※戦国軸ですがパラレルで弁丸は真田家の子ではありません。

 

 

母に捨てられた子だと嗤われようが蔑まれようが、政宗にはどうでもいいことだったが、それが心の底からどうでもいいことではないことくらいは分かっていた。そもそも本当にどうでもいいことは話題にも上らない。
誰よりもまず自分自身が、それをどうでもいいことだと決定し切り捨てなければならぬということを、政宗はちゃんと分かっていた。
 
だから弁丸を拾ったのは、他でもない、自分自身の埋葬の為だと政宗は思ったのだ。
 
 
 
 
 
政宗と弁丸の生い立ちは何一つ似ていない。というより知らない。弁丸の事情になんか興味はないからだ。大名と言えど他人の家の中までは覗けぬ。
だが、親と死に別れたか捨てられたか逃げてきたか、兎に角弁丸が食うものと寝るところに困っていることだけは分かった。汚い餓鬼だ、と思った。
弁丸は馬上から見下ろす政宗にちらりと目を遣っただけで、後は眉一つ動かさなかった。地面を睨みつける弁丸の腹の虫が盛大に鳴ったのだが、それすら彼は見事に無視してみせた。羞恥の余り怒ることもなければ、はにかんだ笑みも見せなかった。それが政宗の気に入った。無視し、されることに慣れている子供。
 
「小十郎、この餓鬼持って帰る」
 
それがまるで予定されていた行動の一つであるかのように政宗と弁丸は振舞った。当然一番呆気にとられたのは供をしていた小十郎である。
お主、名は?と既に必要事項の確認に入った主と子供を見比べると「政宗様!」と慌てて止めに入ろうとする。
 
「そんな犬や猫の仔を拾うように!何をお考えなのです、殿」
 
おとのさまでいらっしゃるのですか?
相変わらず愛想はないが、弁丸の言葉が咄嗟に敬語に変わったことに政宗は満足した。こ奴は馬鹿ではない。
「なあ、弁丸。何が欲しい?」
 
ごはんか、かねめのもの。いきるために、ひつようなもの。
 
そりゃそうだ、政宗は愉快そうに笑う。飯など嫌になるくらい儂がくれてやろう、ついでにお主に生きるための全てを教えてやろう。
挑発するようにそう言った政宗に、弁丸はその言葉通りの冷たい目を投げかけた。
 
すべて?なにさまのおつもりですか。ああ、おとのさまでしたっけ?
 
 
 
やっと見つけた。この餓鬼は齢五つ(推測だが)にして、世の中に全てなど無いことを知っている。むしろ、それを親に嫌という程に見せ付けられた子供。完璧だ、これで右目が無かったりでもしたらそっくりすぎて空恐ろしくなるところだ。
 
「馬鹿め、儂が真理でも教えると思うたか?そんなもの自分で考えろ。儂が教えるのはお主の理由じゃ」
例えば此処に居ても良い理由、笑っても怒っても良い理由。どうだ、魅力的だろう?
それさえあれば、お主が存在することに、誰も、文句は言わぬのだぞ。
 
 
 
弁丸は暫く顔を上げなかった。この言葉に飛び付かないのは良いことじゃ。政宗は胸の裡で弁丸の評価を一つ上げた。
理由?そんなもの本当は知らぬ。ただ在るべき場所は欲しいだろう?咽喉から手が出るほどに欲しいだろう?それを奪ったのが親だとしたら尚更。
恐る恐る此方を見上げた弁丸の顔には「しんじるのはこれでさいごにします」と書いてあり、政宗には密かに狂喜した。
こ奴の一生はこうやって作られていく。これで最後だと思いながら毎度毎度人を捨てられずに手酷い裏切りを受け、またそうでなくてもやがて不幸が自分を襲うと信じ生きるのだ。いつか、自分を捨てた親が悔い改めて自分を救いに来る時の為に、己は不幸でなくてはならぬと思い込んだまま。
だが弁丸にそれを忘れさせることが出来たら、己の裡に巣食う胸糞悪い餓鬼――右目を抑えたまま動かない忌々しい子供だ――を葬ることが出来るのではないか。
この瞬間にそこまで考えたかどうかはさておき、政宗が考えていたのは目の前に居る弁丸ではなく、幼い頃の、梵天丸と呼ばれていた自分自身のことだけだった。
 
誰か救ってくれ、と。ただそれがどういうものか、政宗には見当も付かない。
 
 
 
どうせ言っても聞かぬ性格だと承知しているのだろう、弁丸を抱き上げ再び馬上の人になった政宗に、小十郎はもう何も言わなかった。それでもこれ見よがしに嘆息したので「犬や猫の仔だったら誰が拾うか」と、とりあえず小十郎に言う振りをして、拾った理由を弁丸に叩き込んでおいてやった。
 
 
 
 
 
政宗が思った以上に弁丸の順応力は高かった。高くせざるを得なかったのだろうと思うと、政宗の笑みは深くなる。
 
少し年の離れた兄弟くらいの年齢差しかなかったものの、政宗は弁丸の躾や教育に親のような熱心さを見せ、片時も弁丸を傍から離さなかった。一方弁丸は「殿様が戯れに親子ごっこをしているのに無邪気に付き合っている拾われた子供」の役を完璧にこなしていた。
 
殿は何をしておられるのか、とはじめは首を傾げた家臣達も今ではすっかり馴染んで、弁丸はえらく可愛がられている。
ここに来てかなりの時間が経つというのに未だ遠慮がちに、それでも一生懸命人の話に耳を傾けそっと微笑む弁丸は、そりゃ可愛いだろう。政宗が呼べば何をおいてもぱたぱたと走り寄ってくる。抱き上げてやれば至極無邪気な表情を見せ、鼻先を掠める弁丸の髪からは土と陽の匂いがした。
 
上手くやっている。政宗は時折弁丸にそう言ってやる。
「簡単じゃろう?そう振舞えば可愛がられる。そして可愛がられている限り、そなたは此処に居っても良いのじゃぞ」
何故自分がわざわざそんな分かりきったことを弁丸に教えているのか、何故皆が弁丸を可愛がるように心を砕いているのか、訳が分からないまま政宗は弁丸に言う。お主は賢い、上手くやっているぞ、と。
その時の弁丸の戸惑ったような笑みが、偽者なのか本物なのかまでは政宗にも分からない。
 
 
 
 
 
今や弁丸のことを大層気に入っている小十郎は、政宗の幼い頃と弁丸がそっくりだと笑う。
「そっくりですか?」
政宗の羽織の裾を掴んだまま、弁丸が聞き返した。ええ、政宗様も小さい頃は人見知りをなさると申しますか、引っ込み思案と言いますか。然程酷くは無かったのですけどね、政宗様の背中に隠れて皆の話を黙って聞いている弁丸を見ると、それを思い出すのですよ。
 
小十郎はいい奴でいい家臣だと思うが、政宗が少し苛々するのは決まってこんな時だ。
子供はそんなに馬鹿ではないぞ。自分がそう反論したく思っていることなど露にも思ってないだろう小十郎に嫉妬を覚える。
引っ込み思案と呼ばれる子供は反応値が低いだけだ。天真爛漫におどけてみせた挙句の失敗は大人に喜んで貰えるということを体験した子供は反応が早い。これはこれで重労働で、そういう餓鬼はいつも目まぐるしく動かざるを得ない。
だがそれを知らぬ餓鬼、いや、ふざけて見せたら話も通じず叱られたことの方をさっさと覚えてしまった子供は、まず顔色を伺う。顔色を伺うには時間が必要だから、まるで「口を挟んでいいのかな、話すのは恥ずかしいな」と悩むような演技力を身につける。それがその違いに過ぎぬ。儂の背中からお前らを観察している弁丸のぞっとするような目を見たことないのか?
 
政宗と似ている、そう言われた弁丸は、嬉しそうな小十郎を見て、次に政宗の笑顔が懐かしさではなく、懐かしく思う小十郎へのちょっとした苛々を含んだ感謝で構成されていることを推測して、それから声を出さずに笑った。
まだ政宗の着物を掴んだままの弁丸の手を外し、膝の上に座らせる。
その反応で正解じゃ、文句無しに満点を遣ろう。
小十郎が退室したので、そう囁いて弁丸の手を取った。弁丸の手は可哀想なくらい湿って冷たくなっていた。この小さな生き物が愛おしいと思うのはこんな時で、自分の中の子供はいつ居なくなるのだろうと政宗は考えるが答えは出ない。
 
 
 
 
 
時々弁丸が傍にいるのを厭わしく思うことも無い訳ではない。
賢し過ぎる弁丸は、政宗が理不尽に自分に怒ることを絶対に許さない。怒りには必ず理由をつけろと弁丸の方から生意気にも要求している気がして、政宗は隣で菓子を頬張る弁丸を恨めしそうに睨んだ。途端に弁丸の動きが止まる。
 
「どうした?弁丸」
「いま、おかしをいただいてはいけませぬか?」
 
膝の上にぽろぽろ食べかすを零している癖に。
こんなことを抜け抜けと口にする餓鬼が本当に忌々しい。その弁丸の台詞で、真相は兎も角、政宗の立場は「子に厳しく躾を教えている父親役」に限定される。躾の為に子を叱るのは当然、だが弁丸の賢しさに何となく苛ついているという大人など存在しないことを、弁丸は意識の底で祈っている。
そういう理不尽な理由で暴力を振るう大人が現実には存在していて、弱いものはいつだって殴られ虐げられる可能性があることを本当は分かっているから、そう言っている。
 
 
 
 
 
色々なことがあって、それでもそうやって穏やかに時は過ぎ、結局二人は何も変わらぬまま一日の大半を共に過ごす。決して違えることの無い弁丸の反応は政宗に安心を与え、同時に母の期待から目を背けられなかった幼い自分を思い出させたまま。それがどうしようもなくなると、政宗は夜中に真暗な部屋で一人途方に暮れる。
どういう経緯だったか忘れたが、いつしか弁丸がその横にこっそり座るようになった。だが隣にいる政宗のことなど見えていないかのように、彼はぼんやり壁を眺める。月を見て溜息を吐くこともあるし、気分がいいと小さく鼻歌を歌っていることもある。だが絶対に離れようとはしない。
 
 
 
弁丸が政宗にゆっくりと寄り掛かるようになったのはいつからだったか、それすらもうはっきりしない。
全体重をかけるわけでもなく、おおよそ自分の六割くらいの重さを預けています、という感じが如何にも弁丸らしい。だが、これが弁丸が他者に寄り掛かれる最大値であることも政宗には分かっている。
身体中の力を抜いて誰かに寄り掛かることさえ許されなかったのだ、儂等には。そう思ったら急に弁丸が哀れに思えたので、まるで人形でも抱くように戯れに抱き締めたくなった。弁丸に手を伸ばしたら、あっさり振り払われこちらを睨みつけてくる。政宗の望んだ反応をしなかった弁丸は初めてだった。
なのに、弁丸は政宗以上に途方に暮れた眸をするのだ。その小さな掌を、躊躇する政宗に向かって伸ばしながら、弁丸は涙を拭きもせずに言った。
 
「母上様のようには、だかないでください」
 
弁丸の生い立ちにも、あの時道の端に佇んでいた事情にも興味は無い。政宗にだって母に抱かれた記憶くらいはある。
でも本当はもう忘れてしまいたい、もういいと誰かに言って欲しがっているのだ。儂もお主も何一つ悪くない、捨てられたものが悪いものだなんて、一体何処の誰が決めた。先に自分のことを捨てた親を、子が捨てるのは悪だという理はない筈なのに。
 
泣きじゃくる弁丸を片手で持ち上げて、もう片方の手で髪を梳いてやった。胸の中にぽっかり空洞が空き、忌々しい子供と、本当はそれ以上にずっとずっと忌々しかった母の死姿を見たような気がして、それでもう自分は救われたのを知った。
彼女を憎むのも許すのも、自分の自由だったのだ。そう気付いたら、梵天丸だかいう餓鬼のことも、その母親のことも、何だか考えるまでも無いとすら思え、こちらを見詰める弁丸の眸に激しい既視感を覚えた。
弁丸は、自分を正しいものだと信じきっている。かつて自分が母をそう信じたように。
まだ丸みを帯びた弁丸の頬を伝う涙が恐ろしかったのでそっと掬い上げたのだが、それは想像以上に甘やかな仕草になって政宗に眩暈を起こさせた。と同時に十にもならぬ子供相手にこんなあやし方をしても良いのかとも思ったが、それは子供ではない、弁丸だ、と思い直した。
静かに涙を流す弁丸は、そのまま、やはり子供とは思えない仕草で政宗の首筋に手を回すと、そっと息を吐く。
 
 
 
ああ、儂は、とんでもないものを作ってしまった、と思った。

 

 

 

政宗は弁丸のことを可愛がりながら、幸せになるなと祈っています。自分だってずっとずっと辛かったから。
でも可愛がりたいのです。自分だって可愛がれることを他でもない自分に証明したいのです。
子供がもっているもっとも大事な権利の一つに、親を好いたり嫌ったりする権利があると思うのです。ないと辛すぎる。
暗い話ですが続きます。私は、政宗のお母さんにも政宗にも弁丸にも救いはくると思っています。
(08/10/07)