も笑う。声を上げて。その向こう側ではうちの嫁の方が可愛いと忠興と政宗が鍔迫り合いをしている。
こんな馬鹿騒ぎを繰り広げる馬鹿な奴らだ。どれだけ真剣に考えたって、せいぜい自分の幸せくらいしか見えないような、馬鹿な奴らだ。幸せの中身が一緒に見えるからと自分本位に喜び、理解できないと身勝手に嘆くような。ああ、それでも。
忠興と政宗の間に挟まれ、勘弁してくださいと叫ぶ左近を見て俺も笑う。
それでも、奴らも俺も、幸せであるようにと大真面目に祈ることは、悪いことではないだろう?
秀吉様から顔を上げたおねね様が此方を振り返り、そっと微笑んだ。偉いねえ、三成は本当に偉いねえ。おねね様の口がそう動いたような気がして、今度こそ俺は声を上げて笑ったのだった。




(完)

終わりました…!スピーチ兼続と、要領が良い大谷さんが書きたかったのです。
(08/07/19)